B-4
生き方、考え方の模索、変動って言ったら大げさだけれど
私は、三度ほど、極端に思考を変動させたことがあって
私は多分、その変動が始まっていない頃の私とは、話が合わないと思う
昔は、やたら生き急いでいたけれど、悟ったようなものでもなくて、どこかふわふわしたそれ
死んだら全てが無くなるから後も先も思考の先は、存在しなくて
死ぬ日に向かって生き急いで そこで死ね無かった時、それまでの全てがひっくり返って
先を先を想定して、そんな思考をすることをきっぱりとやめた
出来ないことは、その時全て捨てた
それが三度目の変動だけれど、その間に二度目の変動がある
それは、今思うと変動だけれど、当時はただ必死なだけだった
その時の私とも話は合わない
上手く言葉には出来ないけれど私は、その時、何かを赦して、一部分だけ自分を解放出来たのだと思う
大まかに分ければ私の大したことのないしょうもない人生の思考の変動なんて、
ーーその三度だけだ
解放は……むなしくなるのに(いままでがなくなったように、無かったように思えて唖然とする)
ひどく渇望されることのように思う
ただただどうしようもなく、沼に足をとられて沈めば、そのあいなかは、苦しいだけなのに、沼の外も、沼の中も、それらは同様に安定したまどろみと、息を出来る楽さにほっと落ち着けるものなのだろう
狭間ほどきつい思考の地獄は存在しないように、だから、思えてしまいます
拘る心は、だからこそ苦しくて、だからこそ同時に試金石となると、そう思えてしまいます




