ミッドウェー 9
空母「飛龍」のボイラー室上部通路の左舷側には、兵員烹炊所がある。
川内少尉は思い出した。
そういえば、食糧倉庫に入りきらない米と麦の俵を、兵員烹炊所に近いこの通路に山積みにするという話があった。
だが、マダガスカル沖海戦で日程が狂い、手配が間に合わず、今は何も置かれていない。
もし積み上げられていたら、俵に火が燃え移り、この通路は通れなくなっていただろう。
可燃物は海戦の前に投棄するのが兵法の基本なのに、機械科指揮所から飛行甲板へ通じる重要な連絡通路に、火が付くと消火が難しい俵を積み上げるなど言語道断、間に合わなくて幸いだ。
だが、通路の奥まで行くと、防水扉とハッチが爆発の衝撃で歪み、そのまま焼き付いていた。
それ以上先へは進めない。
「万事休すか」
絶望に襲われそうになったその時、視界の隅で何かが動いた。
格納庫と通路の隔壁に小さな穴があり、その奥で燃え残りの火が揺らめいている。
電線を止めるネジが、爆風で吹き飛ばされたようだ。
隔壁は厚さ20ミリの鉄板だが、穴が空いているなら、タガネで広げられる。
特別短艇員など腕力自慢の猛者を集め、5分交替で大ハンマーを振るい続けると、1時間後には穴が縦横30センチまで広がり、なんとか人が通れるようになった。
川内少尉が穴を通って這い出た格納庫は、膝の深さまで海水が溜まっていた。
あちらこちらに炎が残り、壁は焼けただれ、半ば溶けた飛行機の残骸や、黒焦げの死体が折り重なっている。
熱湯を掻き分けながら進むうちに、エレベーターの開口部から星空が覗く所に出た。
それを目当てに、飴細工のように曲がったラッタルをよじ登る。
飛行甲板に近づくにしたがって、見えてきたのは、焼け落ちた艦橋だ。
屏風のようにそそり立っているのは、吹き飛ばされた前部エレベーターか。
ここまで手ひどくやられているとは、思ってもみなかった。
これでは、高射砲台の消火にまで手が回らなくても無理はない。
飛行甲板に出ると、人が集まっていた。
「総員、上へあがれ」
「総員、上へ」
分隊長の名前を叫んでは、隊員を集めている。
総員退去が命じられたらしい。
「これは、まずい!」
必死になって走り回り、永山機関参謀を探した。
ようやく将校グループの一団の中に、見知った顔を見つけて、駆け寄って叫んだ。
「永山少佐!」
「川内少尉か!生きていたのか!よく脱出できたな。貴様が助かっただけでも、よかった!」
「違うんです。機関室は生きています!飛龍は、航行可能なんです!」
「えっ、本当か?さっき、応答が途絶えたじゃないか」
「バッテリーが切れて、船内電話が不通になっただけです。30ノットは難しくても、25ノットや28ノットなら、まだ充分出せます」
それを聞いた永山少佐が、慌てて走り出した。
どこからか、加来艦長の声が響いた。
「総員退去中止!全員持ち場に戻れ。夜が明ける前に戦場を離脱する。日本に戻るぞ!」
こうして自力航行を再開した「飛龍」は、知らせを受けて急行した山本五十六司令長官率いる連合艦隊主力と合流し、アメリカ軍の追撃をからくも振り切り、母港に帰還した。
ミッドウェー海戦に参加した、第1航空艦隊の空母艦載機搭乗員は516名、そのうち戦死者は110名を数える。
だが、その多くは最後まで戦った「飛龍」飛行隊で、「赤城」、「加賀」、「蒼龍」の飛行隊の搭乗員のほとんどは、艦が沈む前に脱出し、飛行中の機も着水して、付近の艦艇に救助されていた。
「蒼龍」飛行隊長の江草隆繁少佐も、火傷を負い腕を骨折したものの、救助されて治療を受け、翌月には横須賀航空隊に復帰する。
他方、アメリカ軍機搭乗員の戦死者は、日本軍の倍近い208名に達していた。
ミッドウェー海戦での航空兵力のダメージは、米軍の方が大きかったのだ。
日本海軍は、3隻の空母を失ったとはいえ、「飛龍」、「瑞鶴」、「翔鶴」、「龍驤」、「隼鷹」、「瑞鳳」と、なお6隻の空母を擁し、7月末には「飛鷹」が竣工する。
それに対し、米太平洋艦隊の空母は、ミッドウェー海戦に参加した「エンタープライズ」、「ホーネット」に、サンディエゴから真珠湾に帰投中の「サラトガ」、大西洋艦隊から回航中の「ワスプ」を加えても4隻にすぎない。
ミッドウェー海戦は確かに日本側の敗北だが、大勢を覆すというほどではなかった。
生還した山口少将は、海軍のレーダー研究の第一人者だった、今は亡き「蒼龍」艦長柳本大佐の遺志を汲み、「翔鶴」、「飛鷹」に加えて、「隼鷹」にも対空レーダーを搭載するよう要請した。
近々に予定されていた戦艦「霧島」へのレーダー搭載工事も、前倒しとなる。
遅ればせながら日本海軍も、実戦でレーダーを運用する時代に入ろうとしていた。




