モルディブ 3
重巡「利根」を発進した、94式水上偵察機から無電が入った。
「敵巡洋艦らしきもの、2隻見ゆ」
山口少将が海図で確認すると、コロンボとアッズ環礁の中間点を南下しているようだ。
柳本艦長と顔を見合わせる。
「敵の攻撃を受けたら、分遣隊は主力と合流しようとするものだ。英東洋艦隊がアフリカへ逃げたのなら、巡洋艦は西へ向かうはずだ。南下しているということは、主力はアッズ環礁か?」
柳本艦長が言った。
「もしそうなら、逃さないように距離を詰める必要があります」
山口少将が命じた。
「艦隊司令部に意見具申。アッズ環礁方面に進撃、イギリス東洋艦隊の所在を確認の要あり」
だが、「赤城」からの返答はなかった。
敵主力がアフリカへ去ったという判断に固執する艦隊司令部は、それ以外の意見に耳を貸すつもりはなく、コロンボとトリンコマリーの陸上施設を徹底的に破壊するため、第2次攻撃隊の兵装を対艦用から陸用へ転換する命令を起草中だったからだ。
真珠湾攻撃に当たり、連合艦隊司令部から「空母機動部隊を無傷で帰還させることを優先せよ」という指示を受け、それを忠実に守ったにもかかわらず、後になって「なぜハワイの陸上施設をもっと破壊しなかった。石油タンクを爆撃するだけでも、米軍の反攻が半年は遅れたはずだ」と大勝利にケチをつける声が上がり、プライドを傷つけられた第1航空艦隊司令部は、「今度こそ文句は言わせない」と頑なになっていたのだ。
軽巡洋艦「阿武隈」の第1水雷戦隊飛行長の稲葉大尉は、94式水上偵察機に乗ってカタパルトから発進した。
無風で波もなく、水平線の先まで見通せる、絶好の飛行日和だった。
だが、どこまで行っても、見えるのは空と海ばかり。
時が経つにつれて、僚機は次々と、
「我、燃料不足」と打電して、引き返し始めた。
更に30分飛ぶと、稲葉機も担当海域を回り終えた。
稲葉大尉は、
「予定海域、敵を見ず」と報告した後で、しばらく躊躇った。
これ以上飛ぶと、燃料が足りなくなるおそれがある。
このまま帰っても、命令は果たしているのだから、非難されることはない。
だが数日前、事故で愛機を大破した責任を感じていた。
「手ぶらでは帰りたくないな。なんとかやりくりして、もう少し飛んでみよう」
藤沢飛行兵曹が、
「どうしますか?」と尋ねると、
稲葉大尉は、
「偵察を続行する。機銃と銃弾を捨てろ」と、指示した。
低速の水上偵察機が敵の戦闘機に襲われたら、機銃など何の役にも立たない。
むしろ重い分、足を引っ張るだけだ。
とはいえ、偵察続行は、ひとつ間違えれば死に直結する危険な判断だ。
ふと計器盤を見ると、小さな蝶がとまっていた。
「お前も一緒に行ってくれるのか」
一瞬、感傷的な気持ちになった。
藤沢飛曹が言った。
「何か見えます!」
断雲を回り込み、太陽を背にしながら慎重に接近する。
「空母です。駆逐艦を伴っています」
イギリス東洋艦隊の本隊に間違いない。
稲葉大尉は、電信員の佐々木飛曹に発信を命じた。
「空母らしきもの見ゆ。アッズ環礁方面より北上中」
イギリス東洋艦隊旗艦、戦艦「ウォースパイト」の艦橋に警報が響いた。
「左舷前方に、敵偵察機!」
司令長官のジェームズ・サマヴィル卿が、つぶやいた。
「とうとう見つかったか」
イギリス軍は、日本の空母機動部隊の来襲を事前に察知していた。
だが、日本艦隊の空母5隻に対し、イギリス東洋艦隊が擁する空母は「インドミタブル」と「フォーミタブル」の2隻だけだ。
どちらも飛行甲板の装甲が戦艦並みに厚い装甲空母で、防御力こそ高いが、1隻当たりの搭載機数は日本空母の6割程度、それに加えて、戦闘機の米国製F4Fはまだしも、雷撃機は複葉機のソードフィッシュとアルバコアだ。
まともにぶつかっては勝ち目がない。
そこで、アッズ環礁に一旦退避し、ひそかに夜襲のチャンスを窺っていたのだ。
とはいえ、見つかったとなれば、戦うしかない。
サマヴィル卿は、覚悟を決めた。




