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Hell・After・Man  作者: 陸海 空
「狙われた都市」
6/38

異管対報告第1号-5

「はい、これで一通りの書類作成は完了しました。けど、書き損じはこれ以降なしでお願いしますね」


 数枚の書類をカバンから取り出し仕切りとなる強化ガラスの隙間を通して木瀬はサブリナへ渡した。 

 だが、木瀬が渡したその書類をサブリナが全て書き終える頃には、渡した枚数の倍以上の書類が机の上で無数に散らばっていたのである。

 その理由は単純であり、サブリナは書類一種類につき最低4回は書き間違いをしていた。その間違いは漢字の書き損じから書式の間違いと多種多様であり、鉛筆の下書きを頑なに断るサブリナが書類を全て書き終わる頃には、無数の紙ゴミが出来上がったのだった。

 その紙ゴミを前にして、木瀬は僅かに額へ青筋を立てつつ駄々をこねる子供へ諭すような口調でサブリナへ注意するのである。


「はっ、こげん紙切れ数枚くらいなんだっちゅうんだ?多少の書き間違いで新しいの出すくらいなら、"修正テープ"ちゅうのを使えばよかやろうに」

「紙にだって予算が決められてるんです。大事にしてください」

「貧乏人共め………」


 しかし、その紙ゴミ達を纏めて完成した重要書類だけをファイルに別けてカバンにしまう木瀬にサブリナは何故か満足げな表情で嫌味を言うと薄い胸を張った。

 そんな木瀬の言葉にもどこ吹く風と嫌味で反撃するサブリナに木瀬は青筋を更に立てた。それでも何度となく深呼吸して必死に怒りを落ち着けた彼女は、未だに目の前で楽しげに笑い見下すような視線を送るサブリナへ不敵に笑い正論を突き返した。

 その少し前まで青筋を立てていた木瀬の笑みにサブリナは返す言葉が無くなると不貞腐れ、机に再び足を載せて椅子に大きく寄りかかりながら悪態をつくのだった。

 そんなのサブリナと木瀬の険悪な書類作成を端から見ていた一歩は、わかっていることも少ない蚊帳の外の状況を前にして、ただ困惑して頭を掻くだけである。


「小笠原さん、これって私がいる意味あるんですか?」

「大丈夫ですよ、港さん。貴方の出番はこれからです」


 この状況を打破しようと一歩は隣に立つ小笠原へと事情を尋ねても、彼は木瀬達を見つめて笑いつつ彼の質問にははぐらかした答えしか述べなかった。

 それにより、一歩はなかなか状況へと関与できず、ただ黙って腕を組み目の前の状況を見つめるしか出来なかった。


「それではサブリナさん。こちらを付けていただいてもらいますね」

「例の"首輪代わりの指輪"か?」

「貴重かつ重要な備品です。これ1つにどれだけの防衛費が使われてると……」


 一歩の視線と困惑した表情を他所に、木瀬は更に真剣な表情を浮かべながらサブリナを見つめて一言かけると、カバンの中から小さな箱を取り出した。その箱は、小さいながらも漆黒に塗られ明らかに頑強そうな金属の箱である。その箱は側面や上面に削って付けられたと思われる蛇がのたくったような文字が彫られ、その文字は赤いインクが流し込まれていたのである。

 その箱を睨みつけるサブリナは目を細めて薄ら笑みを浮かべると木瀬へと軽口を投げかけた。その軽口は木瀬の琴線に触れかけたようだが、サブリナの言葉を訂正した木瀬は小声で悪態をつくと上着の懐に手を入れた。

 木瀬が懐から取り出したのは小さな白いハンカチだった。それを箱の上面に載せると、彼女はゆっくりと息を長く吐いた。その息を吐く音は微かながら一歩にも聞こえ、彼はその長さに驚いた。木瀬は彼の体感で1分は息を吐き続けたのである。

 更に、木瀬が息を吐き始めると白いハンカチに小さな紅い点が浮かび上がった。その赤い点は次第に複数の円を浮かび上がらせ、アラベスク模様や箱と同じような文字を浮かび上がせた。

 そして、白いハンカチには紅い奇怪な円の模様が浮かび上がった。


「魔法……陣?」


 一歩がその模様に眉をひそめて呟く間に木瀬はハンカチを摘んでカバンから取り出したジップロックに入れてしまうと、模様のなくなった黒い箱の上面を開いた。


「解っとる、心配しなさんな。壊しはせん。そもそも、うちん力でもそりゃ壊せんな」


 その箱の中身は1つの指輪だった。それに対してまるで眼力だけで砕きそうな視線を送るサブリナだったが、彼女を見つめる木瀬の視線に気づくと、彼女もつまらなさそうに指輪から目をそらして舌打ちしつつ眉間にシワを寄せた嫌そうな顔しながら悪態をついて天井を仰いだのである。


「あれは?」

「ウチの部隊の備品にして、最大の武器ですよ」


 そのサブリナのやり取りを後ろから眺めていた一歩は、彼女が嫌そうに顔をそむけたその指輪が異様に気になった。その気になり具体は小笠原に尋ねかけても視線を外せないほどであり、答える彼の話にも軽く相槌を打つしかしないほどである。

 箱の中の小さな指輪は、鈍く輝く漆黒であり、まるで血管のような筋が掘られていた。更に、指輪と言うにはかなり幅が広く厳ついもので、浅い溝のような装飾に挟まれ深い溝が彫られていた。


「武器?あれが?"ウルトラヒーローの変身アイテム"じやあるまいし」

「あっ、わかりますよその気持ち。俺も見たときは最初ウルトラリングみたいな気分にさせられました。性能はいいんですけどね。あれ、作った奴の趣味って噂なんですよ」


 その指輪というには形の不自然なそれに、一歩は眉をひそめて小笠原へと疑問を投げた。彼の言葉には冗談が混ざり、聞いた小笠原も笑みを浮て指輪を指さした。小笠原の冗談めいた説明は装備と言われたその指輪を馬鹿にしたものだった。

 だが、一歩はその冗談を冗談として受け入れられず黙って頷くのである。


「指輪……ねぇ……」


 そして、横目に見る小笠原の表情が至って真面目に思えると、一歩は彼の冗談指輪のことを相応のものとした考えのもと出ていることをなんとなく察した一歩は、いよいよ状況が読み込めなくなり、首を傾げて呟くことしかできないのである。


「それではサブリナさん、貴女にはこの装備を付けてもらうことになります。指に関して指定はありませんけど、どの指に付けたいとか希望あります?」

「そうか……指か……」


 強化ガラスの隙間に箱から取り出した指を通す木瀬は、その大ぶりな指輪を手に取るサブリナへと真剣な仕事をする表情で尋ねかけた。その瞳はそれまで言い争いをしていた雰囲気と異なり、対面するサブリナも一瞬の口を閉じる程である。

 そんなサブリナの反応と木瀬の後頭部だけで状況に変化があったと理解する一歩を脇に、サブリナは木瀬の言葉に応じるように一言呟いた。そして彼女は何かを思いついたように手のひらの指輪へ落としていた視線を上げると、大きな音を立てて勢い良く椅子から立ち上がった。


「あっ、ちょっと!」


 突然立ち上がったサブリナが強化ガラスの壁へ手を就きつつ近付いたことで、木瀬は驚き仕切りがあるというのに彼女の視線の先にいる一歩を庇うように立ち塞がった。


「構わんだろう、こりゃこいつとうちの問題だ!調べる必要はある筈だ!そこのお前、ちょっと来い!」


 そんな木瀬の静止の言葉も気にしないサブリナは、ガラスの壁に突いた手で一歩を片手の大振りな手招きをしつつ呼びつけた。彼女の浮かべる不敵な笑みは一歩に大きな不信感を募らせるも、彼は生唾を飲み込みながらその手招きに従ったのである。


「おい。なんだよ?」


 腕を組みしかめっ面を浮かべる一歩は、サブリナにナメられないようにと敢えて強い口調で尋ねてみた。

 だが、声は上ずり思ったより迫力が出いことで一歩は肩を落としたのである。それでも強化ガラスへと近づく彼は、彼なりの丁度いい強化ガラスの仕切りに片腕分の距離を空けて止まった。

 しかし、ガラスの向こうに立つサブリナは不満と言いたげで口をへの字に曲げて見せると、一歩を顎で招き寄せようとした。

 一応は歳をとった男である彼の威圧をものともしないサブリナの度胸は一歩も感心した。だが、そもそも相手が年頃の少女ではなく悪魔だと思いだした一歩はそもそもの性格の下地が違うことを理解すると、更に近づくように手招きしてみせるサブリナへ従い歩み寄ったのである。


「なに、少し調べるだけだ」


 強化ガラス越しとは言えど、悪魔であるサブリナの至近距離に立った一歩は彼女の行動と発言に怪訝な表情を浮かべた。そんな彼の考えを読み取ったようにサブリナは不敵に笑って見せると、今度は指だけで更に一歩を強化ガラスの壁へ近づかせるように促した。見るものが見れば妖艶とも言えな動きであったが、一歩は背伸びした子供と思えて頭を抱えながら彼女に従った。

 その瞬間、サブリナは一瞬で壁に張り付くように近付いてきた。その勢いは彼女の後ろに残像が残りそうな程であり、オレンジの髪が高くなびき、壁がなければ飛びかかられ吹き飛ばされていたと一歩に思わせるほどである。


「何をしてる。強化ガラス越しに何を……っ!」


 その勢いに猛烈な速度で新幹線が通り抜けていくような感覚を思いだしつつ、自身に視線をまっすぐ突き刺すサブリナの瞳を見ると一歩が思わず茶化そうとした言葉を止めて呻きを漏らした。

 サブリナと視線のぶつかったとき、一歩は背後へ猛烈な速度で吹き飛ばされたように感じた。だが、サブリナは強化ガラスの向こうで張り付くだけであり、自分の身に何も起きていない。そのことに強烈な違和感を覚えつつも、一歩はただのこの違和感が終わる時を待った。

 そして、数秒後には一歩から違和感が消え、サブリナは深呼吸を始めた。


「お前、ほんなこつ人間か?欲ん匂いが気持ち悪い。そん割に性欲は強いし……」

「バっ!いきなり何を!……」


 深呼吸しているように見えたサブリナの行動は、言葉通りに一歩の匂いを探ろうとしているものだった。そのサブリナは数回息を吸うと、その表情を引き攣らせて一人呻くように呟いた。

 そんなサブリナの言った内容に顔を真っ赤にした一歩は怒り半分で彼女の言葉を否定しつつ、木瀬や小笠原に妙な印象がつく前に誤魔化そうとした。

 だが、一歩の言葉も顎を人差し指で軽く叩き彼を細めた瞳で見つめるサブリナの表情に尻すぼむと、軽く消え去ったのである。


「おまけに、自己意識が嫌に薄い…お前、ほんなこつ人間なんか?」

「そうだよ、人間だよ。頭から爪まで全部人間だよ。義体や義肢も使ってないし、サイボーグでもないよ」


 サブリナは一歩へ不思議そうに呟くと、ガラス越しに一歩のことを更にまじまじと見つめた。その張り付き吸い込まれるようなオレンジの瞳に不思議と怒りを沈めさせられた一歩は、突き刺さるような木瀬の蔑む視線を無視して両手を開いてその場で回れ右を数回やって見せた。

 自分の体を軽く見せながら手足を振りつつ説明する一歩の態度に納得したように頷いたサブリナは、あくどい表情を浮かべると、自分の左手をまじまじと見つめながら薬指を動かしてみせた。


「はぁ~ん?まぁ、そうかい。そうなら……」


 いたずらっぽくはにかむサブリナは天井の明かりに開いた手の甲をかざして見つめると、ガラスの反対側にいる3人の視線を気にせず呟いた。


「おい、小娘。左手ん薬指。そこに着ける」


 自分の手のひらを見つめていたサブリナは、軽く手を数回握ると顔を上げ薬指を立てながら木瀬にいたずらっぽく微笑みながら宣言した。

 そのサブリナの言葉やまるで別の生き物のように畝る薬指の動きに、ガラス越しの木瀬は驚きながら彼女の顔と指を交互に見ながら顔を赤くしたのである。


「えっ、本気!悪魔といっても、そういうのは気にするでしょうに!左手薬指に指輪って意味、わかってます?」

「なぁに、気にはしぇん。何より、この男はうちを侮辱したけんな。相応の嫌がらせはしてやらんとな」


 顔を赤くした木瀬が制止の言葉を身振りも加えて投げかけた。その動きは大振りで素早く、真っ赤な顔も加わるとサブリナは呆れるように溜息をついた。

 そして、サブリナは腰に手を当て無い胸を張りつつ騒ぐ自分達の姿に困惑した一歩を一瞥すると満足げで不敵な笑みと共に一歩へと得意げに語って見せたのである。


「嫌がらせで左手薬指に?一度つけたら外せないんですよ?」

「構わん!」


 胸を張って得意げになる自分の姿で黙ったままさらに困惑する一歩の姿に気を良くしたサブリナは、困りと焦り、気恥ずかしさを見せる木瀬の言葉に一喝すると左手薬指へとはめた。

 その大振りな動作で指輪を薬指にはめるサブリナの姿に、一歩は隣りにいる小笠原へと再び困った表情を向けた。


「あの、小笠原さん。あの指輪って備品で武器って言ってましたよね。護身具的な?ビームが出たりとか?」


 その一歩の困惑しながらもフィクションや聞いた知識を必死になって絞り出し指輪についての予想をしてみた。その考えに半笑いする小笠原は、肩をすくめて応えてみせると一歩の驚く姿に納得したように頷くのである。

 その小笠原の頷きはようやっと状況に追いつけたと一歩に感じさせ、彼は満足げに頷くとその場から離れようと身じろぎした。


「いえいえ、"主力"兵装ですよ」

「えっ、主力兵装!あれが?」

「そうですよ。言ったでしょう"最大の武器"って」

「だとしたら、ホントにビームでも出るんですか?そんなやばい武器なら、つける指を選ぶとか何とか言ってる場合じゃ…」

「大丈夫ですよ、港3尉。すぐに解りますよ」


 そんな小笠原の呟くような小声かつ一部を強調した言葉に、一歩は未だに納得出来ないように疑問を垂れ流しサブリナを再び見つめた。そんな彼のサブリナとある意味で見つめ合う姿に、小笠原も笑いかけると深くうなずいて彼女を指さしながら言葉をかけたのだった。


「それでは、契約に移ります。港3尉、こちらへ」

「はっ、了解しまし…契約?」

「細かいことは置いておいて、さぁ」


 話し込んでいた一歩と小笠原へ振り返った木瀬は大きく手を振って一歩へ呼びかけた。その声に、一歩は軍人根性として反射的に了解して彼女の元へと歩み始めた。

 だが、直ぐに彼女の言った契約という言葉が異様に引っかかり少しずつ足を止めると思わず木瀬へと尋ねかけたのである。それでも、木瀬は一歩の言葉を適当にいなして彼を急かすと、強化ガラスの壁越しに一歩とサブリナを対面させるのだった。

 サブリナを改めて見る一歩は、その人間離れした美人さに驚きつつ薬指にはめた指輪を見た。その指輪は細い彼女の指には径もあまり、指の第二関節に届きそうな大きさは邪魔になる以外何も思えないほどので、薬指が曲げられず手を下に下げれば落ちそうと思える状態である。


「おい、その指輪明らかにあってないじゃないか?」

「いいんだ、これで。くっ!」


 その明らかにサイズが間違っているとおもえる指輪について一歩が尋ねかけると、サブリナは自信があり彼を小馬鹿にするような口調で言い放つとその指輪を嵌めたまま勢いよく指を軸に回してみせた。

 すると、その指輪のサイズは回る最中に小さくなり、最後には彼女の指へ外れないように深く食い込んだ。そして、その指輪と指の隙間から突然赤い血が溢れ出すと、指輪の装飾である筋彫りに彼女の血が巡り始めたのだった。

 

「なっ、血が出てるぞ!大丈夫か?」

「煩しい男だ。黙ってみてろ」


 サブリナの指から滴り落ちる程の出血に一歩は驚きと心配から彼女に声をかけた。痛みに顔を曇らせるサブリナだったが、そんな一歩の心配する言葉に驚くと、直ぐにその驚きを隠すように苦笑いしながら文句をつけるのである。


「大丈夫ですよ、3尉。こういう仕様です、仕様」

「付けて怪我する仕様って!」


 そのサブリナの言葉に一歩が木瀬に事情説明を求める視線を向けたが、彼女ははぐらかすように答え、目線さえ合わせないのだった。

 そんな木瀬の態度に不満を持った一歩だったが、サブリナが薬指の指輪に手を伸ばす姿を視界の端に捉えると、直ぐにそれを凝視した。


「何だ…これ?金属なのに、こんな粘土みたいに」


 サブリナの薬指に付いていた指輪は彼女の指に深く食い込むほどに密着していた。だが、彼女がリングを掴み指から引き抜く様に引っ張り始めた。

 すると、指輪は深く刻まれた溝から粘土のように引き伸ばされながら彼女の指をすり抜け始め、最後には別の指輪として彼女の薬指から離れたのである。

 そんな指輪の分離に一歩が半口開けて驚く中、自分の指にはまった指輪と分離した指輪の漆黒な表面に浮かぶ紅い血の装飾を確認したサブリナは強化ガラスの壁と机の隙間に指輪を投げ通した。


「詳細は後ほど本部にて説明します。さっ、付けてください」

「うえっ、これを付けろと?そんなのこと言っても、これが何なのかどころか任務の詳細もわからないのに…」

「"命令に服従する義務"です。さっ、早く」


 その投げ通された指輪を受け取った木瀬が一歩の手を取り指輪を渡すと、彼女は彼に笑って命令を出した。

 その木瀬の言葉は明るく朗らかだか、未だサブリナの流した血が筋彫りの上を流動している指輪とは相反する雰囲気であった。

 それ故に指輪をおぞましそうに見つめる一歩は、手に取った指輪とその血の生暖かさに困惑しながら木瀬へと最後の抵抗をしようとした。だが、その抵抗も木瀬から隊員全員が入隊するとき宣誓させられる義務を持ち出されると何も言えなくなり、彼は掌の指輪を見つめるのである。

 特撮ヒーローの変身アイテムにも指輪は多く存在するが、黒に真紅という色合いや本物の血が血管の様な装飾に流れるそれはヒーローのアイテムと思えない程に禍々しいものである。

 木瀬の命令や睨む様な視線と指輪の禍々しさから着けるのをためらった一歩は、後ろの小笠原に助けを求めるように視線を向けた。


「はっ、肝っ玉の小さい男だ」


 だが、小笠原が反応するより先にサブリナが呆れとバカにするような視線を向けて一歩を罵倒した。


「なんっ、だと?誰かチキンだ!」

「チキンとは言うとらんやろ?」

「言ったようなもんだ!」

「お前、耳ついとんか!玉もなかりゃあ耳もなかとか!」


 その言葉に一瞬で怒りのボルテージを上げた一歩は食い入るようにサブリナを見つめると、彼女へ怒鳴りつけた。その一歩の態度の激変に驚くサブリナだったが、彼女は一歩の態度に流されるように何時しか言い合いを始めていた。


「言ったな小娘ぇ!やってやらぁ!1尉、指にはめればいいんですか?」

「えぇ、そうです。彼女と同じ指にはめていただければ…」

「解りました、はめますよ!」


 サブリナとの口喧嘩で勢いが付いてしまった一歩は、いつの間にか困惑や不審感を忘れてその場のノリだけで指輪を着ける覚悟を決めた。すると、彼は木瀬へと着ける際の確認を取り左手薬指へと指輪をあてがった。


「あっ、付けるときはサイズ気にせず1番奥まで嵌めて下さいね」

「えっ、何で…あっ、さっきみたいに回す?ですか?」

「いいから、そうしてください!」


 その指輪をあてがったときに木瀬から慌てて注意を受けると、勢いが一気に減速した一歩はその理由を尋ねようとした。その勢いの減速を感じ取った木瀬は、急かし慌てる様に一歩を焦らせた。


「付けて、捻る…痛ぁ!おぁ、血がぁ!」


 木瀬に急かさせた一歩は指輪をはめると、薬指付け根まではめたそれを勢いよく回した。すると、指輪は彼の径に合うように小さくなった。

 そして、その途端に一歩の指には鋭く猛烈な痛みが走り始めたのだった。それだけでなく、薬指から血が猛烈に溢れ出ると、一歩は薬指から冷たい何かが体の中に流れ込んでくるような感覚に呑み込まれた。


「エロイム、エッサイム…エロイム、エッサイム…

 来たれ、地獄を抜け出しし者、十字路を支配するものよ…

 汝、夜を旅する者、昼の敵、闇の朋友にして同伴者よ…

 犬の遠吠え、流された血を喜ぶ者、影の中墓場をさまよう者よ…

 あまたの対する者に恐怖を抱かしめる者よ…

黒翼、サブリナ、千の形を持つ月の庇護のもとに、かの者と契約を結ばん…」


 その薬指から来る激痛と全身を内側から駆け抜け始めた冷感と違和感に苦悶の表情を浮かべた一歩の横で、木瀬は手を組みながら部屋に響き渡るように呪文の様な何かを唱え始めた。すると、一歩とサブリナの指輪が赤黒い光を強く放ち始めるのである。


「なっ、何が…」

「契約だ。お前とうちん契約や」


 指輪から放たれる猛烈な光を前に驚く一歩に、サブリナはいたずらっぽく笑いながら指輪を顎で示しつつ説明した。


「とりあえず港3尉、これ持ってくださいね」

「ビニール袋?それに契約?契約って……うぉえぇぇえ…」

「おいおい、即効で魔力酔いか?いや、うちん魔力でただ吐瀉する程度やったらりマシか?わ」

「うぇぉおぉぇえぇ……」


 サブリナは説明のあいだ笑い続けていた。その楽しそうな笑みに一歩は首を傾げた。

 そんな一歩に何時の間にか横に立っていた小笠原が苦笑いをしながら彼へコンビニのビニール袋を渡した。

 そのビニール袋の参戦にいよいよ訳が解らなくなった一歩だったが、その瞬間に全身に巡っていた冷感が全身を突き刺すような激痛に変わり、体を駆け抜けていた違和感は猛烈な険悪感と吐き気、体の不調へと変わった。その気持ち悪さと痛みに耐えられなくなった一歩は、強烈な吐き気に耐えられなくなりビニール袋の中へと顔を突っ込んだのである。

 まるで胃が絞った雑巾の様に内容物を吐き出させる不快感がさらに吐瀉を加速させる一歩の姿は、病的を通り越して異常ささえ表していた。そんな吐き続ける彼の姿にサブリナは一瞬だけ飽きたような態度を取ったが、ビニール袋から透けて見える吐瀉物をよく見ると少しだけ満足そうにするのだった。


「うぇおぉえおぉおぇ……」

「すげぇ、ただ吐いてるだけだ。血も出てない」

「うぅ、もらいゲロしそう……」

「なんか、ここまで吐かれると…不思議と妙に悲しかね……」

「かっ、換気しなきゃ!うっぷっ……私、吐きそう!」


 明らかに摂取していた未消化物をすべて吐き出して胃液や腸液を吐き始めた一歩の姿は悲惨だったが、その状況に小笠原はむしろ驚愕したように驚いていた。まるですぐにでも一歩が倒れると身構えていた彼は、口の中の不快感を拭おうと唾を吐く彼にガッツポーズさえ取っていた。

 そんな小笠原に反して、木瀬は一歩の吐瀉で気分を悪くし、強化ガラスの向こう側の惨状に苦笑いを浮かべるのだった。


「はぁ、はぁ……昨日の夕飯と今朝の朝飯が纏めて……」


 ようやく吐き気が収まった一歩は、顔面を真っ青にしながらビニール袋から顔を上げた。その虚ろな視線で何とか軽口を捻り出したが、直ぐに彼はその場で動かなくなったのである。


「おぉい、コイツ白目剥いて気絶しとーぞ?」

「あっ、港3尉!」

「おいおい、港3尉しっかり!」


 その場で動かない一歩の言葉の続きを待っていた木瀬と小笠原だったが、楽しそうに一歩を指差すサブリナの言葉で彼の肩を揺すると、言葉通りに一歩が力尽きていることに気づいたのだった。

 そんな一歩の介抱をする木瀬と小笠原の焦りようにサブリナは爆笑しだすと、余りの可笑しさに腹を抱えだすのだった。

 小笠原に肩を抱きかかえられる一歩は力無く、完全に気絶していた。その深さは相当なことが起きない限り目が覚めなさそうな程であった。


「瀕弱ばい。こげん奴がうちん相方など務まるんか?」


 そんな一歩の姿にようやく笑いが収まったサブリナが馬鹿にするように呟いた。彼女は笑みこそ浮かべていたが、その瞳には不審というよりは確信がほしいと言いたげな疑念が見え隠れしていた。


「務まるよ。なんたって長い時間掛けて選んだんだからな」

「それに、一見我の強い貴方と組織である軍の士官の彼なら、そこそこ相性もいいでしょう?」


 そのサブリナの疑問に一歩の肩を担ぐ小笠原が胸を張って答え、担いでいた一歩を彼女の前に揺すって見せた。そして、小笠原の言葉に続いて木瀬が一言いってみせると、彼女は一歩を一瞬だけ哀れそうに見つめたのだった。


「ふんっ、哀れな供物……うちん力ん依代か……」


 呟いたサブリナの一言は突き放すような冷たい口調でこそあったが、その瞳は一歩から外れることなく彼を見つめ続けていた。


「あっ、あの!騒ぎが起きていると聞いたのですが!」


 面会室の騒動がようやく終わりそうになった頃、遅れて拘置所の職員の男が面会室へと飛び込んてきた。


「大丈夫です、もう済みました。それでは、この子を回収していきますね」

「おぉ、また倒れた方が……救急車は?」

「必要ありませんよ。この人、予想以上に頑丈みたいですから」

「なら……良いのですが……」


 その男は警備員も連れてきていたのだったが、帰り支度をし始めていた木瀬の姿と言葉に安堵した。

 だが、直ぐに小笠原に介抱される一歩の姿を見ると、彼は慌てて業務用の携帯に手を伸ばそうとした。それを片手で制する木瀬の一言に、彼は困ったような表情を浮かべながら携帯を戻して去ってゆく小笠原達を見送った。


「神のご加護があらんことを……」

「神がいたら、とっくに私もお前たちもこの世に居ない。世界は神が見離すくらいに、暗く淀んで、虚しいものだ」


 小笠原達を見送った職員の男は、胸から下げていた十字架のネックレスを取り出すと、右手で十字を切りながら彼らに祝福の言葉をかけたのである。その言葉に、看守の案内を受けながら部屋をさろうとするサブリナは、苦々しい表情と共に吐き捨てて去ったのだった。

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