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少年と執事  作者: マン太
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6.予感

 次の日、無理を言って午後の数時間、休憩をもらった。仕事を得られたと、早くハイトに知らせたかったからだ。

 お土産に山羊の乳も持つ。これが一番、ハイトが喜ぶのだ。

 結局初めての出会い以降、彼の家を訪れたのは二度だけ。医者のクレールの助手、ロシュのもとに洗濯物を受け取りがてら、ヤギの乳を届けたのが一度目で、ヴァイスの薬を取りに出たのを口実に、僅かな時間、顔を見に出たのが二度目。

 全て時間がなく、アパートの玄関口で別れていた。

 三度目の来訪でいい報告ができることは嬉しい限りで。様子を聞いて来週からでもと頼むつもりだ。

 目の前に喜ぶハイトの顔が浮かび、思わず口元が綻んだ。ハイトの笑みは春の日差しを思わせる。


「随分、機嫌が良さそうね?」


 談話室を横切った時、仲のいいメイドのジャネットが話しかけてくる。


「そうかい? そんなつもりはないんだが──」


「あら? かなり表情にでてるわよ? いいひとでも出来たの?」


 からかい加減のジャネットの問いに、周囲の仲間もはやし立てた。どうやら、皆気になっていたらしい。


「違うよ…。そんなんじゃない。じゃあ私はこれで。三時間程でもどる」


 これ以上、好機の目に晒されたくはない。ジャネットにそう声をかけ、支度を整え出ようとすれば、その背に声をかけて来るものがいた。


「なに? 出かけるの? シーン」


「ヴァイス樣…」


 肩にかかる黒髪を跳ね上げ、手摺にもたれ掛かりこちらを見下ろしていた。

 上の者が地下の使用人部屋へ下りてくることはまずない。だが、ヴァイスはお構いなしに訪れていた。勿論、自分に用がある時だけだが。


「──はい。これから急な用で…」


「僕も用があったんだけど…」


「数時間程で戻る予定なので、そのあとでもよろしいでしょうか?」


「…いいけど。僕より優先する用事って、なに? いいひとに会うため?」


 クスッと笑って見せた。ジャネットとの会話を聞いていたらしい。

 瞬時に冷えた空気に、周囲にいた使用人たちはそれぞれ仕事に向かいだす。

 機嫌が悪くなったヴァイスは手が付けられないのを知っているからだ。八つ当たりされてはたまったものではない。それで泣く泣く辞めさせられた者もいるのだ。

 シーンはため息をつくと。


「…所用です。父に頼まれた使用人を雇う手続きをしに行くのです。すぐに終わらせ、二時間後にはお部屋にお伺いします。それでよろしいでしょうか?」


 きわめて事務的に伝える。

 少々冷たい口調になったのを意識せずにはいられなかった。早くここを出たいのだ。

 ヴァイスはさらに眉間にしわを寄せたが。


「…わかった。待ってる。二時間、それだけだ。──それ以上待たせるなよ?」


 低くなった声音に、周囲の者はさらに肝を冷やした。しかし、シーンは諸ともせず。


「わかりました。お待たせは致しません。帰ってくるまでに昨日、渡した本を指定したページまで読んで置いて下さい。あとで確認させていただきます」


「あ~あ、分かったよ…。ほら、とっとと行ってこい。──待ってる」


 ヴァイスの赤い唇がにやりと笑みをかたどる。

 多分、見るものが視れば美しく妖艶な笑みに見えるのだろうが、シーンにとってそれは恐怖に近いものがある。

 あんな笑みを浮かべる時は、大抵ろくでもない考えがあるときだけだからだ。


「それではのちほど──」


「ああ…」


 ヴァイスはそう返事すると、また上に戻って行った。周囲の使用人は皆胸をなでおろす。


「済まなかった。──では」


 周囲の仲間に謝りを入れてから、屋敷を後にした。早くここから出たくてたまらなかった。


 シーンは山羊の乳が入った缶を手に、待たせていた馬車に乗り込む。御者の掛け声と共にゆっくりと動き出した馬車は、土埃を上げながら、街への道を走り出した。

 木立の合間から午前の淡い光が差し込んでくる。朝の森は清々しく感じた。

 ヴァイスに言葉で好意を伝えられたのは、昨日が初めてだった。

 だが、以前からそれとなくそんな素振りを見せていた様に思う。

 先ほどのように笑みを浮かべると、シーンの身体によろめいたふりをして抱きついたり、朝、起こしに来たシーンを近くまで呼びつけて突然、引き寄せたり。

 そのたびに身体を密着させて来たが、シーンはすべて単なる寂しさの為だと意識せずにいた。子どもが母親を求めるのと同じだと。

 だから性的なものだと考えないように努めてきたのだ。認めたくなかったと言った方がいいかも知れない。

 その頃は既に家庭教師らも籠絡しており。夜遊びも頻繁だった。そこへ巻き込まれたくはないと、気づかない振りをしていたのだ。


 しかし、やはりヴァイスは自分をそういう目で見ていた。


 思えばそれは幼い頃からあったかもしれない。小さい頃はよく抱きつきキスをせがんだ。

 シーンは仕方なく、唇の端や頬、額にキスを落としたが、いつも不服そうで。

 挨拶のキスを唇に欲しいとせがんだり、湯あみの際に裸のまま抱きついてきたり。度を越し始めてはいた。

 流石に十代になってからキスは控えたが、ヴァイスは変わらず抱き着いてきていた。


 予測はしていたが、実際言われると──どうしていいものか。


 勿論、受け入れるつもりはないが、それをどう伝えていくかが難しい。

 一度の拒否で引き下がるとは到底思えない。それを証明するように、諦めないと口にした。その思いを昔から抱えていたなら尚更、諦めないだろう。ヴァイスの執念深さは良く分かっている。


 自分がヴァイスをそういう意味で好きだったなら、もっと楽に事は進んだだろうな。


 出世の道も開け、美しい主である恋人を得て安泰な日々。

 知人の中にはそうやって主人に取り入って、自分の地位を確立したものも少なくない。


 だが、私はそんな風にはなりたくない。


 父のように立派な執事になることは幼い頃から夢だった。だが、そんな姑息な手段を使ってまでなろうとは思わない。


 さて、どうするか。


 悩みの種を抱えつつ、ハイトの家へと向かった。


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