シンガポール 5
占領地域の拡大に伴い、特務機関は大幅に増強され、新たに白石大佐が着任した。
白石大佐は、陸軍の諜報・謀略の第一人者で、陸軍中野学校や登戸研究所、戦争経済研究班など、陸軍の主要な諜報・謀略・調査機関を創設する一方、開戦直前には、アメリカの首都ワシントンへ飛び、戦争回避に奔走したという、陸軍軍人としては異色の存在だ。
ワシントンの日米交渉では、外務省のスタッフが東京の本省に逐一お伺いを立てては指示を待ち、アメリカ側を閉口させていたが、途中から白石大佐が参加すると、懸案事項を次々と解消して一気に合意を成立させ、アメリカのハル国務長官を驚かせた。
ところが外務省は、部外者が主導した合意案を快く思わず、あれこれと難癖をつけて抵抗し、時間を空費する。
そうこうするうちに、世界中を震撼させる驚天動地の事件が発生した。
ロシアと不可侵条約を結んでいたドイツが、条約破棄の通告すらしないまま、ロシアへの侵攻を開始したのだ。
国際政治の様相は一変し、対応に忙殺されるアメリカは、日本との交渉に興味を失い、大佐は失意のうちに帰国を余儀なくされる。
それでも、陸軍省軍務局軍事課長として軍政の中枢に復帰した大佐は、陸海軍から宮内省まで広がる豊富な人脈を活用し、あらゆる方面に対米開戦回避を働きかけた。
それが、主戦論一色に染まる陸軍首脳部の逆鱗に触れる。
あえて開戦の口火を切る役目を押し付けられ、シンガポール侵攻の先鋒となる、近衛師団第5連隊の連隊長に転属を命じられたのだ。
そして、シンガポールの北西30キロに迫るポンティアンケチルでイギリス軍の砲撃を受けて重傷を負い、最前線を離れ諜報・謀略の世界に復帰することになった。
白石大佐を特務機関で迎えたのは福沢少佐だ。
少佐は、インド人将兵の切り崩しに成功し、イギリス諜報機関から命を狙われるほど、その筋では知る人ぞ知る存在になったとはいえ、諜報・謀略の世界では、まだまだ新参者だ。
元々歩兵畑で、参謀本部の中でも選り抜きのエリートが集う作戦課への配属が内定していたが、人事は水物、ひょんなことから謀略課に回ることになり、この世界へ足を踏み入れた。
諜報活動や秘密工作の訓練を受けたこともなければ、謀略に携わった経験も無いまま、いきなり現地工作の最前線に放り込まれ、すべてがぶっつけ本番、薄氷を踏む思いの連続だったから、練達の士である白石大佐の着任は心強い。
それとともに、日米外交交渉の現場に立ち会った当事者から、開戦に至る経緯について、生の目撃証言を聞いてみたいという気持ちもあった。
軍事のプロを自認する職業軍人の1人として、日本がどうしてこんな戦争を始めることになったのか、腑に落ちないものを感じていたからだ。
親しい技術将校から、こんな話を聞いたことがある。
「戦闘機は、エンジンに翼をつけたようなものといわれる。
戦闘機の性能が、エンジン次第でほとんど決まってしまうからだ。
当然、どの国でも、軍用機のエンジンの詳細なデータや製造技術は、軍事機密だ。
ところが日本では、最新鋭の軍用機エンジン工場ですら、開戦のわずか2週間前までアメリカのエンジニアから技術指導を受けていた。
つまり、日本にとっては最先端のエンジンでも、アメリカにすれば機密扱いする必要のない、旧世代のエンジンのコピーや派生品でしかないということだ。
例えばアメリカでは、ターボチャージャー付のエンジンが既に実用化されているが、日本がいつになったら作れるようになるのか、見当もつかない。
ましてイギリスは、液冷エンジンの技術水準において、そのアメリカをも遥かに上回り、世界最高峰に立つ。
日本の技術者も、そんなことは百も承知だから、開戦の報を聞いて、『英米に対抗できるエンジンも無いのに、戦争を始めるなんて、どうかしている』と嘆く声が少なくなかった。
欧米の水準を目指して、高性能エンジンの開発に取りかかるとしても、設計着手から実戦投入までには5年を要するというのが世界の常識だ。これからでは、とても間に合わない」
ことほどさように、日本とアメリカの格差はあまりにも大きく、まともに戦ったら勝ち目がないことは、軍事機密でもなんでもない。
軍人はもちろん、軍需産業のエンジニア、管轄する官庁の官僚、共同研究に参加する大学や研究所の学者など、ある程度以上の軍事的知見がある者にとっては、公然の秘密だ。
それなのに、なぜこんなことになったのか、通り一遍の説明で納得できるはずがない。
本当の経緯を、どうしても知りたかった。




