異管対報告第3号-5
「逃げるもなにも、"勝手に好き放題聞き齧っただけの浅い適当なこと"を騒いでおいてからに。逮捕されないだけありがたいと思えってんだ」
「まったく、すごい連中だな」
「まぁ、平和ボケと左派、反魔術主義に人間至上主義者と勝手気ままに色々集まってるから」
「それなら、"品位"も"民度"も平等だから、一番無いやつに合わせて下がるわけだ」
防衛省を過ぎ合羽坂や新宿へと向けて走り出したクラウンの中で、一歩はバックミラーと窓を交互に見つつ警察の検挙さえ無視して捨て台詞をまだ吐き続けるデモ隊へ同様に吐き捨てた。その言葉に釣られてサブリナも彼と同様に後ろを気にすると、最終的には座席に膝を付き後方の景色を凝視しながら呟いたのである。
そんなサブリナの姿に軽く頭を抱える一歩だったが、彼は警察車両や警官隊に取り囲まれてから脱出を試みる活動家の姿を見ると彼女の行動も気にならず悪態が先に口から出ていた。そして、彼女は彼の言葉に頷くと、満足したように腕を組んで革座席を鳴らしながら座り直した。
「"皆"が死んんだのに"あんなの"が生き残るなんて……こんな"世界"壊れてしまえばいい……」
だが、そんなサブリナも一歩の一言の前に笑みは固まり、背筋は冷たくなった。彼の口調は普段と変わらない軽口めいた雰囲気を纏っている。
「一歩……?」
しかし、サブリナにはその軽い言葉の裏側に何かどす黒いものが蠢いているよう思えたのだった。
「いや、いきなりお前に"化け物"とか言っていたやつとか居たろ?ああいうの、良くないよなホントに。"自分のことでいっぱいいっぱいの惨めなやつ"って自己主張して、よく生きてられるよ」
そんなサブリナの口が思わず一歩のことを呼ぶと、彼は自分の口から流れ出していた言葉を誤魔化すように戯けて答えると、彼女同様に満足気な表情で笑って見せたのである。
その表情を見ても、サブリナは一歩へ引き攣って笑うしかなかった。
「そろそろ、いいかい?なかなか刺激的な発言をされると居た堪れなくてね」
「貞元さんは穏健ですね、あんなに無知な連中にボロクソ言われてるのに」
「あんくらい今も昔も変わらないし、日本国民は"いつまで経っても"平和の民さ」
そんな2人の会話は口調だけはそこまで陰険ではないために、貞元はフロントガラスの先に広がる坂道やビル群を眺めつつ後部座席へと話しかけた。そんな彼の表情をバックミラーから一歩とサブリナはジト目で見つめ、貞元は一歩の文句にも笑って見せた。
それに合わせて貞元の視線が歩道を歩く子連れの親子や携帯電話で通話しながら歩くスーツ姿のサラリーマンへ向けられたが、彼は直ぐに肩をすくめて前を見ると気怠げに呟くのである。
一歩と貞元にとって、国も国民も"その程度の存在"なのであった。
「それで、随分と都合のイイ登場でしたけど。どういうことなんです、貞元さん?」
「そういえばそうだな?まるで狙いすましていたみたいな登場の仕方だし、割り込み方も良くできていたな」
だからこそ、現在の話題から一歩は貞元への追求へ切り替えたのである。それはサブリナも訝しむ表情で大きく頷いて話に被さる程であり、一歩が同意するように腕を組んでを貞元を見つめた。
そして、サブリナは苦笑いを浮かべる貞元の運転席背もたれを掴むと揺らし始めたのである。
「おいおい、今度は俺に噛みつこうってか?勘弁してくれよ、何で助けた相手から糾弾されにゃならないんだ?」
「そりゃあ、こんな時間帯にここら辺を車で走ってるってのは不自然でしょうに?」
「そうだ、そうだ!ウチも怪しいと思う。貞元、お前の言うことは信用できん!ウチはお前に騙されたしな!」
座席の揺れに合わせて上半身を揺らす貞元は、ようやくバックミラーを見て一歩とサブリナを見た。一歩はわざとらしく肩をもう一度竦めて見せると、視線で辺りを指し示しながら彼に尋ねた。
それに続くサブリナは目を吊り上げて声を荒げると、スーツの内側胸ポケットに勢いよく手を突っ込み探り始めたのである。
「この身分証で"防衛省"とか言うのに入れなかった!」
「あっ、そういうことね」
サブリナは貞元の眼の前に外務省の身分証を被せるように見せた。その荒々しい動きに貞元は直ぐにその手を退かすと、眉を潜めながらも少し笑いつつ彼女をなだめるように手を振って見せたのである。
その手に押されるようにサブリナは座席に座ると、不貞腐れるように窓の外を見た。そこは伊勢丹を臨む新宿三丁目の交差点であった。
「いやぁ、まぁ、俺も色々と外回りしてたって感じだよ。その外回りから出勤しようとしたら、たまたま騒ぎと君達が見えたから、慌てて割り込んてきたって訳だ。正直、あんなアクションするガラじゃないけど、あれ以上に馬鹿騒ぎされても困るからさ」
ハンドルを握る貞元の説明は口調の明るさがあり、不思議と説得力があった。何より語って聞かせる貞元の瞳は車窓より遠くを見つめている。
そして、語り終わった貞元のバツの悪そうな表情を浮かべ、それに気付いて彼はハンドルを握り直し た。その革と樹脂が擦れる音の余韻に、一歩とサブリナは直ぐに問いただすことはしなかった。
人混みを眺めつつ車は流れに従い新宿通りへと進んだ。
「なんか怪しいな……」
「事実なんだから、怪しくも何もないよ」
「どうなんだか」
四谷へ向かう下り道を突き進む車の中は暫く沈黙が流れた。その中でサブリナは貞元へと流れる景色を見つつ噛み付いてみせた。
それに大してため息混じりに貞元が答えると、サブリナの捨て台詞が暫く車内を漂い空気は冷たくなったのだった。
「とりあえず、港君はご苦労さまね。休みだってのにわざわざ"あんなところ"に行ってもらって」
「大迷惑ですよ、デジ迷ならまだしも"こんなもの"着たくないのに着させらられて。それに"車まで乗った"から背中もズボンもアイロンですよ」
「なんか俺が悪いみたいな言い方だな」
「"制服勤務"はこの世の悪ですよ」
自分達が作った空気故に、暫く耐えていた一歩も限界を迎えるとバックミラー越しに貞元を見つめた。その視線に気付いた彼が話題を振ったことで、一歩と貞元の皮肉り合いが始まった。
そのおかげで、車内はようやく口を開くことに支障がない程度の温度まで上がったのである。
「しかし、いいところ住んでるよね港君の御実家は」
「母親と尻に敷かれて"いた"親父のお陰です」
「そっか、そういやそうだった。ごめん、悪気はないんだよ。ただ、職場に車力門通りに杉大門通り、駅も近いから羨ましい所だねってさ」
四谷図書館を通り越し突き進む車の中で貞元はなんの気なしに一歩へと話しかけた。その内容に一歩が一部を強調して返答すると、貞元は直ぐに少しだけ畏まった。
貞元は言葉に迷い口を僅かに開くも、最後は口を閉じて前を見つめた。
2人は、第三者がいれば会話を続けられるも、結局のところ"上司と部下"であり"それ以上でもそれ以下でもない"のである。
「なぁ一歩、お前の……」
「聞くな。俺は答えない」
いつの間にか車内が会話しづらい空気になった為に、サブリナは指で襟首を広げつつ一歩へとあえて話しかけた。彼女はこのタイミングを逃せば彼の口から聞けないと思ったからである。
しかし、サブリナの真っ直ぐ刺すような視線を前にして、一歩は逃げるように窓の外へ視線を向けると少し早口に答えた。それはぶっきらぼうな言い方であり、サブリナはそれ以上彼に尋ねるのを諦めたのだった。
「そういやだけど、近々2人の歓迎会をやろうと思うんだ。予定はメールしとくから絶対にその日は明けといてね」
「歓迎会?ダンスとか立食に貴族への挨拶回りとかか?」
「基準が変に高貴だけど、違うよサブリナちゃん。普通に飲み会だよ、飲み会」
「飲み会?」
再び口を開くことが憚られる空気になってしまった車は、何時しか四谷三丁目まで辿り着き一歩の実家の目と鼻の先を走っていた。その道中、貞元は昼飲み営業をする居酒屋を見つけると唐突に前を見たまま声をかけたのである。
その唐突な貞元の話題振りに一歩は思わず言葉を失い反応か遅れ、サブリナは車内の空気でしていた貧乏揺すりを止めると貞元へと首を傾げて尋ねかけた。そんな彼女の疑問を受けると、貞元は正していた背筋を緩めながら答えた。
しかし、サブリナの理解はまだ追いついておらず、貞元は少し悩むように唸りつつハンドルを軽く叩いてみせた。
「そう……当直の連中以外の職場の面子を全員集めてご飯を食べたりお酒飲んだりするんだよ」
「ほぅ……」
人の世界の知識が偏るサブリナの為に貞元は彼女にも解るように言葉を選んだ。多少語間に悩む間延びがあるものの、サブリナは貞元の説明でイメージを掴めたようであり、顎に手を当て指で軽く叩きながら頷いた。
「いいじゃないか、食べて呑んでは好きだぞ!」
サブリナは現金な面があった。
「歓迎会か……」
「なんだ、嫌なのか?」
しかし、喜ぶサブリナと反してようやく口を開いた一歩は渋い顔を浮かべつつ苦々しい声を漏らした。その引き攣っても見える表情を前にしてサブリナは眉を顰めて彼に詰め寄って尋ねた。
そんなサブリナの態度や近づく顔を前にして一歩は口をつぐむと天井へ顔を向けたのである。その反応にサブリナは少し前の雑談から彼の襟首を敢えてシワを作るように掴むと今度は一歩を揺すったのであった。
「まぁ、港君は"職場面子と何かする"の嫌いだものね」
「年功序列に階級を気にするのが嫌なんですよ。"気にするな"って言っても職場を同じにして仕事を一緒にするんだし、無理言うなって気分ですよ。畏まって胃袋も収縮して酔も覚めます」
「ほんとにどうしょうもない面だね」
「階級上がっても、これは治せませんよ。下の子に畏まられるのも嫌ですし、昔っから食堂で同席も気まずくなって飯かっ込んでましたし」
「カレーも旨いか不味いかしかわからないんだっけ?」
「今思えば、"ハヤタ隊員"の気持ちがわかりますよ。焦って食うと味も何も解かりゃしない」
「"ハヤタ"?」
「いえ……何でもないです」
緩やかな坂道を下り曙橋へと向かう車はもう少しで一歩の家というところまで近付いた。その安心感から一歩は貞元の皮肉も気にせず真正面から答えた。その返答に少しだけ口を曲げる貞元だったが、軽くため息混じりに振り返って彼に一言告げた。それでも、一歩はいい顔をせずに気不味く俯いて手を組みながら呟くのである。
そんな一歩の反応に貞元は彼の趣味を含めて理解ができず、一歩も説明を諦めたのだった。
「食べて呑んでができるのに、滅茶苦茶な男だな」
「お前に言われたくない」
一歩のその歪んだ考え方はもちろんサブリナも首を傾げるだけでなく腕を組み目を瞑って眉を潜めるほどである。
だが、サブリナの批判を一歩は素直に受け入れられず反論で返したのだった。
その様な会話をしているうちに、貞元の車は一歩のマンション前に到着したのである。
「とにかく、もう予約はしてるからキャンセルはなしね。主役が片方欠けてるとかそれはそれで見栄え悪いし」
「そんなぁ……」
「返事!」
「……はい……」
車の前後の道を確認しながら長いドライブを尾行していた者や不審な人影がないことを軽く確認した貞元は、後部座席へ振り返ると一歩の眉間に指を差し力強く言い放った。その言葉と眼力は一歩に悲観の言葉を漏らさせるものの、最後に力なく頷かせたのである。
「食べ放題か?」
「新人は"食いシバキ"だよ」
「つまり?」
「無理矢理にでも食って飲ませる」
「やったぞぉ!」
一方でサブリナは目を輝かせ、肩を落として力なく車を降りる一歩と対象的に貞元へ尋ねかけた。その声量に満足した彼も楽しげに答えると、彼女は小躍りするように車の外へと飛び出したのだった。
「そんじゃ、またね」
そして、自分達を"無知な人災"から救い出した"悪意ある人災"の一言に手を振りつつ、一歩とサブリナは貞元を律儀に最後まで見送ったのだった。
「良かったなぁ、一歩!たらふく食えるぞ!何料理なのか解らんがな」
「今のうちにアンと戯れてヤドカリンに餌やろっと……」
「どういうことだ?」
しかし、笑みを浮かべつつ一歩の背中を叩くサブリナと異なり、彼はシワだらけになった制服と手帳の予定に書き込んだ"職場面子との"飲み会という文字を前にして家へとあるき出した。
そんな一歩の小さな独り言へサブリナが尋ねかけると、彼はまるで映画のワンシーンのように天へ向けて背を反らし両腕を広げた。
「気を紛らわすの!」
脱獄ではなく逆に過酷な飲み会へ収容される未来の自分を憂いた一歩は、呆れるサブリナを無視して家路へと急いだのだった。




