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Hell・After・Man  作者: 陸海 空
「この一撃で夜を蹴散らせ」
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異管対報告第4号-4

「はい、お待たせしました"芽葱とウニと中トロに、アジとイワシにヒラメ、ホッキ貝とコハダにイクラ"です」

「えっ、あの!全部4貫ですか?」

「えぇ、そうですよ」

「ウチが書いといたぞ!全員分だな!」


 地球に住む人類という種族は、肉や魚に野菜から菌類、果ては虫まであらゆるものを口に入れて胃の腑へ落としてきた。それは、栄養を得るという動物的な"食らう"ということからである。その食らうという行為は、イザナギとイザナミがカグツチを産み落としたからか、それともプロメーテウスが人に火を与えたからなのかはさておいても、人類の食らうという生命活動を"食べる"という行為に発展させた。その発展は最後に各地域のグルマン達によって"食べ方"という概念へ形作られ、食文化を生み落としたのである。

 その食文化の中で日本食文化は世界的知名度の高いものである。中でも、寿司や刺身のようなものは格段に知られていた。類似するものとして、ヨーロッパの生牡蠣やヤクート料理のストロガニナのようなものがあるが、純粋に魚を"他の食材と共に和える"訳でもなく"単体で生で"食べるというのは他文化からすればある意味で狂気的とも言える珍しいものである。

 だからこそ、日本食文化の本質であるフグの卵巣のようなものでも"毒物であれ旨く食べられられる方法を探る"という執念は物珍しさの対象となった。

 だが、そこに"人類の道徳さえも置き去りにする"加速しすぎた技術進歩とそれによる異様な肥満増加からなる"病的"な健康志向が加わったことで、海外経営者達は"ただ"切った生の魚を出せば利益が出ると誤解し、水産資源の浪費を始めたのだった。

 という、"あることないこと"を脳裏によぎらせつつ現実逃避しようとする一歩だったが、何度お猪口を空にして徳利を傾けても状況は何ら変わらない。

 目の前には運ばれた寿司下駄の上に並ぶ宝石のような鮨に白目をむいて顔を青くする足立が店員と品を交互に見つつ尋ねかけた。そんな彼女に困惑する店員の横で、サブリナは真っ先に鮨へ手を伸ばすとすぐにそれを口へ放り込みながら足立へメニューを指差しながら得意気に言い放ったのである。


「ハッ……ハハハ……」


 サブリナの"思いやり"は足立の心を砕き、口から乾いた笑いしか出させなかったのだった。


「足立さん。これ以上、傷口が広がらないうちに本題を言った方が良いと思いますよ?」


 鮨に手を伸ばしつつ一貫五百円を超えるウニを薄っすら浮かぶ涙と共に噛み締める足立へ、お猪口を一気に傾けた一歩は尋ねかけた。

 その口調の僅かに突き放すような荒さに足立が目を丸くすると、彼女の視線で一歩は眉間に皺を寄せつつ寿司下駄に手を伸ばした。そんな彼に、足立は口を開こうとした。

 しかし、頬張る一歩の視線は語気と異なり滑らかに足立の意志へ鋭く刺さったのである。


「いや、港さん何を言ってるんです?私達は単純に……」

「帰り際に飯について喧嘩してる同僚がいるからって、わざわざ"奢るからご飯行きましょう!寿司とか焼き肉、行っちゃいます?"とは普通ならんでしょ」

「うぐぅ……」


 それでもめげずに足立がなけなしの言い訳を突き出したが、一歩は即座にその付け焼き刃を叩き折ったのである。

 一歩の語る通り、彼とサブリナは訓練にパトロールと1日の仕事を終えた後にビルの1階フロアにて夕飯についての言い合いを繰り広げていた。その内容はもちろん、金欠であるサブリナが一歩に夕飯を奢らせるなり多めに代金を出させるという考えとそれを阻止しようとする彼の反論の平行線である。そこに突如として割って入ってきた足立とエリアーシュは2人の喧嘩を止めると、一歩の口真似のように彼らを食事へと誘ったのであった。

 当然その場の流れは異様に速く、問い詰める一歩の不信で瞳を濁らせた視線は足立が呻くだけな程に不自然なのである。


「この前、保護された女の子に関することですか?」


 だからこそ、一歩は湯飲みに口を付けながら視線を必死に逃がそうとする足立をばっさり斬り捨てるように尋ねかけたのである。

 足立は、ただ黙って頷いた。


「えぇ、そうなんです」


 沈黙のなか、足立は自分から目をそらさない一歩と寿司下駄と口へ手を往復させるサブリナへ視線を向けると意を決するように肩を震わせた。すると、彼女は懐に手をいれるとジャケットのポケットから数枚の写真を裏面に伏せて取り出したのである。

 サブリナは寿司にしか興味を示さず、そんな彼女に頭を抱える一歩はエリアーシュに促されると机に置かれる写真を掴んで引き寄せた。


「これは……?」

「"ブラック・バタフライ"。私達が探してる組織です」

「ブラック・バタフライ……?」


 写真をめくろうとした一歩だったが、力を込めたその手を一旦緩めると彼は写真から手を離しお猪口に手を伸ばした。その中身が空なことを口に付ける瞬間に気付いた一歩は、"日本人的事なかれ主義"にいよいよ縋れず止まれないということに肩を落とし溜息をついたのである。

 そして、一歩はお猪口を態とらしく鳴らしながら置くと足立の渡した写真を指さして彼女へ尋ねた。その質問に間髪入れないどころか食い気味に答える彼女の返答に、一歩はその名前を反芻した。

 だが、一歩は"ブラック・バタフライ"という名前に覚えはなく、頭によぎるのは"読者を待たせすぎる"アウトローな登場人物だらけなマンガや罵詈雑言が飛び交い"怒鳴ることを楽しんでるかのような"FPSゲームしか脳裏に過ぎらな。その脱線しつつある思考に進展を求め横に視線を向けるも、サブリナは寿司下駄の半分以上を胃に落とし込み4つずつ頼んだ意味は既になくなっていた。

 寿司下駄の上の惨事に気付いた足立の涙目に頭を抱え、一歩はサブリナを気にすることを止めた。


「つまり、違法風俗店を開いている元締めですぞ」

「そんなの、歌舞伎町には五万と居そうだがな。そもそも、そういうのは警察の管轄じゃないか?」

「そうじゃないということは、"ソウイウコト"でござるよ」


 一歩の反応から全てを察したエリアーシュは、硬直状態の足立に変わって彼へ説明し始めた。その語り出しから直ぐに噛みつき話を終わらせようとした一歩だったが、彼の発言を予想していたエリアーシュは芽葱に手を伸ばしつつ答えたのである。

 その中の強調された一部に、一歩は眉間にしわを寄せつつ湯飲みの茶に口を付けた。


「不法滞在してる悪魔でも雇ってるのか?」

「悪魔だけでなく、未成年から何から何まで見境ないから問題なんでござる。何より……」


 タヌキの顔が大きく描かれる湯飲みを置きつつコハダに手を伸ばす一歩は、口に頬張る前にエリアーシュへと怪訝な顔をしながら尋ねかけた。

 その問いの答えとしてエリアーシュが大きく頷き説明を始めると、手を拭きながら一歩は彼の指差す写真を捲ろうとしたのであった。


「写真か?」

「サブリナ、見るなよ?」

「なんでじゃ!」

「せっかく食った寿司を全部ぶちまけたいか……?」


 ようやく寿司から話の場へ戻ってきたサブリナは一歩が捲ろうとする写真を横から覗き込もうと彼に寄りかかった。そんな彼女を押し戻しつつ口の中のコハダを飲み込んだ一歩は、サブリナに睨みを効かせながら止めたのである。

 それでも引かないサブリナは一歩が指先で摘むのみに留めている写真を強引に表側へ返そうとした。

 しかし、一歩は寿司下駄を顎で指し示しつつ最後に一言小さな声で呟いた。その声は小さいながらに憐れむような声は嫌に2人の間の空気を冷たくしたのであった。


「ヤバそうなら、暫し待つぞ……」

「そうしとけ」


 普段見せない一歩の冷たい雰囲気に、サブリナは手を引っ込めると湯飲みに手を伸ばした。湯飲みのタヌキの戯けた顔を見つめる彼女は彼にジト目を向けながら呟き、一歩は茶を冷まそうと息を吹きかけるサブリナの姿に頷いた。


「こいつは……」

「ヒドイでしょ?数年前から身元不明なバラバラ事件が山岳部で続発してるんです。それも、全て女性なんです。種族や年齢は色々ですけど、全て女性なんです。しかも……」


 重なっていた写真をまるでトランプのように開いた一歩だったが、彼は直ぐに己の行動を後悔した。

 一歩は釣崎清隆の作品を何度か見たことがあった。釣崎清隆は写真家であり、その作品は治安の悪い国や紛争地帯で撮った死体を画集ししたこともある実力派である。日本国内でタブー視される死体や死というものを身近なもとであると主張しつつ、表現規制やタブーと真っ向から向き合うその姿勢は彼も共感するところがある。

 なにより、一歩は軍人であり戦場という場所で"否応なし"に死体を側にしたこともあった。


「酷いな、これは……」

「大抵、激しい暴行の末にです。死体遺棄の方法や現場の距離的に組織的な犯行は明らかです。その上で……」


 だとしても、戦場でも事件現場でもない食事の場にて顔が大きく潰され赤黒い血肉に頭蓋骨が一部破片となった女性の頭部や、手足を切り取られ四肢が揃わず頭と臓物を抜き取られまるで解体された食肉のような女児と思われる死体、逆にマニキュアが付いていることやその細さから女性と思われる千切られた手足は説明に必要とは言えどあまりに"場違い"過ぎるものだった。

 なにより、一歩は女性が傷付けられることに不快感を覚えるタイプであり、リョナの趣向は無かった

 そのために写真の中に広がる惨事を見せられた一歩は、口の中に残る寿司の風味さえ一瞬で不快なものにさせられると思わず呟いた。

 そんなの一歩の一言を別な意味として受け取った足立は、残ったガリを口に運び続けるサブリナを無視して彼に大きく頷いたのである。彼女の姿に一歩はあえて訂正を入れようと口を開いたが、それより先に足立は彼にもう一枚の写真を手渡した。

 一歩は足立の説明に口をへの字に曲げて見せたが、彼女の手は下がることなく彼は写真を手に取るしか無かったのだった。


「これは?」


 一歩が尋ねる写真に映っていたのは他の死体と比べると比較的に無事ならものであった。だが、顔は焼かれ関節部分を丁寧に切断されたその女性の死体には特に他の写真と比べても不自然なものは無かった。


「8ヶ月前に筑波山で見つかった死体です。見事に解体されて身元不明にされていたんですけど……これです、これ」


 首を傾げながら写真を返そうとする一歩だったが、その写真を指さしながら足立はテーブルの向こうから覗き込みつつ写真の説明を始めたのである。


「これは……蝶?」

「えぇ、そうなんです、足の裏。ここにこのタトゥーが見つかったんです。そして、他の遺体でもそれらしいタトゥーの痕跡があった。何より意図的に消されていた。そこから、この組織を私達は"ブラック・バタフライ"と呼んでいるんです」


 写真について説明しようとするも、位置が悪いのか急に席を立つ足立は一歩の横に立つと改めて映る死体の足のところを指さした。それに困惑する一歩だったが、よくよく見ると死体の足裏には何か半円状のものが大小並ぶタトゥーが彫られている。

 一歩が彼女の指さすものに理解が追いつくと、足立は他の写真も出しながら解説を始めたのである。その僅かに早口で熱の入った説明により、一歩も彼女が見せた写真の死体が不自然なまでに解体や破壊がされていることに気付いた。その気付きは足立の解説に信憑性を持たせるとともに、知りもしなかった犯罪組織が"都市伝説レベルの眉唾もの"から現実味を帯びさせたのだった。


「名前も理由も安直すぎやしないか?」

「サブリナ殿!」

「たまたまかもしれんぞ?」


 話の雲行きと己が事態に一層足を踏み入れつつある事態で額に汗をかき始めた一歩だったが、そこに突然サブリナが間に割って話に飛び込んできたのである。

 メニュー表と注文の為のメモ用紙を交互に見つつ店内で流れる"Get Back"にあわせて肩を揺らすサブリナの一言は熱くなる話を一気に冷めさせるとともに一歩に近づく足立の距離を離れさせた。

 話の流れを崩された足立がサブリナを睨むも彼女は全く意に介さず、エリアーシュの言葉にも動じず意見を投げかけるとともに店員に注文をつけたのである。


「でもそれが、この前保護された女の子にもあったと?」

「えぇ、そうです。彼女は右肩にそのタトゥーを入れていた。どういった事情なのかはわかりませんが……」


 立ったままの足立に着席を促すと、一歩は茶を一口飲みながら彼女へ尋ねかけた。その瞳は既に熱をなくし、"如何にしてここから脱出するか"しかなかった。

 そんな一歩に対して足立も引くことはなく、他にも持っていた写真をポケットから取り出し説明を始めようとしたのである。

 だが、そこにサブリナが注文したネタが届くと、店員への会釈によって僅かな沈黙が生まれた。一歩はその瞬間を見逃さず、足立の視線がズレた瞬間に席から立ち上がったのだった。


「なるほど、そうでしたか。それは大変ですね、いやいや頑張って捜査してください!では……」


 一歩は足立に一言残して店を後にしようとした。その流れは完璧であり、引き留めようにもその足早さは引き下がるしかないと思わせるほどに円滑なのである。

 ただ、1点を除いて。


「どうした一歩?まだ残ってるぞ?」


 去ろうとする一歩の背中にかけられたのは、本当なら自分の後を歩きつつ手を振ったり追いすがろうとする足立達を払っているはずのサブリナの声である。その声はまるで何かを頬張るようであり、彼はその声に思わず振り返った。

 そこには、再び1種類につき4貫ずつ頼んだ鮨がずらりと並び、寿司下駄から大皿へと切り替わっているほどである。その大皿に手を伸ばし、サブリナはホタテやイカ、イワシと頬張りながら食事を続けようとしたのである。


「違う違う、そうじゃない!ここはさっさと退散すべきときだ」

「どうしてだ?」

「これは俺達への接待だ!美味いもん食わせたから協力しろってこった!」

「いいじゃないか、一飯の礼は果たすべきだろ」

「明らかに割にあってないんだ!」


 一歩は直ぐにサブリナの横まで戻ると彼女を睨みつけながら手招きした。それでも、茶を飲み口内を整えて次のネタを掴もうとするサブリナは一歩の言葉にも小首を傾げながら彼の瞳を見返した。

 サブリナが少し前にした発言は退散するためのきっかけ作りではなく、ただの食事の場の会話だったのである。

 そんなサブリナの意図を理解した一歩は額に手を当てズレた眼鏡を直すと尋ねる彼女へ詰め寄りながら離席を促そうと急かした。それでも、サブリナは全く動じることなく手を皿の上で迷わせながらもイクラを手にしながら一歩に人情を説き返したのだ。

 一歩はその不平等な取引に嘆き、せめてもと悪態を吐き出し開いた口にウニを放り込んだのである。


「私の母、風俗嬢だったんです」


 サブリナが一歩のウニを口に入れながらも苦虫を噛み潰したような顔に諦めて席を立とうとすると、足立はポツリと呟いた。背筋を正し、膝上に置く手を握りしめる彼女は俯きながら肩を震わせた。すると、まるで狙ったかのように"The Long and Winding Road"が流れ始めたのである。


「こやつ、回想に入ったぞ」

「それ見ろ、バカ!こうなったら流れ的にも、もう逃げられないぞ!」


 完全な回想シーンの流れに、サブリナは楽しげに次の寿司ネタを選ぼうと手を伸ばした。一方で一歩は急激に悪化する状態に顔を青くして彼女の腕を掴んででも逃げようとしたのである。

 しかし、一歩最後の抵抗もエリアーシュの鋭く刺さるような殺気と視線を前に砕かれ、彼は渋々席に着きながらいつの間にか頼まれていた日本酒をお猪口へ注ぎ入れたのであった。


「父が早くに亡くなって、キャバ嬢とかもやってたりした母は女手一つで私を育ててくれました。雨の日も風の日も。田舎の店でしたので、皆さん本当に優しくて。店長も同僚の皆さんも私達のことを良くしてくれて、私もたまにお手伝いしながらお小遣い貰って、それを家計の足しにしたりして……」


 肩を震わせた足立は、俯いたまま自身の身の上を語りだした。その震える声音や弱った口調はまるで、小さい子供ながらに寂れた街の小さな店の雑多な控室を整頓したり、店の周りを掃除したりしながら店員や嬢に撫でられたり飴やお菓子、ちょっとしたお小遣いをもらう姿さえ想像させた。

 さらに、家庭の話までされたことで小さなボロアパートに母子2人で必死に生活する様がマンガやアニメのシーンから想像させられると、一歩はいよいよ離席するタイミングと覚悟が失われ、空いた心のすき間に酒とコハダを流し込むだけになったのである。


「世知辛い世の中だな、支援とかないのか?」

「国は母子家庭より"老人介護"に"大陸の不法移民への接待"が優先です。"未来ある若者"より"数が多くて投票してくれる未来なき老人"や"海外へのアピール"と"袖の下"に金を落として得したがる。この国が終わってる理由ですよ」


 口の中のものを飲み込んだサブリナが途中で足立へ尋ねかけると、彼女は顔を上げながらサブリナに潤む目を向け顔を赤くしながら語った。そのまるで女優の如き語る姿に圧倒されるサブリナは、話の内容は半分以上吹き飛び皿の上の手は宙を彷徨いながらテーブルへと戻った程である。

 そして、サブリナは足立の視線に耐えられず一歩に目配せすると彼に顔を寄せた。


「政治家ってみんなそんなのなのか?」

「日本の政治家は特にさ。一時期大改革があったが、結局は世襲制やら裏金献金だの時代遅れなことやらセコい稼ぎしてるからな。そんな"金券ショップ店員"や"奴隷商人"が政治家やってるから、この国は"先進貧困国"なの」


 足立の熱意に気圧されたサブリナの顔に期待を寄せた一歩だったが、小声で尋ねられたのは予想と反した政治に関するものであった。

 サブリナには、政治がわからなかった。

 小難しい話を熱く語られたことに気圧されただけであったことに一歩は頭を抱え、お猪口を呷るとどうにもならない苛立ちを政治批判に変えて吐き出したのである。


「んっゔん!」

「こりゃ失礼」

「うっ、すまん……」


 説明で納得したサブリナだったが、彼女が相槌を打つより先に足立は大きく咳払いをしたのである。

 それに思わず一歩とサブリナは謝るも、彼は自分の謝罪する理由に納得いかず頬を掻くと、せめてもの抵抗と大皿に手を伸ばし高いネタを取ろうとしたのだった。


「他の嬢や黒服の皆も優しくて、おかげで私はなんとか高校も卒業して。働くって言ってるのに、お母さん"大学出ないと今の世の中、働けないよ!体売るより頭を売りな!"って。ホントに無理ばっかりする人で……」


 一歩が再びウニを口にしても、サブリナが次の注文を書き始めても、足立は目を丸くするだけである。むしろ、現状の逆境は彼女の意地に火を付けるだけでなくガソリンさえ注いだ。

 足立はまるで"ブラック企業の営業マン"の如く頑ななのであった。


「だから、私は許せないんです。嬢だって生きてて必死なんです。それを消費物か何かのように扱う連中が!彼女達は職人なんです!疲れ果てた男を癒し、また明日頑張ろうと、またここに来て癒されようと、未来を見ようと思わせる職人なんです!確かにブランドもの買うことに金のことしか考えてない子とかホストに貢ぐ為に必死な人もいますけど。金にしか脳がない奴もいますけど!」


 語る合間合間に頼んでいたビールを流し込むうちに足立にも熱が入り、彼女は語る声がみるみると大きくなっていった。それは周りの視線も集め始めるほどであり、エリアーシュが宥めようとするも止まらず、ただ加速するだけであった。

 語る熱量は目の前にする一歩も激しく揺さぶられ、引くに引けなくなり始めた現状や引き受けてしまいそうな自身の善意を堪えるために寿司と酒を交互に胃の中へ流すのが精一杯なのである。


「お母さんみたいに必死な人だっているんだ……だから、こんなことは許せないんです……」

「紅美殿は通常勤務以外にも違法風俗店の摘発もやっているのでござる。まぁ、拙者たちはあくまで異管対ですので、悪魔や他種族を雇ったり霊薬を使ったりしてる店舗のみですがね」


 最後まで語りきった足立の瞳からは一雫流れ落ち、ハンカチを差し出すエリアーシュは何度も頷き彼女の背中を擦りながら一歩達に説明を付け加えたのである。

 一歩達のテーブルは完全にお通夜のような空気となった。


「なるほどそりゃ大変だ。足立さんもエリアーシュさんも無理はせずに程々に頑張ってください。それじゃ失礼……」


 グラスやお猪口を傾けたりやっと全員が大皿へ手を伸ばし始める中で、その場に耐えられなくなった一歩は徳利の中身を全て注ぎ飲み干すと勢いよく立ち上がり捨て台詞と共にその場を勢いよく去ろうとした。

 足立達はもう止めることもなく、彼女の肩をエリアーシュが軽く叩き励まそうとしていた。

 その2人の姿に、一歩は後ろ髪を引かれながらも退散する決意を固くしたのである。

 しかし、固い決意は急に引っ張られた右腕と押し込められた右肩によって一瞬で消え去ったのである。


「おい、サブリナ……?」

「一歩、なんかうちは許せんくなった」

「何がだよ」

「その、"ブラック"……なんたらだ!」


 その固い決意を叩き壊したのはサブリナであり、一歩を座席に押し込んだ彼女は彼の戸惑う言葉にネクタイごと襟首を掴み上げた。そのままサブリナは一歩の困惑や逃げ出したい意思に反して熱意を燃やし、最後には座席に叩き戻した彼に変わり立ち上がったのである。


「適切な業務管理も職場整備もしないで従業員を使い捨てにするなんて、なんて奴らだ!しかも、殺して捨てるってのは何より許せん!」

「怒るところ、そこかよ!」

「おかしいか!」

「なんか違うだろ!」


 だが、サブリナはそれまで頷き同意していた足立やエリアーシュの思考と斜め上な点で怒り始め、一歩はそのズレた感性に思わず声を上げたのである。

 サブリナは、政治が分からなければ"現代人の道徳的正義"もピンとこないのであった。


「サブリナさん、もしかして協力してくれるんですか!」

「もちろんだ!美味いもんも食わせてもらったし、そんな悪い奴らは許せんからな!」

「でしょう、そうでしょ!ほら、どんどん食べて」


 だとしても、事件や被害に怒ることは変わらなかったことは足立の狙い通りに打って響き、彼女はサブリナ同様立ち上がるとその手を取って潤む目に頬を赤くして見せた。その姿はサブリナの自尊心も擽り、足立の言葉に彼女は同意するだけでなく分かりきった接待を本気で受けでしまったのだ。


「単純なやつがぁ……」


 一歩は道理ある退路を塞がれた。

 それでも、一歩は己の危機回避本能に従い再び立ち上がったのである。

 一歩の決意は固い。


「足立さん、コイツは良くても俺……私はご遠慮させて頂きます!ただでさえこっちは色々業務も立て込んでて……」

「書類仕事は得意ですよ。何より、この一件が落ち着けば、私も普段通りの業務に戻りますし。"エースを抱えた故"の業務量もカバーできると思いますが?」


 だが、固い一歩の決意よりも足立は優に上手であり、彼の突き放つつもりの一言は彼女の巡る思考によって鋭いカウンターとなって放たれたのである。


「うぐぅ……」

「港殿、詰みですよ。紅美殿は一度決めると何処までも真っ直ぐで素敵な方ですから。ほら、何かお飲みになりますか?徳利が空ですぞ」


 呻く一歩に笑いかけるエリアーシュがサブリナの書いていた注文のメモ用紙を取ると、彼は悪魔の笑みを浮かべた。その絵のような輝きに奪われる現実感は、一歩に"人手不足を補うために減らされた係りや役職"によって雪だるま式に増える業務を一時の危機や困難で減らせるという魅力によって一層心に魔を差させてしまったのである。


「雪男を……一合……」

「承知した。サブリナ殿は何を飲みますかな?」

「ジンジャーエール!」


 肩を落としエリアーシュに注文を付ける一歩は、満足気にサブリナの注文も付け加えるエリアーシュと満面の笑みで頷く足立に深いため息をついた。


「手伝うって言っても、俺はそういう捜査だのなんだのなんて経験したことがない。パトロールだの喧嘩の仲裁とかなら何とか出来るようになってまだ日が浅いのに。元警務隊だの特警出身ならまだしも、海自の管制官に何ができるってんですよ?」

「それは確かにな。うちも、追跡とかならドラマの真似して出来るが、そもそも誰がその組織にいて、どこに拠点があるかもわかってないなら、それがわかってからじゃないのか?」

「お前の追跡は、モロボシ・ダンより雑だろ。だが、その通り!」


 それでも、心の天使を殴りつけた一歩であっても悪魔の手を取る以上は自身の行う代償はきちんと気にするだけ正気であった。

 一歩の冗談交じりな問いかけはサブリナにも同意させ、2人は少し言い合いながらも電灯に光る疑念の視線を足立達に向けたのである。


「大丈夫ですぞ、港殿」

「そう、港さんという"男性"の"新参者"だからこそ出来ることがあるんです」

「まっ、まさか!」

「そういうことです」


 エリアーシュの返す言葉に足立がさらに付け加えると、含みのある言葉に麻痺した己の危機感が再び覚醒した一歩は足立の頷く姿と同意を前に自身の短絡さを呪ったのである。


「俺……帰って良いかな?」

「お待たせしました、追加のお寿司と雪男の一合にジンジャーエールです!」


 最後の抵抗として呟いた悪態も接客スマイルを浮かべる若い女性店員が素早く空いた皿やグラスと注文の品を入れ替えると、一歩の目の前には更なる接待の場が広がってしまった。


「夜は長いですし」

「まだまだ、話して呑みましょうぞ」


 大皿さえも喰らわんという勢いのサブリナの横で一歩は青い顔に乾いた笑いを漏らした。その声は"A Hard Day's Night"にかき消され、4人の夜はまだまだ終わらないのである。

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