ソロモン 2
小沢中将率いる第3艦隊が、トラック島に向けて出撃した。
第3艦隊第1航空戦隊司令官の山口少将は、「人殺し多聞丸」という綽名があり、過酷な訓練を部下に課すことで知られる。
トラック島への航海中も、ミッドウェー海戦の戦訓に基づき、飛行機の燃料タンクを空にして爆弾や魚雷は弾庫に保管した状態から、燃料を満載し魚雷と爆弾を抱いた攻撃隊を飛行甲板に並べるまでの訓練を、徹底的に繰り返した。
飛行甲板に並べ終えると、格納庫に下ろして燃料を抜き、弾薬を弾庫に格納し、また反復する。
さらに、「瑞鶴」と「翔鶴」の間で所要時間の勝敗をつけ、競争心を煽った。
そのうちに、第1航空戦隊の「瑞鳳」、第2航空戦隊の「隼鷹」や「龍驤」も参加するようになり、月月火水木金金の猛訓練に慣れた、戦艦や巡洋艦の乗組員達ですら、同情するほどの厳しい訓練が日々続けられた。
やがて、第8根拠地隊の第8通信隊が、フィージー方面に活発な電波を傍受、偵察に向かった横浜空の飛行艇は、大輸送船団と、それを護衛する空母機動部隊を発見した。
設営隊が昼夜兼行で工事を急いだガダルカナル島のルンガ飛行場は、8月5日に、わずか800メートルとはいえ、使用できるようになった。
それを受け、空母「八幡丸」の第2航空隊に対し、直ちにルンガへ進出せよとの命令が下る。
「八幡丸」は、日本郵船の貨客船を改造した輸送用小型空母で、英空母がカタパルトを利用していたことをヒントに、飛行甲板の左舷外側に2式1号10型カタパルトを仮設していた。
このカタパルトは、4月に進水したばかりの軽巡洋艦「大淀」のために開発された、全長44メートルという巨大なもので、圧縮空気式でありながら、重量5トンの機体を時速150キロまで加速するという野心的な目標を掲げていた。
これは、全備重量が4トンを超える14試高速水上偵察機(後の「紫雲」)の搭載を予定しているためだが、機体の開発は難航し、ようやく完成した試作機の性能も要求水準には遠く及ばず、カタパルトも期待された出力に達しなかった。
そこで、存在が宙に浮いたカタパルトの転用が検討の俎上に載る。
後方に機体を射出する巡洋艦とは異なり、前方に射出する空母は、自身の速度(八幡丸なら21.6ノット=時速40キロ)を加えることで、カタパルトの出力不足を補うことができる。
重量も、零戦なら2トン余り、艦爆や艦攻でも4トン未満だ。
射出間隔が4分と長いため、一刻を争う空母航空戦に参加するのは無理だが、輸送や偵察、哨戒などの任務なら支障はなかろうと、テストケースとして「八幡丸」へ仮設されることになった。
もっとも、第2航空隊がガダルカナルへ出発する当日は、接近する熱帯低気圧の影響で風が強く、必要な合成風速を容易に得られた。
カタパルトを使うまでもなく、全機が飛行甲板を滑走して離艦した。
第2航空隊は、99式艦上爆撃機16機、零式艦上戦闘機15機、計31機の戦爆連合編成だ。
艦爆隊を率いるのは高田大尉、艦戦分隊長は大川大尉で、全体の指揮は飛行隊長代理として高田大尉が執る。
「八幡丸」を発進した高田大尉は、ソロモン海を飛び越え、ガダルカナル島のルンガ飛行場の上空に達した。
地上を眺めると、ブルドーザーやショベルカー、ロードローラーなど、大型の重機が何台も動き回っている。
こんな絶海の孤島に、なけなしの重機まで運び込むとは、海軍の力の入れようがわかる。
この調子なら、あとしばらくで陸攻も飛べるようになるだろう。
ところが実際に着陸してみると、驚いたことに、ただ滑走路の一部ができたというだけで、基地として必要な設備は何一つ無かった。
「最前線というものは、ここまで何もないのか」
高田大尉が呆然と立ち尽くしていると、一足先にラバウルから到着した、台南航空隊の先遣隊の水内少佐が笑い出した。
「驚いたか。横須賀から着いたばかりじゃ、無理もないな。だが、そう悪いところでもない。設営隊の話だと、魚はうまいし、冷蔵庫には牛肉が一杯に詰まっているそうだ。バナナやパパイアも好きなだけ食える。オウムやインコ、ナマケモノを集めた動物園もあるぞ」




