東京 2
1942年6月5日 東京
永野修身軍令部総長が宮中に参内し、ミッドウェー海戦の戦果を奏上した。
「詳細はなお確認中ですが、これまで判明した戦果につき、取り急ぎご報告申し上げます。
アメリカ軍の空母2隻を撃沈、
我が方の損害は、1隻沈没、1隻大破、
僅差ながら勝利した模様にございます」
天皇は、一瞬、怪訝な顔をされ、お言葉も無かった。
普段とは違うご様子に、永野総長は冷や汗をかいて退出する。
その夜、天皇は内密に米内光政大将をお召しになった。
奏上の内容が、内々に報告のあった「飛龍」からの至急電と大きく異なっていたからだ。
万一にも奏上に虚偽や隠蔽があったとすれば、国家の命運を左右する一大事だ。
米内大将は、海軍大学校教官で諜報活動の第一人者である竹内大佐に、極秘調査を命じた。
竹内大佐のもたらした報告は、驚くべきものだった。
一、米空母は、1隻を沈めただけで、残りの2隻は健在で
ある。
我が方は、「赤城」、「加賀」、「蒼龍」が沈没、帰途
についているのは大破した「飛龍」のみ。
大敗北を喫しており、奏上は虚偽、隠蔽と断じざるを
得ない。
二、海軍内部では、敗因を偵察機の報告の遅れに帰す向きが
あるが、真実は逆で、敵艦隊を発見できたことが類稀な
僥倖というべきである。
敵発見の第1報を伝えた重巡「利根」4号機は、トラブル
により発進が遅延したにもかかわらず、帰投時刻は
そのままと指示され、辻褄を合わせようと飛行ルートを
勝手に変更、飛ぶはずのない海域を飛び、偶然にも
敵艦隊と鉢合わせしたにすぎない。
当初予定の時刻に発進し、計画通りのコースを飛んで
いたら、すれ違って発見できなかった可能性が高く、
「怪我の功名」と「瓢箪から駒」を合わせたような、
稀に見る幸運だった。
他方、敵艦隊の上空を通過する飛行ルートを指示された
重巡「筑摩」1号機は、好天なら視認できる距離まで
接近したものの、雲の上を飛んだために見落としたと
される。
だが、もし雲の下を飛んでいたら確実に発見できたのか
といえば、それも疑問なしとしない。
雲の下は気象条件が悪く見通しのきかないことが多い
上、高度を下げれば視界も狭まるため、1機だけでは
予定された海域をカバーしきれないからだ。
根本的な問題は、偵察域の広さに対し、投入された偵察
機の数が少な過ぎることにある。
最小限の機数で最大限の偵察域をカバーするといえば
聞こえは良いが、わずかな齟齬で破綻をきたすような、
形ばかりの偵察計画だった。
三、優秀なスタッフの揃った艦隊司令部が、なぜこうも杜撰
な偵察計画を是としたのか。
「本日敵機動部隊出撃の算なし」という、根拠のない予断
がその原因と思われる。
遅延対応の丸投げ、コースの無断変更、雲の上の飛行と
いった、おざなりな態度の横行は、この予断が司令部
のみならず艦隊全体に蔓延していたことの証であろう。
「ミッドウェー島西方に米空母のコールサインを傍受」と
いう第6通信隊の警告が、司令部の意に染まないとの
忖度から握りつぶされ、届かなかったことにされる
という、組織的隠蔽まで行われた。
司令部がイエスマンを重用するあまり、裸の王様に
なっていたのだ。
セイロン沖海戦、珊瑚海海戦と、2度にわたり敵機動
部隊の待ち伏せにあったことを考えれば、3度目を警戒
し慎重の上にも慎重を期してしかるべきところ、それを
一瞥だにしなかったことは、あまりにも軽率との誹りを
免れまい。
四、故事を温ねれば、中国の三国時代、諸葛孔明の弟子、
馬謖の例に通じる。
曰く、「孔明揮涙斬馬謖=孔明泣いて馬謖を斬る」
報告を受けた天皇は激怒し、米内大将に海軍の粛正を命じた。
米内大将が出した結論は、永野修身軍令部総長と山本五十六連合艦隊司令長官を更迭し、米内自身が現役に復帰して、両職を兼務するというものだった。




