異管対第4号-1「この一撃で夜を蹴散らせ」
夜の新宿は眠ることがない。
それは、酔っぱらいやこれから仕事へ行く労働者、行く場所をなくした若者達が常に通りを埋め尽くし街の灯りは消えることなく、鳴り響くクラクションは車道を埋め尽くしているからである。
都市が生き物であるなら人の動きは脈動であり、当然ながら薄暗いビル街や路地のまた奥まで人の流れは続く。そのビル街の路地の奥にある小さな扉にハゲ散らかしながらもハイブランドで衣服を固め小綺麗な格好をした"大柄"な男が手をかけると、膨れ上がった腹と短い手足をその中へ流し込んだ。
扉の奥に路地より更に薄暗い廊下が続き、むき出しの電球は点々と続いていた。最後の行き止まりにはもう1つ扉があり、そこには妖精とも見えるような"黒い蝶"のオブジェがかけられていたのである。
「里中様、いらっしゃいませ。いつも当店をご贔屓にありがとうございます」
「いやぁ、とても良いプレイだったからね!ドゥフフ、いい店には何度だって来るさ!」
扉を躊躇いなく開いた男を出迎えたのは真っ赤に塗られた小さな部屋であった。その部屋はあらゆるものが赤く染められ、ソファやテーブルにハンガーラックさえも全てが赤かった。そして、全ての物が埃一つなく掃除され、質の良すぎる品の数々は明らかに異質な空間となっていたのである。
その部屋には1人の女が立っていた。たわわな胸を谷間が見えしくびれた腰を見せつけるようなボディラインを強調したナイトドレスを見せつけるように深々とお辞儀して挨拶する彼女は、妙齢な麗しさは異質な空間も相まってまるで映画のワンシーンのようであった。
女の挨拶を受けた男は噴き上がった汗を拭いつつ湿った髪を整えると、毒々しい笑みを浮かべてソファに座り込んだのだった。
「そうですか」
「いやぁ、ここまで良いお店があるのを知らなかったなんて、昔のオレは馬鹿だと思うよ!この前のリリアーネちゃんもカワイイし!鶯谷に行くよりよっぽど質がいいもの!」
「喜んでもらえたなら幸いです」
男の挨拶を受けた女は頭を上げつつ"作って崩さない"笑みを浮かべて答えると、気を良くした男はソファの背中にもたれ掛かり軋ませながら大声で笑うと、顔面に玉のような汗を何粒も垂らし始めたのである。
男の脂汗とヤニに染まった黒い前歯を前に、女は再び頭を下げつつ感謝の言葉を"捻り出した"。下げられた顔には笑みはなく、ただ男の笑い声が響くのみであった。
「しかし……ちょっと物足りないんだよね?」
「物足りない……ですか?」
「そう、そうなの!」
気を良くした男がジャケットの胸を弄り呟くと、女は顔を上げて態とらしい笑みを作りながら尋ねた。彼女の一言に取り出したセブンスターにデュポンで火を付ける男は煙を咳き込むように吐き出しながら答えると、タバコを持つ手で女の体をなぞるように手を振った。
舐め回すような男の視線に、女は笑みを引きつらせるも小首を傾げ、直ぐに赤いガラスの灰皿を赤いテーブルに置いた。
「もっと刺激がないと、ホントに仕事でもボヤボヤするというかさ、なんかシックリ来なくてイライラするし!会社の売上も捗らないんだよね。この前はリリアーネちゃんでイロイロとスッキリ出来たけどさ、普通なのじゃ、それだけじゃ足りないのよ!」
タバコを深く吸い込む男は汗と共に煙を吐き出すと、咳き込みながら熱く語り始めたのである。彼の語りはまるで張り付く熱気のようであり、彼が煙と咳を吐き出し語るほど部屋の湿度が急上昇すると思えるほどなのであった。
「もっと力強く抱きしめて、あの細く白い手足を縛り上げ、そして昂る愛を彼女達の体に叩きつけて、私の誠意をあらゆるところに吐き出したいんだ!」
男は2本目のタバコに火を付けると、いよいよ感極まって立ち上がりその語気をより一層強めた。そして、付けたばかりのタバコを灰皿に置くと彼は己の身を抱きしめてる捩り、震えるほどに全ての感情を語りきったのである。
その言葉を聞ききった女の目は笑っていなかった。
「なるほど、里中様の仰っしゃりたいことはわかりました。しかしですが、当店にはそのような過激な内容のオプションはありませんよ?」
「いや……あるだろぉぅ?」
笑みを作りながらも男のことをいなそうとした女は、まるで千枚通しのように鋭い眼光で彼を見つめると手を振りながらより一層輝く笑みを作った。
その笑みへ向けて、男は何処から取り出したのかいつの間にか指に挟んだ一枚の紙を女に突き出したのである。
「なるほど、宮内様のご紹介で……」
男から渡された紙は一枚の名刺であり、そこには製薬会社の社名や代表取締役会長という大仰な肩書が書かれていたのである。
女は笑みをより一層深くしながら呟いた。
「金ならもちろん、君達の設定通り払う。資金援助が必要なのも知ってる。それを考えても、ここに投資する価値は十分にある」
「なるほど、この店をかなりお知りになられたわけですか?」
名刺を返す女に男はしたり顔を作ると再びソファに座り込むと、半分以上焼け落ちたタバコを再び手に取りフィルターギリギリまで吸い込んだのである。
男が続けざまに語る言葉を前に、女は男の隣に座るとハムのような太腿に手を乗せ尋ねた。
「だって……壊してもいいんだろ?」
「そうです、商品はいつでも仕入れられますから」
女の疑問に疑問形で男が返すと、全てを理解した彼女は立ち上がり部屋の奥へ足を進めた。その先には扉があり、すぐ横のパネルへPINコードを入力するとモーターや機械の音が響いたすぐ後にロックが開放されたのである。
女の手招きに従って男が歩きだすと、2人は長く赤い廊下を進んだ。
「しかし、噂ほどの大金ではないのですよ?紹介者がいて、私達の店に多少なり協力してくれるばいいんです。しかも、私達の情報管理は万全です。宮内様のご紹介ならご理解しているかと思いますが、これだけ"気品ある方々"が常連である当店を"無茶をしてまで"私達を犯罪者として捜査する連中も少ない。リスクも低くて、逮捕の危険性もない。更には、夢のようなサービスに内容の拡張にも一言通せる。一石二鳥じゃないですか?」
「"そんなこと"まで……出来るの?」
「えぇ、皆様のようなお方々のご贔屓があれば……ですよ」
「いいじゃないか!金さえ積めば、世の中は回るし私も楽しい!沢山つけてくれ、思いっきり楽しみたい!」
「かしこまりました」
廊下を歩く間、女は男に淡々と店の説明をした。その内容は彼の興味を駆り立て、その足取りを軽やかにすると男は脂ぎった笑みを女に向けて尋ねかけた。
女も女で作った笑みで答えると、2人は歩みを速めて先を急いだのである。
「それでは、早速4人ほどお付けします」
2人が辿り着いた部屋はそれまでの部屋と同じく赤を主体に黒色をアクセントとした部屋であった。それでも、天井には豪奢なシャンデリアが輝き、広い部屋には長いパーティーテーブルに無数の料理が並び、立食形式ながらも先客達はそれを啄みながら談笑を楽しんでいた。片隅にあるバーカウンターは無数の酒にバカラのグラスを並べ、数人が酒を呷っている。
その先客達は誰もがおおよそ凡人が着ることのないスーツやドレスを身にまとい、浮世離れした空間は現実とは思えなかった。
だからこそ、男は女の説明によっては肩を震わせた。
「最初から?」
「えぇ。壊したいとのことですし、2人ほど多少鮮度が落ちていますので」
「その言い方は"残飯処理"みたいだよ?客をあしらうのは良くない店だね」
他の客から手を振られお辞儀で答える女に、男は黒服達から渡されるシャンパングラスを受け取りながら尋ねた。その笑顔は既に少し前の脂ぎったものが冷え切り、汗さえ固まっていたほどである。
そんな男に笑って答える女の笑みは既に少し前のものとは完全に異なり、口端はまるで裂けたように深く、妖艶さと異質さを更に強くしたのである。
男は生唾を飲み込みながらも上擦った声で女に軽口をついてみた。その言葉に彼女は男の喉元を軽く撫でながらもう一度笑って見せた。
「今回は初回ですから。次の入荷が直ぐにありますので、次回以降はより良い品を出せるかと思いますが?」
他の客から来る視線や女の笑顔に、男は汗を拭うと手に持っていたグラスを一気に飲み干した。
何より、男の頭には既に肌色と甘い吐息に悲痛に叫ぶ女達の声しかなかったのだった。
「そんなコトないね!素晴らしい店だ!」
「それでは、こちらへどうぞ」
「イヤハヤ、楽しみだねぇ!」
沸き立つ欲望に小躍りする男に女1枚のカードを渡した女は、彼を黒服に任せ周りの客に男のことを紹介するように指差した。
すると、周りから歓声が上がり男は赤いハートや黒い蝶装で飾装された扉の奥に消えていったのである。
それに合わせて女もスタッフ用の扉に歩み寄ると、彼女は再度お辞儀と共にその中に吸い込まれていったのであった。
「宮内様のご紹介でご新規1名。ハードのブロークン。壊れかけ2人と新品2人を合わせて4人。508号室へご案内して。お帰り後は、なるたけ早くたったと片付けて、廃品回収へ」
バッグヤードを歩く女はその笑みを解くと、まるで汚物を見たような表情を浮かべながら手を直ぐ側にあった洗面台で両手を洗い始めたのである。その両手が摩擦で真っ赤に染まったのを見た彼女は、台に両手を突くと深く息をついたのだった。
それでも女は直ぐに両手をペーパーで拭き取ると、両手をよく確認した後に胸の谷間から出したトランシーバーのマイクを使って待機室へと注文を出した。
「これで、また店は盛り上がる……」
一頻り出し終わると、女は呟きながら更に店の奥へ歩き出した。
「クソみたいなキモい男どもがいて、私達が糞共に儚き夢を見せてあげれば、永遠に大金持ちになれる!」
まるでミュージカルのような足取りに身を振りスカートをはためかせる女は、1人廊下を歩き続けた。今の彼女には少しずつでも業績を上げ拡張される店や美しくなる自身を思う程に、女は笑みを深くし心を躍らせたのである。
「このサイクルは崩させない。絶対に崩してなるものか。金が全てのこの世で、このシステムは壊させない……」
だからこそ、女の覚悟は何よりも深かった。握りこぶしは強く震え、行き着いた廊下の闇を見つめるその瞳は燃えていたのだった。
「ちょっと、早く運び出せ!臭いしキモいからさっさと運び出すぞ!クソ、こんなのちょっとでも触れば病気移されそうで嫌だな」
「元は見た目も鮮度のいい商品はだったのにな。最近は派手に壊す人も多くて困るよな!」
大きく縦長の袋を2人がかりで端を持ちながら運ぶ黒服がぼやきながら女の横を通ると、暗い廊下の闇の奥へと進んでいった。その袋の重さは男が2人がかりでもある程度息を切らす程であり、大きさは"小柄な女1人分"程である。更に、黒服達は鼻栓をつけるほどであり、袋にはハエが数匹集っているのであった。
その黒服達に手を振り檄を送った女は、2人を見送りながら来た道を少し戻り上階へ続く階段を上がったのである。
「もっともっと稼がないと。せめて、店をもっとマシなビルへ移す辺りからかな?」
階段の外壁や金属部は、客室と比べると遥かに老朽化しておりあちこちが錆やヒビが入っていた。
その壁や手すりを撫でながら呟く女だったが、彼女の耳に入れているインカムが呼び出し音を鳴らしたのである。
「なに?」
「605のサリアが辞めたいと言い出して暴れてます。何人かで抑えてますが」
「だったら、アイツと508号室へ送る予定の"年代物"を交換。どうせ地獄から出稼ぎに来てそのまま不法滞在してるゴミカスなんだし。そんなに荒れてるなら、"腐りかけ"よりもっと良く鳴くだろ」
「かしこまりました。では、準備しますので」
「はいはい」
通信に出た女の耳に入ったのは黒服の報告であった。その内容に彼女は脳裏で所属する女を何人も過ぎらせた。その中にも思い出せなかったその"サリア"をどうでもよく思った彼女は、直ぐに黒服達へ指示を出すと返事を聞いてすぐに通信を切ったのである。
女は些細なことを気にしていられるほどに暇ではなかった。
「さて、もうひと稼ぎしないとね」
女は衣装部屋に向かい、新たな客の出迎えの準備をした。
新宿の夜は更に更けてゆくのであった。




