甲板の上で
人間が想像出来ることは、人間が必ず実現出来る…とは誰が言ったものか。確か稀代のSF作家であるジュール・ヴェルヌだった気がする。我々が足を踏み入れた建物、リグと呼ばれるそれは、通常海底資源の掘削に用いられる、言わば拠点のようなものだが、目の前に広がる光景はスターウォーズなどのスペースオペラの世界をそのまま切り抜いたかのような非現実味があった。建物自体は何ら特別なものでは無い、ドアの全てが宇宙船に搭載されているうような自動ドアであること以外、普通の海上リグと見分けはつかない。
とはいいつつも、普通のリグがどのようなものかは皆目見当もつかないわけだが、そんなことは今どうだっていい。リグ内を縦横無尽に駆け回るドローンや人型のロボット、やけに近未来チックなデバイス機器。節々に見えるサイバーパンク感と油汚れが似合いそうな無骨なリグの組み合わせがなんとも不思議だった。
ケヴィン・ロスウェルド本人の説明を受けながら、館内を進んでいく。元々この建物は、彼が動物保護に関する法人を設立した際に建てられた海上リグで、海洋生物の学者らも度々利用する施設としてその世界ではかなり有名だったという。建築された数年前には度々ニュースにもなったそうだ。単純に俺が無知なだけだった。
ただそれでも、施設内部の様子を写した写真はインターネット上にも存在せず、その秘匿性から一部では都市伝説的にアメリカ軍の極秘施設と噂されているようだがその真相は、単に文明が少し進歩している鉄骨製の建造物であることに他ならない。
『よーしみんな、少しだけ手を止めてくれ』
建物中央に位置する巨大なモニターが設置された管制室。インカムをつけた優秀そうなスタッフらが海洋の観測を続ける中、場違いにもその空間に現れた色男ケヴィンは、アメリカのビジネスドラマでよく見る『手を叩きながら注目を集める社長や上司』をさながら、実際にやって見せた。すると一斉に視線がこちらへと向く、ザッという音ともに、こちらに向いた目線を受け、思わず背筋が伸びた。
『事前に報せていた通り、今日この場にミスターササカベが来てくれた。今を輝く天才生物学者の彼が来てくれたことだ、今回の調査は99…いや100パーセント上手くいく!』
『おぉ!!』
歓声と共にアメリカらしい指笛が鳴り響く。拍手に包まれながら迎えられ少し恥ずかしさもありつつ、この期待に絶対に応えなければという強いプレッシャーを抱いた。
『ミスターササカベ、なにか一言、みんなが最高に盛り上がれる言葉をくれないか』
「え…」
『なぁに、そんな難しく考えなくていい!直感で思ったことを一言』
「えぇ…」
フリが効いている上に、直感で一言とは、いちばん困ること言われた。ここで思案するあまり変な間を開けても空気は最悪になるし、下手なことは当然言えない。あまりにも難易度が高すぎてこの場から逃げ出したい気持ちにもなるが、海上を漂流して死ぬのはごめんだ。
こうなったら無難でいいや…と開き直った俺は、日本人の奥ゆかしさを前面に押し出した挨拶をかましてやった。
「えぇ、紹介預かりました笹壁亮吾と申します。これから色々お世話になるとは思いますが、何卒よろしくお願い致します。頑張りましょう!」
シーン。
もういいよ。どうだって。俺にはインディペンデンスデイの大統領みたいな、みんなを鼓舞する演説をかます才能は皆無なんだ。期待すんな。初対面の丁寧さ、腰を折り曲げ深く頭を垂れる謙虚さ、これが日本人じゃ、悪かったか。
と内心、ダサすぎる悪態をつくが、挨拶の反応は思ったよりも悪くはなかった。
『頼むぜ!ササカベ!』
いかにもムードメーカーっぽそうなアフリカ系の男性が声を上げると、その場が一気に明るい空気に包まれた。ちなみに彼の名はエイジャックス・ブッカー。海洋生物の博士課程を主席で卒業した天才である。後々彼とは、再び調査を共にすることになるのだが、今のところそれは置いといて、我々は挨拶を済ませたあと各自の部屋に案内された。
「先程から気になってたんですけど、こういうロボットとか近未来的な技術がさも当たり前に運用されてるのは…アメリカでは普通なんですか?」
この場に来てからずっと抱いていた疑問を、ここぞとばかりにケヴィンに問いかけた。
『一部のセレブリティ向けにこういったロボット販売はしているが、普通の企業でロボットを労働力として雇っているところ数少ないだろうさ、それを言うならニッポンの方が余程ロボットを日常で使っているじゃないか』
「…そうですかね」
『ほら、ペッパーやロボホン、ラボットなどの愛玩目的のロボット開発は、ずっと前から日本でも行われてきただろう?AIBOが発売されたのなんて僕がまだパブにも入れない頃だった。それに最近、ニッポンのフードチェーンではロボットによる配膳が行われているそうじゃないか、僕達から見れば君たちの国の方が余程SFチックだぜ』
「…まぁ、そうですけど…こんなにクオリティが凄いのは、一度も見たことがないというか」
『HAHA,一応僕たちの優秀なスタッフが頑張って作ってくれたものだからね、凄いのは当然さ!』
「ちなみに一体あたり、いくらするんですか」
『そうだなぁ…モデルにもよるけれど、この場にあるのはあくまで最新の優秀なAIを搭載したものだから参考にはならないという前置きをしといて…希望小売価格は210万ドル。当然、ミスターササカベが買うとなれば安く着けといてあげるよ?』
「あ、いや…検討しておきます」
2億9千万円とかいうとんでもない金額がでてきた気がしたけれど、日本特有のやんわりとした断り方『検討しておきます』を発動して何とか乗りきった。そもそも最初から買う気なんてサラサラなかったが…。
そうこうしている間に宿泊するための部屋にたどり着いた我々は、とりあえず時差ボケを治すために軽く仮眠を取ったあと、早速調査を行うために、用意された船に乗り込んだ。
調査用の船は約7隻で構成された小船団で。主要となるアメリカ軍のイージス艦1隻と小回りの聞くボート6隻という内訳だった。船上における司令本部となるイージス艦に乗り込んだ我々は、まだ調査の進んでいない海域へと向かった。
「キレイダナー」
甲板から見える真っ青な海と照り輝く日差し。
まさにハワイアンと言った感じの光景をゆったりと眺めながら、調査ポイントへと向かう最中、唐突に電話がかかってきたのでなんぞやと思いながら耳に当てると、少し興奮した様子の桃谷さんの声が聞こえてきた。
『も、もしもし!』
「え、あはい…」
『桃谷です!』
「あぁ、桃谷さん…どうしましたか?」
『今、嶋佐さんから連絡がありまして!東京海洋大学の』
「あぁ、嶋佐さん」
嶋佐さんとは、我が家の裏山調査(パート2)において、共に同行した水生生物の専門家である。東京海洋大学の教授を務める彼は、今現在日本政府からニホンカワウソの調査及び研究を任されており、その世界では知らない人は居ない天才である。
そんな彼から桃谷さんを通して緊急の連絡があったのは、調査ポイントへと到着する数分前の出来事であった。
『以前、裏山の調査で温泉を発見したことは覚えていますか?』
「はい」
『その温泉を、嶋佐教授が採取したことも知ってますよね』
「もちろん」
裏山の調査を行った際に発見した小さな温泉。温泉微生物がいるかもしれないと嶋佐さんが採取を行ったことは覚えているが、一体それがなんなのかと問う前に、桃谷さんは興奮した様子で言った。
『オンセンクマムシです!!!』
「ん?」
どうやらやばい微生物が採れたらしい。