ソロモン 1
1942年7月10日 ソロモン諸島
ツラギはソロモン諸島の小島だが、イギリスが植民地政庁を置く政治的要衝で、2キロ離れたタナンボグホ島にはオーストラリア軍の水上機基地がある。
オーストラリア領パプアニューギニアのポートモレスビー上陸を狙う日本軍は、輸送船の航路に当たる珊瑚海を哨戒する拠点が必要となり、ツラギ島とタナンボグホ島を攻略した。
水上機基地に進出したのは、97式飛行艇や2式水上戦闘機を擁する横浜航空隊だ。
その彼らに、フィージー、サモア、ニューカレドニア方面への偵察命令が下った。
資源豊富なアメリカだが、唯一、クロム鉱だけは産出量が日本を下回り、自給率は5%しかない。
クロム鉱は、大砲の砲身や装甲、各種車両のサスペンション、エンジン、ターボチャージャー、さらには開発中のジェットエンジンまで、様々な軍需品の生産に不可欠なレアメタルだ。
そして、その最大の輸入先がニューカレドニアなのだ。
占領はもちろん、輸送を断つだけでも米国の軍需生産を混乱に陥れることができる。
アメリカの戦争経済のアキレス腱を突くこの作戦は、主力撃滅による短期決戦を志向する山本五十六大将のお眼鏡には適わず、一時は中止されそうな雲行きだったが、連合艦隊司令長官の更迭で、再び日の目を見ようとしていた。
97式飛行艇は巨大だ。
主翼の幅が40メートルもある。
アメリカの重爆撃機「空の要塞」B-17でも、主翼の幅は32メートル。
いかに大きいかわかろうというものだ。
水平尾翼ですら、零式艦上戦闘機の主翼並みの大きさがある。
エンジンは、B-17と同じく4発。
だが、水上でエンジンを起動するには、陸上機とは違う苦労がある。
機関士が胴体上部の出口から出て、主翼の後縁にハシゴをかけて上り、翼の上をエンジンの脇まで歩く。
主翼の前縁を開いて足場の板を出し、ワイヤーにつかまりながら慣性起動機のイナーシャ・スターターのハンドルを回す。
それに合わせてパイロットが点火スイッチを入れると、破裂音とともにエンジンがスタートして、プロペラが回りはじめる。
その途端、プロペラの真後ろに立つ機関士には、猛烈な風が吹き付ける。
それでなくても、海水で濡れた機体は滑りやすい。
足を滑らせてプロペラに巻き込まれたら即死、風に吹き飛ばされて機体に打ち付けられてもまず命はない。
細心の注意を払いながら、足場を引き上げて前縁を閉め、主翼を伝って戻る。
外したハシゴを機内に運び入れたら一安心だ。
エンジンが1基動き出せば、それが発電機を回し、残りの3基はモーターで始動できる。
森山飛行曹長がスロットルを開けるにしたがい、97式飛行艇の4つのプロペラが、ゆっくりと、やがて勢いよく回り始めた。
風は、いつもの東風だ。
風上に向かって静かに動き出した飛行艇は、やがて爆音を響かせながら、水しぶきを上げて離水し、17トンの巨体を空中に浮かせた。
大艇が、茫漠たる藍碧の海原を飛ぶ。
およそ1000キロも飛んだだろうか、ニューへブリデス諸島のエスピリトゥサント島の南、セゴンド海峡にさしかかったあたりだった。
輸送船が集まっている。
その周囲には、おびただしい数の艀が行き交っていた。
「なんだ、あれは?」
森山飛曹長は、艀の後を追うことにした。
艀は、湾の奥に向かって列をなしている。
この辺りには鬱蒼とした密林しか無かったはずなのに、しばらく行くと唐突に途切れ、開けた平地が現れた。
工事はまだ始まったばかりのようだが、それが何かは一目瞭然だ。
「飛行場だ。それにしても大きい。2000メートルはゆうにある。これなら、B-17のような重爆撃機が、目一杯爆弾と燃料を積んでも、楽々離着陸できるだろう」
フィージー、サモアの米軍基地を守る、戦闘機の飛行場なら、こんな規模は必要ない。
だが、長距離爆撃機用だとしても、ここからラバウルまでは2000キロあり、航続距離3000キロのB-17では往復できない。
飛行場建設の狙いは何だ?
B-17で爆撃可能な日本軍の拠点は、1000キロ離れたツラギ島だけだ。
アメリカ軍は、ツラギ島を奪回し、ラバウルの側背を突こうとしているのか?
もしそうなら、ツラギを辺境の偵察拠点としか見ておらず、わずかな守備隊を配置しているだけの日本軍は、ひとたまりもない。
森山飛曹長は、慌てて機首を転じた。




