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少年と執事  作者: マン太
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7.再訪

 行き方は大体覚えていた。


 確か白い敷石を目印に──だったな? 


 前の二回の訪問時は、大通りまでハイトが出てきてくれていたのだ。その大通りから先が心許ない。

 そうして、道の端に立ち止まり、進むべき道に悩んでいれば。


「サイラスさん?」


 背後で聞き覚えのある声がした。

 振り返れば、買い物帰りなのか大きな包みを抱えたハイトが立っている。

 ヴァイスとのやりとりに気を重くしていたシーンにとって、ハイトは澄んだ湧き水のような存在に思え。そこだけ光がさしているように見えた。思わず笑みがこぼれる。


「やあ、ハイト。急いで伝えたいことがあって、連絡もせず会いに来たんだ。救いの神だな。迷うところだった。もう一度道を教えてもらえるかな?」


「勿論!」


 シーンはさりげなく手を差し出し、ハイトの抱えていた荷物を代わりに引き取る。

 大きな包みは見た目に反して軽かった。香ばしい匂いもする。


「ありがとうございます」


「これは──パンか?」


「はい。この先の店で安く手に入るんで。家で焼ければいいんですけど、オーブンが壊れてて…」


「そうか。それは難儀だな…。後でみてみよう」


「でも、いいんですか? 汚れます…」


 真っ白なシーンのシャツに目を向けたハイトは困った顔になる。シーンは笑うと。


「ではシャツは脱いでおこう。多分、煤がつまっているだけかもしれない。こう見えても料理は好きでね。暇な時はよく作っていた。オーブン料理もよくやったから、故障かどうかは見れば大体わかる」


「へぇ…。意外です…。あんな立派なお屋敷で働く人が料理なんて」


「働いている人間は君たちとなんら変らないさ。料理は趣味でね。良かったら、また時間があるときに腕をふるおう。とは言っても大したものはできないが。オーブンに放り込んで放っておく料理がほとんどだ」


「ふふ。うちの母もそうでした。鳥に香辛料を馴染ませてあとは放り込む! って、そればっかりで。でもとてもおいしかったなぁ。楽しみです」


 ぽつりと口にしたハイトの表情がとても嬉しそうで。つられてこちらも嬉しくなる。


「期待に添えるかわからないが、必ず実行しよう」


「お願いします!」


 そうして間もなく、以前に来た路地を通ってアパートに到着し、同じように管理人室前を通って中へと入った。

 階段を上がりながら、先を行くハイトに声をかける。


「ここのアパートは全体的に日当たりが良くないが、ハイトの部屋は上階のお陰で日も良く当たるな」


「はい。そうなんです。見晴らしも良くて。でも、祖父には階段の上り下りが辛くなってきていて…。ゆっくりなら大丈夫なんですけど…」


 そこでハイトの視線が落ちる。表情にも明るさが消えた。

 ハイトにとって大切な家族だ。もし、祖父になにかあれば、妹と二人きりになってしまう。祖父の体調を気にしながらも、心細さや寂しさがあるのだろう。


「ハイトには──私がいる」


「…え?」


 弾かれた様にハイトが顔を上げた。シーンは口元に笑みを浮かべると。


「出会ったばかりの私がこんなことを言うのもなんだが…。君はとてもいい子だ。私は君と出会えて良かったと思っている。これからも親しく付き合っていきたいし、そうさせてほしい。何かあれば頼ってもらって構わない。…ハイトには笑顔でいて欲しい。悲しい顔は似合わない」


「サイラス…さん」

 

 階段を上がり終え、踊り場でハイトと向き合う。

 ハイトは驚きの表情から今にも泣きだしそうな表情へと変わった。シーンはそんなハイトの背に手を添えると。


「私の事はシーンと呼び捨てにしてくれ。それから敬語も必要ない。君との距離を縮めたいんだ。いいかな?」


「あっ、っとでも──俺…」


「君には名前で呼んで欲しいんだ」


 にこりと笑めば、ハイトの顔が真っ赤になる。


「じゃあ──名前で…呼びます…。ううん。…呼ぶよ?」


「ありがとう。ハイト」


 軽く肩を引き寄せ、その頭へキスを落とした。驚いたハイトの身体がビクリと揺れる。


「サイ──っ、シーン…?」


「なんだろうな、君といると抱きしめたくなる。…守りたいと思ってしまうんだ。嫌なら言ってくれ」


「っ! 嫌、とかじゃない…、けど、俺みたいなのに、こんな風に接するのは…」


 確かにお屋敷に勤めるものであれば、スラム街に住まうものとは親しく付き合わないだろう。

 上流階級の者たちは特にそうだ。彼らの存在は無視されている。上級使用人とて同じこと。下級使用人らにぞんざいな態度をとる者も多い。

 だが、シーンにはそんな考えはなかった。

 屋敷でも働く者には皆同じように接しているし、仕事でその人間を決めつけたりはしない。父はいい顔をしないが、シーンは気にしなかった。

 ハイトに対しても同じこと。

 もとより身分など気にしていなかったし、差別などするつもりもない。ひとりの人間として見ていた。


「私は何も気にしない。同じ一人の人間だ。どうか私と友人になって欲しい。駄目か?」


「駄目なんて…。そんなこと──。俺には勿体ないくらいで…。シーンがいいなら、喜んで…」


「ありがとう、ハイト。これからもよろしく」


「よ、よろしくお願いします…」


「そら、敬語」


 注意すると顔が面白い様に赤くなる。

 そんなハイトをもう一度、軽く引き寄せ肩を抱いてから、部屋へのドアを開けた。

 抱きしめた時、小さく震えた身体がとても愛おしく思えた。


+++


「お祖父ちゃん、シーンが今日は家に来てくれたよ? 途中で会ったんだ」


 シーンから受け取ったパンの入った包みをキッチンのテーブルへと置くと、奥へ向かって声をかけた。


「おお、そうか…。すまないな、足の調子が悪くてそっちに行かれないが、お礼を言っておいてくれ…」


 しわがれた声とともに、済まなそうな返事が返ってくる。

 シーンは返事をしようと口を開きかけたハイトの肩に手を置き頷いて見せると、返事の代わりに自ら奥へと向かった。

 突き当りにある扉の一つが半開きになっていて、そこから人の気配がした。シーンはドアの前で立ち止まると。


「シーン・サイラスと申します。お邪魔してもよろしいですか?」


「ああ、あなたか…。どうぞ」


 返答を待ってからドアを押し開くと、壁際のベッドにハイトの祖父が半身を起こしていた。

 若い頃はそれなりにいい体格だったのだろうか、細いわりに骨格がしっかりしているように思えた。しかし、今はすっかり頭髪は白くなり、顔色も青白く良くはなかった。外に出された手もかなりやせ細っている。


「さあ、座って下さい」


「では、遠慮なく──」


 傍らにある椅子に座る様にすすめられ、遠慮なくそこへ座る。


「お休み中にすみません。前回は挨拶もせず、失礼いたしました」


「いや、気にせんで下さい。私はラルス。ハイトの母方の祖父です。こんな家だ、気を遣う必要もない…。ハイトから聞いたがあんたはレヴォルト様の所の方で?」


「はい。そこでご子息の従者をしております」


「そうか…。そんな所で働いている人がうちのような所に…。なんでもハイトに良くしてくれたとか…。色々申し訳なかった。わしがこんなだから、大してお礼もできずに申し訳ない…」


「私は大したことはしていません。でも、お礼をと言うのなら、ぜひ、この先も友人として、ハイトと親しくつき合わせてもらえたら嬉しいのですが…。ハイトはとてもいい子ですね」


 するとハイトの祖父はやや目を見開くようにした後。


「いや…そうか。あんたがそれでいいなら…。ハイトも喜ぶだろう。家にいるのはわしとイルミナ位だ。ハイトの話し相手になってもらえれば…。確かにあの子はいい子でね…」


 小さくため息を漏らした後、血管の浮いた手を見つめながら。


「あの子の父親は農場を経営しておったんだが、病んで農地を追い出されてな。その後、直に亡くなったんだよ。その後は苦労の連続でな。娘も工場へ働きにでたものの無理がたたって体調を崩して、ハイトとイルミナルを残して病に倒れて逝ってしまった…。過労に近かっただろうな。ろくに医者にも見せてやれず…。それからはわしも働いたんだが、この身体だ。結局、ハイトに全て背負わせてしまって…。あの子はそれでも苦労を見せず笑って過ごしている。いい子なんだ」


「ええ、本当に。私も出会ってまだ僅かですが、とてもいい子だと思っています…」


 シーンは言おうか躊躇ったものの、覚悟決めた様にまっすぐラルスを見つめ。


「その…農地を買い取ったのは、主人であるレヴォルト樣です。預かり知らぬ事とは言え、ここで出会ったのは謝罪の機会を与えられたと言う事でしょう。主に代わって謝らせていただきます。大変、申し訳ない事を致しました。謝って済むことではないのですが…」


「そうか──いや…。それは──仕方のないことだ…。運がなかっただけで。そうか、農地の新しい主はお屋敷の…」


 ラルスは何か思い出したのか、俯き首をふり目頭を押さえた。


「私にできることは少ないですが、頼っていただいて構いません。それに今日はハイトに仕事を紹介しようと話を持ってきたんです。罪滅ぼしにもなりませんが…」


「罪など…。しかし、仕事とは? いったいどんな──」


 ラルスは訝しげな顔をする。それもそうだろう。ハイトの足を思えばその表情も頷ける。

 シーンはそこで、誰もいないはずの戸口ヘ顔を向けると。


「ハイト、はいっておいで」


「…っ! ご、ごめんなさいっ! 立ち聞きするつもりは──」


 顔を赤くし恐縮したハイトが、半分開いていたドアの向こうから、おずおずと顔を見せる。そんなハイトに笑みを浮かべつつ。


「いいんだ。君がいたことは気付いて話していたからね? 入り辛かっただろう? 今も話した通り、仕事を持ってきたんだ」


 ハイトを傍らに招くと、シーンは腰を折って肩に手を置き顔を覗き込む。


「レヴォルト様のお屋敷の厩舎の仕事だよ。担当の者が一人いるんだが、助手を探していてね? 馬の扱いは慣れているんだろう? 良かったら働いてみないか?」


「…いいんですか?」


 ハイトの顔に光がさしたような笑みが浮かぶが、直に翳る。まだ迷いがあるようだった。


「勿論。レヴォルト様の許可も得ている。来年からでもどうだろう? 初めの一週間は様子をみるが、それで問題なければ本採用だ。ただ、ここへ帰れるのは週末だけになるだろうが──」


「わしでも家事はなんとかこなせる。ハイト、働かせてもらってはどうだ? いい話だと思うよ」


 祖父のラルスも背を押した。それでハイトは心を決めたようで。


「それなら、ぜひ、よろしくお願いします!」


「良かった。了承してもらえて。では早速だが来週、月曜午前八時に迎えを寄こすからそれまでに身支度を整えておいてくれるか? 数着、着替えがあれば十分だ。洗濯もできるからね? あとはこちらで用意する。──これは前金だ」


「…いいの?」


 巾着に入れられたそれは、かなりの重みがある。少ない金額ではないことは確かだ。それは父が準備用にと渡した心ばかりの金額に、シーンが上乗せしたものだった。

 ハイト一人きりの準備金なら、父の用意したもので事足りたが、ハイトが家を空ければその間、収入は見込めない。家族二人分の一週間分の食費をシーンがそこへ足したのだ。

 大して趣味のないシーンにとって、それは有意義な使い道だった。


「揃えるものもあるだろう? 余った分は食費に。これなら暫く家を空けても心配はない」


 ハイトは巾着を一旦テーブルヘ置くと、シーンの右手を取って、胸もとに引き寄せた。手がハイトの温もりに包まれる。


「有難う…!」


「…喜んでもらえて嬉しいよ。担当のキエトは気難しいが、真面目に働けば気に入られる。ハイトならきっとやって行ける。私が保証する」


「シーン。本当にありがとう。俺、頑張るよ!」


「こちらこそ、よろしく頼む」


「っと! ごめんっ」


 ずっと握ったままだった手を慌てて離すが、シーンはその離された右手を差し出して。


「ハイト、これからもよろしく」


「あ…。うん!」


 おずおずと差し出された手は、それでもシーンの手を取ると強く握り返された。

 この自分の手の中にすっぽり収まるハイトの手が、まるで彼自身のようで。

 守りたいと強く思った。


+++


 その後、上半身裸になってオーブンの様子をみる。

 やはり、煤が手の届かない所に詰まっていたようで。それを専用のブラシで落とすと、ぶわりと黒い煤が舞った。

 窓は開けて、周囲には汚れていいように布を被せてあったが、シーン自身には何もない。咳込みながら振り返れば。


「──これで、もう大丈夫だろう」


「! シーン…」


 振り返るとハイトがどこか困惑したような、申し訳なさそうな、でも今にも笑いだしそうな顔をする。


「どうした?」


「シーン! お鼻もお顔も真っ黒!」


 傍らでハイトと共に見守っていたイルミナが声を上げた。


「そうか?」


 手の甲で頬を拭うと、そこへまた新たな黒い煤がつく。イルミナが弾けるように笑い出した。顔中、身体中煤だらけで。

 中を見る前、汚してはいけないからとシャツを脱いで正解だった。

 ハイトも必死に笑いを堪えている。それを見てつられてシーンも笑い出した。


「このままでは屋敷の入り口で追い返される…」


「待って! こうなると思って、こっちにお湯を用意してあるんだ。身体を洗って行って」


 ハイトは浴室へと案内する。

 小さな古びたバスタブにはたっぷりのお湯が張られていた。


 普段は節約しているだろうに。


「すまないな…。ここまで汚れる予定ではなかったんだが…」


 身に着けていたズボンも脱ぎ、近くに用意されていた籠に軽く畳んで入れる。ハイトはそこへ無事だったシャツを置いてくれた。


「ふふ。どこもかしこも煤だらけだ。シーンらしくない。俺なら幾らでも汚れたって同じなのに。でもお陰でオーブンも治って大助かりだよ。ありがとう」


 ハイトは石鹸、泡立てようのスポンジ、新しいタオルを傍らの洗面台へ置いた。

 シーンはすっかり裸になるとバスタブに浸かる。お湯は丁度いい湯加減だった。


「君の代わりになったなら十分だ。役に立てて良かったよ。ハイト。君はとても綺麗だよ。汚れていいなんて事はない」


 シーンがじっと見つめると、慌ててハイトは顔を背け。


「!──じゃあ、俺はこれでっ。新しいお湯もそこの桶に溜めてあるから。用があったら大きな声で呼んで!」


「ああ。わかった…」


 ハイトは飛ぶように部屋をでていってしまう。耳まで真っ赤になっていた。

 その様子にくすりと笑う。可愛いものだと思う。からかうつもりではなかったのだが、結果そうなってしまったらしい。

 スポンジを泡立て身体についた煤を落としていく。先ほどの言葉は本心からだった。


 ハイトは磨けばきっと光る。


 屋敷に働きに来るようになれば、ハイトと過ごす時間は増えるだろう。機会を見て身支度を整えてみようと思った。

 着なくなったシャツが数着、捨てずにとってあったはず。あれを直せば着られるだろう。

 シーンは、ハイトを構いたくて仕方なかった。

 それがどこから来る気持ちなのか、単に好ましく思っているためだとその時は思っていた。


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