裁判
アメリカの世論は2つに割れた。
ダンクルオステウスによる80代男性の死亡事件は、それまで絶滅動物だと楽観視していた人間を恐怖のどん底に突き落とした。今まで、目撃例が多発していた時点で西海岸沿岸部に住まう人々の間では、海に入ること自体を自粛するほど恐怖が蔓延している傾向があったが、それもごく一部で、アメリカ全体を見ればかの生物の捕獲や保護を推進することの方が重要視されていた。
それも偏に、今まで人的被害がなかったからこその賜物であり、内陸部に住まう人々はダンクルオステウスをマスコット的存在として囃し立て持ち上げた。
しかし、事件が起こって以降その傾向も以前に比べ陰りを見せ始め、それまで保護一色の良好な総意が見て取れたアメリカの世論も、排他的意見が点在するように起こり始め、ダンクルオステウスの処遇について様々な考えが生まれたのは無理からぬ話だ。
そんな中でも、今回行われた訴訟に関して疑問視する声が多く上がったのは意外だった。確かにダンクルオステウスによって人の命が失われたことに、世論の分割が巻き起こるのも必然的と言えよう、しかし、その責任を研究者達や国に押し付けるのは如何なものかという声が相次いだのである。
今回の事件は当然軽視されるべきものではないが、責め立てるべき人間は完全なるお門違いで、そもそも誰の責任でも無かろうという声は大きく、やれ国が悪いと非難する人間は変なアナーキストに限られた。
一方、被告人側となった笹壁 亮吾の処遇に対して日本政府は僅かながらの遺憾と擁護をチラつかせつつ、静観を決めることとした。今回の裁判は単に個人間の問題ではなく、国が絡む重大な案件であり、真相の解明が成されるまで余計な口出しをすれば日米関係だけでなく事実上の反米国主義国家との関係悪化を招きかねないとし最低限の補助は確約したものの、大胆に動くことは困難だった。
今現在、笹壁はアメリカの日本大使館で保護されており厳重な警護が付けられているが、その間は当然、ダンクルオステウスの調査が中断され予定帰国日時を大幅に過ぎた滞在となっていた。
アメリカ政府側は今回の訴訟に対して断固反骨的な姿勢を貫いており、様々な組織をフル動員して早急な事件解明に尽力している最中だった。ただ、絶賛難航中で、ダンクルオステウスの生態が明らかにならない限り今回死亡した80代男性が、本当に襲われたのか、それとも見せかけの他殺なのかを断定するのはかなり難しかった。
今回見つかった遺体は右手の肘から手首までの前腕と、片足、下顎のみで、遺体の身元判明が成されたのはかろうじてDNA判定が可能な状態だったが故だ。
ダンクルオステウスの糞便を採取することは困難であるし、仮に海上で襲われたとしたら目撃者は限りなく0に近いだろう。
遺族に対する事情聴取を行っても黙秘を貫いているせいで真相は闇の中だ。
政府は当初、今回の事件をかなり軽視していた。というのも、たとえいくら個人が国を訴えようが、裁判の判決を簡単に覆すほどの力を持っているのは国である。つまるところ、様々な手段を使って簡単にもみ消すことが出来るだろうと高を括っていたのだ。しかし蓋を開けてみれば、連日ニュースで報道されるほどの話題性と、政府内部に潜む原告側の賛同者が予想以上に多かったため、裏工作は実質的に不可能だった。
向けられる目が多いほど、下手な動きをすれば不利になる。
イギリスのようにプロパガンダを打てば事態はマシになるだろうが、アメリカは多民族国家かつ個人の主義主張は多種多様。ましてやインターネット社会の現代において、人々を半ば洗脳するほどのプロパガンダを流布することは極めて困難であった。一人がこれを嘘だと言えば追従するように暴動が起きるだろう。
邪道な手段は潰え、正攻法による完全勝訴を目指さなくてはならない。
疑惑の目を向けられれば不利になるのは国側である。
さらに追い打ちをかけるように、とある証言がインターネット上に公開された。アメリカでも有数のネットメディア大手が、一人のインド人の少女に取材を行ったのである。
少女は顔を隠し、声を加工した状態で自身の父が遭った惨事を赤裸々に語った。
少女の父はインド陸軍に従事し、かつてのギガントピテクス捜索作戦に参加していたうちの1人だった。インド国内においてギガントピテクスを発見した際の顛末は既に広く周知されており、密猟者を退治し、怪我をしていたボス猿の為に笹壁と協力して調査チームと接触した事実は、半ば英雄視されるほどの勇敢な行為という認識が強く、『神の使い』や『武と知を司る賢者』と崇める者も多かった。
しかし少女が言うには、笹壁 亮吾は人間に匹敵するほど賢いギガントピテクスを懐柔、利用し、密猟者たちを一方的に虐殺するよう仕向けたのが事実であり、その現場を父は目撃したと語った。
この大手ネットメディアは自分の手を下さず、動物に殺すよう仕向ける笹壁を悪魔だと強く避難した。
当然この記事に対して嫌疑の目を向けるものは少なからずいたものの、今まで裁判に対する批判的な意見を述べていた世論は、強く影響を受け、事態は沈静化した。
今まで圧倒的に有利だと思われていた被告側の力は公判を前に完全に弱りきっていた。
裁判が行われる7月の中頃、法廷となるカリフォルニア州の裁判所には多くの人々が詰めかけた。現段階で代理人同士で行われる裁判ではあるものの、その話題性から傍聴人の抽選が行われるほどの注目を浴びている。
動画共有サイト上に公開された裁判の様子は述べ80万人もの視聴者が見届け、ニュースでも専門家の意見を混じえながらその様相が伝えられた。日本においても同様である。
冒頭陳述が行われる中、裁判の話題は笹壁 亮吾に対する告発に焦点が変わった。記事の内容が事実であるかという確認は現在弁護士や警察組織を通じて調査中であり、これを覆さない以上被告側は圧倒的不利な状況に立たされていると言っても過言でなかった。
ならば証人として、少女の父を召喚しようとしたものの、すでに父は他界しており決定的な証人となりうる人間はいない状態だった。
であればどうするか。
そうだ……
ギガントピテクスを証人にしよう。
これにはネット上も大いに盛りあがった。動物を証人として召喚するのは前代未聞の出来事である。しかもインドが国宝よりも大切に保護している絶滅動物を、アメリカの裁判所に呼び出すのはあまりにも非現実的である。
そんな呼び掛けに対してインド首相のネロー氏は二つ返事でOKした。
そもそも、今回の事件で被告側が不利となったインド人少女による証言は、原告側の予想に反してとある致命的なミスを2つ起こしており、その誤算が壊滅的な被害をもたらしたのである。
というのも、ギガントピテクスを神聖視するインド国内において今回の証言は、冒涜に等しいという声が次々に上がっており、神の使いと初めて接触を果たした笹壁氏を、悪魔と表現したことは大変に許し難い行為であった。
つまるところ、大手ネットメディアは今回の証言のせいでインド国内の人々の膨大な怒りを買ってしまったのである。これが1つ目のミスだ。インドにおけるギガントピテクスの価値観をあまりにも軽視しすぎていた。
さらにもうひとつ。
これはメディアだけでなく、この証言を鼻高々と有利な材料として用意した原告側のミスとも言えよう。
彼らは、ギガントピテクスに対して単なる平凡な動物という認識を持ったまま、記事および裁判に持ち込んでしまった。
ギガントピテクスといえば、今や生物上2番目どころか人間に匹敵するほどの頭脳を持つ、賢いという言葉を逸脱した生物だ。
ここまで言えば分かるだろう。
ギガントピテクスは通常の人間と同様、証人としての能力は十分にある。つまるところ、裁判官からの質問に対して的確に答えることが出来るほどの知能を有している…というわけだ。
従って、被告側の弁護人はギガントピテクスを証人として召喚するように提言したのである。
裁判が行われてから5日。
テレビ通話を利用して行われたギガントピテクスに対する証人尋問は、極めて被告側に有利な状況を生み出した。
なにせ『笹壁 亮吾氏はあなた達に密猟者を殺すようけしかけたか?』という問に対して、首を横に振りながら手話でハッキリと否定したのである。
加えて当時調査部隊を指揮していた陸軍の関係者は、記事で述べられていた状況と実際の状況が一致しないことを明らかにした。
この証言を機に、ネット記事が真っ赤な嘘であることが一気に広まり、再び世論は被告側の絶対的な擁護に傾いた。
日間の順位が気になる今日この頃。




