異管対報告第1号-6
「第23分隊、総員おこぉ〜〜〜し!カッター前、せいれ〜〜つ!服装、戦闘ふくそ〜〜!」
「ぶっ、ふぁぁあいあぁぁあ!寝過ごしたぁ!」
猛烈なけたたましい起床ラッパの音と低音の効いた雄叫びのような号令が響くと、一歩は瞬間的に脳を覚醒状態へと切り替えた。それと同時に総員起こし5分前の放送に目が覚めなかった寝坊とカッター前に集合という早朝短艇確実という事実で低血圧さえも吹き飛ぶ程に血の気を引かせ、その後の遅れによる罰則への恐怖で彼は絶句しながら飛び起きた。
「皆ぁ、すまん!後で俺を殺せぇ!」
そして上体を起こしてからようやく一歩の横隔膜は脳からの緊急放送をそのまま伝達し、口が彼の絶叫を響かせたのである。
「あっ……あれぇ……ここは?」
しかし、飛び起きながら着替えをしようと服の裾に手をかけた一歩が辺を見回すと、そこに見えたのは江田島にある幹部候補生学校の居室のベッドでもなければ、教育隊に置かれた年季のあるマットレスでもなかった。
そこにあったのはオフィスの革張りソファーの上だった。そのオフィスはビルの角にあるのか、前にも左側にも広い窓が広がり、4台のプリンターの近くには2列に並べられたシステムデスクがあり、デスクトップパソコンや様々な書類が整頓されていた。下手な会社のオフィスより整っているその場所に、慌てて服を着替えようとシャツを脱ぎかけた一歩は呆然としながら辺りを見回したのだった。
「あっ、えっ?」
「お前、虚しいヤツだな……」
辺りを見回して思わず呟く一歩が窓の外に見えるドコモタワーを見つめていると、彼の横から溜息混じりに虚しげな声が響いた。その声に従って一歩が頭を少しだけずらすと、そこにはソファーに座り目を細める眉間にシワ寄せ彼の顔を見つめるサブリナの表情があった。
その瞳は変わらず全てを飲み込んでしまいそうな妖艶さがあったが、サブリナの表情によってその妖艶さが更に彼女の呆れと哀れみ具合を強くさせたのである。
「本当に起きた…凄いね、流石に海自……いや海軍か」
「いやぁ、私もよく同期にやられたよ。本当にぶっ飛ばしてやろうかと思ったがね」
サブリナの視線に脱ぎかけた紺のスーツを着直す一歩は彼女を睨み返した。それは少しでも彼女に舐められない為の対応のつもりだったが、ベルトを緩めシャツをズボンに押し込む姿は完全にその睨みの効果を打ち消していたのだった。
そんな一歩とサブリナのやり取りの横で、彼の楽しそうに笑う女と男の声が響いた。その声に一歩が焦りと驚きが入り混じった顔でその声の聞こえたソファーの向かい側へ顔を向けた。
そこには一人のスーツ姿の男が座っていた。黒い生地に青と白のストライプ柄のネクタイを絞めたその男は、短髪黒髪に浅黒い肌をした柔和な顔の男である。はっきりとした眉に深いほうれい線は男の優しさを表し、そのお陰か雰囲気さえも接しやすいものへと変えていたのだった。
「貞元さん!貞元さんですか!」
「久しぶり、術校と大湊と……横須賀以来?」
「そうですね、あれ以降は貞元さん防衛省勤務になっちゃってましたし」
「いやぁ、世間は狭いものだね」
その柔和な笑顔を浮かべる貞元の姿を見た一歩は、驚きと混乱で困りながら表情を二転三転させると、最後には笑みを浮べて彼に話しかけた。
そんな一歩の握手を求める手を取った貞元は、困った笑顔の一歩に過去のことを思い出すような遠い目をしながら笑いかけたのだった。
「あっ……あれ?ここは……確か拘置所に居たはずじゃ……」
「まぁ、話に聞くと色々とあったらしいからね。無理に思い出さなくてもいいと思うよ」
「うっ……えっと……」
そんな貞元の言葉に一歩も遠い目をすると、彼は笑って語りかける貞元とオフィスを交互に見ながら朧気な記憶の中にある拘置所とそこでの出来事を思い出そうとしながら呟いた。その記憶によって全身を駆け抜けた不快感も呼び覚まされたのか一歩が顔を青くすると、貞元は柔和な言葉をかけつつ彼をソファーへ座るように促した。
そんな貞元のジェスチャーに従い、軽くお辞儀をした一歩は少し呻いて顔を押さえながら深くソファーに座り込んだ。その座り方は誇張なく彼の体に膨大な疲労が残っていることの現れである。そんな一歩の姿だが、まだ話せる程度に元気のある彼の姿には貞元も安心したような笑みを浮かべたのだった。
「それで……あの、ここは?」
「んっ、そうだね。まぁ、色々と説明から始めなきゃならんよね。何も聞いてないでしょ?」
「館山で"転属"の話だけなら聞いてますよ。市ヶ谷プリズンに移動のはずが、空自の幹部に陸自の車で本当のプリズンまで拉致されましたから……この景色って、新宿?」
ソファーの肘掛けを軽く叩く一歩は、窓の外の景色を見ながら貞元へ怪訝な表情で尋ねた。その言葉には貞元も肩を竦めて困ったよう笑うと、一歩へと質問で答えたのである。
その貞元の態度は防衛省についてから状況に振り回されるばかりの一歩にさらなる疑問を与え、彼は軽口を叩きながらそっと貞元に下手な探りをいれてみた。だが、そんな小手先の手は全く貞元に通用せず、彼は黙ってソファーの間のテーブルに何時の間にか置かれていたコーヒーへと手を付けるのだった。
「自衛隊は昔の話だよ、港君。今は国防軍だから。そして、君の言う通りで、ここは新宿」
「だとして、何なんです?いきなり人を連れ回して……そうだ、悪魔!そこの悪魔と契約だのなんだの!それで……」
コーヒーを一気に飲み干した貞元は、後ろの窓を親指で指差しながら気さくに答えた。その答えから、湧き上がる疑問に頭を抱えた一歩はその疑問の中で一瞬で通り過ぎていったサブリナのことを思い出した。
その記憶の不快感と混乱がフラッシュバックして一瞬声を荒らげかけた一歩だったが、その言葉が終わる前に彼の横からサブリナの視線が突き刺さった。その視線に顔を向ける彼にオレンジの瞳でいたずらっぽく笑い自分の太もも辺りを撫でるサブリナの姿は、出会った時の囚人服と異なる白いシャツに黒い革の上着、同じく革の黒いスカート姿であった。
そのモデルか何かのようなサブリナの整った姿に呆然とした一歩だったが、太腿を撫でる彼女を見ると次第にその表情は赤くなって唇が震えだしたのだった。
「お前、膝枕してたのか?」
「なかなか重かったんだぞ?何より、うちの膝枕は早々得られるものじゃなかとよ?」
顔面を赤くする一歩の姿に、サブリナが頬が上がるほどに小首をかしげて笑うと、彼はそのまま黙ってしまった。そんな静かな一歩に、サブリナは不敵な笑みを浮かべると、唇を人差し指で軽く数回叩きつつ、彼へ茶化すような文句をつけるのだった。
「いやいや、本当に港君は面白い奴だね。術校の頃が懐かしいよ。朝のブリーフィングで倒れたって話を聞いたときから、"コイツは面白い奴だぞ"って思ったんだ。ここまで縁があって君を見てきたが、ここにいるのにも納得できるよ」
「そんなこともありましたっけ」
「なんだ、お前。虚弱なのか?はっ、情けない!」
「バカ言え、そんな虚弱で幹部候補を修業できるか!」
そんな一歩とサブリナの姿にカートゥーンアニメのネコとネズミを想像した貞元が満足そうに笑って膝を叩き語ると、その内容に恥ずかしそうな笑みを浮かべて一歩が頭を掻いた。
そんな一歩の態度の変化と貞元の言葉にサブリナは不満そう頬を膨らませると、一歩に突っかかるような悪口を言うのである。
そのサブリナの一言に、一歩は混乱によって脳裏を過ぎる記憶の中の幹部候補生学校時代に不快そうな表情を浮かべながらがなるのだった。
「いやいや、思ったより打ち解けてるみたいだね。中々に良いキャラクターしてるでしょ、彼?」
「はんっ、気持ち悪さ溢れる変態だったわ!」「まぁ、でも、他の奴等よりは遥かにやる気になったでしょう?」
「まぁ、そうだな。やる気にはなったかな?多少は」
「上々だね」
言い合いを始める二人の姿に安心したような笑みを浮かべる貞元は、一歩を睨むサブリナに笑って尋ねかけた。そんな彼の柔和な笑みに、最初こそ悪い口を開くサブリナも最後は困った表情と共に彼の言葉を受け入れるのだった。
そんなサブリナの悔しげな表情と赤くした頬に満足そうに頷くと、貞元は自分を見つめる一歩の士官としての視線に気づいたのである。
「あの、貞元さん……いえ、貞元3佐、貴方は……えっと……?」
「サブリナだ!人の名前も覚えられんのか!」
「うっさいな!彼女と知り合いなので?」
「知り合いも何も、彼女はこれから私の部下になるし、君も私の部下になるし。それと、彼女、君の同僚兼相方として前線に立ってもらうからね」
サブリナの名前が出てこず彼女を何度か見ながら彼女に怒鳴られる一歩の真剣な士官としての表情の質問に、いよいよ仕事をしようとでも言いたげな表情を浮かべた貞元は両手を膝の上に置いて立ち上がると意味深な一言を呟くのだった。
「はぁ……はぁ?……はぁ!」
「"はぁ"の三段活用だけで感情表すのかい。振れ幅も凄いね」
「いや、だって!私、管制マークの後方部隊ですよ!それが、悪魔と一緒に前線なんて!」
貞元の不穏な言葉に理解が追いつかなかった一歩は、数回口を開くたびに理解が追いつき最後には驚きで言葉を失った。そんな一歩のコロコロと変わる表情や姿に、貞元はソファーに掛けていた上着をはおりながら笑った。
だが、至って平静な貞元の姿にさらに驚く一歩は、いよいよ焦るように目を泳がせ困ったように頭を掻いたのだった。
「まぁ、焦る気持ちは解るけどね。けど、それをやってもらわなくちゃならないの、君に」
「なっ……どうやって!」
「それを含めて、これから説明するから」
そんな一歩の焦りに瞳を閉じてただ頷く貞元は、彼を宥めるように語りかけた。それでも焦りと困惑が払えない一歩に、貞元は真面目な表情を浮かべながら言って聞かせた。
「という訳ですので、あとは宜しくお願いしますね。私は一旦防衛省に帰りますので、亀山さんによろしくと伝えといてください」
「判った、未来の幕僚長殿。任せてくれたまえよ」
「それ、止めてくれません?」
「"あくまで"続けるさ」
だが、説明をすると言った貞元はソファーの脇に置いていたカバンを取ると一歩の肘置き側の横に声をかけた。
そんな貞元の視線を追った一歩の視界には何時の間にか142cmほどの身長で黒いスーツを身に纏う茶髪のボブカットと灰色の瞳の女が立っていた。色白の透き通った肌に整いすぎた顔立ちはまるで絵画や漫画に描かれるような絶世の美人だったが、一歩はその人間離れした姿と音や気配も何もなく突然そこに現れたことに恐ろしさを感じたのである。
そんな謎の美女に指示を出す貞元に、彼女は気取った演技がかった口調で嫌味のような言葉を投げかけるのだった。その一言と態度に本気で嫌そうな表情を浮かべた貞元だったが、彼女は彼の言葉を全く聞かずに言葉遊びでかえした。
美女の言葉に肩を竦めた貞元がオフィスを去ってゆくと、彼の座っていた所にその女が足を組んて尊大に座るのだった。
「ルイーズ・コールマンだ。宜しく頼む、港一歩殿」
「ルイーズ……コールマン?何で外人が軍の組織に?」
「おっと、勘違いしては困るよ港殿。君は何時からここが軍の管轄と思っているんだい?何より、君はどの段落から軍の傘下で仕事すると思い込んでいるんだい?」
尊大に座るコールマンの自己紹介に、見た目から外国人と思っていた一歩は改めて彼女の存在を疑問視した。彼の職場は国防組織でありその職員は特別職国家公務員であるため、見た目は問わずとも日本国籍の所持は絶対である。その前提を理解しているとはいえど、一歩は偏見かもしれないがコールマンを日本人とは思えなかった。彼の思考では日本は未だアジアの被差別民族であり、西洋人がわざわざ国籍を取得してまで住みたいとは思えないからである。
そんな一歩の一言に、コールマンは彼が思っていたのと180度以上に異なる返答を爆笑しながらすると、困惑する彼にオフィスを軽く掌で指し示しながら語ってみせたのだった。
「はぁっ?どういうことだ?私は……」
「そういうのは自分の考えだろう?これから説明するから、とりあえずこっちの部屋に来てくれよ」
爆笑するコールマンと彼女の話に困惑した一歩が戸惑いながら尋ねるも、話の腰を折るように彼女は容赦なく彼を小馬鹿にしながら立ち上がってオフィス奥にある会議室とネームプレートが貼られた部屋を指さした。
「うちも一緒か?」
「もちろん、契約者も同行してもらおう。これから一緒に戦い、生死を共にしてもらうんだから」
「ちっ、何度も聞かされたというのに……」
その扉へと一歩達を置いてけぼりにして先へ進むコールマンは、扉に掛けられていた開放中の札を返して使用中にした。そして、開いた扉に体を半分入れると、彼女はソファーに座ったまま呆気に取られる一歩へと不機嫌そうに手招きしたのである。
そんなコールマンのまるでアニメか何かのキャラクターの様な態度に一歩が気味悪そうに苦笑いをする中、サブリナは辟易した表情で彼女へと文句をつけた。その嫌そうな表情と態度に嬉しそうな表情を浮かべたコールマンが楽しげに答え、不快そうなサブリナはゆっくりとソファーから立ち上がり会議室へと歩いていった。
自分を置いて進む周りの状況に一歩は一瞬戸惑ったが、軽く息をつくとソファーから立ち上がりサブリナの後を追ってコールマンが手招きする会議室の中へと入っていった。
会議室の中は、長机が一つにプロジェクター、プロジェクタースクリーンと多くの椅子といった変哲のない会社の会議室といった光景であった。その長机には予め同じ資料が2つ並べて置いてあり、あたかもその資料が置いてある席の前に座れと言いたげな状況である。その資料置いてある席にサブリナが不機嫌そうに座ると、一歩はその隣に座るのだった。
「んっ、ゔん。それでは、軍隊式に説明を始めた方がいいかな?」
「どっちでもいいですよ、コールマンさん。お願いします」
「ではルイーズ・コールマンが"外務省対異界管理対策局、東京支部、新宿班"の説明を始めます」
一歩達の向かい側に座るコールマンが楽しげに資料片手に話し出す中、忌々しげに資料を睨むサブリナを横目に見る彼は彼女に早速説明を求めた。その言葉にコールマンが得意げな表情で説明を始めようとしたのである。
だが、一歩が資料の紙を軽く撫でて中身を数枚確認している間、コールマンは何も言わずに一歩を見つめ続けていた。その視線に気づいた一歩が顔を上げると、"こちらの話へ集中してほしい"と言いたげな表情のコールマンがいたのだった。
「いや、いい紙使ってるなって。しかも全部カラー印刷なんて……結構予算が出てるんですね」
「質問や意見、軽口は後ほどで。"あくまで"今は説明ですから」
「"2001年宇宙の旅"くらいには、現状が解らないもので」
「では、説明を始めましょうか」
「なんでうちまで……」
「相方のためですよ。付き合って上げてくださいな」
コールマンへと軽口で一歩が返し、ようやく自分の話に彼が集中し始めたと感じたコールマンが資料を捲り話しだした。
だが、何時までもサブリナは不機嫌そうに窓の外の摩天楼に視線を向け、コールマンから諭されるのだった。