Last Christmas
翌朝、ホテルのドアを誰かがノックしたので何事かとドアスコープを覗いてみると、そこにはリクルートスーツのような硬派な服に身を包んだ桃谷さんがちょこんと立っていた。急いで寝癖を洗面台で直し、最低限身なりを整えた上で、ようやく扉を開けた、この間わずか30秒、マイペースな自分としては頑張った方だ。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
「朝刊、要りますか?」
「あ、もらいます」
俺と花神教授の姿がデカデカと掲載された新聞を受け取る。
「今日の予定を簡単に……まず、朝10時から首相官邸にて表敬訪問があります」
「……はい」
「その後に、簡単な記者会見……といっても、2、3分で終わる囲み取材程度です。答える内容はあらかじめこちらから指示しますので、それに沿って応答していただけると幸いです。」
「具体的には……」
「国際問題になりうる事柄や宗教、右翼左翼どちらかに偏った思想を連想させる発言は控えることと、絶滅動物などに関すること以外の関係のない質問には答えないでください」
「わかりました……」
「暗記するようなめんどくさい作業はないので、安心してくださいね」
「はい」
「服装に関しましては、こちらで用意した複数の中からお選びください。朝食後、部屋に運んでおきますので、9時15分前後までには諸々の用事は済ませておいてください」
失礼しますと去っていった彼女を見て肩の力が抜ける。
早朝に女性に突然訪問されるのは心臓に悪い。
朝食は花神教授と桃谷さんの三人で食べた。ホテル内にある和食屋で朝の定食を存分に堪能させてもらった。他の利用客に顔を見られるたびに「笹壁博士だ」と小声で囁かれ、『おい、笹壁!』的な指名手配でもされている気分になった。
鯖の塩焼きを平らげ、部屋に戻るとラックにかけられた大量のスーツがドンと置かれていた。全11着、その中から一つを選ぶなんてファッションに疎い自分にとっては、無理難題にも程がある。
と思いきや、ほとんどのスーツが同じようなシックな色合いで、唯一変わっている点といえば、わかりにくい柄のみだったので心配は杞憂に終わった。選んだのは少し明るめの紺色が印象的なシンプルなスーツ。ネクタイも暗めの赤色。シンプルイズベスト、である。
着替えを終え、髪を整えたら、荷物を持ってロビーに向かった。合流した花神教授の服装もシンプルなもので、奇抜な服装をしている人間は誰もいなかった。エントランスに横付けされた車に乗り込み首相官邸に向かう。天気はあいにくの曇り、12月中旬に差し掛かりつつあるこの時期に、太陽が出ていないのは少し辛い……と、東北育ちの自分が言うくらいには結構寒い。
ものすごい数の警察官が強固に守る入り口から車は入り、無事首相官邸に到着した。ここに来るのは二度目になるがいまだに慣れることはない。たくさんのフラッシュを浴びながら近代的な建物の中に入る。控室に案内され待つこと30分、桃谷さんに呼ばれ会談するための部屋に入った。その部屋にもびっしりと記者がおり、少し動いただけでもシャッターを切られるので、なかなか落ち着かなかった。
それから10分後、内閣総理大臣が現れた。
話したことは、特に当たり障りのない質問や激励の言葉ばかりだった。ギガントピテクスは大きかったかと聞かれた時は、大きかったですと答えただけで特に深掘りされるわけでもなかった。特段、思案に浸るような質問は無かったため緊張は後半になるにつれて薄れていった。
表敬訪問が終わり、記者たちからの囲み取材も行われたが、普段政治を専門としている記者ばかりのため、質問の内容は専門的なものでなく、一般的なものにとどまった。まだドードーを見つけたときの友人、田中の方がいい質問をしてた気がする。それでも囲み取材の時間がオーバーするわけでもなく時間通りに終わったため、結果として良かったと言えよう。
一体、首相官邸に向かう前の緊張はなんだったのかと問いたいほど、あっという間に表敬訪問は終わった。ホテルに帰っている途中、隣に座っている桃谷さんが電話に出たと思ったら衝撃の事柄を伝えてきた。
「笹壁さん、テレビに出られますか?」
「はい?」
「今、NHKから連絡があって。笹壁さんを是非今年の紅白のゲストに迎えたいと。審査員は既に決定しているので、特別ゲストって感じですかね……」
「紅白……ですか?」
「はい。12月31日にご予定は?」
「あ、いや……無いです。てか紅白...ですか?」
「そうです、紅白です。花神教授もご一緒です」
「……なるほど。紅白……ですか……」
あまりにも唐突すぎて2回も聞き直してしまった。
「どうされます?」
「考えておきます……」
「12月20日までにお返事願います」
「はい……」
「あと、内閣総理大臣顕彰授与式、インド大使館表敬訪問、オランダ大使館表敬訪問等の予定もありますので、今日はホテルで静養してください。テレビの取材や、顧問として事務局での会議出席なんかもありますから」
多忙すぎて、早く山形に帰りたい。
結局、少しでも休みたい気持ちから紅白に出ることを見送った後、多忙な予定を次々と消化し12月も終わりを迎えつつあった。イルミネーションで彩られた街中はすっかりクリスマスムード一色になり、ラッピングされた大きなおもちゃを片手に帰宅するサラリーマンもチラホラ見受けられた。
我が家のクリスマスの思い出といえば、食卓に並ぶのはケンタッキーや七面鳥でなく、専らカモや雉などの野生生物に限られた。わざわざ隣町の百貨店に行って、クリスマスのチキンを予約することも無いため、父は張り切って狩りに出かけた。
不作の年は、近所の米農家からカモを譲って貰うため、脂身の美味い肉をつまみながら、酒を飲んでしょぼくれている父が時たま現れることになる。病気で父の後を追うように早く死んだ母の作るケーキは、素朴ながらもかなり美味しかった思い出がある。村で取れる栗をふんだんに使用した、栗の味が濃すぎるモンブランは俺の大好物になりつつあった。
母の残したレシピは今でも家の戸棚に入っているので、通常の2倍栗を入れる濃厚モンブランを作ることは今でも可能である。今度帰ったら久方ぶりに作ってみようか……。
ホテルの部屋に籠り、ニホンオオカミの動向について記された書類を読んでいると、扉がノックされた。桃谷さんだろうかと思いながら扉を開けるとそこには花神教授が立っていた。
「こんばんは」
「こんばんは……どうしたんですか」
「少しいいですか」
「嗚呼、はい……コーヒー淹れますね」
「いやいや、いいんだ。立ち話程度で終わりますから」
そう言うと、教授は神妙な面持ちで話し始めた。
「実はしばらく諸事情で実家に帰ることになったんです。いわゆる法事ってやつで」
「それは……ご冥福をお祈りします」
「すいません……で、その間、桃谷さんをどうかお願いできませんか」
「おねがい?」
「えぇ……実はクリスマスに私とそして妻と、桃谷さんとですこし予定を入れてたんですよ。笹壁さんも誘おうと思ってたんですけど……如何せん兄がぽっくり逝ってしまいまして……だから、妻と一緒に実家に帰るので計画はおじゃんに……」
「なるほど」
「桃谷さん、楽しみにしてたんですよ……」
「用事の埋め合わせをしてくれ……ってことですか。それ俺でいいんですか」
「そりゃもちろん……あ、これは言わない方が良かったかも……忘れてください」
「……あやしい」
焦って訂正した教授に若干目を細める。
「とにかく……彼女をお願いします。お金はこちらで払いますから」
「いや、いいんですよ全然。ちょうどクリスマスイブに孤独死しそうだったので、桃谷さんと過ごせるなんて逆にラッキーですよ」
「それは良かった……えぇと、年明けまで会うことはないのでこれでしばしのお別れですね……良いお年を」
「良いお年を」
今日は12月23日。明日はクリスマス・イブだ。
俺はスマホでWham!の『Last Christmas』を流した。この曲、失恋の曲らしいけど、聴いてる限り華やかなクリスマスソングにしか聞こえない。英語の意味が分かる桃谷さんと俺では、この曲に対する捉え方が違うのかもしれない、なら他にもそういう曲があるんじゃないか……? とどうでもいいことを思案してしまう、『おい、笹壁!』こと俺であった。