この世に蔓延るものの名は
取り敢えず、はじめてみました。
第零章 桜鬼の終焉
「誰ぞっ、あの女を捕らえよっ。鬼が長だっ」
「姫様っ 」
漆黒の夜空を切り裂いて燃え上がる炎と暴風に、桜の花弁が乱舞する。黒と白と赤とが渦巻くその中心に、女がひとり佇んでいた。
『我が身、今世、ここで果てようとも』
炎に巻かれ息苦しいだろうに、肌が粟立つほどに麗しいその声は恐ろしいほどよく通る。
『我が魂は永久にここに』
宵闇を切り取ったかのような黒髪が、新雪を紡いだかのような着物が、炎に溶け込んで消えていく。そんな我が身を襲う苦痛を欠片も見せることなく、女は凛然と言葉を紡ぐ。
その周囲を取り囲む多くの者達も、傷つき血にまみれたボロボロの姿ながら誰ひとりとして項垂れ首部垂れているものはない。
『我等、【鬼】と呼ばれしものの怒りと誇り。とくとその眼に焼き付けるがよい』
「我等の長姫と共にっ」
「姫様と共にっ」
襲い来る多勢を道連れに、炎が、風が、すべてを燃え上がらせていく。
兵士達は上の命令に逆らえないが、あまりの火の勢いに進めないまま焼き焦がされ、背後から圧され潰れていった。
「鬼どもは不死の身っ、捕らえて下僕とすればっ」
「帝の命令は鬼姫の生け捕りだぞっ」
「死なせるなっ」
「捕らえたものには望みの褒美がおもうがままぞっ」
恥ずかしげもなく下劣な欲を言い放つ愚かな将軍と、無為で無力で無抵抗な兵士達のあげる罵声と悲鳴は女の声に比べれば記憶に残す価値もない雑音でしかない。
『我が身と魂は何者にも渡さぬ』
地獄の業火のごとく暴れまわる風と炎が、女を中心にすべてを飲み干し、食らい尽くしていく。
『我等は【鬼】、神にさえまつろわぬものぞ』
そんな凄惨な光景を、遥か後方からただ見つめる者達がいた。
「桜鬼が一族が逝く、か」
「かの一族も、無制限のひとの欲には勝てぬ」
不老不死を囁かれたがゆえに帝の目に着いた一族は、狩りたてられ、飼い殺される運命から逃れるべく、一族揃って自決したのだ。
「いずれな我が身、か」
「人どもとて、いつまで保つものかっ」
愚かで非力でありながら、旺盛な繁殖力と底無しの我欲。
人どもの恐ろしさは、まさに災いと言うに相応しい脅威だ。
「桜の花咲きたるところは、死体のありしところだと言うな」
永遠に燃え続けるがごとき炎を見やりながら、ひとりまたひとりと、彼等もまた姿を消して行く。
燃え上がる桜の咽ぶような嘆きを、あえて聞かぬままに‥。
まずは過去の一場面。