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少年と執事  作者: マン太


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14.暗雲

 ヴァイスが予定より少し早目に帰宅すると、庭先に笑い声を聞いた気がした。


 シーンの声だ。


 外出先から帰った時は、正面から帰るのではなく、いつも庭を通って裏口から帰るのが常だった。

 正面から帰れば、執事のオスカーや下僕等が迎えに出る。それが鬱陶しい。せっかく気分良く帰って来たのに、彼らを見ると現実に引き戻される様で。なるべく顔を見たくない。

 それに、先程まで他人の腕の中にいた後ろめたさもある。

 気だるい身体をそのままに、裏庭ヘと進む。美しく刈り込まれた植木の向こうから確かにシーンの笑う声が聞こえた。


 珍しい──。


 シーンが笑うのを、ここの所見たことがなかった。


 いつ以来だろうか。


 訝しく思いながら、声のした方へそっと近づく。アーチ状のバラの垣根の向こうに、そのすらりとした後ろ姿が見えた。

 長身なシーンはどこにいても目立つ。本人にその自覚はないが、かなり上質な部類の人間に入った。

 それがヴァイスの自慢でもあり。自分の所有物が美しいのは喜ばしいことだった。

 シーンは誰かと話している。その背しか見えない分、相手の顔は良く見えた。

 茶色の髪をしたやせっぽちの、青白い顔をした少年だ。随分貧相な身体つきだが、顔は幾分整って見える。その少年も楽し気に笑っていた。


 なんだ? あいつ──。気に食わない。


 そうしていると、シーンの手が伸び少年の顎に触れた。

 何が起こるのかと蒼白になって見つめていたが、何も起こらず、ただじっと見つめあっているだけで。少年の方が先に根をあげ、照れた様に笑い出した。シーンもまた笑い。

 その仲睦まじい姿に、ますます気に食わなくなる。自分のものを他人に横取りされた気分だ。

 

 シーンが笑顔を向けるのは僕だけのはず。

 シーンは、僕のだ。誰にも渡さない──。


 まだ笑う、痩せ細った少年を睨みつけた。

 憤慨しつつ、屋敷に戻り部屋への階段を上がろうとすれば、オスカーに呼び止められた。


「クライヴ様がお待ちになっております。書斎の方へお越し下さい」


 どうやら裏口の側で帰りを待っていたらしい。


「父上が? …分かった」


 ヴァイスは言われるまま、書斎ヘと向かった。


+++


 シーンは庭から戻ると、ハイトをこれから一緒に使う部屋まで案内した。

 部屋に入ると、ハイトはひとしきり感嘆の声を上げる。換気の窓も小さく小ぢんまりとした部屋ではあるが、柱に彫り物があったり、壁紙が使われていたり、それなりに意匠は凝らしてある。

 ハイトの住むアパートと比べると、確かに質素ながら造りは豪華に見えるだろう。

 ハイトは早速持ってきた荷物をベッドの上に広げ、クローゼットの引き出しへしまい出した。シーンもそれを手伝う。

 ハイトは僅かな着替えをしまいながら、


「シーンと同じ部屋で安心した。知らない人だとやっぱり緊張するし…。良かった」


 笑顔で見上げて来る。


「窮屈に感じていないようで良かった」


 ハイトの笑みに安堵した。


「キエトが許せば、午後からでも手伝いたいな」


「やる気十分だな?」


「うん! 楽しみで仕方ないよ。ずっとやりたかったんだ。牧場の仕事。でも、足が悪いからいつも断られてて…。本当に嬉しいよ」


「そうか…」


 そんなハイトの様子に、仕事を紹介できたことを嬉しく思った。手放した馬にも会えたのだ。喜ぶハイトにこちらも自然と笑顔になる。

 そうこうしていれば、ヴァイスが戻る時刻になった。


「それでは、私は一旦仕事に戻るよ。昼食まで自由にするといい」


「うん。いってらっしゃい」


 ハイトの笑顔に送り出され、仕事に向かう。心が軽やかになる気がした。

 到着にはまだ時間があるはず。それでも足早に玄関に向かえば、階上から丁度、ヴァイスが下りて来る所だった。その姿に驚く。


「──ヴァイス様、お帰りでしたか?」


 シーンの問いにむっつりとした顔を向けてくる。いつも、友人と会った日は機嫌がいいはずだが。


「…今さっき。シーンは若い男と話に夢中で気付かなかった様だけど…」


 見られていたのか。


 機嫌の悪さに合点がいく。タイミングが良くない。心の内で舌打ちしたくなったが。


「あれは、今週から働く者です。厩舎の仕事を手伝わせようと…。馬番のキエトの体調が万全と言えませんのでその補佐役です。ハイトと申します。見かけることがあれば声をかけてやってくださいませ」


 ヴァイスは階段上から手すりによりかかり、シーンを見下ろす。


「馬番ごときと仲良くする必要はない。あんなの僕らと同じ人間じゃないさ。ずっと地面を這いつくばって、馬の糞尿の世話ばかりする下賤な輩だ」


 吐き捨てる様にそう口にすると、ヴァイスは階段を取って返す。部屋に戻るのだろう。

 シーンはその後を追った。


「ヴァイス様──」


 シーンには珍しく階段を駆け上がり、まだそこにいたヴァイスの背に、強い口調を向けた。


「ここで働く者は皆、お屋敷の為に身を粉にして働いております。ヴァイス様が心地よく暮らせているのは彼らの働きがあってこそ。それを忘れてはなりません。それに…、彼らもヴァイス樣と同じ人間です。身分や職業で判断するのではなく、相手がどんな人間かを見極めることがとても大切です」


 振り返ったヴァイスの視線が一瞬、ひるんだ。だが、それもすぐに憤然とした表情の中に消える。


「ふん。見極めた結果があれか? ずいぶんと親しげだったな…。僕はだめでもあんな貧相な子供ならいいのか? あんな、薄汚れて青白い奴。きっと奴も下賤な人間だろう? お前の趣味を疑うな」


「…ヴァイス様。彼は随分苦労しています。(さげす)むのではなく、少しは労る気持ちもお持ちください」


 ハイトをけなされ、シーンの中に怒りに似た感情が生まれた。確かに痩せているし顔色も良くない。それはこれまでの過酷な生活の所為で。

 それを察することもないヴァイスの態度に憤りを感じた。

 きっとヴァイスは自分と親しげだったのが気に食わないのだろう。その怒りの矛先が自分に向いているうちはいいが、ハイトにまで及ぶのはいただけない。

 こみ上げる怒りの感情を抑え、シーンはできるだけ冷静になると。


「ハイトにここの生活に慣れるため、指導していく予定です。不慣れな分、何か気に障ることもあるかと思われますが、何かあれば、まず私にお話をお願いいたします」


「直接いじめるなって? ──ああ、いいよ…。シーンが僕以外の奴と親しくしなければそんな事は起きないさ。…ねぇ、父からも話があっただろう?」


 意図を込めた視線。ひたりと鋭いナイフが心臓に押しあてられた気がした。


「なにが──ですか?」


 ニッと笑んだヴァイスはそのまま部屋へ入ると、シーンにも入るように促す。

 ヴァイスに従って、仕方なく部屋に入ると、扉を閉じた所でヴァイスは振り返り。


「僕のものにしていいって、父上が言ったよ。さっき呼び出されてね。シーンが手に入ったら大人しくしろって…。手に入るなら…いいよって答えたんだ。──そいつを追い出したくなかったらどうすればいいか、分かっているんだろ?」


「…ヴァイス様」


 流石に返答に窮する。


 まさか当人に話してしまうとは。


 シーンの煮え切らない態度に、業を煮やしたのだろう。これでは他にやりようがない。

 ヴァイスは白くほっそりとした手を伸ばし、シーンの顎に触れ。


「お前が目をむけていいのは僕だけだ。他に目を移したら、そいつを許さない」


「──っ」


 背伸びをし、シーンの唇の端にキスを落とした。それから首筋に手を回し。


「その気になったら、シーンからキスしてよ。それで成立だ…」


 意地悪くヴァイスは微笑んだ。


+++


 シーンは昼食用にヴァイスの身支度を整えた後、一旦部屋を退出した。階下へと向かいながら深いため息を漏らす。

 ヴァイスはシーンの思いなど、どうでもいいのだ。


 欲しいものさえ、手に入れば──。


 関係さえ持てば後はどうとでもなると思っているのだろう。ヴァイスは、シーンがクライヴやオスカーの指示に、最後は従わざるを得ないことを分かっている。


 逃げ道はないのか…。


 こんなことなら、以前話のあった父の紹介の娘と結婚でもしておけば良かった。

 数年前、そんな話しが持ち上がったのだ。気立てのいい娘だったが、あの時も結局、ヴァイスの横やりが入り。

 まるで、自分とヴァイスが出来ているかのように嘘を吹聴し、引き下がらせた。

 その後、メイドの女性と親しくなった際も。

 彼女の過去を探り離婚歴あったのを知ると、あることないこと父に吹き込み、そんなあばずれはシーンに合わないと、仲を裂かれた。

 可愛い子どもの嫉妬などではない。当時、十代半ばの少年がそんなことをするのだ。

 シーンは当然、怒り叱責したが、そんな事が堪えるヴァイスではない。

 鼻で笑い、あんな奴に渡せないと口にした。シーンは自分のものなのだと。

 自分への異常な執着。

 既に周囲は固められている。父も主人のクライヴも承知した。選択肢など、無いに等しい。


 どうしたものか──。


 重いため息を吐きながら、自室にいったん戻り、給仕の為、身支度を整えようとすれば。


「シーン?」


 シーンが入ってきたのに気づいて、ハイトが顔を上げる。


 そうだ。ここには彼がいたのだ。


 ベッドの上に座って本を読んでいる様だった。ぱっと明るくなった表情がまるで光が弾けたようで。


 ハイト──。


 思わず引き寄せられるようにその傍らに立ち、ベッドに座ったままのハイトを見下ろす。

 手には本が開かれたまま。本棚に入れておいたものだ。確か旅行記だった気がする。


「あ、ごめん。これ勝手に読んで。面白くてつい…。シーンは仕事が済んだの?──シーン?」


 様子が可笑しいのに気付いたハイトが、気遣うように視線を向けてくる。


「…なんでもない。本は幾らでも読んでくれ。──ハイト…」


「なに? 大丈夫、顔色が──」


 気が付けば手を伸ばしその身体を抱きしめていた。片膝を乗せたベッドがきしんだ音を立てる。

 抱きしめると、なぜか若葉と日向の匂いがした。首筋に顔を埋めると。


「…すまない。少し、このままで…」


「いいよ。いいけど…。大丈夫? シーン…」


 ハイトはそっと腕を背に回すとゆっくりと撫でおろした。

 きっと、寝付けない妹を寝かしつける時も同じことをしているのだろう。

 まるで、母親にそうされているようで安心する。


「…大丈夫…だ」


 思わず涙声になり、ごまかす様に笑うと。


「すまない…。これじゃあ、心配にもなるな──」


「いいよ。心配にはなるけど、でももう少しこのままでさ。…きっと、大丈夫だよ。シーン。心配いらない…」


 何が起こったのか分からないだろうに、ハイトは優しくそう口にして、身体を起こそうとしたシーンを引き止めた。

 そんな事で問題は解決しないはずなのに、心は落ち着いてくる。抱きしめる腕に力を込めた。暖かな優しい気配に包まれ、心が穏やかになっていく。

 ハイトは、自分から何も搾取しようとはしない。束縛しようともしない。


 ただ、そこで笑っていてくれる──。


 それが今の自分にとってどんなにありがたいものか、かけがえのないものか。


 ずっと、このまま、この優しさの中に包まれていたい…。


 ぎゅっと目を閉じてから、ようやく腕を解き、ハイトから身体を離す。時間にして、数分の出来事だろう。

 けれど、とても充足感を得られた。きっと、ハイトのいたわりを感じ取れたからだろう。


「すまない。急に抱きついたりして…。驚いただろう? 自分でもどうしてそうしたのか──。いや、急にそうしたくなって…。普段、こんなことはないんだが…」


 我に返って自分の行為に急に気恥ずかしさが増す。しかし、ハイトはこちらを見上げると。


「シーン…! その…俺は気にしない。シーンがそれで落ち着くなら…」


 役に立ちたいと言ってくれた言葉を思い出す。シーンは笑みを浮かべると。


「…ありがとう。なにか…ハイトといると穏やかな気持ちになれる…。また、頼っても?」


「もちろん! …シーン、とってもいい匂いがする…。なんだろう? 何かつけているの?」


「洗濯に使う石鹸の匂いだろうか? 特に何かはつけていないが──」


 それでふと、ベッドわきに置いたクリームに目を向けた。それは身体や手足に使う乾燥を防ぐために使っているものだった。


「それか…。その薫りだろう。あまり強い香りがしないから気に入って使っているんだ。良かったらハイトも使ってくれていい。クレールの実家で作っているものなんだ」


「本当? あ…本当だ…」


 ハイトはそのクリームの入った缶を手に取って開けると、そっと鼻を近づけ匂いを嗅ぐ。


「…これだ…。いい匂い。シーンの匂いだ。俺もシーンになれるね」


 ハイトは屈託なく笑う。なぜだろう。ずっとこの笑顔を見ていたいと思うのだ。


「そろそろ、昼食の給仕の時間だ。ハイトは食堂で皆と先に取ると言い。キエトはきっと早くに出るからな?」


「わかった。本、ありがとう。また見せてもらう」


 言いながらベッドから降り、読みかけていた本を棚へとしまう。

 自分の傍からハイトが離れていくのに寂しさを感じた。温もりがまだ恋しいのかもしれない。


 どうかしている──。


 そう思う反面、ハイトの持つ穏やかな気配に癒される自分がいるのも事実で。ハイトは振り返ると。


「シーン…。その、嘘じゃなく、きっと上手く行くようになるよ。シーンはとてもいい人だ。そんなシーンを不幸が襲うはずがない。今は辛くても…。それに…シーンの為にいつでも胸、開けとくからさ」


 笑って大きく腕を広げて見せた。照れくさそうに笑うその顔に、つられてシーンも笑みをこぼす。


「ありがとう。遠慮なく甘えさせてもらう。…何事も前向きに考えよう」


「うん。そうだよ。俺もずっとそうして来た…。じゃあ、俺は食堂に行くよ。また後で!」


 笑顔を残して、ハイトは部屋を出て食堂へと向かった。顔はずっと赤いままで。

 何が解決したでもないのに、ハイトの言葉にどうにかなるようにも思えた。


 きっと、上手く行く…か。


 クローゼットを開き、シャツを取り出しながらシーンは終始笑みを浮かべていた。


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