裏山
帰りがけ、早速自治体に寄って諸々の申請をすることにした。オオカミは人に危害を加えることの出来る特定動物であるが故に、飼育には特別な許可がいるとの事で、初日の保護は致し方ないものではあるものの、ニホンオオカミと知っていながら申請をせずに保護するのは完全に法律に引っかかる。
悲しいが、しばらくの間はこの狼とはお別れである。
一応動物病院から自治体に連絡は行っていたので、自治体側も万全に迎え入れる準備はしてくれていた。それでも、かなりパニックになっていた。何せ絶滅したはずの動物がやってきたのだから、てんやわんやの大騒ぎである。
申請にかかるお金を近場のATMでおろし、申請をした後、やってきた警察官に狼は保護された。許可が降りるまでの間は当然、飼育保護することは出来ないため暫くは警察が厳重に保護するとのこと。
警察側もかなり慎重なようで、超貴重な狼の保護であるが故に、常時獣医師が付き添いながら体調の経過を見るらしい。かなり事が大きくなっているので、このまま国によって保護されるのではないかと思えてきた。
裏山に放されるのか、特別な施設で管理するのかは定かではないが、殺されないことを願うばかりである。
翌日、自宅の前に数台の車が停まった。
戸を開けるとそこには、警察官数名と眼鏡をかけた男性一人が佇んでいた。
「突然の訪問申し訳ありません、私こういうものです」
男性は、懐から名刺を取りだした。
「東京大学...教授...花神 誠治さん...」
「はい、私東京大学で教授兼生物学の研究をしている花神と申します。本日伺った用件はですね、一昨日保護されましたオオカミについて少々お話をお聞かせ願いたいと思いまして」
「は、はぁ...まぁ、汚いですが上がってください...」
「失礼します」
男性と警官数名を招き入れ。茶を沸かす。
ふと、花神さんは驚いたように声を上げた。
「こ、この畳は...もしやニホンオオカミが寝転がった畳ですかな...泥が付いておりますが」
「え、えぇ...なかなか落ちないもんで...」
「左様ですか...いやはやしかし、ニホンオオカミが現代になって現れるとは...驚きですな」
「あまり...実感は湧きませんが。あ、茶が沸きましたよ...どうぞ」
「あぁ、すいません...いただきます」
ちゃぶ台の上に茶を4つ出し、向かい合うように座る。花神さんは持ってきていたバッグから数枚の資料を取り出すとちゃぶ台の上に広げた。
「実はですね、ニホンオオカミが発見されることは我々としても想定はしておらず...如何せんもろもろの決まりを作るにはかなり時間がかかっておりまして...単刀直入に言いますと、このままニホンオオカミを笹壁さん宅で保護されるのは困難かと思われます」
「なるほど...」
「えぇ、不満に思うのもご尤もですが、如何せんニホンオオカミは絶滅していたと思われていた生物ですからね、それが見つかったとなれば厳重な保護が必要になるわけですよ...それも国レベルで...」
「...まぁ、覚悟の上ですが」
「検査や保護の方法等これから行われることは多くありまして...まずは保護されました笹壁さんに当時の状況をお伺いしようかと」
「簡単にでいいのなら」
「えぇ、ぜひとも」
その後、あの狼と出会った顛末を話した。
裏山に面した窓を引っ掻いていたこと、食事を与えたこと、体を洗ってやった事、動物病院に連れていったこと、簡易的にであるものの詳細に話したつもりである。
「あの...保護されるってなると...動物園とかですかね」
「動物園も極めて難しいですね...そもそも公衆の面前に晒すか否か...元の生態系に返す可能性もありますが...そこで死んでしまった場合取り返しがつきませんからな...」
「自分としては...また会いたいので。動物園で大切に育ててもらいたいんですけど...」
「健康状態に関する検査が済み次第...ですがね。いずれにせよ調査目的等で殺すことは毛頭ありません。かのオオカミが日本最後のニホンオオカミとならぬように大切に保護していくことが我々の使命ですから...もしかしたらですが、クローン等の作成も十分にありうるやも知れませんな」
「クローン?」
「えぇ、山に番や子供がいることが証明されない限り、個体数の増殖を図るためにも最新のクローン技術を使う可能性もあります。恐らく...いるとは思いますがね」
「じゃあ、裏山は国とかが管理する可能性もあるってことですか」
「えぇ、たしか裏山は笹壁さんが所有する土地でしたよね」
「はい」
「だとすると笹壁さんの言っていた通り、裏山を国が買い取って直接自然環境を保護する可能性はありうるでしょうな。売ってくれと言ってきた場合、如何程で手放しますか」
「...土地は俺が、保護管理は国が...っていう方式には出来ないんですか」
「うーむ、難しいところですな...でも、あくまで山を購入するのは狼の保護のため...裏山を切り開こうなどという考えは毛頭ありません」
正直いって裏山に踏み込んだことが人生で一度もない。せいぜい両親が山に自生する松茸や山菜を採ってくるだけで、さして役には立っていなかった。利点があるとすれば山の奥に綺麗な沢がある程度だ。
まぁ、そのせいで夏場の夜になると虫が大量に寄ってくる。蛍が見れる分にはまだいいが、デカい蛾は来て欲しくないのが本音である。
「売ってもいいですけど...」
その時である。
裏山に面した窓が再び何かによって叩かれた。
コツコツという音とともに、爪か何かで引っかかれているようだった。
何事かと思い窓を開けてみると、そこには一匹のイタチのような生物がいた。
「イタチ...」
「カワウソだ...」
「は?」
「...ニホンカワウソ。紛れもなく」
また面倒なことになりそうだ。