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シンガポール 6

 福沢少佐は、イギリス軍から鹵獲した王室御用達のウイスキーを、白石大佐の前のバカラグラスに注いだ。


「大佐は、日米交渉で戦争回避に力を尽くされたそうですし、日独伊三国同盟を推進されたとも聞きました。その辺りの外交の機微について、お話を聞かせていただけませんか」


 白石大佐は、しばらくスモーキーな薫りを楽しんでから、琥珀色の滴を舌に転がした。

 海藻のような独特の風味がある。


「俺が取り組んだのは防共協定の方だ。三国軍事同盟じゃない」

「防共協定を強化したものが、三国軍事同盟だと思っていましたが」


「軍事同盟は、仲良しこよし倶楽部じゃないんだ。参加国が同じだからといって、十把一絡げにしてもらっては困る。


軍事同盟は、仮想敵国を特定し、その武力行使を封じるために結ぶものだ。

防共協定の仮想敵国はロシアだ。

そしてその目的は、ロシアに満州への軍事侵攻を思いとどまらせることだ」


「しかし、ドイツがロシアと不可侵条約を結んだことで、空文化してしまいましたね」


「ドイツに梯子を外された。ドイツは、目先の利益を追って外交方針が猫の目のように変わる。裏切り、騙し討ち、なんでもありだ。そんな国と手を組んだら、また煮え湯を飲まされるのがおちだ。だからそれ以降、俺はドイツから一切手を引くことにした。


ところが外務省や陸軍の親独派は、懲りもせずに、まだドイツと同盟を結ぶという。

独露不可侵条約がある以上、ドイツの仮想敵国はもはやロシアではない。アメリカだ。


だが、日本にとって、米国は仮想敵国なのか?

たしかに海軍は、『仮想敵国は米国』などと口走っているが、あの対米何割とかいうのは、予算申請上の理屈に過ぎず、しょせんは省益レベルの話だ」


「省益ですか。海軍は国益のつもりでいると思いますが」

「だったらアメリカは、隙あらば日本に侵攻しようと常に機会を窺っている、とんでもなく好戦的で野蛮な国ということになる。海軍だって、そんなことを本気で考えているわけではあるまい。


明治時代、ハワイの国王が日本政府に、日本・ハワイ連邦の樹立を提案したことがあっただろう。

米国がハワイ王国を侵略しようとしているので、日本に阻止してもらいたいという話だった。


もしそれが実現していたら、ハワイに上陸しようとする米軍を日本軍が迎え撃ち、日米激突となっていたはずだ。それでこそアメリカは、正真正銘の仮想敵国といえる。


だが、明治政府はその誘いを断った。健全なリスク感覚だ。


それなのに、なぜ今頃になって、アメリカを仮想敵国とする軍事同盟に参加するんだ。

自ら墓穴を掘るようなものじゃないか」


 福沢少佐は、ふと思い出した。

「そういえば、松岡洋右外相は、日本、ドイツ、イタリア、ロシアの四国協商を目指すと言っていましたね。日本とロシアの中立条約も、そのために締結したのだと。松岡外相にとっては、三国軍事同盟も、四国協商を実現するための手段にすぎなかったのでしょうか?」


「四国協商は、もともと日本のアイデアだ。日本とドイツをロシアのシベリア鉄道経由で結び、ユーラシア大陸を西から東まで一気通貫に繋げるという構想だ。


ドイツのリッベントロップ外相は、当初は無関心だったが、ある時期から乗り気になった。

その裏事情はこうだ。


フランスとの戦争が思いの外あっさり終わり、次の焦点がイギリス本土上陸作戦に移ると、ドイツ首脳は、海軍に回す予算を捻出するため、陸軍の予算を削ろうとした。


慌てたドイツ陸軍は、ロシアがフィンランドに侵攻した『冬戦争』を例に挙げ、ロシアの次の狙いがルーマニアであり、ドイツにとって重要な石油供給源である、プロイェシュティ油田が危ういとして、対露戦に備える必要を主張する。


独露不可侵条約で世界を驚かせたリッベントロップ外相にすれば、そんなことになっては歴史に名を遺す金字塔が台無しだ。そこで四国協商構想を担ぎ、独露の対立の芽を摘もうとした。


四国協商が成立すれば、枢軸国間の輸送がユーラシア大陸で完結し、英米は手出しができない。

他方、英米間の大西洋航路は、Uボートによる通商破壊戦にさらされたままだ。


この状況を続ければ、真綿で首を絞めるようにイギリスを追い詰めることができる。


枢軸国としては悪くない戦略だが、それが連合国の危機感に火をつけた。

日露中立条約の締結で、四国協商の成立が目前に迫ったと焦ったアメリカは、万難を排してもそれを阻止しようとする。


『日本が三国軍事同盟から離脱するならば、満洲国を承認するとともに、蔣介石政権に対して日本との和平を勧告する用意がある』と打診してきた。それが、日米諒解案だ」

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