蟻
私は、灰皿まで登ってきた蟻に根性焼きをしたのだった。焦げたというよりは溶けた、といった様子だ。
溶けたいのはこっちだ。ああ、お前がうらやましい。私は夏が嫌いだ。昼はセミがうるさいし、夜は下品な女の笑い声がうるさい。とにかく夏は騒がしい。お前はそんなものを気にすることもなく、一瞬で死んでいったのだ。お前がうらやましい。
大学の喫煙所にはどこも屋根がない。皆暑さに耐えながらそれでも吸うのだ。夏は私がたばこ依存症になっているということすらわざわざ知らせてくる。大嫌いだ。
初めてたばこに手を出したのは高校二年生の夏だった。当時交際していた同級生の男が持っていたやつを吸った。その男は典型的な不良だった。
しかし私自身について言えば、不良ではない自信がある。親ともいい関係が築けているし、昔から成績も悪くはない。髪を染めたこともなければ、ピアスを開けてもいない。今思えば、あんな男と交際していたことが大きな間違いだった。
でも、私はたまにこういうことをする。突然、命を粗末にする。小学生みたいに。
こういう奴ほど危険なんだ。表ではみんなにいい顔をする。みんなに好かれている。そんなやつがたまに何の気なしに、蟻にたばこの火を押し付ける。法を犯すやつは、こういうやつなのだろうと思う。
ふと気づくと、向かいに座っていた男が、溶けてたばこにくっつきながら、糸のように伸びている蟻と私を見ていた。
「お前、すごいことするな」
学科が同じで仲が良い鷹野だった
「私、お前って呼ばれるのすごく嫌い」
「ごめんって。それ、蟻だよね?どうすんだ、それ」
「捨てるしかないでしょ。食べる?」
鷹野は露骨に嫌な顔をする。二人でちょっと笑った。
私は人が好きだ。こんな風に、ちょっとでも面白いことがあるとすぐに嫌な思いは消えていく。何本目なのかわからないが、鷹野がもう一本吸おうと火をつけた。
彼はかなりヘビースモーカーで、ちょっとしかないバイト代のほとんどをたばこに使っている。馬鹿なやつだと思うけど、反面うらやましくもある。私は月三箱でなんとか我慢しているから。
「ところでさ、どうしたの」
「何が?」
いきなり聞かれたから、本当に何のことだかわからなかった。
「いや、その蟻よ。かわいそうに」
「別に、なんかイラついてたんじゃない?」
「この暑さじゃあ、気持ちはわかるけどね」
日差しは、煙草を日に当てればそのまま火が付くのではないかと思うくらいに鋭い。
今日の講義はもう終わっている。バイトもない。
「渋谷、行こう」