第3話 邪竜姉妹ノクティ&ケイの解放
闇におおわれた荒れ果てた大地。
一日中、光の差さない真っ暗闇の空間。瞬かない星が夜空を埋め尽くす。
明るい地上を追われた邪竜族は、水どころか空気も乏しい月の裏側で暮らしていた。
粗末な石を積み上げて作られた家がぽつぽつと並ぶ村。
その外れにある、牢獄のように頑丈な家の中で、ケイ・ニグレードはベッドに横たわっていた。
華奢な体をシーツで覆い、枕元には輝くような金髪が広がっている。伏せられた長い睫毛が美しい。
静かに寝ているものの、時々、こほっこほっと咳をする。
寝ている姿は今にも消えてしまいそうなぐらい儚げだった。
――と。
コンコンとノックの音がした。
ゆっくりと目を開けるケイ。
たれ目がちの大きな青い瞳だけを動かして扉を見る。
すると、お皿の載ったトレイを持つ少女が黒いツインテールを揺らして入ってきた。
快活な笑顔をケイに向ける。
ケイの姉、ノクティ・ニグレードだった。
「調子はどう? ゆっくり休んでた?」
「お姉ちゃん……こほっ」
呼びかけるだけで咳込んでしまうケイ。
ノクティは目を丸くしつつ、急いでベッドの傍へ駆け寄る。
「大丈夫、ケイ?」
「うん、なんとか……」
ノクティは持っていたトレイをケイの前に差し出した。
お皿が二つ載っており、赤いシチューが湯気を立てていた。
「どう? 見てよこれ! 地上に降りて猪を狩ってきたのよ! おいしいものを食べれば元気も出るわっ」
「あたしのために……お姉ちゃん、ありがとう」
ケイは青い目を細めて微笑んだ。
ノクティがベッド傍のサイドテーブルにトレイを置くと、ケイの上体を起こしてからスプーンでシチューをすくった。
口をとがらせて息を吹きかける。
「ふーふー……さあ」
ケイの口にスプーンを当てて流し込む。
かすかに口を動かすと、ケイは目を細めて笑った。
「んっ……おいしい」
「そう。よかった」
ノクティもつられて笑顔になる。
そして何度となくシチューを食べさせた。
すると、ケイが言った。
「あったかいうちに、お姉ちゃんも食べて」
「うん、そうね」
ノクティは白歯を見せて笑うと、自分の器を片手に持って食べ始めた。豪快にスプーンですくって食べる。
三口ほど一気に食べると頬張りながら言った。
「おいしい!」
「あはっ、お姉ちゃん」
「やっぱり、とれたての猪はおいしいわね! ――そうそう、降りた時に面白いことがあったの……」
ノクティが地上での出来事や失敗談を楽しく話して聞かせる。
ケイはシチューを食べながら笑顔で頷く。
姉妹の食事はなごやかに過ぎていった。
――しかし。
シチューを食べ終えるころ、ノクティがスプーンを落とした。
ケイが不思議そうな声で尋ねる。
「お姉ちゃん?」
さらにノクティは空の器を落とした。
カラカラと音を立てて床の上を転がる。
そしてノクティ自身も床に倒れ込んだ。
スレンダーな体を細かく震わせつつ叫ぶ。
「か、体が! 動かないっ!」
「ええっ、お姉ちゃん!? ――あ、あたしも動けない……なんで」
「いったい、どうして!?」
姉妹が戸惑っていると突然、扉が開いた。人が入って来る。
ノクティが眼だけを動かして入ってきた人々を見る。
髪を短く切り揃えた髭面のいかつい男だった。他に三人いる。
「副族長?」
「よし、効いているようだな」
その言葉にノクティは、はっと息をのむ。
「なに!? まさか、シチューに何か入れたのね!」
「儀式が終わるまで大人しくしていてもらおうか」
「なによ、それ!? 儀式!? どういうことよ!」
ノクティの尋ねる声には答えず、副族長はベッドを取り囲んだ男たちに指示を出す。
「気を付けろ。ケイに触れると、蝕まれるぞ」
男たちは頷いて、慎重にベッドをずらしていく。
またノクティは男の一人によって乱暴に部屋の隅にまで引きづられて壁際に放置された。
ノクティは焦点の定まらない目で副族長を見る。
「い、妹になにをする気なのよ……」
「世界を滅ぼすケイの力を開放して、我らが分散して所持する。力は落ちるが使用できるはずだ」
「そんなことをして、ケイは大丈夫なの?」
ケイの持つ強大な力を無くせるのであればケイは助かるかもしれない、と一瞬ノクティは考えた。
しかし副族長は直接的には答えない。
「……悪く思わないでくれ。村人の総意だからな」
「その言い方! やっぱり妹は死んじゃうのね! 儀式をやめなさいっ。今すぐ!」
「お姉ちゃん……」
身動きの取れないケイはベッドの上で悲しげにつぶやいた。
それから部屋の床に魔法陣が描かれると、ベッドがその中心に運ばれる。
寝たきりのケイにはどうすることもできなかった。
男たちが魔法陣を囲んで呪文を唱え始める。
ケイの整った顔立ちが歪み、苦し気に声を漏らす。
壁際に横たわるノクティが叫ぶ。
「ダメっ! 逃げて、ケイ!」
しかしケイは動けなかった。
ベッドの上で苦しみつつも頬笑みを浮かべて目を閉じる。目の端から透き通る涙があふれた。
「いいの、お姉ちゃん。もういいの」
「なんでよ!」
「あたしが、生まれてきたのがいけなかったんです。お母さんを傷つけ、お父さんを追いやり、世話をしてくれた人を蝕んでいく。アタシが、みんなの幸せを奪ったんです」
「アタシは奪われてないわ!」
「うん。お姉ちゃんだけだった。でも、あたしが生きてるだけでお姉ちゃんの人生も奪ってしまうから……もう、みんなの迷惑になるの、疲れました……」
ケイは閉じた眼から涙を流しつつ、静かに終わりを待つ。
ノクティは手を震わせながらもこぶしを握り締めて叫んだ。
ぎゅっと閉じた眼から涙が伝う。
「何も奪ってない! アタシだってケイしかいなかったのよ! 強すぎるから、みんなに怖がられて! 挨拶するだけで怯えられてた! 怖がらないのはケイだけ――だから、だから! アタシを一人にしないでぇっ!」
ノクティの悲痛な叫びが小さな部屋に響いた。
ケイが、はっと青い瞳を見開く。
「お、お姉ちゃん……待って、止めて」
長い睫毛を震わせて切なげに訴えるが、しかしもう遅い。
呪文を唱えていた副族長が懐からナイフを取り出した。
ギラリと白刃を光らせつつ腕を振り上げる。
「村人の総意は変えられん。だが安心しろ。そなたの力を有効に活用すると誓おう」
ノクティが顔をゆがめてのどを張り裂かんばかりに叫んだ。
「誰か! 誰か、妹を助けてぇ――っ!」
「いいぜ。任せろ」
「えっ?」
ザァ――ンッ!
ノクティが驚いた途端、空間に白い閃光が斜めによぎった。
ナイフを振り上げていた副族長が一拍遅れて、ぐふっと口から血の塊を吐く。
「な、なに……」
彼は濁った眼を見開いて呻き声を漏らしつつ、肩越しに後ろを振り返る。
ずずず……と斜めに切られた扉が倒れていき、その向こう側に剣を構えた青年が立っていた。
茶髪の前髪が扉の倒れる風に煽られて爽やかになびく。鎧すら着ていないジャケット姿。
そして白い歯を見せて強烈に笑った。
「村人の総意? 嘘言うなよ。ケイの力を手に入れて、次の族長になろうとしただけだろ」
「なんですって!?」
ノクティが、息をのんで驚いた。
魔法陣を囲んでいた男たちが懐からナイフを取り出す。
「何者だ……?」「儀式は終わりだ」「どちらにせよ、知られてしまったからにはここで死んでもらう」
男たちはアレクに向かう者と、ナイフを振り上げてケイに近づく者がいた。
アレクは、ふっと鼻で笑うと前髪をかき上げる。
「遺言はそれだけか?」
「なにっ!?」「やれ!」「死ね!」
男たちが動きだす。二人の男がアレクへ駆け寄った。