鳥
翌日、アムステルダムから少し離れた湖のほとりにある小さな村、マイデンへと向かった我々は、カローラの実家である大きな邸宅に訪れていた。彼女の実家は、周辺地域の土地を所有する地主であり、骨董品の売買で成功を成した、リアル華麗なる一族だった。父は骨董商及び地主、母は弁護士、娘は生物学者で獣医師、ご近所にこんな一家がいたら周辺住民の注目の的だろう。
レンガ造りの大きな御屋敷でディナーをいただくことになり、多少身構えていたが、ナイフやフォークを使うような、マナーを試されるものではなく、ラザニアやポトフといった庶民的な料理を出してくれたため、心配は杞憂に終わった。
特になにか起こったという訳でもなく、ヨーロッパ産の強い酒が盛り上がりに拍車をかけ、和やかかつ楽しい雰囲気で食事会は終わった。
二日酔いから数日が経ち、そろそろ日本に帰ろうかと思っていた矢先、約束通りカローラがゴリゴリのバードウオッチングコスチュームで田中の家までやってきた。
「やくそくどおり、いきましょうバードウオッチング」
「え、何も準備してないけど」
「いいんですよ、もりのなかに、いかないですから」
「田中は?」
「あぁ、俺もついてくよ…フィリシアは学校があってついてけないから」
「OK…」
カローラが乗ってきたジープの後部座席に座ると、我々は謎の鳥を捜索するために例の草原へと向かった。
さながら川口浩探検隊のようだ。
空港へ向かう高速道路をしばし走り、途中で降りて田畑の広がる平原に到着した。アムステルダムに比べ住居も極わずか、所々小さな家が建っているのみだ。本当にこんな見晴らしのよい場所に怪鳥がいるのだろうか。
車を路肩に停め、周辺の家々に謎の鳥を見なかったかという聞き込みを開始した。
『ここら辺で見たことの無い鳥を見なかった...?大きさは小型犬から中型犬の間、ニワトリよりもすこし大きいくらい』
『いや...見たことないな。ただ、もっと奥の方に住んでるカルロスの倅が見たらしい、ほらTwitterやらに動画を上げたのも奴の息子だよ』
『そうなのね...ありがとう、早速向かってみるわ』
『あ、あんた達の他にも鳥を調査しに来たグループが居てな、ほらアニマルプラネットっていうテレビ局のクルーだよ』
『え?』
オランダ語がさっぱり分からない俺は、カローラと住人の会話が意味不明だった。
「どうかしたの?」
「どうやら、テレビ局が来てるらしい。アニマルプラネットっていう動物のドキュメンタリーを専門で流してるところ。大方、怪鳥の捜索に名乗りでたんだろうよ」
「へぇ」
田中の説明で状況がハッキリした。
急遽、カローラはそのテレビクルーたちと接触し、共同で怪鳥の捜索をしようと俺たちに言った。もとより、人手は多い方が捜索も捗るだろう。
特段、誰かを出し抜く気なんてサラサラ無いため、快く彼女の提案を了承した。
再びジープに乗り込んで、聞き込みをしたカルロス氏の家まで向かう。日本の田舎とはまた違った景色ではあるものの、緑豊かなこの平原風景はどこかノスタルジックな気持ちにさせる。
オランダに居るようで居ないような...少し不思議な気持ちだ。
しばし車に揺られ、到着したのは納屋が併設された一軒の建物、牧畜をしているのか納屋の傍らには、藁のブロックが積まれていた。建物の駐車スペースには小さなバスとアンテナのついたトラックが停まっていた。いかにもテレビクルーの車であることは察しが付いた。
家のベルを鳴らしたカローラは、早速持ち前のコミュニケーション能力で挨拶をすると同時に、単刀直入に怪鳥のことについて尋ねた。
『こんにちは、私生物学者のカローラ・デ・ビュールといいます。お察しいただけてるとは思いますが、ここで目撃された怪鳥について少し話を伺いたいと思いまして』
『入りな』
『失礼します』
家の主人に案内され、玄関に足を踏み入れる。
中では複数人のカメラマンと、インディ・ジョーンズのような帽子をかぶった男性が、鳥の動画を撮影したであろう青年に向けて話を聞いているようだった。
『...ふむふむ、それで...不思議な鳥だと思ってカメラを回したと。』
『そ、そうです』
『いやぁ、実にラッキーだね。あの鳥は.....て、誰?君たち』
話に夢中になっていた男性は、我々に気がついたのか首を傾げながらカローラを見た。
『カローラ・デ・ビュールです。オランダの生物学者で、鳥の調査のために来ました』
『えっ!?あのカローラ・デ・ビュール!?ナショナルジオグラフィックに何度も取り上げられた生物学界の若き彗星...本物ですか』
『え、えぇ...』
『それは心強い...!私、論文読みましたよ!』
興奮気味に立ち上がった男性に早速俺たちはついていけてない。
男性と同じようにテレビクルーも皆、彼女のことは知っているらしく、興奮した様相でカメラを向けている。
「田中...カローラってそんなに有名だったのかよ」
「あぁ、何度も世界的な雑誌に取り上げられてるし、ここ数年で新種もめちゃくちゃ発見してる。鳥類と昆虫に関して、右に出る者はいないほどの超優秀な科学者だよ彼女は」
「知らんかった...」
「そりゃ、その分野に携わる人間には有名だろうが...お前が知ってたら、逆にすげぇわ」
そんなに有名なら先に言って欲しかった。
おそらく日本に来たことがある、と言っていたのも、生物学者として調査や講演会を行うためだろう。
「いずれは宇宙飛行士を目指してるらしいぞ」
「マジかよ...」
大志を抱け。とは言うが、宇宙飛行士を目指す人間が一体この世にどれほどいるだろうか。目指すだけならまだいい、彼女はその夢を本当に達成出来てしまいそうだから怖い。
「後でサインもらお...あ、花神教授に自慢しようかな」
「花神?」
「ん?あぁいや、なんでもない...そういやタバコ吸いたいんだけど、どっか場所ない?」
「あぁ、そっかお前喫煙者か...ちょっと待ってろ聞いてくる」
驚愕の事実が立て続けに襲ってきたせいか完全に疲れたので、一発ヤニを入れたくなってきた。田中は、家に招き入れてくれた主人に喫煙スペースを聞くと、親指をグイっと玄関に向けてこう言った。
「外」
「了解」
懐からタバコを取り出しつつ玄関をあけ、煙草に火をつける。
ひと吸いし、口から紫煙を吐き出すと、なにやら足元に違和感を感じた。何事かと見下げると、そこには丸っこい鳥が、クチバシで俺の靴紐をつついていた。
「な、なにお前...ッ」
「...」
靴紐を餌と勘違いしているのか、夢中になってクチバシでつつきまくる謎の鳥。全身が羽毛でおおわれているものの、顔の部分だけが全身タイツを着たようにまっさらになっている。
目はギョロっとしており、顔全体が黄色く、クチバシは漆を塗ったようなツヤで覆われている。全長は俺の股下にまで及ぶほど大きく、鳥にしては翼が小さい。何より、ほかの鳥は見られない淡い水色の羽毛を全身にまとっており、鶏よりも太い足を持つその姿は、さながらダチョウをそのまま縮小したようだ。
「...誰、お前。誰なの」
「ドーッ」
「いや、ドーっじゃなくてさ...」
鳥は、クチバシで靴紐を咥えながらグイグイっと引っ張った。
「付いて来いってことか」
「...ドーッ」
「そのドーっは肯定なのか否定なのか、よく分からんて」
ちょこちょこと歩くその鳥にしばし付き合ってみることにした。