日常は崩れ、非常となる
『勇者』達に不知火姫希が死亡した……とは断言はしていないものの、その可能性が高いと小早川先生と朝比奈に告げてはや数ヶ月が過ぎた。シキはというと『グランディセウム学園』での業務は特に変わりなくこなしている。……というのは嘘になるが、最近は教師として分身が変わりに教師として勤めている。これは既に学園長等にも伝えてはいるのだ。だが、学園長からすれば事情は理解できるものの、あまりにも唐突な事だったので少し厄介なことを頼まれることとなったのだが……。
「ねぇ、先生。はやく特訓ましょうよ」
「そう急ぐな、『リト』」
シキの目の前で待っているのは、中等部1年でありながら全く成長の兆しが見られない容姿は愛らしいが雰囲気や言葉が質素で冷たい少年だ。声も中性的ではあるが、テンションが低い。背は150も無いだろう。本人は全く気にしていない様だが、誰から見ても今の姿の彼は将来も身体的に成長する見込みはない。彼はこの『カグヤ』の副将軍の息子、『リト』である。
出会った当初は何に対しても冷たい反応で、シキが話しかけても興味を示さなかった。しかし、一つ手合わせしてからこのように誰にも関わろうとしかった筈なのに自ら寄ってきて話しかけるようになったのだ。他の教師や生徒には"超"消極的だったのが、シキに対してだけは"超"積極的になった。これには他の者達は驚愕したことだろう。
シキが、リトにしたこと。
それは戦い、そして圧倒的な実力差でリトを負かしたのだ。戦いと言っても、激戦等でもなくたった一秒でリトの動きを不能にしたのだ。リトは剣と魔法を使い、シキは丸腰で。加えて魔法など一切使っていない。ただの超越的な身体能力と、神域を越えた技術のみ。リト自身も、自分が天才だと自負してきたからか秒速で完敗した時はショックを受けていたらしく酷く落ち込んでいたのだが、その翌日からこのようになってしまった。シキからしても最初は困惑していたものの、教えをこう生徒に無下はしたくはなかった。
それから授業終わりにリトに基礎基本的な事を地味ではあるが、教えていったのだ。しかし、日に日になついていくリトは授業を抜け出してシキがいる保健室へ来るようになってしまった。
「……ところで、授業はどうした?」
「剣術の授業なので受ける意味がないんですケド」
「剣術の講師、怒るんじゃないか?」
「そんなこと、知りませんし」
リト曰く、この学園にいる剣術の講師等全員を打ち負かしたらしい。しかし、それでも自分の剣術を高められる事が出来ると考え授業は出ていたのだが全く自分の剣術が成長する事がなかったらしい。先輩後輩が混じって参加した剣術の授業でも、ただただ相手を怪我をさせることなく不完全燃焼にぐだぐだやることしかなかったのだ。
今いる場所は現在誰も使用していない訓練所である。
訓練所は多数存在しており、剣術や体術・模擬戦を行う場所だ。ドーム状になっており、雨天時には開いた天上は閉じられる。要は体育館とグランドが合体したものだと考えてくれればいいだろう。
今日は非番ではあるが、学園長から頼まれた仕事が終わり保健室で休んでいただけなのでこれから特に予定があるわけではない。あくまで彼は分身体だ。ほのぼのとこの学園の警護もしていたりする。保健室にも何人か保険の先生はいるので保健室は無人にはなっていないので心配はないだろう。
「……リト。前に教えた基礎基本をやってみせろ」
「え、今からですか」
「言った筈だ。何時でも自然と基礎基本が出来るように、と」
リトは何か新しい事でも教えてもらうつもりだったらしいが、不満そうな表情をしつつもシキが前に教えられた"基礎基本"を一つ一つ腰に携えた刀を抜刀し技を繰り出していく。
やはり天才、というべきか。
いや、それよりもリト自身が努力をしたからだろう。シキに教えられた"基礎基本"を全て、とは言えないが数日で完璧に近い形で仕上げていたのだ。リトの表情は真剣そのもの。ただ"基礎基本"をやっているだけだ。しかし、単純な事でもその単純な事の内容を深く追求し刀を振るっている。
約10分程度で、その"基礎基本"は無事に終える。
ただの"基礎基本"だと侮るなかれ。ただの"基礎基本"でもより深く追求し没頭すれば、今のリトの様に汗水を滴し息切れをしてしまうほどのハードな特訓へと変貌するのだ。
「毎日欠かさずやっているようだな」
「もちろんです。先生の言う通り、ただの"基礎基本"をここまで考えて徹底なんて考えたことありませんでしたし……つかれました」
ただの準備運動だったとしても同じことが言えるのだ。ストレッチでも自分の身体のどの部分が伸びているのか、効いているのか。歩くときでも一歩を大きく踏み出して、両手をしっかり振れればそれだけでじんわりと汗が出てくるだろう。たった一つの動作を意識するだけで変わるのだ。これこそが、"基礎基本"を徹底すること。"基礎基本"とは何でもいいのだ。その何でもいいことを、徹底的に意識して実行する。それが意外と大変だったりするのだ。
シキは別に、リトに自分の技を押し付ける気は毛頭無い。技は教えても、形ややり方は己自身で身に付けるしかない。よくコンビニや本屋で並んでいる『~~~で成功する!』とか『××はダメ!こうするのが正しい!』といった著者が記した成功法やこうしなければならないというものがあるだろう。
だが、それは"正しい"のか?
より深く言うのならば、"その人はそれで言いかもしれないが、その人ではない他人がそれに合うのか"ということである。傾向や性格等が似ていても、0から100が全て合うのか。結局のところは、人によるのだろう。こう言ってしまえば情けないが、全ての人が他の人に100%合うのは殆ど無いのではないか。合っていたとしても実際は70%程で、本人がそれに満足して気付いていないだけ。しかし、これが良いか悪いかと判断するのは人それぞれなのだが。
「……つかれたんですケド」
「何故二度言うんだ」
「先生ー、前にやってくれたマッサージしてくださいよ」
「やらん」
「むぅ」
どうやらリトは特訓よりもシキのマッサージがお目当てだったらしい。別に特訓がどうでもいいわけではないのだが。実は最初にリトを負かした後に、あまりの呆気ない敗北に泣き出しそうになってしまったのだ。相手は倭国カグヤの大将の息子。悪気がなかったとはいえ、一応は謝罪の意味を込めて得意なマッサージを行ったのだ。その結果、リトはシキのマッサージにハマったらしい。
「どうしたらマッサージしてくれるんですか」
「やらんと言っているだろう」
「……」
黙ってはいるが、リトの顔には『使えないなぁ』的な何とも生意気な事を考えるのは誰でも察する。シキは思わずイラっと若干してしまうが怒っても仕方がないと溜め息をつく。
平和な時間。
何の変哲もない日常。
そして、教師として新しき教え子。
更に言えば、異世界から召喚された『勇者』達専属の保健室の先生となったのは予想外ではあったが……まあ仕方がないだろう。
様々な些細な事が起こるが、別に平穏な日常を送っている。仕事は少し多いが、学園長に頼られていると考えれば多少は仕方がない。これからも地球に帰還するまではこのような平和な時を過ごしたいと、思った時であった。
「っ!?」
「……どうしたんですか、先生」
「……(これはっ!)……急用が出来た。リト、お前は教室に戻れ」
そうシキは冷や汗をかきながらこの訓練所から後にする。
シキが感じ取ったのは、まだこの倭国カグヤからは離れてはいるが遠くから強大な気配を察知したからだ。加えて神聖なる存在……つまり、神がこの世界へ降りたのも察知している。そしてその気配は確実にこの国、倭国カグヤへ向かってきているのだ。しかも、その気配のあまりにも強大な気配には一つ心当たりある。
それは、あの氷の女と気配が同一なのだ。
だからこそ、シキはここまで警戒を高めている。
「(兎に角、学園長室へ……!)」
シキは学園長室へと早足で向かう。
それと同時に、シキ以外の分身達へ念話で通達していくのであった。




