――捜神記―― 第一章 第二節 神の像
神を捜していた。
まだ見ぬ存在――しかし、誰もが信じている存在を――。
物心ついた頃からシロナは巫女姫をやっていた。
巫女姫をやっていた、という表現はどことなく妙であるとは思うが、これ以外に表現する方法がないのである。
違和感はあった。
いくら思い返してもシロナには幼少期の記憶が全くない。
だが、そのころの様子を誰に聞こうともしなかった。
誰も小さい頃の自分の話をしてくれるわけでもなく、それに、誰もが自分の昔語りをしないので気にも止めていなかった。
しかし、ある時突然シロナに湧き起こるように現れた疑問の噴水が一気に噴き上げた途端、彼女は街に出るようになったのだった。
まだ見ぬ、自分の知らぬものを知るために。
「なぁお姫様、これからどこに向かうんだよ」
アナベルの声に没頭していた意識から引き起こされたシロナは、慌てるように返事をした。
「あ、ご、ごめんなさい。えっとね――」
神殿は山の断崖に築かれた都の中腹にある。
その神殿の階段を登りきり、12本の円柱によって支えられた神殿のエントランスを左から回り込み、鉄格子の門扉に閉ざされた先に下り坂がある。
都の左翼側から都へと流れ込む川の水源たる渓谷へと続く洞窟である。
そこは神聖なる土地であり誰も入ったことのない場所であった。
シロナは顎髭の長い老公に「どうしてあの場所には誰も立ち入らないのか」と聞いたことがあった。
しかし、シロナの好奇心を満足させるだけの回答は得られず、むしろ失望にも似た答えであった。
「そう決められているから、か」
シロナは呟いた。
――面白くない。
――決められているから誰も入ってはいけない?
――それ以上に深い理由があるわけでもなく?
「そんなの、ただ考えることをやめてるだけではないですか……」
「どうしたんだよお姫様……なんか変だぞ?」
「……ごめんなさい、大丈夫。考えごとをしていただけだから。ほら、あそこが入口だよ」
「おぉー! すっげー!」
目を輝かせているアナベルとは裏腹に、心配そうな表情をカリンは浮かべていた。
「シロちゃん、ホントに大丈夫なの? 入っちゃいけないところなんでしょ?」
「何怖がってんの! 大丈夫に決まってるでしょ! シロナも一緒なんだし、な、に、よ、り、あたしがいるんだから安心しなさい!」
ジューンがふんぞり返りながら鼻を鳴らしている。
「だから心配なんじゃ……」
「そうだぞ、この前なんかぽよぽよした化け物をつついてとんでもないことになったじゃんか……」
カルミアとアナベルが細い目をして呆れている。
「テンテンでしょ? あ、あの時は……そ、その……肝試し! 肝試しに決まっているじゃない」
テンテンは街のすぐ側にある草原で見かけるゼリー状のモンスターだ。数日前、このメンバーで城壁付近で遊んでいたとき、都に紛れ込んでしまった一匹のテンテンが外に出ようとずっと城壁にぶつかり続けているのを見かけ、ジューンが枝でつついたのだった。
しかし、肝試しとは……無理がある言い訳だ。
「でも、まさかあんな平和そうなモンスターなのに剣も槍も通じないとは思いもしなかったね」
シロナはすかさずフォローを入れる。
ジューンはナイス! と言わんばかりに親指を立ててシロナにアイコンタクトをした。
「そうだな。門兵が束になって吹っ飛ばされてたしな」
「そんな手も足も出ないのが街のそばにいるなんて考えもしなかったわよ……」
アナベルとジューンがそんな話をしているうちに、一行は門扉の前まで来ていた。
アナベルとカルミアがごくりと生唾を飲みながら、シロナが門扉を解錠するのを待っていた。
「どうやってあけるの?」
素朴な疑問をカリンが投げかける。
その回答の矛先であるシロナに全員の視線が集まった。
「え? 開け方なんて知らないよ」
この時吹き抜けた風は、この場が谷間に続く洞窟であるというだけではなさそうだ。
◇◇◇
「さてと。まぁ、結果オーライってところかな?」
3メートルほどの高さがある門扉をよじ登り、全員がどうにか降りたところで額に流れる汗を拭いながらジューンが呟く。
洞窟から流れてくる湿った空気と冷たい風が、不思議と冒険心をくすぐっていた。
なぜだかわからないが、妙な安心感を得ていたからだ。
自然の生み出す落ち着きと言うのだろうか、神秘的な雰囲気を持ち、ここにあるのが当然と思えるほどすんなりと受け入れられる場所だった。
谷間を流れる水の音が洞窟内を反響し、大きな竜が口を開ききったかのような入り口からまるで鳴き声かのように響いている。
その口に飲まれるように歩み出す一行の足取りに一切の迷いはなかった。
◇◇◇
「ぎゃあー!! でかいネズミーー!!」
安心安全担当であるはずのジューンが真っ先に叫び出すと、「やれやれ……」といった表情でアナベルとカルミアが前に出る。
30センチメートルほどの大きさのネズミ――マルモット――がこちらを威嚇するように、前歯を剥き出しにしながら身構えているが、二人は臆することなく持ってきたハンマーとナイフを構えゆっくり近づいていく。
その後ろにシロナが長杖を持って悠然と立ち、その背中に隠れるようにジューンとカリンが松明を握りしめながら恐る恐る覗いている。
すると、マルモットが素早い動きで翻弄しながらまっすぐこちらに突進してきた。その勢いは後ろの3人を目掛けていた。
「させるかよ!」
アナベルがすかさずカバーに入る。
ナイフでその鋭利な前歯を受け止め、力強く振り払った。
「ナイス!」
カルミアが柄の長いハンマーを思いっきり振り下ろした――が、紙一重のところで避けられてしまった。
「くそっ……アナベル、そっち!」
「わかってるって! 挟み撃ちだな」
マルモットの逃げ場をなくすようにアナベルとカルミアが攻撃を仕掛ける。
「もう逃げられねぇぞ!」
洞窟の壁面に追い込まれたマルモットは、意を決したかのようにアナベルへと飛び掛かってきたが、これも作戦のうちだ。
「――“渦巻く水槍”!!」
シロナの詠唱に導かれるようにして空気中に水分が集まり、渦巻き状の槍へと形を変えた。
その水槍がマルモット目掛け、高速で射出され――マルモットを穿つようにその身を突き抜けた。
口を大きく開けたまま、それまで敵意の宿っていた瞳から生気が失われると、空中でその身が粒子状に消えていった。
「おっしゃ! 今日はいい感じだったな!」
「そうだね! アナベルの素早い追い込みのお陰で僕は助かったよ」
「だろ!? 俺ってやっぱり強いよな!」
はしゃぐ男子たちの背後から、これまで縮こまっていた女子たちがしゃしゃり出てきた。
「なーに言ってんの? 全部シロナの神通力のおかげでしょ? ね! シロナ!」
「でも、シロちゃんって本当にすごいよね! 今のどうやったら使えるようになるの? 私にもできるのかな」
「うーん、どうなんだろう……。私もなんとなく使っているだけだからわからないけど」
「「「(え……なんとなくなの……?)」」」
シロナが使ったものは魔法のそれに他ならない。
誰も魔法という存在を知らないので、「神に通じたる力」と呼称しているにすぎなかった。
この力が使えたのも、先日草原でウサギのモンスターを捕まえようとしたときにシロナが偶然にも“渦巻く水槍”で仕留めてしまったことがきっかけだった。
無自覚な力は時として脅威になる――シロナは十分に扱えるよう、アナベルとカルミアに協力してもらい、色々な獣型モンスターを狩っていたため、洞窟で襲いかかってきたマルモットにも落ち着いて対処ができたのだ。
モンスターを退治して気づいたのは、倒した後モンスターの体が粒子状に消えていくことだった。
そして、少量のお金と、時おり薬草や何かの種子のようなものが残る。
今回は3枚の銅貨であった。
カルミアは銅貨を拾い、袋の中にしまった。
倒して得たものはカルミアが一時的に管理し、ある程度集まったところで分配する約束になっていた。
モンスターがいなくなり、それまでの怖がりようが嘘のように、ジューンが意気揚々と先頭を歩き始め、一行は苦笑いしながら歩き始めるのだった。
◇◇◇
洞窟を抜け、谷間に出るとそこは切り立った崖のような場所であった。
目の前は落ちてきた滝が見え、どうやらその裏側に位置しているらしい。
回り込むようにして滝の裏側を抜けると、そこには川底が見えないほど深く沈む滝壺と、その勢いと音が嘘のように穏やかな水流があり、水流の先には谷間から差し込む光に照らされた祭壇があるのが見えた。
滝の裏から続く坂道を下ると、見たこともない植物が河原の石の間から芽吹いており、滝の音と川のせせらぎが聴く者の心を癒すかのようだった。
洞窟の入り口でも感じられた不思議な安心感の正体がこの場所にあるような気がした。
シロナの足は目線の先に見据えた祭壇へと向かっている。
荘厳な雰囲気に見とれていた他の4人も、シロナにつられて足を進めた。
浅瀬に染み入る砂利の音が心地よく、律を作って鳴っている。
5人分のその足音が祭壇に近づくにつれ、その祭壇に立つものの正体がはっきりと捉えられるようになった。
しかし、その祭壇の中央にそびえる人工物のようなものは、異様という言葉でしか表せないものだった。
「なぁ、お姫様。これって……」
「わからないけど……不思議。なぜかはわからないけど、昔から知っているような……そんな気がするの」
「あたしも……でも、なんだか……」
祭壇の中央にそびえ立つもの――それは、きっと、おそらくだが――神の像だ。
「とても悲しそうな顔、してるね」
その表情はどこか虚ろであった。
力のない目つきと、薄幸そうなその見た目もそうだが、何より異様だったのは、その像を縛り付けている無数の鎖の存在だった。
まるで神が囚われ封印されているかのように。
(まさか――神はこの地に封印されていたのかしら? でも、何故?)
荘厳な雰囲気と奇妙な安心感――その裏に抱えた不気味な不安を肯定するかのように物語は動き始める。