発見による余波
発見の翌日。興奮のあまり寝付くことの出来なかった研究員一同は、軒並み、ボートの上で撮影した映像から様々な解析を行い考察を羅列していった。
映像に残されたプレシオサウルスは体表の色素を変化させる特性を持ち合わせており、まだ断定はしていないもののカメレオンやイカなど体色変化能力を有するこれまでの生物とは全く異なる組織を保有している可能性が高いという。
通常、色素の変化は気温や環境に応じて決められた色に変化するのが常識であるが、プレシオサウルスの色素変化は幅広いどころの話ではないらしく、寒色系から暖色系までありとあらゆる色に擬態することが出来るのだという。
あくまで未だ推論の域はでないが、これほどまでに幅広い体色変化を有している生物は前代未聞。科学的分野における応用の余地は無限大だという。
発見及び研究の進捗は翌日の昼頃には上層部に伝えられた。マスコミに対する情報を規制するため、発見のことについての箝口令が敷かれ、リーク防止のため研究員のSNSを一時的に使用禁止とし、調査の更なる遂行を発出した。
また、研究に際してプレシオサウルス関連の法案は適用されないとし、節度を保ちながらの接触を今後とも続けていくべしとのお達しだった。
発見から2日後の夜、再び湖へとボートを漕ぎ出した我々は先日とはまた違ったポイントでプレシオサウルスと接触を図った。
今度はミケランジェロさんの助手であるエミリーさんも乗せて、より詳細な研究のために体表から粘液を採取することを目的とし、今まで以上に慎重な調査となった。
水面に現れたプレシオサウルスは既に我々の顔を覚えているのか嬉しそうに鳴きながらこちらへと寄ってきた。それまで影すらも見せなかったのに、慣れれば人懐っこいというツンデレな性格は非常に人間らしい。
ボートの先から身を乗り出し、体温を伝えないために手袋を入念にはめた後、体液の採取を行う。試験管の口をツルツルとした皮膚に滑らせれば、少量の透明度の高い体液が取れ、その場で小型の冷凍保存装置にしまわれた。
本来ならこれで調査は終了だが、貰うだけ貰って早々に帰るのは相手にもいい気がしないので、今度はこちらからプレゼントを行うことにした。
ボートに敷き詰められた保冷バッグの中から大量の食材を取り出す。無菌状態にした様々な食材をこれでもかと持ってきた。一応類似の生物と思われる、鳥、クジラ、ワニ等々、様々な動物の捕食可能な食材を考慮してその中の範囲を持ってきた迄に過ぎない。
単にこれは餌付けをするための安直な行為ではなく、普段どのようなものを食べているのかを知るためにも必要不可欠な調査の一環だ。
なので決して餌付けでは無い、可愛いからと言って餌をあげようとは思わない、美味しそうに食べる姿をうっとりしながら見る気もない。決して。
『さぁ、何が好きかなぁ…よしよし』
『博士…ずるいです』
「…ずるいですはおかしいよね…。調査ですよこれ」
『さぁさぁ、好きなだけお食べ』
「もう顔から笑顔がこぼれ落ちてる…ダメだこの人、ネッシーにデレデレになってるわ…」
感情を隠しきれない博士と助手を尻目に、映像を撮影する。
食べてる姿も貴重この上ない、この瞬間を余すことなく文明の利器を使って後世に残すことは重要な役割だ。
肉。
野菜。
果物。
藻。
花。
蜂蜜。
様々な食材を与えて様子を見る。
中でも気に入ったのはリンゴだった。皮ごとムシャムシャと食べて満足そうに首を振ると次々と口の中に運んで行った。
結局、全ての食材を平らげてしまったプレシオサウルスは満足したのかこちらに一礼し湖の中へと戻って行った。また来るからねーと手を振りながら別れを惜しんでいたミケランジェロ博士は、帰りのボートでシュンとしていた。
採取された粘液はそれはそれは慎重に扱われた。
捕食物調査の際に副産物として採取できた唾液も同様である。様々な鑑定が行われた結果、目撃例のあったプレシオサウルスであることは間違いないという結果が出た。
古生物の解明は難しく、化石という僅かな手がかりのみで憶測しなければならない。しかし今回プレシオサウルスが生きた状態で見つかったという事実は、生物学における歴史的瞬間に他ならない。
体色変化能力を疾うの昔から有していたかは定かではないが、その姿形を変えぬまま進化し現代に至る所以や、複数の個体が居るか否かの調査も今後行われる予定だ。
調査は順調。
と思われた。
発見から6日後、政府が正式にプレシオサウルスの発見を大々的に発表して翌日の出来事である。ネス湖周辺にこれでもかと言うほどの観光客がごった返していた。当然、調査にあたって立ち入りを禁止しているため部外者は立ち入ることが出来ないが、問題はネス湖周辺に住まう地域の人々だった。
ネス湖は言わば観光名所、ネス湖の怪物というある種のおとぎ話で活気を見せ、生計を立てていた人は大勢いる。当然お土産ショップ等もネス湖周辺に建てられ、帰り際に買って帰る観光客も少なくはない。
ここ連日の封鎖に伴い観光客の足取りは必然的にゼロになった。
政府からの補助金は出ていたので今までとやかくは言わなかったが、本当にネッシーが見つかったとなれば話は別で、いわば、かきいれ時の今日この頃、せっかく来てくれた大勢の観光客をネス湖に入れないとは何事だと抗議が殺到したのである。
警察による事態の沈静化は図られたものの、未だ落ち着きは見せず騒ぎは夜まで続いた。
さらに、ネス湖が海と繋がっているせいで船で湖内に侵入してくる不届き者も現れた。不届き者は海外では有名な迷惑系の動画配信者でネッシーの捕獲をするために大型のクルーザーを借りてわざわざ川を上って来たのだという。当然その男は警察に移送された。
ここまではなんら問題ない。
ハプニング程度の軽い出来事だ。
ただその後のことがやばかった。
具体的に述べると、アメリカのIT企業の社長がネス湖周辺の土地を買収すると言い出したのである。周辺の土地を買収した後、リゾートホテルの建設を行いプレシオサウルスを掲げて本格的な観光産業に乗り出すと大々的に発表した。
そのせいでさらに熱は加速していき、マスコミによるヘリの空撮や、リゾートホテル建設に反対する近隣住民の大規模なデモ等々、騒ぎはかなり大きくなってしまった。
騒ぎのせいで調査は続投できなかった。
というのも、何を察知したのかデモが起こり始めた日からプレシオサウルスの姿が全く見られなくなったのである。
長年姿を隠してきた警戒心の強い生物だ、当然異常を嗅ぎつける察知能力は並の動物を凌駕しているだろう。恐らくプレシオサウルスは平穏に暮らすことを望んでいるに違いない。
かと言ってネス湖から移送するのはデモの業火に油を注ぐようなものだ。そもそもプレシオサウルスの身体が大きくて短時間で簡単に移動できないため、秘密裏に…というのは実質的に不可能だ。
このままでは調査を行うことは困難だという結果に至った我々は、プレシオサウルスを移送することに決めた。
ちょっと待て。上記に移送するのは色々なデメリットがあるし、そもそも無理だと言っていたでは無いか…と思う者もいるだろうがまず全容を聞いて欲しい。
プレシオサウルスの移送は確かに難しい、正当な理由がなければ近隣住民は納得してくれないだろうし、移送するにしても巨体を安易に動かす装置がない。
ならばどうするか、正当な理由がなければ作ってしまえばいい、移送する装置がなければ生物自身で泳いでもらえばいい。
そうと決まれば実行に移すのみ。
近隣住民には本当と嘘が混じったこれでもかという理由を書類にして配布し、了承の署名まで取る事に成功した。理由は挙げればキリがないが、本当のことは1割程度しか含んでいない。署名を集めれば後は移送するのみ、移送先はどこか…実はネス湖は海にも繋がっているが川を通じて様々な湖にも繋がっている。
選択肢は無限大だ。
ただしあまり遠すぎてもプレシオサウルスに負担がかかってしまう。であればどうするか。
ネス湖から隣にあるオイック湖まで誘導し、そのまま曲がってガリー湖まで向かう。ガリー湖では建前で水質検査用の施設が臨時で建つ旨を周辺住民に伝えておき、湖の端にある広大な一帯をぐるりと網で囲んでしまうのである。網の中にプレシオサウルスを入れ、極秘で調査を行った後、そのまま隣のロッキー湖に移送して終了だ。
ロッキー湖に移送後は、ネス湖にプレシオサウルスは戻したと嘘のニュースをばらまけば存在しないネス湖の怪物を作り出すことは容易である。つまるところ、調査のためにガリー湖へ、そして新しい生活拠点のためにロッキー湖へ移送するという壮大な計画である。
プレシオサウルスの捕食物は雑食なため、ネス湖同様の環境であるロッキー湖ならば容易に生きることは可能だ。
移送中にマスコミにバレないよう人のいない時間帯を狙って静かに移動する。移動中、明朝になったらその場で停滞し再び夜になったら移動を繰り返していく。かなり地道な作業だ。
ちなみにフェイクの調査目的の移送先として、本来使う予定だった保護施設を近隣住民にも説明しているためなんら問題は無い。
さて肝心の我々の移動手段だが。
なんと手漕ぎボートである。