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タイ

1941年12月28日 タイ バンコク


 海南島の訓練所を出た27名と、現地志願者200名がバンコクに集結し、ミャンマー独立義勇軍の結成式が行われた。


 ミャンマーの伝統的な儀式の作法に則り、腕の血を啜って同志の忠誠を誓い、白地に緑の孔雀を描いた独立旗を高々と掲げる。


 独立義勇軍の司令官は特務機関の穂積大佐、ミャンマー人将兵の最上位は司令部高級参謀のアウンサン少将だ。


 もっとも、指揮官がいくらそろったところで、兵士がいなければ武装蜂起はできない。

 ミャンマーでは、兵士もゼロから育てなければならず、まずは志願者を集めて訓練するのが先決だった。


 要員の募集と訓練を担当する、先遣隊のリーダーはネ・ウィン中佐、後にミャンマー首相、大統領を歴任することになる若者だ。


 ネ・ウィンは、アウンサンたちに2ヵ月ほど遅れて三亜訓練所に入った。


 筋骨たくましいアウンサンとは対照的に華奢な体格で、武闘派の先頭に立つ猛者にはとても見えず、過酷な軍事訓練に耐えられるのか心配だったが、自ら積極的に筋力トレーニングに取り組み、短期間で強靭な肉体を備えた戦士に変貌し、坂上少尉を驚かせた。


 実技についても、学科についても、ずば抜けて理解力が高く、たちまち諸先輩に追いつき追い越して、逆に解説や助言を求められるようになる。


 気晴らしをする場所もないジャングルの中で、血の気の有り余る若い男たちが毎日顔を突き合わせていれば、些細なことでトラブルになることもしばしばだったが、そういった時に仲裁してことを収めるのは決まってネ・ウィンで、若手の中からすぐに頭角を現した。


 ネ・ウィン中佐をリーダーとする6名の先遣隊は、1942年1月14日、拳銃40丁と缶詰に偽装した爆弾を持ってバンコクを出発した。


 船でメーピン川を3日間遡行してから、密林の生い茂るインドシナ山脈に分け入り、足を置くのもやっとという狭い獣道を80キロにわたって踏破、4日後にようやく国境の川に達する。


 タイではモエイ川、ミャンマーではタウンジン川と呼ばれる山岳地帯の急流で、流れが速い上に両岸は断崖絶壁だ。


 船がなければとても渡れないが、この辺りではタイ警察が保有する1隻しかない。

日タイ軍事協定があるので、頼もうと思えば頼めないことはないものの、それでは対岸のイギリス軍の注意を引いてしまう。


 やむを得ず、川沿いの山道を5時間ほど下り、なんとか流れが穏やかな淵を見つけ、付近に自生している直径30センチもある象竹を切り倒し、筏を作りながら日が落ちるのを待った。


 周囲が闇に沈み、静まりかえる頃、一人が川に飛び込んだ。

 ミャンマー兵には泳げる者がいないので、その役目は坂上少尉に回ってきた。


 淵とはいっても流れは速く、2度流されかけたが、3度目にやっと対岸へ這い上がった。

 腰に巻き付けた細い綱に太いロープを結んで引っ張り、巨木にしっかりと巻きつける。


 準備が終わると、1人ずつ竹の筏に乗せてロープを伝って対岸に渡し、夜が明ける頃には全員の渡河を終えた。


 ミャンマー兵は3班に分かれてジャングルへ消えた。


 ネ・ウィン中佐は、国境を超えるとすぐに各地の拠点と連絡を取り、ゲリラ戦要員を選抜し、ヤンゴンの地下組織へ送るように指示する。


 2月2日にヤンゴンに入り、集まったメンバーと顔を合わせたネ・ウィンは、70キロ離れたペグーへ移動して秘密拠点を開設し、早速軍事訓練を始めた。

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