デカさは、強さ
幼少の頃、生前の父に連れられ地元の動物園に象を見に行ったことがある。幼いながらに、その雄大な様に感動を覚えた。父は言った
『でかいものは動物だろうが車だろうが強い』
と。体積と強さは比例する。小さなキャラが大きい敵を倒す姿をアニメや特撮を通して見てきた自分としては、大きさと強さがイコールで結びつく自然の摂理は、妙に生々しく残酷に思えた。
今よりも昔、地元の猟友会が盛んだった頃。隣町に現れた熊を駆除しに行った父は、その猛威にやられこの世を去った。父の与えた一発は熊の命を刈り取るには十分だったものの、如何せん距離が近すぎた。
父が生涯で最後に狩った獲物は、初めて見たイノシシよりも、博物館にハンティングトロフィーとして飾られた巨大な雄鹿よりも、ずっとずっと大きかった。こんな怖いものに父は立ち向かったんだと、尊敬の念を込めながら、俺は告別した。
俺は今、死を覚悟していた。
眼前に聳え立つ怪物は、月明かりに照らされた黄褐色の目で俺を見下げていた。分厚い胸板、太い腕、姿形はオランウータンであれど、その筋骨隆々な様は同じ霊長類である、ゴリラに匹敵する。
腕を一振でもされれば、体は真横にへし折れるに違いない。生物として、明確なる劣等感と、敗北感、そして圧倒的絶望感を感じざるを得ないこの怪物。
「...」
デカい。あまりにもデカい。
こんな生物が、現代に居ていいのか。と、問いたくなるほどに大きく、そして強い。しかもそれが見た限り8匹は居る。
「...な、なんだよ」
オランウータンは不気味に笑うと、長い腕を伸ばし、俺の右腕を指さした。
「火...?」
右手に握られたライター。その先から出る小さな炎を、怪物達は奇妙に見つめていた。ここで、花神教授の言葉を思い出した。
『遭遇した場合は自分ではなく他のものに注意をそらすように』
俺はゆっくりと足を動かすと、何か着火性のあるものはないかと周りを見渡した。幸い、洞窟の中だが枝はある。ライターを掴む指先を痛めながら炎を絶やさず、つけ続ける。ゆっくりと動きながら枝をかき集め、片っぽの靴下に火をつけ枝の中に放り込んだ。
炎はみるみるうちに大きく燃え盛った。オランウータン特有の雄叫びを上げながら、怪物たちは喜んでいるようだ。図体も大きければ声も大きい、痛いほどの爆音に思わず耳を塞いだ。炎に夢中になっている隙に、俺は踵を返した。
よし、このまま彼らから逃げ切ろうと、早歩きでその場を去る。
「......」
もう一匹居た。
俺の後ろに。
しかもこいつは明らかに違う。後ろで炎に夢中になっている、怪物たちとは一線を画している。雰囲気、そして口元の傷、鋭い目付き。
こいつ、怪物たちの親玉だ。ギガントピテクスのボス猿に違いない。
この一匹の咆哮ひとつで、周りにいる怪物は躊躇なく俺に襲いかかるに違いないと確信した。
ふと、ボス猿の片腕から血が流れていることに気がついた。微かではあるが、ぽたぽたと床に垂れ、小さな血溜まりを形成していた。
「...片腕、どうした」
言葉なんて通じるはずもないのに、恐怖を忘れ、つい目の前の怪物に問うた。すると、それに応えるように怪物は血の垂れている右腕を差し出した。
「...ちょっと、待っててくれ」
焚き火から一本枝を拝借し、火のついた枝先を腕に近づけ照らす。
「撃たれたのか...」
狩猟をしていた父が狩ってきた鹿、そいつの胸あたりに小さな穴が空いているのを見たことがある。父が言うに、ライフルで撃った時に出来た傷跡らしい。銃弾は貫通し、心臓部分に見事命中していた。
その傷跡に似ているのだ。このボス猿の片腕から溢れ出る血の元凶が。
「...貫通してない。まだ腕の中に銃弾が残っているのか」
血が出ているの上腕二頭筋の面のみ。裏側の上腕三頭筋から血が出ている気配はない。つまるところ、骨や筋肉に阻まれ弾丸が貫通しきれなかったということだ。
「...どうしよう。俺治せないしな...」
よく映画で、体内の弾丸を取り出すシーンが描かれている。煮沸したピンセットで弾を取り出し、ホッチキスか何かで傷跡を閉じる荒治療。あんなもの現実で出来るはずがないし、何しろ相手は意思疎通の困難な巨大オランウータン。痛みを加えて暴れられでもしたら大変だ。
麻酔が無い限り治療することは不可能だと言える。
振り返ると、彼に付き従っている怪物たちが不安げに見つめていた。
とりあえず、キャンプまで戻って助けを呼びに行くしかない。
しかし出口は見る限り、人間では届きそうにない天井穴のみ。当然、ハシゴもなければトランポリンもない。ここから出るすべは、怪物たちに協力してもらう他ないのだ。
意を決して言った。
「...こっから出して」
「.....?」
首を傾げていた。
次はジェスチャーを混じえて出して貰えるように頼んだ。
「はい、ここから……出して」
「...?」
これも通じない。
壁画でも描いて、絵で説明してみるかと思ったが、自分の絵心が壊滅的であることを忘れていた。
なんなら、この場で怪物相手にレクチャーする他ない。
俺は奴らの前に出ると、腕を突き出した。真似するように促すと、皆同じように腕を突き出した。
まるでヨガのインストラクターにでもなった気分だ。ここはインド、教えれば猿でもヨギーになるかもしれない。腕をのばし、火を吹くオランウータンなんて御免だが...。
レクチャーすること数分。オランウータンたちは俺の教えた動きをそのまま出来るようになっていた。腕を突き出し、それを真上に上げるだけの簡単な動作。俺はその突き出された腕に乗って、エレベーターのごとく天井穴から出るという寸法だ。
いざ尋常に。
腕に体を支え。そのまま腕を上げるように指示する。
「よし、よしいいぞ...」
と思いきや。
そのまま担ぎあげられ一緒に外に出た。
「...猿式エレベーター教えてた時間はなんだったんだよ」
今までの努力が水の泡となり消え去った。
俺を担いだ一匹と、もう二匹。計三匹が地上に出る。残りはきっとボス猿を見守っているのだろう。
「とりあえず、キャンプ...えぇーと、あっち」
適当に指をさすと、そのまま歩き出した。担がれながら移動する感覚は、久しく感じていなかった赤ん坊の頃の記憶を甦らせた。誰かに担がれて移動するなんて何年ぶりの話だろう。
ちなみに、乗り心地はあまり良くない。盛大なおんぶをしてもらってる気分だ。
とりあえずはキャンプサイトとは違う方向だとしても森から出ようと思う。木々という弊害物がなければ、平原の中で誰かが見つけてくれるだろうという希望を信じ、移動を続ける。
ふと、遠くから光が近づいて来るのが見えた。明らかに懐中電灯だ。俺は手を振りながら「ここにいるぞ」と叫んだ。段々近づくに連れて光は強まり、ついに合流することに成功した。
「...あれ」
懐中電灯を持つ集団だが、来ている服がインド軍のものとはだいぶ違う。かなり粗末で、寝巻きでも着ないようなボロボロのシャツばかり。いつからこんなだらしないファッションに軍服から統一したのだろうか。
一人の男が、手に持っていたライフルを構えた。
「もしかして...密ッ...」
瞬間、俺を抱えていた怪物が大きく叫んだ。後方の二匹がその声を合図に、密猟者に飛びかかる。一瞬だった。
蹂躙という言葉が生ぬるいと思えるほどに一瞬。密猟者たちが立っていた場所には、藁座布団のような何かがあった。その正体については考えたくもなかった。
ちなみに、今しがた叩き潰した密猟者たちが、近年インドサイを頻繁に狩っていたことで、インドの警察組織からマークされていた極悪集団であると同時に、ボス猿の片腕を撃った張本人であることはあとから知った。
ひしゃげたライフルと肉座布団の傍らに落ちていた懐中電灯を拾い上げ、辺りを照らしながら着実に移動する。
次第に、ヘリの音が聞こえ、俺の名を叫ぶ声が森に響き始めた。