11.婚約
それから二日ほど経ったある日、当主クライヴが、ヴァイスに婚約の話を持ってきた。
相手は辺境の領地を管理する伯爵家。姓をアストンと言った。
侯爵家であるレヴォルト家からすると、身分はやや下になるが、家柄も良く当主も堅実な人物らしい。娘の名はビクトリアと言い、十七歳になったばかりだと言う。
クライヴは朝食後、ヴァイスを書斎へ呼び出すと、誕生日と同時に親族を集め発表すると言った。傍らにはオスカーもシーンも控える。
詳しい説明をオスカーからしたが、ヴァイスは終始無言で唇を噛み締めていた。そこからは不満がにじみ出ている。
貴族同士、結婚相手を自ら探すことはほとんどない。知人や友人からの勧めで持ってこられることがほとんどだった。家長の命令は絶対で。
当人同士の意思など初めから関係ない。ただ、決定事項を告げ、従うようにと命令を下すだけだった。有無を言わせない。
それはヴァイスも分かっている。
尚の事不満を吐き出せず、自室に戻ると、それをシーンにだけ吐いて見せた。
「父上は何を考えているんだ? 僕はまだ十八歳なのに…」
父クライヴから受け取った写真をソファへ放り、自分はベッドサイドに座ると、前屈みになって右手の爪を噛む。
その日の朝、シーンは父オスカーの部屋に呼ばれ、ヴァイスの婚約の話しを聞き、相手の写真を見せられていた。
写真には刺繍の施された椅子に、亜麻色の髪にスミレ色の瞳をした少女が、何処か不安げな目をして座っている姿が写っていた。
その大人しそうな容姿から、ヴァイスとの関係を良好に築けるか不安もあったが、従順であるならそれに越したことはない。
反発するより従うのであれば、二人の間に波風が立つことはないだろう、そう思った。
当主のクライヴもそう思ったらしく、この婚約に乗り気らしい。結婚すれば少しは落ち着くと考えたのだろう。
「あと少しすれば十九才にお成りです。ご婚約であれば、早いと言うことはございません。むしろ遅いくらいです。亡くなられたご長男クラレンス様も生まれたと同時にご婚約相手が決まっておりました。早いと言う事はないのです」
「兄さんは長男だったから、それでいいんだ。相手も幼馴染みだったし…。僕は、違う。自由に選びたい…」
そこでヴァイスの視線がシーンへと向けられた。シーンがその視線に気づき見返すと、フイと逸らす。
「……」
ヴァイスは何も口にしなかったが、自分を望んでいるのだろう。
あの地下での出来事以降、ヴァイスは大人しくなった。余りしつこくして自分に去られるのが怖くなったのだろう。
大人しくなったのはいいが、その思いの方向が変わるはずもなく。
どうしたものか。
内心、深いため息をつく。
どうやって、自分から目をそらさせるか、それが今の課題だった。
もっと自身を大切にしてくれる相手を見つけること。また、ヴァイス自身も大切にしたいと思える相手を見つけること。
それが出来れば、きっとヴァイスは今とは違う生き方が出来るようになるはず。
人を本気で愛する事が出来れば、皆に尊敬され慕われる主人に生まれ変わることができるだろう。
自身がヴァイスの思いに答える、その選択肢はもとよりなかった。それが一番手っ取り早いのは分かっている。
だがその理由は本人にも話した通り。無理やりそちらに傾けようにも、その欠片もないのだから仕方がない。
この前のように、無理やり襲われれば防ぎようもないが、せいぜいキス止まりだ。気持ちの無い行為など、するつもりはない。
よほど不覚をとらない限りそれ以上の関係を持つことはないだろう。
しかし、弱ったな…。
早々人に相談できるものでもない。
唯一話に乗ってくれそうなのは、医師のクレールだろうか。ヴァイスがシーンに思いを寄せているのは知っている。
しかし、相談した所で、上手い解決策が浮かぶとも思えなかった。
今しばらくは──様子を見るしかない。
婚約までこぎつければ何かが変わるかもしれない。それに期待するしかなかった。
+++
「シーン。いいか?」
次の日の夜。
全ての仕事を終わらせ、自室に戻ろうとすれば、それを待ち構えていたように父、オスカーが声をかけてきた。どこか落ち着かない様にも見える。
「何か?」
父にしては珍しい。
「部屋にきてくれ。話がある…」
「はい…」
言われた通り、その後に続き、父の部屋へ向かった。部屋に入ると、オスカーは慎重に扉を閉めてから、分厚い黒い革張りの手帳を手に取り、おもむろに口を開く。
「クライヴ様より、ヴァイス樣のご婚約について、準備を進めろと指示があった」
「そうですか。招待客の人数が増えそうですね」
「ああ…、まあ、な…」
手にしていた手帳を閉じては開きを繰り返す。そこには主人クライヴの予定に始まり、お屋敷に関する全ての行事が記されている。
オスカーはどこか所在なげだ。それから、思いたった様に口を開くと。
「三日ほど前だったか…、夜半に──ヴァイス様がここへ来られた様だな…」
それで、はっと気が付いた。
あの場面を見られたのだ。父オスカーの普段見ない、落ち着きのない様子にも頷ける。
「…はい。悪い夢を見たようで…。ヴァイス様は混乱していただけで、あの晩の出来事は──」
「分かっている…。あれはもう、ご病気だ。ヴァイス様がお前をどう思っているか、それは関係ない。今まででの所業を見ていれば分かるだろう。全て病のなせる業だ。だれも治すことはできんだろう…」
父オスカーは自分の理解を超えるもの、認められないものはすべて、本人のせいではなく、病の所為だと判断したのだろう。しかし、シーンは反論した。
「あれは一時的な迷いで、きちんと愛せる人間を見つけられればきっと──」
確かに治せるものではないだろうが、諦める事はない。まだ、余地があるはず。
「変わると思うか? …クライヴ様の弟君も同じ性癖をお持ちだ。ヴァイス様の叔父にあたるリオネル様。公然と自分の性癖を隠さずふるまわれている。あれと同じだ…」
あきらめたようにオスカーは首を振る。シーンはなおも食い下がると。
「しかし…。まだ、ヴァイス様はお若い。何か手が──」
「ないな。ご婚約された所で、あの性癖は変わらないだろう。──お前を欲しがるのもな」
「っ…!」
そこでオスカーはやや声のトーンを落とすと。
「シーン。お前ならヴァイス様の機嫌を取ることができる…」
「父さん?」
「クライヴ様ともお話ししたが、せめてあの行為を落ち着かせるためには歯止めが必要だ」
歯止め。
その言葉にシーンは愕然とする。父が何を言わんとしているか理解したからだ。
「…父さん。私は──」
「なにも関係を持てとは言わない。ただ、ヴァイス様にはお前がついていると、そう思わせることで安定するはずだ。馬鹿な行動も控えるだろう…。クライヴ様の為にもこの屋敷の将来の為にも、力を貸してくれないか?」
「…それは…、私に犠牲になれと?」
「犠牲など…。お前だって、行く行くはこのお屋敷の執事を目指しているのだろ? 私の息子だと言う事を抜きにしても、お前はよくやっている。その資質は十分ある。お前の未来の為にもいい話だと思うが。やってくれるか?」
「私の…意思はどうなります? ヴァイス様をあざむいて好意を寄せるふりなど、出来るわけがない!」
「意思と言うが、お前。思う相手がいるのか? いないのだろう? いたとしても、縁は切ってもらわねばならん。このお屋敷の為に──。ヴァイス様のこととて、幼い頃から面倒を見てきた。弟のように可愛がっていただろう? 家族の愛だって構わない。それでお支えするのだ。もう、後には戻れない。執事を目指すお前ならわかるはずだ。…これが最善の策だとな」
「……!」
シーンは黙るしかない。
「すぐに答えを出せとは言わない。期限は──ご婚約前までだ。だが、選択肢はないと思え。断ればレヴォルト家の未来は絶たれ多くの者が今の職も失くすだろう。お前も馬鹿じゃない。…よく考えるんだ」
婚約発表および誕生日パーティーは三月後に行われる予定だ。
「話は以上だ。──仕事に戻れ」
「…はい」
重い足取りで部屋を退出した。




