手術
人間というものは時にして、経験したことの無い強烈な光景を目の当たりにすると一歩も動けず硬直してしまうことがある。世の中で、ましてや日本において、コンビニ強盗に遭遇したことのある人間はまぁ少ないと言ってもいい。何万人に1人...という確率は定かではないが、遭遇する確率はそれこそ、当たり付きのアイスキャンデーを当選させる確率よりもずっとずっと低い。
確率が低いということは経験したことの無い人間が多い、そんな彼ら彼女らが、いざ目の前で強盗の現場を目撃するようなことがあればどうするだろうか。後ろから飛びかかって犯人を取り押さえる?または、犯人にバレないように盗撮し、犯人逮捕の手柄を打ち立てる?
はっきり言おう、いざコンビニ強盗の現場に出くわすと、大半の人間がその場で何もすることが出来ないはずだ。我々は客であり一般人、強盗が来た時の完全マニュアルを熟知しているわけでもなければ、映画のように犯人をコテンパンに伸すことは不可能である。
なぜなら殺されたくないから。
相手が容易く命を刈り取れる武器を持っていれば、命の危険を犯して大手柄を立てることは余程正義感の強い人間か、緊張感というリミッターが少しだけ外れている人間に限られる。
純然に相手を取り抑えようと考える人間は恐らく、相手よりも自分の方が強いであろうと確信している人間に限られるだろう。
さて、こんなに長ったらしく無駄話を展開していたのには訳がある。
大量の銃を携えた兵士とて、眼前に現れた巨大な怪物を前には何もすることが出来ない。のである。
森林を突き進む調査隊が遭遇したのは、超巨大なギガントピテクスであった。
『...銃をおろせ...一歩も動くな』
調査隊を率いていた指揮官が、囁くように呟いた。静けさに包まれた真夜中の森林、小さな囁きは嫌な程に全員の耳に届いていた。
銃を下ろせ?一歩も動くな?そんなことは端からやっている。
全員が銃口を真下に向け、冷や汗を背に滲ませながら三匹の怪物をただひたすら眺めていた。
ふと、そんな怪物の背から、緊迫感の流れる状況に似つかわしくない明るい声色で、顔をひょっこりとだす東洋人が現れた。
「笹壁です!」
失踪した張本人、笹壁亮吾。さも彼は、眼前の怪物の子のようにその巨体から体を乗り出していた。軍が率いる調査隊に対峙する怪物とその怪物の背に担がれた東洋人 笹壁。カオスである。
「さ、笹壁さん!無事でしたか!」
調査隊の後方から顔をのぞかせた花神教授が、笹壁の安否を図る。
「えぇ、無事です!ちょっと担がれてますけど」
「無事でよかったです!いま、そちらに向かいますので!ちょっと待っててください!」
「はい!あ、銃とか向けないように言って貰えますか!!かなり警戒してます!!」
「分かりました!!」
花神の説得により、調査隊は銃をその場に捨て丸腰状態になった。拮抗していた状況が少しだけ緩和し、四足で臨戦状態だったピテクス達は、ゆったりとその場に腰をかけ、笹壁を地面に下ろした。
しかし座ってもなおデカい。その場にいる大半の人間が、巨大なギガントピテクスを見て未だビビっている。
「いやぁ、良かったですよ。急にいなくなったんで...つい密猟者に拉致されたかと...」
「あはは...それらしき人とは遭遇しましたけどね」
「え、大丈夫でしたか!?」
「えぇ、...彼らが撃退してくれました」
「そうですか...」
笹壁とて、この状況で『ギガントピテクスが密猟者をぶっ殺した』と言えば状況が悪化することは察しが付いていた。笹壁は彼らが決して凶暴な生き物ではないと考えていた。
たった1、2時間程度共に過ごしただけで、動物の性格が分かるというのは甚だ無理な話ではあるものの、実際、笹壁自身、彼らに乱暴に扱われた記憶は無いし、臨戦状態ではあったものの調査隊と血で血を洗う激闘を繰り広げた訳でもない。
相手は動物でも人間に限りなく近い霊長類の一種だ、もしかしたら密猟者を覚えていただとか、敵対心を持った人間が銃を発射したことを皮切りに反撃しただとか、何かしらの分別をつけているのかもしれないと笹壁は思った。もしも凶暴なら、とっくに銃を携えた調査隊に襲いかかっているはずだ、攻撃しなければ反撃はしてこない、少なくとも良心的な気持ちで接すれば危険性は極めて低いと思われる。
「この大きさなら、密猟者を撃退できるのも頷けますな」
「まぁ.....そうだ、こんな悠長に話している場合じゃないんですよ」
「どうかしたんですか?」
「あの、自分...彼らの巣穴に行ったんですけど。その、ボス猿の腕に傷があって...恐らく撃たれたのかと」
「...。Let's go to their den right now.
It is a situation to compete for moment when I would like a request in the medical group!」
「英語...」
急に流暢な英語で調査隊に指示を飛ばした花神教授を見て、呆然と立ち尽くす。
「ヤバいです。一刻を争う事態...急いで巣穴に向かいましょう。緊急手術をします」
「わ、分かりました...あの。付いてきてください!」
「えぇ... Please arrive and go to the den.」
俺は全速力で道を引き返した。
巣穴に到着したのは20分後の事だった。
巣穴のすぐ側に木を切り開き、簡易的な平原を整えた後、救難信号用の真っ赤なスモークを焚いた。すぐさま駆けつけたヘリコプターが平原に着陸すると、中から大量の医療器具を携えた軍医や看護師、それにカローラも降りてきた。
『花神教授、状況は?』
『笹壁さんの話によると、右上腕部分に銃創が認められました。外出血量は少量、ただ...笹壁さんが遭遇したときから銃創が見られていたことから撃たれてかなり時間が経過しているかもしれない。銃弾は抜けておらず、未だ体内に残っている、衰弱した様子はないものの、危篤な状態に変わりはありません』
『分かりました。直ぐに銃弾の摘出を図ります』
大型のライトが巣穴を照らす。俺と花神教授が先陣を切って中に入った。
洞窟の中央に鎮座するボス猿の腕は赤く染っているものの、血溜まりは出来ておらず、幸いにも主要な血管を貫いてはいないようだった。
『..血液型が分からない限り輸血は出来ません。最悪の場合に備え、ここにいる個体から輸血用の血液を採取しつつ、弾丸を摘出しましょう』
『分かりました...準備を終え次第早急に手術を始めます』
洞窟内という特殊な立地ではあるものの、ものの数分で大規模な手術設備が構築されていく。他のギガントピテクスたちはそんな様子を物珍しそうに眺めていた。
「大丈夫だからな...オマエたちのボスはきっと治る」
「...」
言葉を理解したように小さく頷く一匹の傍らで、俺は手術の様子を見守った。
簡潔に言おう。
手術は成功した。弾丸による右上腕部における筋組織の裂傷は確認されたものの、銃弾の熱により組織が熱凝固したため、空気漏れは認められず裂傷部分の感染リスクもかなり低かったという。
撃たれたのがライフル弾だから良かったものの、散弾であれば出血量はもっと酷かったという。弾丸は分厚い筋組織に阻まれ骨に辿りつくこともなく比較的、上皮に近い部分で止まっていた、どちらかと言えば弾丸が撃ち込まれたのではなく、すこしだけ深く食い込んだという状況に近いらしい。
銃を撃たれてこんな平然としているのは、分厚い筋肉と体毛がクッションになったからだと言う。また、撃ち込まれたライフル弾が比較的低威力であることも起因しているのだとか。密猟者が使っている銃器が粗悪品で型が古いことが幸いした。
術後は経過観察のため、巣穴近くに緊急の拠点が設営された。心電図の異常があればすぐさま医療スタッフが駆けつけるようになっている。また、巣穴付近の警備が信じられないほど厳重になった。それこそ、日本の首相官邸なんか目じゃないほどに。
半径1キロをぐるりと囲むように土嚢が積まれ、簡易的な見張り台が設置された他、大量の監視カメラや重機関銃が置かれた。巣穴に入るのにも、特別に誂えた関係者用の証明書を提示する必要がある他、密猟者の一斉捜索が公園内で実施された。
ギガントピテクスの厳重な保護は超順調かつスピーディーに行われ、比例するように公に発表するのも早かった。インドのネロー首相は、今回発見された9匹のギガントピテクスは我々の国の宝であると豪語し、今後も継続的な保護を行っていくことを発表した。
国民が多ければそれだけ盛り上がりも大きくなり。
インド国内はギガントピテクス一色に染まりつつあった。SNSのトレンドは1週間連続1位を維持し続け、ギガントピテクスの歴史や生態について取り上げた番組に関しては視聴率30%を上回った。これは実質インド国内で4億1400万人が同じ番組を見ていたことになる。
さらに、ギガントピテクスのグッズ、キャラクターが作られた他、映画の制作を大手ボリウッド映画会社が発表した。経済効果は計り知れず、ギガントピテクス保護の発表をしてからインド国内の株価は全体的に右肩上がり。
インド国内は未曾有のギガントピテクス大フィーバーに沸いたのである。
そんな中、ネロー首相が会見の最中で放った一言が、全世界に大きな影響を及ぼした。会見の一部を抜粋する。
『今回、我が国で発見されたギガントピテクスですが。最初に発見したのが日本から招聘しました、ササカベ リョウゴ氏であります。彼は日本国内でニホンオオカミやニホンカワウソを発見した他、オランダではドードー発見の功績に多大なる寄与をしております...』
絶滅種を四種も発見している謎の日本人。
その名は俺の知らぬところで瞬く間に広まりつつあった。