テーブルの女の子
ある日、突然居間のテーブルに一人の女の子が現れた。
その日、私はいつも通り夕食を終えてテレビを前に馬鹿笑いをしていた。
そしてふと、トイレに行こうと視線を横に向けた時、四角いテーブルの端に女の子を見つけたのだ。
「うわああああっ!」
当然悲鳴を上げて後ろに尻もちをついた。
だが、女の子の方はというと、何も反応しなかった。
透けている感じもないし、怖い感じもない。
ただ、ぼんやりした様子で座っていた。
「ええと……あのぉ……君、どこの子?」
話しかけてしまって、失敗したと思った。
もし霊であった場合、話しかけると興味をもたれてあの世に連れていかれると聞いたことがあった。
当然笑い話の一つとして聞いた話だが、こんな現象を見てしまうと真実味が増してしまう。
無視してみるかと、トイレに行き、何事もなかったかのように座ってテレビを見続けた。
ちらちら視線の端に入れて確認するが、女の子は微動だにせず、黙り込んでいた。
それから数日、彼女はまだそこに座ったままだった。
ここまでくると、私もこれは人間でないことにさすがに気づく。
飲み食いもせずトイレにも行かないのだ。
人間でない事だけは確かだ。
私に害を加えないことを考えると悪霊の類でもなさそうだ。
そうなると、女の子の幽霊とくれば座敷童かあるいはトイレの花子さんぐらいだろう。
しかしなんとなく座敷童ではないような気がした。
なぜならいつもつまらなそうな顔でぼんやりとして子供らしい仕草は一つも見せないのだ。
まだ子供なのに気の毒だな。
そう過って慌てて否定した。
感情移入すると憑りつかれると聞いたことがある。
当然笑い話の一つに聞いた話だが、オカルト的な話の全てを信じる気になってくるから恐ろしい。
それとも私だけの幻覚かもしれない。
私は眼科に行ってみた。
当然のように問題なしであった。
奇妙な同居生活が始まった。
いても害がないなら放っておくしかない。
私は突然現れた女の子を家具の一部とみなすことにした。
朝起きて家を出て戻って来ても彼女はそこにいた。
悲しい時も楽しい時も、なんとなく一人でいたい時も彼女はそこに座り続けていた。
ついに4年が経過した。
ここまでくると家族のような親近感を抱いてしまう。
しかし学生生活も終わりをつげ、私は就職と共に部屋を出ることになった。
家具のほとんども売ることにした。
寮生活になり家具のほとんどが備え付けなのだ。
困ったのはこの女の子のことである。
がらんとした部屋に一人取り残されることになるのだろうかと心配した。
だからといって出来ることは何もない。
私は初めてその子の向かいに座り、顔を見て話そうと思い立った。
お別れを告げる時ぐらいはそうするべきだと思ったのだ。
テーブルを挟んだ女の子の向かい側にはいつもテレビがあったが、今日売り払ってしまっていた。
ぽっかり空いたそのスペースに座ろうとしたとき、ふと、テレビの後ろにあった壁が目に入った。
テレビの裏であったそのスペースには埃や大昔の書類が積もり、壁にまで埃が張り付いていた。
その合間から写真の一部が覗いていた。
驚いたことに、その写真に写っていたのは突然テーブルに現れた女の子であった。
引っ張り上げると、写真と一緒に何枚かの紙がついてきた。
写真の左上でホッチキスで止められたその紙をめくると、学資保険監視型と書かれている。
ぱらぱらとめくり一番下の欄に両親のサインを見つけると、私は懐かしさに胸を締め付けられた。
大学入学が決まり、お祝いをした帰りだった。
不運としかいいようがない事故で両親は亡くなった。
幸い大学卒業までの資金は既に貯金済みだったため、予定した生活のすべてを失うことはなかった。
だが、両親を失ったことに悲しむ暇もなく後片付けや新生活の準備に追われ、当時のことはほとんど覚えていなかった。
大学に振り込むお金を確認するために学資保険の額を確認したのかもしれないと思ったが、それすらも曖昧だった。
私はその書類にじっくり目を通した。
気になるのは学資保険監視型の監視である。
詳細説明の項目に目を走らせた。
『大学生活に浮かれがちな5月から4年間の監視付き。Aタイプ少女、表情普通』
学生の女の子を連れ込んだり、たばこや酒を始めないよう、監視する女の子が家具に付属するサービスだと記載されていた。
確かに幼い女の子のいる家に彼女を連れてくるわけにはいかないし、酒を飲みすぎて酔いつぶれるわけにも、煙草を始めるわけにもいかなかった。
無意識に子供に見せられる年長者としてのふるまいを心掛けてきた気がする。
『付属家具…居間のテーブル』
その一文に、私は振り返り、女の子が座るテーブルの下に潜り込み、板の裏側を見た。
スマートホンの灯りで照らしてみると、そこに緑のライトが点滅し、複雑な機械が取り付けられているのがわかった。
小さなシールが貼ってある。
『使用期限…2月28日』
スマートホンの画面に日付が出ていた。
現在2月27日23時55分だ。
テーブルから急いで出ると私は机を挟んで女の子の向かいに座った。
両親と話した昔の会話を思い出した。
まだ小学生低学年ぐらいのときだった。
母親に妹をねだったことがあったのだ。
肩を少し過ぎるほどの長さの髪で、脇の髪を少しとって頭の後ろで縛り、大きな目でじっと正面を向いている。
もし笑っていたら悲しい時には邪魔かもしれない。
もし泣いていたら、毎日悲しい気持ちになるかもしれない。
いろんなことを考えて、両親が笑ってもいない、泣いてもいない普通の女の子タイプを選んだのだとわかった。
4年前に突然亡くなった両親がそこにいるようで、私は知らず泣いていた。
黙ってその子の向かいに座り、必死に涙を拭った。
大学生活の4年間、両親が亡き後も自分を見守り続けていてくれたのだと感じていた。
霞む視界のなかで、女の子の姿が点滅しはじめた。
5分以内に消えてしまうのだ。
その前に、伝えたい言葉があった。
「お父さん、お母さん、今まで……ありがとうございました」
私は頭を下げた。
一気に両親との思い出がよみがえった。
ゆっくり思い出して泣いている暇もなかった悪夢のような日々と、そしてそれまでの温かな思い出に胸が痛いほど締め付けられた。
顔を上げると、そこにはもう女の子の姿は見えなくなっていた。
机の下に潜り込んでみると、点滅していた緑のライトが消えていた。
もう一度説明書を手に取った。
『自動消滅機能付き』
彼女は消えたのだ。
私はこげ茶色の長方形のテーブルに突っ伏して両腕で抱きかかえた。
そして、この机だけは一生手放すまいと思ったのだった。
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4年前。
「良夫、このテーブル新居に送っておくからね」
母親の言葉に今年大学生になる息子は不満そうに何の変哲もない四角い机を見下ろした。
「なんか普通ぽい。もっとガラスのとか、スタイリッシュなデザインの机が良かったな」
「高かったんだぞ。大事に使えよ」
父親が口を出した。
「母さんの愛が詰まっているんだから。絶対買い替えるなよ」
「わかったよ。まぁ机なんてなんでもいいし」
そろそろ時間だと、父親が車のキーを取り上げた。入学祝にレストランを予約していたのだ。
珍しくスカートを履いた母親が少し派手な口紅を付けている。
照れくさそうに息子も上着をとった。
それは幸せな家族の時間だった。