動向
我らとて馬鹿ではない。
プレシオサウルス移送作戦の決行に伴い、様々な下準備をすることは当たり前で、周辺住民に対する説明(嘘)はもちろんのこと、偽装に伴う様々な仕掛けも済ませた状態に持っていくのはさほど時間もかからなかった。
長距離を手漕ぎボートで移動する。それだけで無謀にも思えるが、こちとら人員だけは余るほどいるので、疲れ知らずのローテーション作戦で攻めまくった。それも派遣された警察や軍、及び腕っ節に覚えのある体育会系の研究者を集めて即席で設立されたボート部はそれはそれはすごい活躍を見せてくれた。
真夜中に行われる移送作戦は綿密に組まれた計画により順調に進んでいった。基本的に夜行性のプレシオサウルスは明朝になると活動を止めて眠りに入ってしまう。日中は体色変化を行って周辺の環境に擬態しているので、水面から肉眼で視認することは常人には困難である。
水の底に沈む岩の質感や、川の流れ、日照による陰影等々、完璧に再現し、ステルス能力宜しく完璧に姿を消す。すぐ近くで動向を監視していた我々ですら、一瞬消えてしまったかと勘違いしたほどだ。
この性質が幸いし、移送はかなり順調に進んだ。
一方、ボートに乗って先導している我々は周辺住民に怪しまれぬよう、基本的に野営を行うボーイスカウトの集団に変装していた。
日本国内でボーイスカウトはかなり珍しい存在だが、諸外国では広く知られており年齢層も幅広い。極秘での移送の関係上、子供がいないせいでイカつい男共が短パンを履いてキャンプをしているその様は、傍から見れば異様だが、怪しまれた際には適当な理由をつけて誤魔化せば問題ない。
日中は基本的に電波を使って本拠地と連絡を取りながら今後の予定を詰めたり、夜中の先導に伴って仮眠をとったり割と暇だった。
夜中にボートを漕いで、昼には寝てを繰り返しているせいで完全に昼夜が逆転しており、精神的な疲れは否めない。ボートを漕ぐ人員は日中に二陣、三陣と別働隊と交代しているため、さほど苦労は無さそうだが、先導のためにリンゴの切れ端を水面に付け続ける俺は、初日からずっとキャンプ生活をしている。ミケランジェロ博士も同様にボートに乗りながらプレシオサウルスの容態を逐一観察している。
早く終わってくれと願い続け、ようやくガリー湖にたどり着いたのは作戦の決行から3日後の事だった。時々、ネス湖に向かう観光客の車列に出くわして冷や汗をかいたこともあったが、ここまで順調に作戦を遂行できたのも偏に皆のおかげである。
イギリス政府は、極秘裏に今回の移送計画をサポートしてくれており、衛星カメラからの映像をストップさせ、移動中のボート周辺をサーモカメラを使って監視する等、万全な助力を全身全霊で行ってくれた。
さて、安心するのもつかの間。
ガリー湖に着いたはいいものの、研究するための区域にプレシオサウルスを誘導する必要がある。まだまだ道のりは長い。
ガリー湖の入江から研究所までのルートは、湖を突っ切るのではなく湖岸に沿ってもぐるりと周回する必要がある。何故かと言われれば、もしもの時に岸が近い方が何かと便利だということと、明朝までに研究区域に誘導できなかった場合、我々は湖上でキャンプを設営するか、湖のど真ん中にプレシオサウルスを放置して岸に向かう必要がある。
そんなことしたら、ろくに監視することも出来ない。故に岸沿いにボートを進め誘導していく。ガリー湖はネス湖と同じように細く長い、したがって移動時間は比例するように長くなる。
幸い研究区域は人気のない湖の岸辺に作られており、湖の端に位置しているという訳では無い。今まで移動してきた距離に比べれば格段に近い位置に研究所はある。もうすぐ着くぞという期待を胸に、水面を滑ること、数時間、ポツンと建つ小さなトタン製の小屋から微かな光が漏れていることに気がついた。
一見ボロボロの小屋のようだが、これこそが新しい研究所なのである。
小屋付近にプレシオサウルスを誘導したところで、数百メートル先の岸辺から高速で移動できるエンジンを積んだボートが一気に扇形に散った。
瞬間、白い浮き玉が小屋の周りを大きく覆うように展開された。
一瞬にして研究区域の完成だ。等間隔に並ぶ浮き玉の間には鎖状の網が貼られており、区域の外には出られないようになっている。ただこれだけでは心もとないので、更に二重、三重と網を展開しさらに強固な檻を作った。
少し可哀想だが、研究のためと水深15メートルのガリー湖で放し飼いにするのは少々リスクが高いため、逃げれないようにする策を講じる他なかった。
湖底の至る所には湖の中を見ることができるように、水中の暗視カメラが設置されている。監視カメラの映像はリアルタイムでネス湖とここガリー湖の研究所に送られ、何時でも容態を見ることが出来る。
さて肝心なガリー湖の研究所だが、ボロ小屋の下に巨大な地下研究室を設置したので、何ら問題は無い。むしろ以前に比べて秘匿性に優れていることから、内心ワクワクしている。
ボロ小屋の木板の貼られた床をめくると、地下へと続く狭い階段が新研究所の入口だ。どうやったらこんな短期間で巨大な地下研究室を作れたのかは疑問が生まれるが、世の中詮索しない方がいいこともあるだろう。噂だと、イギリス王室やら、MI6が関わっているとかいないとか…真相は謎である。
地下研究室には湖底を覗くことが出来る巨大なガラスが貼られており、プレシオサウルスの動きを見ることが出来る他、前の研究室同様、様々な機器が所狭しと並べられ、様々な検査をすることが可能である。
何もかも順調。
そう思っていた矢先の出来事だった。
ガリー湖での研究が進む中、一人の研究員がマスコミに匿名でタレコミをしたのである。プレシオサウルスの居場所から生体、活動時間についてこと細かく話したせいで、翌日の新聞に一面記事で我々研究員しか知らない情報がでかでかと掲載された。当然、政府は記事の発行をすぐさま止めるよう指示したものの、新聞社側はこれを拒否、訴訟も辞さない構えをチラつかせても一向に首を縦に振らないせいで、どんどんと情報が流出し我々の苦労は水の泡と化したのである。
すでにタレコミをした研究員は判明しており、それ相応の処罰が下るという。秘匿義務のある契約書にサインして、違約した場合の措置もこと細かく伝えられていたのにも関わらず、目先の金欲しさに取り返しのつかないことをしたのは到底許し難い事だが、今やることは犯人に対する責任の追求ではなく、ゾロゾロと集まってきたマスコミや観光客への対抗策だ。
当初は研究所周辺を立ち入り禁止区域として制定し、立ち入ったものを不法侵入者として取り押さえることができるよう、国側も色々と対策を進めていたが、一人二人と拘束者が増えていくにつれて、人数はどんどん増していき、更には拘束を振り切って中に侵入しようとするものが現れるため、一日に数十人の逮捕者が出るのは当たり前となった。
更には集まってきた人間が暴徒化、及び無断の宿泊や占拠をし始めたため我々だけでは手に負えず軍が出動する騒ぎになった。
軍の出動で一度騒ぎは収まったものの、未だ収束は見られず、徐々に見物人も雪だるま式に増えてきて、手の施しようがなくなってしまった。
ここまでかと半ば諦めていたが、さすがは先進国イギリス、正攻法がダメならと強硬手段に打って出た。
プロパガンダを出したのである。それもインフルエンサーと呼ばれる影響力の強い人間や、国とズブズブの関係の広告会社が全面的に手を組んで、プレシオサウルスに関する情報の捏造及び、生態系を脅かすことをやめようという運動を次々と流行らせて行った。
ネット社会の現代において、ネット上の出来事は世論に大きく反映される。もしも海外の著名人が多発的にプレシオサウルス生体保護運動と銘打って、ガリー湖周辺の野次馬を批判したら世間はどう言った反応を見せるだろうか。
それまで、大多数の意見がプレシオサウルスへの関心だったのにも関わらず、今回のプロパガンダで静観しようという動きが主流となり、強行的な取材を行うマスコミや野次馬たちに対する視線は必然的に厳しくなっていった。
プロパガンダは時に恐ろしい事件を生むことが多々あるだろう、ナイラ証言がその典型的な例だが、時に嘘の情報を流布することは良い結果に流れることもある。
ちなみにその後のプレシオサウルスの動向について知るものは数少ない。私とミケランジェロ博士と国のお偉いさん数名のみ。生態についての研究が終わった現在は、ロッキー湖で悠々自適に生活しているとかいないとか…。
いずれにせよ、今回の調査は失敗と言ってもいい。なにせ、調査を始めたせいでプレシオサウルスが発見され、本来住んでいたネス湖を追われることになったのだから。
余談だが、プレシオサウルスは単為生殖である。つまるところ、メスオスの個体はなく、生涯に2匹だけ子供を産み、片方は生き片方は必ず死んでしまうという。それまで人間から隠れ続けるためにあえて個体数を減らして種の存続を図る生物は極めて稀だとか。