彼女が言った。「惚れ直したのはあなたの方でしょう」~84g~
『笑ホラ2017』企画に参加してくださった84gさんへのギフト小説
もう、何度海に出ただろう…。
サーフィンを始めて1週間。一向に上達する兆しが見えない。砂浜にサーフボードを立てかけて日よけ代わりにしたものの、空高く舞い上がった太陽は容赦なく僕の体を照りつける。
「今日はもう終わり?」
太陽を遮るように僕の顔を覗きこんだのは彼女だった。
「もう、止めちゃおうかな…」
「あら、もう弱音を吐くの?」
「僕には向いていないかもしれない」
「そう…。じゃあ、これから私に付き合ってよ」
彼女に連れられて来たのは市民プールだった。
「今更?」
「いいから、ついて来て」
僕がサーフィンを始めたのは彼女がきっかけだった。
こう見えて、僕は小さいころからスイミングクラブに通っていて、全国大会へも出場したことがあるくらい水泳は得意だった。
ある大会で彼女に出会った。その大会で彼女は怪我を押して出場し、決勝に進出したのだけれど、結局、怪我が悪化して決勝のレースは棄権した。
「残念だったね」
僕が彼女に声を掛けると、彼女はこう言った。
「残念? 出来ることはすべてやったわ。だから、満足しているわ」
負け惜しみだと思った。彼女の眼にはうっすらと光るものが滲んでいたから。
その大会で僕は3位入賞した。その後、彼女が大会に出てくることはなかった。そんな彼女を海岸で見かけた。サーフィンをしていた。落ちても落ちても果敢に波に挑んでいる姿に僕は感動した。そして、僕もサーフィンを始めた。
家族連れやカップルで賑わう屋外プールを通り過ぎ、彼女がやって来たのは屋内プールだった。
「先生、こんにちは」
そこは子供向けの水泳教室だった。彼女に声を掛けたのはそこの生徒らしい。しかし、その生徒は普通の子供たちとは少し違っていた。片手が極端に短かった。
「ほら、ボーっとしていないで教えてあげて」
「えっ? 僕が?」
「そうよ。あの子、今、平泳ぎを練習しているの。あなたの専門でしょう」
「だけど、あの子…」
「なに? あんな体だから向いていないとでも言う気?」
「いや…」
僕は僕なりにその子の泳ぎ方を見て、バランスの取り方などを考えながら出来る範囲で教えてみた。そうしている間に気がついた。その子が純粋に泳ぐことが好きで純粋に上手くなりたいと思っていることに。教えているはずの僕が逆に教えられた。
翌朝、僕はサーフボードを手に海岸に立った。
「あら、いい顔をしているじゃない」
「惚れ直した?」
「何を言っているのよ? 惚れ直したのはあなたの方でしょう」
そう言った彼女に僕は微笑んで海へ入って行った。