異管対報告第1号-4
"人間がいる限り世界に平和は無い"というのが、一歩の持論であった。世界は何度も凄惨な闘いを行い、その度に暫しの反省こそすれど結局はまた悲惨な闘争に明け暮れる。その闘争は手法と道具を変えて激化し、いつしか人間は"平和戦争"という人類史初の異種族間戦争さえも経験するようになったのである。
そんな悲惨で愚かな人類だからこそ、一歩という人間は少年兵も若者の犯罪も完全に根絶することは不可能と考えていた。
「だからって言っても…こんな変な角カチューシャつけたコスプレをする外人女子をそのまま拘置所に入れるってどうなんです?せめて角のカチューシャとカラコンぐらい没収しても……」
「何じゃ貴様!こりゃれっきとした角じゃ!"かちゅ〜しゃ"?などじゃないわ、戯け!くらすぞ!」
面会室にやってきた一歩達3人を強化ガラス越しに待っていたのは、さながら二次元から飛び出してきたかのような1人の美少女だった。
そこそこにしっかりした造りの椅子に腰掛ける少女は、座高が低い代わりに長い足を偉そうに組んでいた。大きなオレンジの瞳には獣の様な縦長の黒い瞳孔が輝き、白い肌に映える黒いポニーテールと高い鼻にはっきりした顔立ちはおおよそ人間離れした美しさである。更に、彼女の頭には左右から捻れた円錐形に白黒の角が上へと向かって生えており、それが少女の周りの空間だけをまるで異界のようにしたのであった。
だが、一歩にはその少女が凝ったコスプレをする特異な外国人旅行客にしか見えず、思い当たるコスプレの元キャラを数人思い浮かべると、その確信は更に強くなった。それ故に、一歩は席に座りふんぞり返っている少女からコスプレ用のカチューシャさえも没収出来ない日本の外交姿勢に虚しくなると思わず皮肉を呟いた。
そんな一歩の独り言はそのコスプレ少女にも聞こえたらしく、彼女は眉間にシワを寄せ整った眉をしかめた。すると、少女は一歩を睨みつつ美人な見た目に反しドスの効いた声で脅しかけてきたのである。
だが、そのコスプレ少女の凄みも一歩からすると"悪ぶることに格好良さを見出した子供"のようにしか見えず、逮捕者の無意味な反抗として聞き流した。
「いやいや…最近の海外ギーク女子ってのは凄いですね木瀬1尉。こんなにハチャメチャな日本語……多弁混じりか?ヨーロピアンが日本の訛り言葉を話すなんて。言語学はあまり触れなかったですけど、日本語の訛りってのは貴重な文化ですよ」
「えぇ……そうなのね……」
その中でも、一歩はコスプレ少女の流暢な博多弁にだけは感心し、そのことを木瀬に話しかけた。彼のその間の抜けた内容に木瀬は苦笑いを浮かべると、軽く頭を抱えつつ答えたのだった。
「ところで、この語学留学コスプレ少女は一体何をやらかしたんです?それに、任務との関係は?」
「まぁ、とりあえずここは任せてください……ホントに彼女が海外から来てるなら良かったんだけど……」
木瀬の言葉と苦い顔をして頭を振る姿に続けて一歩は仕事の表情を浮かべながら彼女に尋ねた。
すると、その一歩の妙な切り替えの速さに木瀬は疲れたように溜息を吐きながら彼を手のひらで遠ざけながら説明しつつ、悪態と共に強化ガラス越しのコスプレ少女の前へと座るのだった。
「半年ぶりかしら?お久しぶりですね、サブリナさん」
「はんっ、半年?3年とここにいるのだが?貴様の顔を見たんは半年どころか一年半ぶりだ!」
「あの、そんなに声を荒げないでくれませんか?貴女の声、結構高くて耳に響くんですよ」
「五月蝿い!この声を今更変えることなんて出来るか!なにより、この状況に追いやっておいて何だその態度は!」
「ですけどね、後ろの人達も話を聞いてるんですから……」
「五月蝿い、黙れ!うちは喋りたいように喋るんだ!お前のような"非効率ポンコツ魔女"とやらん言いなりなぞになるもんか!」
「ぽっ…ポンコツ…ですってぇ…一体誰から…いえっ、そんなことよりっ!な、こっちが下手さ出ぃばい気になりやがって!おがすな悪魔、調子にのるなよ!」
席につきカバンから書類を取り出した木瀬は、これまでにない冷静な態度でサブリナと呼ばれたコスプレ少女に社交辞令を話しかけた。その口調は将校然とした見事なものであった。
だが、木瀬の前のサブリナは強化ガラスの通声穴へ顔が被さるように前のめりで座り直すと、彼女へ馬鹿にするような口調で社交辞令の内容について文句を飛ばすのだった。
そんなサブリナの態度を抑えつつ話の主導を取ろうとする木瀬は話をそらし彼女喋り方へ指摘を入れた。その冷静な指摘が癪に触ったサブリナは、更に彼女へ文句をまくし立てたのである。
その激しい口調に冷静な態度だった木瀬も圧されて口調を和らげると、そこに隙を見たサブリナは得意気に彼女へ悪口を叩きつけた。その一言は木瀬の逆鱗に触れたのか、面会室は訛りの効いた文句の言い合い合戦へと発展していったのだった。
「あの…小笠原2曹?」
「小笠原でいいですよ」
「なら、小笠原さん。あの、サブリナって子は……ひょっとして悪魔なんですか?」
「えぇ、そうなんですよ。あれ?港3尉は悪魔を見るの初めてですか?」
半端と正真正銘な訛が繰り広げる口喧嘩を眺める一歩だったが、彼はエセ博多弁で捲し立てるサブリナに不思議と人間のものとも違う威圧感とも言えない異様な存在感を感じた。
その存在感に一歩は"悪魔"を思い浮かべると小笠原へと尋ねかけた。その質問が眉間にシワを寄せて小首を傾げながら発されたのは、サブリナの姿が一歩の知る悪魔とかけ離れた姿をしていたからである。
そして、一歩の質問に答える小笠原は彼を一瞬だけ不思議そうに眺めながら質問を仕返した。その内容に一瞬だけ奥歯を噛み締めた一歩は直ぐに苦笑いを浮かべると後頭部を軽く擦った。
「えぇ、航空管制官は後方支援部隊って区分けですから。京都戦線展開と同時期に早々、空母艦隊は壊滅ですし、その後は大湊の勤務でしたから。部隊での教育映像なんかでは見たことはあっても、この目で見るのは初めてですよ。でも、悪魔ってもっとSAN値減るような見た目なんじゃなかったでしたっけ?」
「SAN値って、なんか響き懐かしい言葉ですね。最近はTRPGもやってなくて」
「それで、どうなんです?」
「悪魔って、記録映像とかみたいな名状し難い姿で居るのに凄い体力を使うらしいんですよ。地獄の門も狭まった今じゃ、ああいう姿が一番ラクなんですって」
そんな小笠原の視線と疑問に、一歩は苦笑いを浮かべながら答えつつ、自分の記憶にある悪魔を思い出しながら再び小笠原へと尋ねた。その困った様な言い方に小笠原も事情を察すると、その微妙な雰囲気を和ますように少しだけ話題を反らした。
その小笠原の話の脱線をありがたく思いなが一歩がさらに尋ねると、小笠原は頬を軽く掻きながら少しだけはっきりしない口調で説明をするのだった。
「へぇ…」
「適応力が高くて助かりますよ、3尉」
「自分で言うのもあれですけど、勢いだけで生きてきましたから」
小笠原の説明に一歩は未だ言い争いを続けるサブリナを見ながら気力なく呟いた。その呟きは小笠原の思っていた反応と異なったようで、彼は淡々と状況を受け入れる一歩に笑みを浮かべた。
そんな小笠原の言葉にも一歩は卑下するような含みを持たせて淡々と返し、言い争いを終える木瀬とサブリナを見つめたのだった。
「はぁ…はぁ…とにかく、貴女には選択肢が2つあります!これだけ待った挙げ句に強制送還か…」
「何だって!そんな話は聞いとらんぞ!」
「前から言ってます!もう一つの選択肢は、"貴女が私達に協力する"というものです。後ろにいる彼は…」
「ちっ…後ろん男はそん為におったんか。まさか、そんなオッサンがうちの契約者になるなんてな…もっと他にも居たろ!」
言い争いが白熱していたのか、木瀬は絶え絶えになった息を整え標準語に直しながら持っていた鞄の中に手を突っ込んだ。その手からは女体化した騎士王のイラストがプリントされたクリアファイルが取り出され、更にその中から木瀬は2枚の書類を取り出した。
その書類の片方を指し示した木瀬の言葉に即座に突っかかるサブリナは、その癇癪で声を荒らげかけた木瀬の一歩を指し示し説明しようとした。
だが、その説明の序盤にて何かを察したサブリナは、木瀬が一歩を指し示す中で眉間にシワを寄せて大いに駄々をこね始めた。
「小笠原さん…とりあえず、あの小娘ぶん殴って良いかな?確かに俺は"オッサン"だが、二十歳過ぎにはオッサンなんて言われたくない」
「多分素手じゃ勝てませんよ?あれでもウチのレンジャー十数人で抑え込んだらしいですから。ここの魔界直送"封印装置"でやっと人間並みですから」
サブリナの文句の内容にあった"オッサン"という部分に過剰な反応を示す一歩に、小笠原は苦笑いを浮かべつつ彼を諭した。
その小笠原の言葉や彼が自分の二の腕の筋肉を叩く姿に、一歩はサブリナへの軽く湧いた怒りを抑えた。
「とりあえず、この場で話題と流れについて行けてないのは俺だけって訳ですか」
「本当なら、先に3尉の着任と説明を挟む予定だったんですけどね。ウチの班長が防衛装備庁に出張って行ったり、アレの拘留期限が迫ってましたから」
そんな一歩は、いよいよ任務の詳細も解らない状況に苦言を述べた。その苦言に困った表情を浮かべる小笠原は、一歩を見ずにサブリナへと視線を反らしながら少し早口で言い訳を述べたのだった。
「あれ…ねぇ…」
その小笠原の言い訳を聞きながら、未だに騒ぐサブリナを物珍しそうに一歩は眺めた。その視線に気付いたサブリナは、その視線に対して不快そうに睨み返した。
「いいですか、サブリナさん。貴女、そんな大きな態度で出られる様な立場じゃないんですよ?本来なら、ランカスター条約によって貴女は既にこっち側で殺処分なりアッチ側にふっ飛ばされてもされてもおかしくないんですよ」
「はん!あげん鉛玉程度でくたばる程にうちゃ弱うなか!これでも地獄ん侯爵ん娘だぞ?そん気になれば…」
「目的も果たせず、こんな所で数年の観光旅行を終えますか」
「バカにして…お前にとってはくだらんだっちゃ、うちにとって重要なことなんや!あん時ん…父上ん言葉ん意味ば知るためには…」
サブリナの集中が自分から反れたことに気付いた木瀬は、机を数回指で叩くと口調に気迫を持たせて彼女を睨んだ。だが、そんな木瀬の言葉を物ともしないサブリナは、机に腕を叩きつけると前のめりの姿勢で逆に木瀬を威圧した。
だが、サブリナの威圧に呆れた態度の木瀬が茶化すような口調で一言述べると、サブリナの威圧の勢いは失速していった。
「失礼、1尉。いい加減に話へ置いてけぼりっていうのは嫌なので」
「あっと…港3尉、ここはこのまま私に…」
「流石にこの状況でずっと黙ったままは出来ませんよ。辞令書類の内容と異なる状況に、今の現状です。いくらなんでも…」
サブリナの威圧の失速で木瀬との会話に沈黙が生まれると、状況の把握をしようとした一歩は木瀬の後ろから声をかけた。その言葉を勘違いした木瀬は軽く後ろを振り向きつつ制止の言葉を掛けた。
その木瀬との会話のズレを戻すため説明の一つでも述べようとした一歩だったが、そんな彼にサブリナがじっと視線を送っていることに気付いたのである。
「なんだ、何も聞いとらんのか?同じ人間で同じ仕事ばしとんのに段取りも決めんとは、本当にこの小娘はポンコツだな」
「なっ…」
サブリナの視線で言葉を詰まらせた一歩に、彼女は呆れた様子で首を横に振ると頬杖をついて木瀬に文句をつけた。その文句に木瀬が反論する前に、サブリナは一歩に気怠そうに大雑把な事情を話すのだった。
「何ならうちが説明してやる。つまり、こん小娘達はうちに交渉ば持ちかけてきた訳だ。"一緒にこの国の為に働く代わりに、貴女の望みを叶えましょう"ってな。うちゃ自力でも出来るけん、ビザだけ寄越しぇて言うたのに何も聞き分けんでな」
「はっ…えっと、何言ってんの?望み?」
だが、その大雑把な説明で更に一歩は困惑すると、サブリナは目の前の木瀬に顎で説明するよう促すのだった。
「彼女は"地獄の門"が見たくて不法入国しようとしたんです」
「"地獄の門"…って、渡航する時に見れるでしょ?」
「3尉、そっちではなくて」
「あぁ、ひょっとしてロダンのヤツですか?」
サブリナの態度に不満そうな表情を浮かべる木瀬だったが、一歩に端的に説明した。その説明に疑問を持った一歩の言葉に木瀬が指摘を入れると、彼は視線を左上に反らして何かを思い出して呟いたのだった。
「おまっ…知っとんか?」
「知ってるも何も、上野の国立西洋美術館に……あっ、もう無いのか」
その一歩の呟きに椅子から立ち上がる程驚くサブリナに、一歩は思わず仰け反るほど驚いた。驚きながらも、サブリナに地獄の門のことを説明しようとした一歩は、その所在をはっとしたように呟いたのだった。
「そう。"地獄の門"は昔は世界に7つありました。ですが、平和戦争によってその数は3つにな、港3尉も見たらしい国立西洋美術館のものは、戦災を逃れるために文化庁が作った倉庫を経て、今は新国立西洋美術館開館の為にどこかへ運ばれた。それを知らずに、まして彼女は……って、ちょっと!」
一歩が呟いた地獄の門の在り処について木瀬が事務的口調で説明していたが、いつの間にか席を離れ一歩の元へと迫るサブリナに気付くと彼女は席を立ち上がった。
みるみると近づく2人の距離に、木瀬はサブリナを止めようと声をかけようとしたのである。それでも止まらないサブリナを前にした木瀬は、懐に手を入れ何かを取り出そうとした。だが、一歩の隣に立つ小笠原が木瀬に視線を送ると、彼女は懐から何も持たない手を抜き腕を組むのだった。
「おい、お前。さっきん言い方なら、"地獄の門"を見たことあるんか!教えろ、アレはどんなもんなんや?なして父上があれ程に執心したんや!」
「何だって?そんな早口で捲し立てられても、なに言ってんのかよく……」
「えぇい、だから!地獄の門とは何なんだ?私は……」
一歩の目の前に立ったサブリナは、片手で彼の胸ぐらを掴むと少しだけ身長差のある彼の鼻先まで顔を近づけ怒鳴りかけるのだった。
だが、猛烈な力で引っ張られサブリナの顔が近づき怒声が掛けられているという状況下でも一歩は淡々と言葉を返したのである。
その一歩の反応にサブリナはもどかしさを感じると、更に両手で彼の襟首を掴むと前後に揺らしつつ更に問いただそうとしたのだった。
しかし、無抵抗に頭を揺らす一歩の姿に、木瀬と小笠原はサブリナとの間に割って入り彼女を彼から引き剥がした。
「はいはい、そこまでです。港3尉も、これ以上は何も言わないで下さいね。今後の任務や細かい説明は今日か明日にはウチの班長が説明しますので」
「おい、離せ小娘!コイツは……」
「そうですね、そうですよね。一気に気になりましたよね。つまり、彼と一緒に働けば貴女の気になる地獄の門が何なのかや、親御さんの言葉の意味が解るかもしれませんね?」
木瀬の諭すような言葉を受けても抵抗するサブリナだったが、木瀬はそんな彼女に発破をかけるようなことを呟くのだった。その言葉にはサブリナも黙って俯き、一人考え込む様子を見せたのである。
「さぁ、どうします?何もしないで帰るか。協力して夢に近づくか」
「ちょっと、木瀬1尉。この子と俺……私が一緒に働くって……」
考え込むサブリナを急かす木瀬の言葉に、一歩は自分の今後にサブリナが深く関わりそうな気配を感じ取った。
「やむを得ないか……わかった。その話、乗ろう」「決断が速くて助かりますよ、サブリナさん。もうあと1、2時間は掛かると思ってましたよ」
空かさず木瀬に脳裏に過ぎる危機感を問おうとした一歩だったが、それを遮るサブリナの言葉と木瀬の反応で、彼は再び状況に流されるのだった。
「仕方ない……うちん気が変わらんうちに早う連れて行け。それと、あのニヤついた若造にも会わせろ。一発ぼてくりまわしてやる」
状況に流され何も言えなくなった一歩を置いてサブリナは席に戻ると木瀬の事を急かし、彼女も鞄の中から必要書類を数枚取り出すのだった。
「えっ、結局話に置いてけぼりですか?」
「港3尉、貴方はもっと基地の外に興味を持つべきでは?まるで浦島太郎ですよ……とにかく、意外と早く解決しそうですので、早速準備やあれこれを終わらして撤収しましょう」
その状況に一歩は苦し紛れに呟いたが、木瀬の一言で封殺されると隣りで肩をすくめる小笠原に助けを求める視線を向けた。
「結局、俺はこれからどうなんだ?」
「まぁ、直ぐにでも嫌ってほどわかりますから」
「"直ぐにでも"って……」
「さぁ、サブリナさん。書類はそこそこの枚数ありますから、ちゃっちゃと書いてくださいね」
一歩の困った視線や一言を受ける小笠原は、苦笑いと共に軽口めいた一言で何とか返すのである。その苦笑いに何かしらの事情を感じた一歩は、ただ言葉を反芻するしかできなかった。
そんな背後の2人のやり取りを知ってか知らずか、木瀬はサブリナの前に書類を並べ、嬉々として仕事に取り組もうとするのだった。