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少年と執事  作者: マン太
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8.雨 ー回顧ー

 その日。

 ハイトはようやく手にした薬を、大事に腕に抱え店を出た。

 先ほどから身体が熱い。だるくて仕方ない。身体の其処此処が悲鳴を上げている。

 それより何より。触れられた事を思い出す度、おぞましさに身体が震えた。思わずその場に立ち止まる。


 してはいけないことを、してしまった。


 自分でも分かっている。ハイトは痛む手首にちらと目を落としたあと、また歩き出す。先ほどから雨脚が強くなってきていた。


 けれど、代わりに薬は手に入ったんだ──。


 店の主人はハイトの様なものに買えるわけがないと、薬を出し渋った。それほど高価な薬なのだ。

 それならと、持ってきた金を出して見せれば、まるで汚いものでも触る様にそれを確認し、ようやく薬を売ってもらえた。


 俺はどうなったっていい。妹が助かるなら──。…これくらい。


 こんな風に手に入れた薬で妹が喜ぶのかと、何度も自問自問を繰り返してはいたが。


 これで──良かったんだ。


 結果からとは言え、ほかに道はなかったのだ。

 ぎゅっと胸に抱えた包みを抱きしめた拍子に、道にできたわだちに足を取られた。薬に気を取られ過ぎたらしい。

 いつもなら、すぐにバランスを取るのだが、身体が本調子でないためか、咄嗟の対応ができなかった。


「!」


 あっと、思った時には、わだちのたまった泥水のなかへ突っ伏した。バシャリと冷たい泥水が顔半分にかかる。惨めな姿だった。

 それでも薬の入った包みだけは離せない。濡らすわけにはいかないのだ。

 ハッと気がつくと、馬車の車輪の音、馬のいななく声が迫っていた。周囲から悲鳴が上がる。

 ああ、と思った時には目の前に馬の大きく掲げられた前足と、車輪が迫っていた。


 イルミナ──。


 覚悟してぎゅっと目をつぶれば。突然、強い力に腕を引かれ視界が反転した。


「…よかった。君、大丈夫か?」


 のろのろと目を開ければ、自分を見下ろすグリーンの瞳があった。グレーがかったそれはとても優しい色をしている。


 綺麗な──色…。


 助かったのだと、そう思ったあとの記憶が、ぷつりと途切れてなかった。

 次に目を覚ました時は、見知らぬ家の浴室で。


「…?」


「目が覚めたか? 身体を洗っている。ここは俺の診療所で──」


 先程の人物とは違う、大柄な男が優しい目で見下ろしていた。しかし、ハイトの目にそれは映らない。記憶が混乱していたのだ。


 また、襲われる──。


「っ! ──だっ! はな──」


 必死に男の手を振り払った。

 せっかく支えてくれていた男の腕が離れ、お陰でバスタブの中に沈み込んでしまう。

 お湯が口の中に入った。泡が辺りに飛び散る。


「おい! 大丈夫だ、大丈夫だから──」


 男はすぐにハイトをお湯の中から救い出し、抱き上げた。そのまま背を優しく撫でる。


「…大丈夫だ。俺はお前を襲いはしない…。大丈夫だから」


 男の服はハイトを抱き上げた所為でびしょびしょだ。がっしりとした腕が背を支える。


 大丈夫──なのか…?


 そうして、そのまま、また意識を失った。


 次に目覚めた時は、人の話し声でだった。

 ひとつは既に聞いたことがある。さきほど自分を湯あみしてくれた男のものだ。あと一つは、聞いたことがない。


 …いや、さっき一度。


 穏やかな声でそれだけで品のいい人物だと知れる。

 目を開けると、最初にその男と目が合った。

 灰色味を帯びたグリーンの瞳。薄い金色の髪は後ろに撫でつけてあったのだろうが、今は額にかかり乱れていた。

 声とは違ってラフな出で立ち。目鼻立ちは整い、声と同様、品のある顔つきだった。

 輝くような美貌という訳では無いが、整った容姿は、ひと目を惹くのに十分だった。

 一番先に薬の行方を尋ねると、男は笑う。その後、なぜか診療費もみてくれ、家まで送ってくれることになった。

 どうして? と不思議に思ったが、どうやら最後まで面倒を見たいらしい。

 自分のような貧しい身分のものにかかわろうとするなんて、珍しい人だと思った。話の最後には仕事の面倒も見てくれることになり。もう、感謝しかない。


 俺は──こんな素晴らしい人に、面倒を見てもらえるような人間じゃない。


 手首に出来た赤い痣を見つめ、それをそっと手でさする。


 高価な薬を手に入れるためには──他に道はなかったんだ。


 そう思い込む事で、何とか自分を納得させる。しかし、今度からこの医師、クレールのもとに来れば薬を分けてくれるといった。

 あんな事をするのは、あれきりでいいのだ。思い出しても、恐怖と羞恥とに襲われる。望まなかった行為。


 二度と、あんな事はしたくない。


 思い出したくもない行為なのに、まざまざと記憶が蘇って来て身体が震える。

 あの日。イルミナルが倒れた事で、ハイトは動転した。

 ここの所、妹の喘息が酷くなったため、仕事の帰り、町の薬屋に話を聞きに行ったのだ。今ある喘息の薬はこれだと言われ、出されたそれは余りに高価で、今の自分ではとても手が出せない。

 落胆して帰れば、妹が床に倒れていたのだ。

 喘息を起こしそのままそこで息も絶え絶えになっていた。祖父は奥でやはり寝ていて気付かない。

 すぐに妹を介抱し、薬を得るため家を飛び出した。


+++


 イルミナが──死んでしまう…。


 気が動転していた。どうしたら、あの高額な薬を手に入れる事が出来るのか。幾ら考えても、答えが出ない。相談しようにも相手がいないのだ。

 何処をどう歩いたのか、行きついたのは薄暗い路地で。普段この町に慣れたハイトも歩かない場所だ。

 建物の入口や、薄暗い路地に露出度の高い、派手な衣装を身に着けた女性や若い男性が立っている。辺りはいかがわしい空気が漂っていた。


 帰らないと──。


 自分が来ていい場所ではない。

 慌ててきた道を引き返そうとすれば、その腕を掴むものがいた。驚いて振り返れば、頭からフードをすっぽり被った長身の男が立っている。


「君は…いくらだい?」


 男の言っている意味が分からずぽかんと口を開けた。

 男の身につけているフードは上質で、それだけでも身分が高い者であるのが見てとれた。けれど、薄暗い路地では顔はよくわからない。

 幾らなのかと問われ、意味も分からず、先ほど薬屋で言われた額を口にした。今、頭を占めているのはその事だけ。他に思い当る金額がなかったのだ。

 男は意外そうな顔をしたものの、すぐに笑顔になり。


「…それなら、その分、楽しませてもらおう」


「!? あ、あのっ、今のは薬の値段で──」


「薬? 若いのにそんなものに手を出しているのかい? …まあいい。気の変わらないうちに行こうか」


 男の腕を掴む力は存外強かった。

 男に連れられるまま、入った場所は連れ込みの宿。それくらいはハイトも知っている。

 そんな場所があるのだと、祖父ラルスから近づいてはいけないと、いい含められていたのだが。

 男は部屋に入ると、それまで目深に被っていたフードを後ろへ跳ね上げ、ハイトを見下ろしてきた。

 恐ろしく冴えた美貌の持ち主。

 輝くような金糸に、グレーの瞳。しかし、そのどれもが冷たく映る。まるで血が通っていないかの様。怖くなって後退る。


「あ、あの、俺、間違えてここへ来て…。欲しいのは妹の薬代で…。だらかさっきのは──」


「君で払おう」


「…え?」


 男はにこりと笑むと。


「君が薬代の代わりだよ。一晩、私の相手をすれば手に入るんだ。君にも好都合だろう?」


 男の言わんとしていることを理解して、顔がかっと熱くなる。


「あ、の! 俺、そんなつもりは──」


 すると男はハイトの手首を強くつかんだ。


「っ!」


「ここまで来て逃がすと思うかい? 言う事を聞けば痛い目は見ないさ。優しくしよう…。妹を助けたいんだろう?」


 男の声が甘く響く。

 確かに妹を助けたい。薬があれば妹は助かる。ここでこの男の言う事を聞けば薬は手に入るのだ。


 けれど。


「…こんな事をして、薬を手に入れても、きっと妹は喜ばない…。別の方法を考えます…。だから手を放し──」


「私は君を気に入った。逃がさない」


 そういうと、男は今度はハイトの両手首をつかみ上げ、胸もとに巻いていたタイを解くとそれで縛り上げてしまった。そのままハイトをベッドへと押し倒す。


「ッ! やめ──」


「その足、上手く動かないんだろう?」


 男の視線がこわばった右足に落とされる。

 身体の震えが止まらず、なんとか覆いかぶさる男を蹴とばそうともがくが、動かせる左足は体重をかけられ動かすことができない。


「そんな足で逃げられると思うかい?」


 不敵に笑った男は、冷酷そのものだった。


 その後の事は覚えていない。──いや。覚えてはいるけれど、思い出したくはない。

 シャワーを浴び終えた後、男が何をして、何をさせたか。忘れようとしても忘れられない。今でも思い出す度、羞恥と恐怖で身体が震える。

 その後、目を覚ましハイトは宿のベッドにひとりで寝ていた。

 脇に置かれたテーブルの上にメモがある。そこにはまたお金が欲しくなったらここへおいで、とあった。

 男のメモを握り締める。そのメモの隣には薬代には十分足りるお金が置かれていた。

 これを持っていれば、またお金が欲しくなったら自分を売ればいいのだろう。そうすれば、妹は助かり家計も楽になる。


「…くっ」


 涙が頬を伝った。

 こんな惨めな事をするしか手がないとは。


 もっと他に方法があったはず。


 無理やりとは言え、男の要求を受け入れてしまったのだ。それに、一瞬でも迷った自分がいることを否定できない。

 手首に赤い跡が残っていた。暴れるため、男は最後までこれを外さなかったのだ。

 

 ここを、出よう…。


 ハイトは痛む身体を引きずるようにして、所々破れた服を着なおすと、乱暴に金をポケットへ突っ込み、そこを後にした。

 メモは握り潰そうとして、結局止めた。最後の為に取っておくべきだろう。悔しいが、今の自分にはこんな大金を得る手段は他にない。

 宿はすでに男が金を払っていたらしく、そこの主人らしき男は気前よく送り出してくれた。

 男も十分金を得たのだろう。あの男は身なりからしてもかなり裕福な人物だったはず。

 けれど、幾ら着ているものが上質でも、男の(さが)は隠せなかった。


 中身は獣と一緒だ…。

 幾ら美しい仮面をかぶっていても。


 外は雨が降っていた。


 薬を買おう──。


 空を見上げてから俯くと、そのままゆっくりと歩き出した。

 

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