微生物プロデューサー
イマイチなぜ桃谷さんが興奮しているのか分からない。
そんなテンションの差を彼女も電話越しに感じたのか、いかにその『オンセンクマムシ』とやらが凄いのかということを力説し始めた。そういえば彼女は元々、マリモなどを研究していた過去があった。
コケなどに生息しているクマムシなどの微生物にも明るいのだろう。
『オンセンクマムシは単純に言うと、カッパと同じです!』
「ん?カッパ?」
『はい!ほぼ幻獣ですよ!』
「幻獣って…クマムシが?」
『えぇ!』
幻獣なんて大層なワードが飛び出してきた。世界広しと言えど、微生物の幻獣なんて聞いたことがない。
『まぁ、幻獣って言うのはあくまでものの例えですが、実際にそれぐらい凄いことでして…1937年にスイスの学者が発見したと"言われています"真偽は不明ですが』
「ん?どういうことです?」
『長崎県の温泉から発見したと論文で発表されたんですけれど、その存在は後に一度も確認されず、存在自体があやふやだったわけですよ!』
「嘘だぁ…だって1度発見されてるんですよね」
『"発見した"と、言われてるだけです』
「それで、そのオンセンクマムシが今回発見されたと」
『はい!』
「有り得るんですかそんな事」
『有り得ます!!』
堂々と言い切る桃谷さんに、思わず困惑する。
『前例があります!』
「前例?」
『笹壁さんはカモノハシをご存知ですか』
「そりゃもちろん」
カモノハシと言えば、あのカモノハシだ。
アヒルみたいな見た目をした哺乳類で、見た目は可愛らしいけれど蹴爪に毒針がついているロックなギャップのある生物。某天才発明家少年兄弟の日常を描いたコメディアニメのペットとしても登場し、珍獣としてはあまりにも有名だ。
『カモノハシもかつてはその存在は幻と思われていましたが、今は笹壁さんもご存知のメジャーな動物になりましたよね!なので前例はあります!』
「まぁ、そう言われると納得せざるを得ないですね」
電話越しに頷いてしまう。
しかしそんなとんでも生物が見つかったとなれば、さぞ日本では騒ぎ立てられているのだろうと思いきやそうでもなかったようで。
『世間の反応は、なんというか結構薄いですね』
「…そうですか」
『なんでだろう…クマムシだからかな』
ニホンオオカミとクマムシとなればやはり見劣りしてしまうのは仕方の無いことだと思う。別に特段注目度が重要という訳では無いが、興奮気味の桃谷さんにとっては少し拍子抜けだったようだ。
ここで疑問に思ったのは、なんで今まで見つからなかった生物がこんなあっさりと発見できたのか…という点である。逆を言うと、なぜ今まで見つからなかったのか。
『まだ研究途中だったんですけど、実は温泉クマムシの発見には採取する工程でとある共通点が見つかりまして』
「といいますと?」
『嶋佐教授は採取した検体を様々な方法で保存してまして、その中で検体を温泉の温度と寸分たがわず保温させたものからのみオンセンクマムシの個体が発見されたんです』
「へぇ…保温」
『はい、それで調べてみたんですけれど、オンセンクマムシのサンプルをシャーレに出して電子顕微鏡で様子を観察していた際に、3℃温度が下がった瞬間、クマムシが分解しまして』
「え」
『どうやら特定の温度、今回発見した温度だと約62℃なんですが、水温の差が60°Cから±5℃の中でしか生物としての原型を留めることが出来ない特殊な個体であることが、仮定されたんですよ。それが今までオンセンクマムシを発見できなかった理由と考察されてます』
「クマムシってどんな環境にも適応できる、最強生物のはずじゃ」
『まぁ、オンセンクマムシは他のクマムシに分類できない特殊な個体ですからねぇ、今までの常識が通用しないのは、往々にして有り得ます』
「史上最弱じゃ…」
『寿命も短いんですよ、わずか1日で分解されちゃうんですから』
「儚な…」
『でもそれに反比例して繁殖力が凄まじいんです。無性生殖でなんと一日に1京匹増殖するんです』
「1京!?」
『まぁ、あくまで標識再捕獲法と呼ばれる、一部を数えた時の想定数なわけですけど…でもそれぐらいいることは確かです』
「よくそんな壮大な数字割り出せましたね」
『大変だったみたいですよ、でも文明の利器である自動カウントシステムを用いれば、一定範囲の個体数を数えることが出来たみたいです。まぁ1c㎡数えるのに20時間くらいかかったみたいですけど』
「…つまりオンセンクマムシ死んでは生き返りを繰り返す、100万回生きたねこ的な生物だと?」
『そういうことです!』
繁殖しては分解するという哲学的な生物とはなんとも面白い。
もっと世間も注目していいはずだが、その魅力に多くの人が気がついていないようだ。まぁ、自分もついさっきまではその1人だったのだが。
『私は推していきますよ!オンセンクマムシを!期待してください笹壁さん!笹壁さんがハワイから帰国するまでに、日本全体からオンセンクマムシを注目の的、果ては流行語大賞に選出されるような存在にしてみせますから!』
「桃谷さん、あなた微生物初のプロデューサーになる気ですか?」
『はい!』
「あ、そうなんだ」
桃谷さんはその後、興奮冷めやらぬまま惜しみつつも電話を切り上げた。
なんか彼女の熱に当てられて、すっかりオンセンクマムシに並々ならぬ興味を抱いてしまった自分がいて、本当に彼女が日本全国にオンセンクマムシの名を轟かせる偉業を成し遂げてしまうんじゃないかと思えてきた。
さてそれは置いといて今は、ハワイの巨大生物の調査に集中しよう。
甲板から船内に戻り、館内の中央に置かれた大きなデスクに近づく。巨大な卓上モニターに映されているのは今までH・A・D及びアメリカ政府が捜索してきた海上ポイント。今回はそこから割り出された、比較的出現率の高そうなポイントを重点的に周辺を調査する予定だ。
ポイントに到着すると無人の潜水カメラを20台、海中に投げ入れ、並行して空中からの偵察を行うドローンも飛ばした。
有人の小型ボートを使用した調査も並行して行われるが、小型ボートの主な任務は周辺海域の警戒である。
俺はイージス艦に篭って偵察の様子を確認する…のではなく、実際にその小型ボートに乗り込んで現場調査を行うことを希望した。
もちろん日本から共に来た、専門家や護衛を務める防衛省の官僚も伴っている。
しかし、小型ボートをかっ飛ばすのは随分と爽快なもので、まるでジェットコースターに乗っているような気分だった。
このまま何かの奇跡で遭遇できないものかと少しの期待を抱いていたが、そう上手く行くはずもなく。
結局日没直前まで捜索を続けたものの魚影の端すらも観測することが出来なかった。
あんな巨体なのにも関わらず、どうやって姿を隠しているのか疑問を抱かざるを得ない。最新の技術を駆使してまでも見つからないこの霞のような巨大生物、俺は若干、今回ばかりは発見することも難しいのではないかと不安に思い始めていた。