異管対報告第1号-8
「白川くん、状況は?」
[現在、LEO・01が歌舞伎町にてスパルタンと交戦中。ステージは3かと思われます]
「寺岡君とマルガリータ君はまた報告前に勝手に融合したのか」
[突発的な事態なので……]
新宿エルタワーのガラス壁で囲まれ陽の光が差し込む一階をコールマンは足早に飛び出した。彼女は耳にスマートフォンを当てて少し前までいたオフィスの女性隊員である白川と情報確認のやり取りを続けながら異様に早く足を進め、何時しか思い出横丁を通り過ぎ靖国通り近くまで来ていた。
そんなコールマンの白川とのやり取りを聞きながら後ろをついて行く一歩は、何度も飲食店や百貨店に吸い込まれようとするサブリナの着るシャツの襟首を掴み引きずるのである。
その無駄な体力の消費で額に僅かながらも汗を流し始める一歩は、電話の内容で険しくなるコールマンにどう言葉をかければいいか解らずただサブリナを睨みつつ彼女の背中を追ったのだった。
「それで、建物や周辺に物的被害は?」
[まだ道路のアスファルトのひび割れや建物外壁の傷程度で……あっ……]
「程度で何だい?もしもし?」
一歩達が西武新宿駅ぺぺ前の広場についた頃に、コールマンは眉間に深々とシワを刻み目を細めつつ携帯へと若干がなりつつ問いかけた。その声は正面からすれ違う多くの人々の視線を集めた。
しかし、コールマンにはそんなことはどうでもよく、目を細め周りの民間人を威嚇する彼女はスピーカーの向こうの白川からの報告を待った。その報告は緊迫感があるもののまだ安定した声音であり、素早く説明しようという意思があった。
だが、白川の説明も僅かな擦れる音と小さな呟き声の後には沈黙となり、僅かに顔を赤くしたコールマンは続きを言わせようと興奮気味に急かしたのである。
[今、きづなずしが吹き飛びました……]
白川の正気の消えた薄笑いが僅かに響く説明に、コールマンは勢いよく地に膝を突き天を仰いだ。
「木瀬君はぁああ!来てないのかぁあぁ!」
コールマンの絶叫は辺りによく響き、崩れ落ち腕を力なく下げるその姿に一歩はまるで映画のワンシーンかのように感じた。
何より、眉と唇を震わせ奥歯をガタガタと鳴らすコールマンの表情は電話の内容を把握してない一歩にも何かしらの問題が生じたことを理解させたのである。そうなると一歩と僅かに頬を震わせ、隣で呑気にコールマンの姿を見て笑うサブリナの姿を不安げに見つめるのだった。
[向かってる最中とのことですけど、何しろ都庁からですし]
「えぇい、こういうときにあのポンコツキャスターは!」
現場到着前に起きた被害から顔を赤くしたり青くするコールマンだったが、携帯からはまだ白川からの報告する声が響く彼女は正気に戻り再びスピーカーを耳に当てた。その瞬間に彼女は白川の報告に激しながら画面をわざわざ顔の前面に運ぶと、ツバが飛びそうな程に怒鳴りつけるのである。そんなコールマンの姿は新宿三丁目方向から新宿方面へ進む多くの人達の視線を集め、もはやその視線さえ気にしなくなった彼女は注目の的だった。
激するコールマンの姿に僅かに怖気づいていた一歩だったが、何時までも進まない状況に眉間へシワを寄せて軽く貧乏揺すりをし始めた。
そして、一歩はいよいよ我慢できなくなり立ち上がるコールマンへと話しかけようとした。その肩で風を切って歩く一歩の歯を食いしばる表情を見たサブリナは僅かに顔を青くして辺を見回すと、誰もいない喫煙所へ慌てて駆け寄った。
「あの、コールマンさん?」
「何だい、港3尉!」
「いや、あの……」
だが、一歩はコールマンに若干苦笑いで崩れた営業スタイルを浮かべつつ声をかけた。そんな彼にズボンの膝の汚れを払うコールマンは荒ぶる口調で返事をした。
そのドスの利いた声と額に浮かぶ血管から気圧されるも、一歩はめげずに頭を数回下げつつ言葉を濁しながら軽く後頭部を撫でつつ小首をかしげた。
「"スパルタン"……ってヤク中のことでしょ?そんなに慌てるほどですか?」
一歩の一言はコールマンの目を点にさせた。その間に流れる沈黙は長く、喫煙所の臭い頭をふらふらさせるサブリナが一歩の肩に手を掛け深呼吸するまで続いた。
「君、テレビとか!ニュースとか見ないの?」
「テレビという概念は隊内生活によって消えましたよ」
「ネットは?」
「知りたいことだけ」
「現代っ子か、君は!」
ようやく一歩の言葉に反応したコールマンは早口で彼へまくし立てた。一歩は直ぐに答えてみせたことでコールマンは空かさずまた尋ね、それにも僅かに苦笑いを浮かべて一歩は答えた。
その返答に頭を抱えるコールマンはそのまま頭を振って悪態をつくと、繋げたままになっている携帯の通話を切ると携帯を持つ手でようやく目眩が収まったサブリナの頭を小突いた。
すると、サブリナはコールマンの顔を見て口をへの字に曲げると、そっぽを向きつつ鼻を鳴らした。
「スパルタンっちゅうんは、確かに薬物中毒者だ」
「ヤク中がそんなに危険なのか?」
「ただの麻薬なら困らないんだよ。問題は……」
サブリナの説明を遮ってまで一歩は尋ねかけた。その一言を鬱陶しそうにしつつ彼女が言葉を返そうとするも、コールマンが先を進もうとすると話が途切れた。
「魔力を含む"霊薬"の中でも特に高い魔力や中毒性を持つ"違法霊薬"による中毒ってことだ」
新宿方向へ行く多くの人と逆方向に進む中、サブリナは先ゆくコールマンの背中を追いかけつつ隣の一歩へと説明した。
その内容に質問を重ねようとした一歩だったが、サブリナに睨まれると黙りつつ人混みでコールマンを見失わないように彼女の背中を視界に入れた。一歩の黙る意思を汲み取ったサブリナは、頭上に見えた巨大なテレビ広告に一瞬だけ目をやりつつ前を見た。
その広告は速報を流していた。
「高い魔力を持つ霊薬はそれだけ人間の細胞や遺伝子に干渉できる。ただ"癌化する"とかならいいんだが、問題は霊薬によって肉体を強化されることにある」
「肉体を強化って言っても、せめて筋肉増強剤程度だろ?」
サブリナがニュースに視線を向けて黙った間に、いつの間にか歩みを減速させて一歩達の前に来たコールマンは、サブリナから説明役を取り話を続けた。彼女の後ろ姿が至近距離で登場したことに驚いた2人はお互いを顔を向け合うと再び視線をコールマンの背中に戻した。
その縮地のような動きに驚いた一歩はコールマンではなくサブリナに尋ねかけた。
だが、サブリナは半口開けて呆れるだけである。
「ステージ3の中毒患者は、SATの銃撃に耐えて隊員5人をあの世に送って小隊を壊滅させた。それでも、"ただの筋肉増強"って言えるかい?」
一歩の問いかけにコールマンは振り向くことなく答えた。その内容は一歩にとっては真に受けられないものであった。
だが、一歩が笑って冗談と決めつけるにはあまりにもコールマンの声音は冷静であり、後ろから僅かに覗けた彼女の表情は笑っていなかった。
「元は……人間でしょう?」
「知性は大抵だと含有成分と魔力による肉体改変によって失われている。まぁ、猿より賢く魔獣並の力を持つ。最初は銃撃にも怯まない凶暴化したその姿から"魔人"と呼称すると決定したが、ネットの通称を取って……」
「"スパルタン"……か?」
「中二臭いがね。ネットの連中は影響力が強いから」
一歩は自身の世間知らずさに困惑した。それだけ、房総半島の生活は首都圏であり過去の戦争の最前線が近かったにも関わらず比較的安定していたのである。
その世間知らずさの恥を受け入れ、一歩はコールマンへ尋ねた。それに答えるコールマンの内容は冗談めいていた。それでも彼女の語る言葉は事実であり、一歩は軽口で冷静さを維持しコールマンもそれに付き合うように悪態をついた。
「この人通りが多いのは避難が原因か。そういや、館山にはエルフもドワーフ、亜人さえもあんまり居なかったな……」
「今更か!そんなものすぐに解るじゃろがい!」
「俺は察しが悪いの!」
「そんなんで、うちの相方務まるんかぁ?」
軽口と悪態は幾分か一歩の心を落ち着かせ、彼に改めて周りを見る余裕を持たせた。
いつの間にか歌舞伎町を目の前にするほど歩いていた一歩達の前には人だかりがあり、そこではスーツ姿の営業マンや帰りの大学生、買い物途中の男女に外国人観光客など多くの人々が警察の封鎖線の向こう側に向けてスマホのカメラを向けていた。
その人々の中にはまるで有名モデルかハリウッド俳優と間違いそうな程の美人が数人と体躯は小学校3年程度と小柄ながら社会人風のスーツ姿の男女が混ざっていた。そんな美人達の耳はやたらと先が細長く小柄ながら社会人風の男女は見た目に反して社交性を一歩に感じさせた。
そしてようやく亜人の存在を思い出した一歩の背中をサブリナが強めにどつくと顔をしわくちゃにしてツッコミをいれ、彼の反論を聞いて嘆いたのである。
「警察の市民誘導どうなってるの?」
[現場周辺はなんとかなったと言ってますが、現場には逃げ遅れが多いと思います]
「これだから警察は仕事が雑なんだ!」
[こっちも人のこと言えないと思いますよ]
「うるさいよ、白川くん!」
サブリナと一歩のやりとりを背中に、コールマンは再び携帯を取り出すと白川へと電話をかけ直した。その電話にワンコールで出た白川へと大口を開けたコールマンだったが、軽く深呼吸した彼女は軽やかに尋ねかけた。
だが、白川の冷静な報告と目の前の野次馬対応に必死な警官隊を前にしたコールマンは直ぐに青筋を立てて悪態をついた。そんなに彼女に白川が皮肉を返すと、コールマンは不機嫌に悪態をつくと画面を音がなる程に力強くタップして通話を切ったのである。
その見るからに不機嫌と言いたげなコールマンの後ろ姿は野次馬の列へと突き進み、人だかりを腕で乱暴に押しのけると制止する警官へ向けて突っ込んでいったのだった。
「ここから先は通行禁止です!皆さん近寄らないで下さい!」
「こちらは新宿警察です!ここから先は通行禁止です!」
「あっ、ちょっと!君たち!ここから先は通行禁……」
必死に野次馬が前に出ないように声を出し制止する警官を勢いよく押しのけようとするコールマンは、直ぐに警察官達の包囲を受けた。それには一歩とサブリナも当然巻き込まれ、睨むと言うには眼光が強すぎる視線を前に一歩は若干萎縮しサブリナはファイティングポーズを取ろうとした。
そんなサブリナの頭に軽くチョップを入れたコールマンはスーツの懐に手を入れた。その動作に警官達は一斉に腰の拳銃へと手を伸ばしたのである。
「異管対だ!君たちは封鎖の維持を頼む!」
コールマンが懐から出したのは1枚の青と白のストライプ柄をした小さなプラスチックカードであった。そこにはコールマンの顔写真とICチップ、外務省の赤い印や異界管理対策局の名前と印が記されていた。
つまり身分証である。
その身分証を前にした警官達は腰の拳銃へと伸ばした手を彷徨わせ、少しした後にコールマンへ敬礼しながら道を譲った。その手のひら返しの対応にコールマンは満足そうに掌を向けた雑な敬礼で返しつつ一歩とサブリナを手招きして歩みを進めたのであった。
「いいんですか?あんな……」
「"あくまで"現場優先だ!急がないと不味いことになるぞ!」
「不味いことって?」
警官隊の野次馬の視線で短く切ったうなじが不思議と痒くなった一歩は思わず片手で数回撫でると、元凶となったコールマンの後ろ姿に声をかけた。
すると、コールマンは勢いよく振り返り、道の先に見えるドン・キホーテをとりあえず指差して軽く怒鳴った。その声に肩を震わせた一歩だったが、何より彼女の言葉の内容が引っかかるとオウム返しに尋ねたのである。
「盛り上がってきちょったな!怪獣総進撃じゃあ!」
「怪獣総進撃って……」
「大体そんなもんだ。うちも混ざれればいいのになぁ、相方はこんなんだし」
だが、一歩の言葉に応えたのはサブリナであった。何より彼女は楽しそうに両手を握るようにして指の関節を鳴らすと大きく肩を回した。
そんなサブリナの一言へ再びオウム返しする一歩だったが、彼の世間知らずさになれたのかサブリナは適当と言わんばかりに返事をすると、ドン・キホーテの曲がり角付近にあるゴジラロードを目指して歩きだそうとした。それは当然コールマンに襟首を掴まれる形で止められた。
「こんなんって……うぉぉっ!」
その二人に一歩が声をかけようとしたとき、ドン・キホーテの電工看板に猛烈な勢いで何かが飛んでくると突き刺さった。その何かは埃で軌跡を描くほどの速度であり、猛烈な突風は辺の建物を襲い窓ガラスを軒並み割ったのである。さらに看板に突き刺さった衝撃は強く、看板のネオン管やLED割れ建物外壁が辺に撒き散らさらながら崩落する振動が一歩を襲った。
それどころか、その衝撃は彼より後ろにいる警官隊や野次馬へも届き、警官隊は慌てて市民の盾になろうと身を挺し、野次馬達はそんな警官など見向きもせず一目散に逃げ出したのである。その勢いは凄まじく、あちこちで将棋倒しが起きそうになっているほどであった。
ドン・キホーテ歌舞伎町店へと飛んできたのはクリスピークリームドーナツの看板であった。
「なっ、なんだ……ありゃ?」
「あれがスパルタンの暴れ方た。いやぁ、デッカイのぉ!」
「あんな土煙たって、コンクリートの外壁が……元人間の薬中ってレベルじゃ……」
「劇的ビフォーアフターじゃろ?」
舞い散る埃や粉塵、衝撃に身を屈めて頭を護ろうとした一歩が立ち上がると、まるでドン・キホーテを制圧したようにクリスピークリームドーナツの看板が建物に突き刺さっていた。
その光景はおおよそ戦後において今のところ武力闘争がない日常では明らかに普通ではなく、一歩は戦場ではないはずの新宿三丁目で繰り広げられる目の前の光景を理解できなかった。
一方で、壮絶な被害額が出そうな現場に絶句し顔色が7色に変化しそうな勢いで悶絶するコールマンの隣では、サブリナが身構えることもせず腰に手を当て眼前の惨状を楽しそうに眺めていた。彼女の顔は満面の笑みであり、武者震いしながら目を爛々とさせていたのである。
そんなサブリナの態度や現場への感想に呆気にとられる一歩だったが、その光景を作った犯人が人間であることを思い出すと口に入った土煙で上手く回らない舌を無理やり回して現場を指さしつつ尋ねかけたのである。彼に律儀に答えるサブリナは楽しげだったが、彼女も口に砂が入ったのか不快そうに地面へ唾を吐き捨てた。
「お前……語尾そんなんだっけ?」
「うっさいぞ……」
一歩は眼の前で荒れ狂う現場に理解が追いつかず、辺を見回した。逃げ惑う人々に交通整理が間に合っていない警官隊の怒声、天を仰ぎ肩で息をすると警官隊現場指揮官の元へ駆け出すコールマンの姿は嘗ての記憶を一歩にフラッシュバックさせた。
人々の服装が青い迷彩に変わり、辺りの建物が焼け落ち港の景色が見えかけたとき、一歩は嫌な記憶を振り払うように頭を振るとサブリナの言葉遣いに難癖をつけた。その文句は彼女の琴線に触れたのか、サブリナは眉をしかめる一歩を睨みつけたのである。
サブリナの言葉とキャラのブレを無視した一歩は、とにかく情報を得ようとコールマンの向かった方へ向かった。そこはパトカー数台が停められた靖国通りのど真ん中であり、灰色のスーツ姿の男が車載無線で指示を出しつつコールマンに肩を叩かれていた。
「異管対新宿局のコールマンだ、ここから現場指揮は私が行う。速やかな協力を……」
「やっと来たか、遅いんだよ!既にあの犯人は"逮捕"で扱える範囲を超えてる。あんたらの範疇だ、さっさと対処してくれ!」
コールマンの丁寧ながら横柄に聞こえる声掛けに振り向いた男は、皺だらけの顔を真っ赤にして彼女を怒鳴りつけた。無線機のマイクを持つ手は震え瞳はあちこちへと泳いでいた。
その現場指揮官である男の態度から事態が完全に警察の対応能力以上と解った一歩は、口をへの字に曲げて男を睨むコールマンが顎で指す現場の方へと向かった。
「これだから日本の警察は……」
一歩に追いついたコールマンの小さな悪態は氷のように冷たく、若干俯くことで彼女の表情は見えなかった。
だが、僅かに見えた口元が不気味に吊り上がっているのを見たとき、一歩はコールマンへ言葉をかけてはいけないと悟ったのだった。