東京 1
1941年11月15日 東京
戦争の危機が迫る中、皇居宮殿東一ノ間で大本営兵棋演習が開催された。
開戦劈頭に予定される南方作戦を、帝国陸海軍の最高指揮官である天皇の御前で図上演習するもので、イギリス領マレーシア、シンガポール、ミャンマー、アメリカ領フィリピン、オランダ領インドネシアへの侵攻が順次展開された。
演習が終了すると、天皇からご下問があった。
「フィリピンを攻撃すれば、いずれアメリカ太平洋艦隊が押し寄せてくることになろう。皇太子の頃、『列国弩級艦一覧表』を諳んじたくらいだから、各国海軍の現有戦力は概ねわかっているが、戦争が2年も続けば新たな戦艦が竣工するはずだ。米国の建艦計画はどうなっているか?」
永野修身軍令部総長が答えた。
「1943年末までに戦艦8隻という報告を受けております」
「そうなると、こちらが計画通り建艦できたとしても、対米7割どころか5割そこそこだね。軍令部の図上演習では、開戦後1年で、対米5割まで戦力が低下する結果になったようだ。
アメリカが2倍以上の戦力を手にしたら、もはや講和の余地はあるまい。戦争、戦争というが、戦争は始めるよりも終わらせる方が難しいという。いかにして戦争を終わらせるつもりなのか?」
永野軍令部総長は沈黙した。
杉山元参謀総長が口をはさんだ。
「ロシアに侵攻し2正面作戦を強いれば、有利な条件で講和を迫ることもできましょう」
「中立条約を締結しておきながら、手のひらを返すように宣戦を布告するなど、不可侵条約を蔑ろにしたドイツと同類に堕ちろというのか。
かつて不平等条約に苦しんだ帝国は、明治大帝の御代より営々として国際的信義を築き上げ、50年の長きをかけてようやく改正に漕ぎ着けた。その大業を自ら貶めるなど、九仞の功を一簣に虧くものだ。朕は断じて許すつもりはない。
そもそも、短期決戦を志向していたはずのドイツが、いまだにモスクワを落とせずにいる。
日本が中国で経験したように、ドイツも長期戦に陥ってしまったのではないのか?」
杉山参謀総長は、慌てて言葉を継いだ。
「フランスを1か月で降伏させたドイツです。ロシア相手に、手間取るとは考えておりません」
天皇は、静かに矛盾を指摘した。
「現に5か月経っても、終わっていないではないか。参謀総長は、支那事変を始めるに当たって、朕に何と言ったか忘れたのか?2か月で終わらせると言ったのだぞ。それから、もう4年だ。
長引いているのは、米英の軍事援助のせいというが、それはロシアも同じではないか。
米英の援助により、独露の戦いが容易に決着しないとすれば、今、帝国が米英と戦端を開くことは、火中の栗を拾うことにもなりかねない」
杉山参謀総長も沈黙した。
天皇から、あらためてご下問があった。
「かつて訪英した折、イギリス海軍顧問のジュリアン・コーベット卿の著作、『海洋戦略の諸原則』を買い求めた。そこには、『イギリスが制海権を失えば、講和に応じるしかない』と書かれていた。イギリスから制海権を奪い、講和のテーブルに着かせる手立てはないのか?」
永野軍令部総長が応えた。
「ドイツの海軍力では、イギリスから制海権を奪うのは難しいと思われます。むしろ、イギリス経済を支える植民地、例えばインドの独立を促した方が、講和につながるかもしれません」
杉山参謀総長が、慌てて発言を求めた。
「もしインドを攻めるなら、海軍にインド洋の制海権を確立してもらわなければなりません。
輸送船で兵員や物資を運ぶのは陸軍ですが、その安全を確保するのは海軍の責務です」
天皇は嘆息した。
「やはり、制海権か。制海権がなくては、戦争を始めることも、終わらせることもできないか。いずれにせよ、始め方だけでは片手落ちだ。戦争をどう終わらせるのか、至急説明せよ」
天皇のご下問を受けた大本営は、「アメリカ、イギリス、オランダ、中国蔣介石政権に対する戦争終末促進に関する腹案」を取り纏め、大本営政府連絡会議の決議を得て奏上した。
「日本、ドイツ、イタリア三国協力して先づ速やかにイギリスの屈服を図る。
イギリスの屈服は概ね一年後を目途とするも、之と直に講和することなく、イギリスをしてアメリカの継戦意志を喪失せしむるが如く誘導するに勉む。
一、帝国は以下の諸方策を執る。
イ、オーストラリア、インドに対し、努めて周辺海域における制海権の獲得を
図るとともに、政略及通商破壊等の手段に依り、イギリス本国との連鎖を
遮断し其の離反を策す。
ロ、ミャンマーの独立を促進し、其の成果を利導してインドの独立を刺激す。
二、ドイツ、イタリアをして、以下の諸方策を執らしむるに勉む。
イ、中東、北アフリカ、スエズ運河作戦を実施す。
ロ、イギリスに対する海上封鎖を強化す。
ハ、情勢之を許すに至らば、イギリス本土上陸作戦を実施す。
三、ロシアをしてドイツと講和せしめ、枢軸側に参加せしむるが如く勉む」




