2 クマと少女の夢
あれから数日が過ぎた。
僕はまた妹のお見舞いで病院に訪れている。といっても恒例のアンポンマングミを渡したら、すぐ中庭に向かうけどね。
「…」
白いベンチに座りながら、噴水の音に耳を傾けつつ本を捲る。もしかして今の僕って、かっこいい?
まあ、そんなお洒落なことをしに中庭まで来たわけではない。
そろそろのはずだ…
ポト
きた。
僕の座るベンチの隣に一つの紙飛行機が不時着した。
「……」
上を見上げると、窓から顔を覗かせる美少女が儚げな笑顔を浮かべながら手を振っている。
僕は紙飛行機を拾い中を確認する。
『こんにちは、妹さんは元気になりました?』
僕はその紙に文字を書き足し、紙飛行機に戻して少女がいる病室に向かって飛ばす。
『あいつは入院した時からずっと元気ですよ』
『お見舞いに来る優しいお兄さんがいて羨ましい』
『本人からは優しいなんて言われたことないですけどね』
『照れてるんですよ。私には兄妹がいないので羨ましい』
僕と少女はこうして紙飛行機を飛ばして文通を続けている。あれっきりにするつもりだったけど、未練がましく中庭を散歩していた僕に少女は飛行機を飛ばしてくれた。
「あ」
紙飛行機を飛ばしたが、壁にぶつかって墜落してしまった。
少女の病室は三階。
あっちは多少ズレて墜落しても拾いに行けるけど、僕は小さい窓を通過させないと少女にメッセージを届けられない。
「ふふ……」
僕の失敗を見て、少女は楽しそうに笑みを浮かべている。
…これはこれで嬉しい誤算というやつか。
再度、僕は紙飛行機を飛ばした。
『君にはどんな人がお見舞いに来るんですか?』
………
返事が遅い。
もしかして不味いこと聞いたかな?
少しして少女は紙飛行機を飛ばした。
『親が月に一度は来ます』
…妙だな、あんなに可愛くて親しみやすい子なら友達も沢山いるだろうに。いや…最初に拾った文通によると、あの少女は学校を怖がっていた。もしかして訳ありなのかな。
『僕がお見舞いに行きましょうか?』
僕は紙飛行機に文字を書いた。
……いや、やめておこう。
流石に踏み込みすぎだ。
ただ通りかかっただけの得体の知れない男子なんかが、病弱な少女の領域に踏み込むなんて不謹慎だし。僕はすぐに書いた文字を消して別の文章を書いた。
『早く退院できるといいですね』
これが無難だ。
………
また返事が遅い。
しばらくして、少女は紙飛行機を飛ばしてきた。
『僕がお見舞いに行きましょうか?』
「!」
僕の消した文字が、黒く塗りつぶされ読めるように浮き上がってる。消した跡に気付いて鉛筆で黒く塗りたくったのか。
『来てくれます?』
少女は僕の二つ目の文章ではなく、消した文字に返事を書いていた。その紙飛行機を最後に少女は窓の奥に引っ込んでしまった。
………
ここで引き下がれば少女を傷つけてしまう。
行くしかないか…
※
早速、病院の受付で面会の手続きをした。
だが簡単にはいかない…なにせ僕と少女はお互いに名前も知らない間柄だ。それに加え僕は異性、相手は絶世の美少女。僕にやましい気持ちがあって近づこうとしてるんじゃないかとナースさんも警戒する。普通なら門前払いだろう。
僕が手続きをしてしばし待つと、奥からナースさんが現れた。
「309号室になります」
面会は承諾された。
あの少女が承認してくれたのかな。
僕は少女が待つであろう病室に向かった。
………まさかこんなことになるとは。妹を呼んで同伴させようかな?いや、少女が許したのは僕だけだ。まず何を話せばいいんだろう。手ぶらで行ってもいいのだろうか…
そうこう葛藤していると、あっという間に少女が待つ病室に到着してしまった。
「………」
考えても仕方がない気がしてきた。
まず扉をノックしてみる。
………
返事はない。
僕は恐る恐る扉を開いた。
「お邪魔します…」
中は個室のようだ。
そこには、ベッドの上で外を見上げる少女が一人いるだけだった。
「………」
遠目で見るのと間近で見るのとではまるで違う。病室に佇む少女の姿はまるで芸術、触れることすら許されない高貴さと儚さがあった。
「……」
少女は自分の領域に侵入した僕を睨む。
文通をしていた時には無邪気な面が垣間見えていたけど、今の少女からはどこか近寄りがたい冷たい雰囲気を感じる。
やっぱり来たのは間違いだったのかな…
「は……は……はじめ……まして……」
そんな少女は、無表情のまま言葉にならない声を発している。
「その……ごめんなさい……緊張して……声が……」
緊張してるだけだった。
やっぱり文通の通り、中身は普通の女の子だ。
「ああ…えっと」
きっと少女は勇気を振り絞って僕を招き入れてくれたんだ。緊張するのは当然、僕が何か少女の緊張を解く話を振らなければ。
慌てて病室内を見回すと、ある物が目に留まった。
「そのクマのぬいぐるみ、最初の紙飛行機に描いてあった絵のクマですよね?」
少女の側に置いてある大きなクマのぬいぐるみを指差す。
「!……はい、友達です」
「クマが好きなんですか?」
「はい……可愛くて強くて、勇気をくれるんです」
「最初に拾った紙飛行機は、そのクマのメッセージだったんですね」
「う、うん……恥ずかしいから忘れてください」
こんな感じで文通をしている時のような、何気ない会話で少女の緊張を解こうとした。
しばらく話していると少女の表情は少しずつ柔らかくなり、僕の知ってるいつもの親しみやすい美少女の顔に戻ってきた。
「最初の紙飛行機…学校に通うって書いてありましたけど、退院できるんですか?」
「はい、もうすぐです……」
「見たところ中学生か高校生ですよね」
「今年から……中学に入学します」
驚いた、僕と同い年か。
完成された美少女だったから、年上と勘違いしてた。
「どこの中学ですか?」
「華岡です……」
「おお、僕も今年から華岡に通うんですよ」
「そうなんですか……?」
すごい偶然だな。
こんな美少女と同じ学校、同じ学年で通えるなんて僕も幸先がいいぞ。
「新しい学校生活、楽しみですね」
「……」
少女の表情が暗くなる。
「…不安ですか?」
「実は私、今まで病院の外に出たことなくて……初めて学校に通うんです」
「え、小学校にも通ったことないんですか?」
「はい……」
そうか…だからこの少女には、お見舞いに来てくれる友達がいなかったんだ。
少女の寂しさを紛らわせてくれる人は、仕事で忙しくしている両親とぬいぐるみだけ。僕に向けて紙飛行機を飛ばしたのは、寂しさを紛らわせるためだったのかも。
「それで学校が怖いんですね」
「はい……」
少女は不安げにクマのぬいぐるみを抱きしめる。その時クマの腕がベッドのそばに設置されたデスクに当たり、一冊のノートが床に落ちた。
「ノート、落ちましたよ」
「あ……!」
僕がノートを拾おうとすると、床で開かれたノートの内容が目に入った。
――――――――――――――――――――
1 学校に通う。
2 まず友達を作る。
3 輪になって雑談する。
4 友達と一緒に下校する。
5 放課後、友達と寄り道する。
6 お昼ご飯を一緒に食べる。
7 男の子の友達も作る。
8 友達と連絡先を交換する。
9 自分から友達に電話をかける。
10 授業をサボってみたい。
――――――――――――――――――――
その内容はノートに書くまでもない、ありふれた内容に見えた。あんまり人のノートを覗くのも失礼だから、僕はすぐノートを閉じて少女に渡した。
「…生まれ変わったらやりたい100のこと?」
そのノートのタイトルには、そう書かれていた。
「はい……昔、書いたものです」
ノートを受け取った少女が弱々しく呟く。
「私……ずっと寝たきりで、人生を諦めていたんです……どうせ学校にも通えないんだって……友達なんて作れないんだって」
少女の声は少し震えていた。
「でも、いきなり元気になって……そしたら、そんなノートを書いてたことが……恥ずかしくなって……」
「…なら、こうしたらどうです?」
「?」
僕は学生鞄から修正テープを取り出し、ノートのタイトル文字を消して新しい文字を書き足した。
『元気になったらやりたい100のこと』
「これなら変じゃないですよ」
「……」
修正されたノートを見て、少女は目を丸くしている。
「で、でも……叶わないよ……こんな病弱な私じゃ」
「目標は叶えるものではなく、挑戦するものです。がんばってみましょうよ」
「……」
少女は新しいタイトルに変わったノートを握りしめた。
「こんな私でも……普通の学生生活を……友達を作ることができますか?」
「…」
少女にとって自分の世界は、この狭い病室の中だけだった。その少女が想像もできない世界に飛び込もうとしている。
そんな少女に力を貸してあげたいと思うのは、僕だけではないはずだ。
「退院の日って、入学初日には間に合いそうですか?」
「は、はい……」
「なら良かった。まず自分のクラスが決まると自己紹介が始まります。友達を作るなら、そこでどれだけ自分がみんなと友達になりたいかをアピールすることが大事です」
「なるほど……」
「それと挨拶を心がけましょう。最初の人間関係は“おはよう”から始まります」
「はい!」
大きな野望を叶えたいのなら、平凡な僕では力になれない。けどありふれた日常が目標なら僕でも力になれる。僕は自分のために用意していた、平穏な学生生活を送るためのプランを少女に教えた。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。僕の名前は園田庭人です」
「わ……私、五十鈴蘭子」
こうして少女…五十鈴さんが退院するまでの間、僕らは理想の学生生活についてを話し合った。




