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アスモデウスは一人わらう  作者: うまうま棒
1/2

第一話「私の人生はここから変わった」

 ——「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。

 すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、

 姦淫、・欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。

 これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」——


「はぁぁぁぁぁ……」


 公園のベンチの上で、セーラー服を着たの少女が深々とため息をついていた。黒い髪をポニーテールにまとめていて、彼女のうなじがチラリと見える。

 彼女が肩にかけているカバンには、きらりと彼女の名前が書いてあった。


 ——梅の花中学、1年生。里中ゆかり


 彼女の名前の欄にはそう書かれていた。


「またテストの点数悪かった……うう、なかなかうまくいかないなあ」


 ゆかりはそう言って、また深くため息を吐いた。

 最近抜き打ちでテストがあったのだが、点数がとても悪かった。それだけならいいのだが、あまりにも点数がひどいとのことで、ゆかりは明日土曜日だと言うのに、補修を受けることになってしまったのだ。


「先生もひどいよなあ……あんなに難しい問題だしてさ。まぁ、覚悟決めるしかない、か」


 そう言ってゆかりは自分の頬をパチンと叩いた。

 補習なんて、すぐ終わるはず。終わらせて、デパートにでも買い物に行こうかな。

 と、思っていた時だった。少し遠くから、子供の泣き声が聞こえた。ふと顔を上げると、そこに小さな女の子が一人、大きな声で泣いていた。

 ゆかりは心配になり、その少女に近づく。少女は、ゆかりに気付いたからか、少しだけ静かになったが、まだうるうると泣いている。


「わわ、どうしたの!」

「……ん」


 そう言って指さす先には、木に引っかかっている大きな風船が見えた。

 なるほど、あの風船が木に引っかかって取れなくて泣いてるんだ。そう思うと、とても微笑ましくて小さく笑ってしまう。


「あちゃ……引っかかってるのか」


 念のために確認したら、少女はこくりと頷く。


「……よし、がんばれ私!」


 ゆかりはそう言って両頬をぱしんと叩く。そして、木に足をかけて少しずつ登り始めた。

 木登りは子供の頃したことがある。得意と言えるほどではないが登るくらいなら簡単だ。

 どうにか上に登り、そしてゆっくりと降りる。片手には、赤い風船が握られていた。


「はい、この風船だよね? どうぞ!」

「わぁ……お姉ちゃん、ありがとう!」


 少女はそう言ってニコニコと笑っていた。まだ目が少し赤くて、鼻が腫れていたが、それでも泣かなくなったのはとても良いことだ。


「あ、でもお洋服汚れてる……」


 少女に指摘されて、ゆかりは自分の制服が泥で汚れていることに気づいた。

 やっちゃったなぁ。と、考えたが、すぐにゆかりはにこりと笑う。少し汚れたくらいがなんだ。洗濯すれば綺麗になるのだから。


「まぁお姉ちゃんは大丈夫だよ! なんならもっと汚してもいいくらい!」

「そうなの!? じゃあお姉ちゃん、一緒に遊ぼ!」


 少女のキラキラした目を向けられて、ゆかりは頬をかく。

 まぁ、少しくらいならいいか。

 制服も洗えばいいし……


「わかった! じゃあお姉ちゃんと遊ぼうか!」


 ゆかりの言葉に、少女はなんども嬉しそうに頷いた。

 ブランコに砂場。そしてシーソー。数年前の小学生の頃を思い出すように、ゆかりははしゃいだ。少女もとても楽しそうだ。

 それから夕方になって、少女の親が迎えに来るまで、ゆかりは遊び続けていた。

 久しぶりにこんなにはしゃいで、とても疲れたが、とても充実した1日になった。あとは、明日の補習に全力を出すだけだ。

 その時、スマホが音を鳴って通知を知らせる。ゆかりの友達からのラインだ。明日の補習を頑張れと、スタンプ付きで送ってくれている。

 大きく伸びをしたゆかりは家に帰ろうと公園を出ようとした。気持ちは軽く、なんだかいいことありそうだと思えた。

 その時、ふと。公園前の道路を女の子が歩いてるのが見えた。白いドレスを着た小さな少女。見た目だけなら、年齢は10歳もいってなさそうだ。

 日傘をくるくると回し、片目に眼帯をつけて少女は、黄金色の髪を風に揺らしてる姿は、まるで宗教画のようだ。

 可愛い子だなぁ。と、ゆかりは思った。それに比べて私は泥だらけの格好……少し恥ずかしかった。別に比べてるわけではないのだが。

 ゆかりは思わずその少女に見惚れていた。


(はっ! ダメだ、早く帰ろう! 制服洗いたいしっ!)


 そして帰ろうとした時だった。

 少女の後ろに何かが迫っているのが見えた。大きな鉄の塊——トラックだ。

 それが、少女に向かってまっすぐと走っていく。目の前にいる少女が見えてないとでもいうように。


「あ、ちょっ!そこのトラック止まっ——!」


 叫ぶ声は、トラックの轟音にかき消される。少女は気づいているのか、気づいてないのか、その場にずっとしゃがみ込んでいた。

 どうしようと——ゆかりは悩むより先に飛び出した。

 明日のことなど一つも考えず、ただまっすぐ前に進んだ。トラックが通り過ぎる前に少女を横に強く突き飛ばした。

 キキーッ! ブレーキが響く音と共に、何かが強くぶつかる音。そして、その瞬間にゆかりは意識を手放した。

 ああ、これ死んだなあ。

 最後に考えたことは、それだった。


 ◇◇◇◇◇


「……ふがっ」


 ゆかりは起き上がった。なんだか、体が痛い。どうやら自分はベンチの上で寝ていたようだ。日は登ったようで、今は昼前だろうか。

 先ほどトラックに轢かれたことを思い出し——由香里は全身が震えた。慌てて体を確かめるが、そこにはちゃんと体はあった。

 だが、泥で汚れていた制服はボロボロになっていて、ゆかりはゾッとする。つまり、夢ではなかったのか。

 何があったのか。そう考えていた時だった。


「あら、もう起きましたの」


 可愛らしい、ビー玉のような声が聞こえてきた。

 ゆかりがその声の方に目を向けると、電灯の下に、あの時のドレスを着た少女がいた。

 その少女を見た時、ゆかりは思わず彼女の肩を掴んで、口を開ける。


「ちょ、大丈夫だった!?あんなところにいたら危な——」


 パシン


 何か、乾いた音がした。それが、少女のビンタによるものだと理解しするのに、ゆかりは数秒を要した。

 え、私が……なんで?

 と考えていた時、少女が口を開けた。


「人間風情が。汚らしい手で触らないでくださいます?」


 少女はそう言って、ゆかりが触れていた部分をハンカチで拭き取りはじめる。


「えっと……?」

「はぁ……まったく。野蛮な人間は最悪ですわ。貴方のせいで、ワタクシ大変なことに……」


 この子は何を言っているんだろう。ゆかりは頭にハテナを何個も浮かべていた。


「あ、違う!制服!」


 ゆかりは制服がボロボロに破れたのを思い出した。制服はこれ一枚しかない。今から注文しても、何時ごろ届くか……とにかく、早く帰らないと!


「ごめんね、お嬢ちゃん! とにかく、気をつけて帰ってね!」

「ちょ、待ちなさ——」


 そう言ってゆかりは慌てて家に向かって走り出した。制服が破れていて、背中が晒されていたが、幸い人が少ないおかげで誰かに見られることがなかった。

 慌てて走り、そして家に着く。しかし不思議と息は上がっておらず、あせも一つもかいてない。


「ただいま〜……まぁ、誰もいないんだけどね」


 家に帰ったらゆかりは、死んだようにベッドの上に転がり眠った。トラックに轢かれた気がしたけど、もしかしたら気のせいだったのかな。じゃあなんで制服が破れてるのかな……そんなことを考えながら。


 翌朝、ゆかりは慌てて飛び起きた。時計を見ると、もうすぐ補習が始まる時間だ。


「やば……!」


 ゆかりは慌てて準備をする。制服はないので、適当にジャージを着た。筆記用具のチェックをして、ゆかりは外に出ようとドアノブを回したが——


 バギィ!


「えっ、嘘!?」


 ドアノブが音を立てて壊れた。経年劣化というやつか? どうにか扉を開けれることはできたが、こうなると鍵をかけることができない。

 一度閉めると、そのまま開かないかもしれない。そう思うと、扉を閉めるわけにもいかなかった。とにかく業者に電話……をしたかったが、もう行かないと補習に間に合わない。

 扉の間に段ボールを挟み、閉まらないようにする。空き巣が入りませんように——! と、祈りを込めて外に走り出した。

 しかし、今日は妙に体が軽い。まるで羽が生えたかのように軽やかな気持ちで駆け出すことができる。今なら空も飛んでいけそうだ。

 そう思った時、ふと視線の中に不自然なものが映る。姿形は普通の人間なのだが、大きな覆面をつけていた。

 黒で真っ黒に塗りつぶしたその顔を見て、ゆかりは首を傾げる。何か、最近の流行なのだろうか。


「……って、いけない! 早く行かないと!」


 まぁ、気にするほどでもない。ゆかりは中学校に何事もなく着くことができた。時間も余裕があった。

 そして、教室の中に入ると、既に中に誰かが立っていた。おそらく、先生なのだろう。しかし、ゆかりは確証を持てなかった。なぜなら……


「えっと……?」

「どうした、ゆかり? そんなにぼーっとして」


 顔が真っ黒に塗られていたのだ。


「あ、あの……顔、黒くないですか……?」


 ゆかりは思わず聴いてしまった。男性(おそらく。声が男性のように聞こえる)は、大きな声で笑う。

 あ、この声は担任の先生だ。ゆかりはなぜかほっとしながら、顔を黒く塗られてるのに違和感を感じた。


「はっはっは! 確かに日焼けがひどいかもな!」

「いや、日焼けってレベルじゃないような……あ、いや! なんでもないです!」


 これは補習で聞くことじゃないな!やっちゃったぁ……でも気になるもんな……ゆかりは内心焦っていた。

 どうにか、落ち着きながら席に座ろうとした。


「……待ちなさい」


 だが、その前に、男性が声を出した。


「真っ黒に、塗られてるように見えるのかい?」

「は、はい……」


 先生の声はどうやら怒ってるようにも、悲しんでるようにも聞こえた。

 やはり顔のことを聞いたのが間違いだったのだろうか。ゆかりは慌てて頭を下げて謝ろうとするが、その前に先生が口を開ける。


「申し訳ないけど君を生きて帰すわけには行かなくなった」

「……えっと……?」


 どうしたんですか? と聞こうとした瞬間。ドンっ、鈍い音が聞こえたと同時に、ゆかりは自分の腹部に違和感を感じた。

 腹部の痛みを覚えたゆかりは、ゆっくり下を向く。そこには、先生の腕があった。そして、その腕はゆかりの腹部の奥深くまでめり込んでいた。


「——ぐべっ」


 ゆかりは口から濁った声を出し、酸っぱいものを吐き出した。床に散らばる吐瀉物を見ながら、ゆかりは意識が朦朧とする。

 だが、先生は倒れそうなゆかりの髪の毛を乱暴に掴み、そのまま持ち上げた。髪がちぎれそうな痛みに堪えながら、ゆかりは目の前の男性に視線を向ける。

 顔は相変わらず真っ黒で何も見えなかったが、どこかニヤニヤと笑ってるようにも見えた。


「なんでこんなこと……私が何をしたって……いうんですか……!」

「ん、あー……何もしてない。何もしてないからこそ、今のうちに殺すんだよ」


 理解できなかった。

 だが、先生が自分を殺そうとしてるのはわかった。逃げようともがくが、男性から逃げることはできなかった。


「死にたくない……助け……なんでも、するから……!」

「なんでもするなら、死んでもらおうかな」


 先生はそう言ってゆかりを持ったまま、高く飛んだ。

 天井に突き刺さりそうなほどの跳躍力。それに驚いた瞬間に、男性が何をしようとしたかをわかってしまった。


 ——このまま床に叩きつけられる

 ——首が折れちゃう

 死ぬ——


「じにだぬ……ない……!」


 その声は、きっと、言葉になってない。

 聞こえたように思えたのも、気のせいだろう。

 ゆかりの最後の一言。それは、形のないことばとなり空を漂った。

 だが、その言葉に意味はあった。


「——な!?」


 地面に叩きつけられる瞬間、ゆかりの体から男性の手が離れた。

 そのおかげで、ゆかりが叩きつけられることはなく、床に転がっていく。

 ヒリヒリする頭を押さえながら、ゆかりはゆっくり立ち上がる。なぜ突然先生が手を離したかわからなかったが、命は助かったのだ。


「いや……はや。まさかゆかりも私たちと同族なんてな」

「な、なに……?同族……?」

「そのオーラ。私と同じ悪魔なのだろう? 隠さなくてもいいではないか。そして貴様は誰に仕えている? アモン様か?」

「……は? 悪魔?」


 頭がこんがらがってきた。理解できていないゆかりを見て、男性は顎に手を当てて何かを考えていた。


「ふむ……もしかしたら新参者か……? しかし、女の体なら、金にもなるか」

「なに言ってるのよ! き、今日起きたことは警察に……」


 瞬間。先生の手が眼前に迫る。やばい。本能で感じ取ったゆかりは横に転がってそれを避けた。

 先生の爪が頬を掠めた……それだけなのに、頬から赤い血がたらりと流れた。そして、痺れるような痛みを感じる。


「私の爪には毒が仕込んでいてね。少し掠めるだけで、体が痺れて動けなくなるはずだが、まだ元気なようだね」

「う、ぐ……なんなのよ……!」

「……幼い見た目の女の悪魔だ。多少無茶しても壊れない。なに、おもちゃが好きな変態に売れば金になる。とにかく痺れるまで——何度もやるだけだ!」


 ダンっ! 突っ込んでくる男性の手を、ゆかりは慌てて避け始める。しかし、何度も何度も避けるたびに、頬の痛みがどんどん痺れてきた。

 全身が少しずつ焼けるような痛み。そして、こんな超常現象に巻き込まれたことに対する疲れからか——ゆかりは、数回避けた後でとうとう転けてしまた。


「あっ——」

「終わりだ」


 先生の爪が眼前まで迫る。

 なにもわからないまま、死ぬのか。

 そんなの嫌なのに——!


 ゆかりは目を瞑る。だが、先生の爪は——ゆかりに届くことはなかった。

 恐る恐る目を開けると、目の前に一つ小さな影があった。白いドレスを着た少女——それは、朝に見た、あの女の子だった。

 その少女が白く、大きな傘で男性の攻撃を抑えていたのだ。


「貴様……!」

「下等悪魔のくせに、わたくしに触れようとしないでくださいます? 悪い病気にでも罹ったら責任取ってくれますの?」

「え……え?」

「まったく、これだから下等生物は。ほんと、頭のスペックがアリのように小さいですわね。なにが起きたか把握できていませんの?」


 疑問を浮かべていたゆかりに向かって、その少女は冷たく言い放った。


「死にたくないのでしょう? なら戦いなさい」

「どういうこと? 戦いなさいって……な、なんで!? そもそもあなたは誰なの……!」

「じゃあ説明してあげますわよ。あいつはあんたを殺そうとしてる。わたくしはあんたを守ろうとしてる。だからあんたはわたくしの言葉を聞いてあいつを殺すべき。おわかり?」

「——ごちゃごちゃとうるさぁぁぁい!!」


 先生が大声をあげて、傘をつかんだまま、少女を投げ飛ばそうとした。しかし、その前に少女が傘を横に大きく振ると、逆に男性が投げ飛ばされる。


「ぐ……クソ。殺す、殺す!」

「あら? わたくしのほうにかなうとでも?」


 その時、その少女から恐ろしい殺気を感じた。それに気圧されてか、男性はごくりと生唾を飲み、一歩後ろに下がった。


「あ、あなたは……何者なの?」


 ゆかりは声を絞り出した。可愛らしい少女なのに、彼女が纏っているのは、少女のそれではない。そんな事、今まで呑気に暮らしていたゆかりでもわかる。

 対して少女はにこりと——まるで天使のように笑い——こちらを見据える。


「それはあとで説明しますわ。さて、人間、手を出してくださいな」

「え、な……なにを……」

「いいからさっさとしてくださいまし。みじんこ」


 みじんこ!? 今この子、私のことをみじんこって呼んだのか!? そのことに驚いていると、痺れを切らした少女が、ゆかりの手を取った。

 少女の手は幼さ通りの柔らかさ——だったが、ゆかりにそんなことを考える余裕はなく、突然のことに混乱とか焦りを感じていた。

 ゆかりの手と少女の手が重なり——瞬間——ゆかりは全身に雷が落ちた感覚に陥った。

 この少女に会うことが、手を重ねるために、今まで生きてきた。そう思えてしまう。


「——名前、教えておきますわね」

「——え?」


 少女は優しく——


「わたくしの名前はアスモデウス。これからよろしくお願いしますわね」


 悪魔のように、微笑んだ。


 瞬間、ゆかりの視界が光と闇に包まれた。そして、その二つが消えた時、ゆかりは異変に気づく。

 体がとてつもなく軽い。

 それに毒の痺れも抜けている。

 まるで生まれ変わったかのようだ。ゆかりはそう考えた。綺麗な温泉で、身体中の垢を流し落としたかのように——


「は、はは……! なんだ、貴様! あのアスモデウスか!!」


 先生はそう言ってケラケラと笑い出す。

 その時気づいたが、先生の顔がはっきりと見えるようになっていた。


「ビビって損した! アスモデウスといえば、一番の格下! ……だが待て。確かアスモデウスは死んだはず……」

「あら、戦うのはわたくしじゃなくてこのみじんこですわ。まさか、みじんこにすら尻尾を抱き抱えてガタガタ震えるつもりなのですの?」

「——言わせておけば!」

「ちょっ、何煽って……!」


 そう言い切る前に、先生が一気にゆかりに近づいてくる。先ほどと同じような動き……だが、違うのは一つ。

 ゆかりはその動きを見切ることができた。

 先生の攻撃を受け流し、そのままゆかりは距離をとる。心臓がバクバクと鼓動している。なにをいま、興奮してるのだろうか。

 先生は、驚いたような顔をしていた。だがすぐに「まぐれだろう」と考えたのか、出鱈目に突撃をしてきた。

 しかし、ゆかりにそれは一度もかすらない。飛んでくる風船に当たるような人間は、いないのだ。


「せ、正当防衛です!」


 ゆかりはそう言って先生の腹を蹴り上げた。先生はくぐもった声を出して、遠くまで転がり飛んでいく。

 この力は、一体……?!驚いているゆかりを見ながら、アスモデウスは声をかける。


「ほら、みじんこ。早く殺さないと、勝てませんわよ」

「こ、殺す……!? な、そんな事できるわけが……」

「はぁ……別にあなたはいいかもしれませんわ。でももし、あの下等悪魔が逃げたら、どうなるかわかりますの?」

「……え、と……?」

「考えることをやめたらみじんこ以下ですわよ。まあ、せっかくですし答えを教えてあげますわ。あの悪魔を逃したら……」

「——殺してやる」


 ——え?


 ゆかりは短い声をあげた。

 そして、震える顔で先生の方を見た。先生はゆらりと立ち上がり、こちらを睨みつけている。

 ビリ、ビリ。すると途端に、先生の体がだんだんと変色していく。黒く濁ったその体は、狂気を孕んでいた。

 羽も生え、先生の両手は鋭い爪に変わっていく。醜く変わった顔の先生だったものは、こちらを睨みつけて、咆哮をあげた。


「ゆかり! 貴様の周りに存在する全てを殺してやる! もちろん貴様もだ!! 俺に歯向かったことを後悔させてる!」


 先生のその言葉は、冗談ではなく本気だと言うのが伝わった。だからこそ、ゆかりの脳裏にこの先起こりうることが全て鮮明に映し出される。

 やだ。

 やだ、やだ。

 そんなのダメだ。私の大切な家族、友達——みんなみんな、殺されるなんて、そんなの——


「ダメえええぇぇぇッ!!」


 バチ!!

 全身に電光が走る。ゆかりは、自分の体が変質していくことに気づいた。人ならざるもの——それに変わっていくことに対して、ゆかりは恐怖がなかった。


 ガッ——


 一瞬。


 一瞬だった。その一瞬で、十分だった。

 ゆかりの片手には、何か丸いものを握っていた。ゴワゴワした感触に、ゆかりはそれが何かを感じることができなかった。


「はぁ……はぁ……」


 ゆかりはその手にしてるものを、ちらりと見た。そこには、こちらを恐ろしい形相で睨みつける先生の顔があった。

 それを確認した瞬間、後ろから何かが倒れる音が聞こえた。それは、胴体と頭が分離している、先生だったもの。


 ——私が、やったの?


 そのことに気づいたゆかりは、フッと——自分の意識が切れていくのを感じて——その場に倒れ込んでしまった。

 そして、意識が切れる前。アスモデウスが、くすくすと笑いながら


「まぁ、及第点ですわね」


 と、つぶやいた。



 ◇


「あぁ!? アモデウス生きてんじゃねぇかよ」


 スーツを着た煌びやかな男性が眉をムッと曲げてつぶやいた。深い深いため息を吐き、近くに座っている人物を睨みつけた。

 睨まれた少女は大きなあくびをしていただけで、男性に対して何も言わなかった。


「おい、てめえ。ちゃんと殺したのか?」

「殺したはずだよ……まぁ、確認はしなかったけど」

「だぁ……クソが! テメェのせいで、計画が丸潰れだ! 責任取れんのか、ああ!?」

「……めんどくさーい……寝るから、適当に起こして……」


 少女はそう言った数秒後に、眠りに落ちる。男性は、大声を張り上げるが、肩を揺さぶるが少女は起きなかった。

 男性は、深いため息をついた。しかしニヤリと笑った。


「俺の部下が、最後に教えてくれた。アスモデウスは、人間の女といたらしい……名前はそう、ゆかり。よくわからんが、アスモデウスがつるんでるんだ」


 そう言って男性は何か、パソコンをカタカタと鳴らし始める。


「じゃあ殺すのはまず、こっち……だな」


 パソコンに映し出されたゆかりの顔を見て、男性は大声で笑い始めた。


「……マモンうるさい」

「あ、てめぇ! ベルフェゴール! 起きてんじゃねぇか! 寝んな! おい、おい!!」


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