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桜の花咲くその時に

作者: 安芸咲良

 この花がいいね、と彼が言ったから――


   *


 最初に顔を見たときは分からなかった。サークル勧誘のチラシを見てようやく、見覚えのある名前に「あれ?」と思ったくらいだった。

「慎ちゃん?」

 私は思い切って声を掛けてみた。手当たり次第に新入生にチラシを配っていたその人物は、名前を呼ばれて振り返る。何度か瞬きをして、少し首を傾げた。

「亜弥ちゃん?」

 私より頭一つ大きいその人は、目を真ん丸にさせて私の名前を呼んだ。

 東京は地元よりも桜の開花が遅い。行き交う学生たちの頭上を、桜の花びらが舞っていた。

 それは十年振りに会う幼馴染だった。


「いやー、びっくりしたよ。まさかこんなとこで会うとは思わないじゃん?」

 慎ちゃんこと今村慎一は、小さい頃に隣に住んでいた男の子だ。一緒にサッカーしたり、三輪車に乗ったり、毎日のように遊んでいた一つ年上の幼馴染だ。

 私が八歳の頃に突然引っ越してしまったから、会うのは実に十年振りになる。

「ね。まさか同じ大学になるとは」

 第一志望の大学。春から上京して、まだこの町にも慣れなくて、肩の力が入っているキャンパスライフ。十年振りとはいえ、知っている顔がいるというのは、私を安心させるのには十分な材料だった。

 加えて再会したのが、桜の木の下。

 私の実家近くに、桜並木の坂道がある。あの木の下で遊んだ風景が、再会した場面に重なった。

 慎ちゃんの行き着けだという居酒屋で、私たちはグラスを重ねる。とは言っても、中身はウーロン茶だけど。慎ちゃんまでウーロン茶だから、律儀なところは変わってないなぁとなんだか嬉しくなる。

「それじゃあ再会に、乾杯」

「乾杯」

 賑わう居酒屋の片隅。グラスの高い音が響いた。


   *


「慎ちゃーん! これも乗っけてー!」

 慎ちゃんは軽音部の部長だった。私が三歳からピアノを続けていたことを覚えていてくれて、慎ちゃんに誘われるがままに私も軽音部に入った。

 気晴らしに弾こうと思って実家から持ってきていたキーボードが、こんなところで役立つとは思わなかった。慎ちゃんの車にキーボードを載せてもらって、一緒にスタジオへ向かう。

 助手席に座った私の右肩が、少しくすぐったい。私以外の女の子がここに座ることもあるのかな、なんて図々しいことを考えてしまう。特別な存在なんかじゃないのに。

「学祭はさ、亜弥ちゃんには五曲やってもらおうと思ってるんだ」

 前を向いたまま、ふいに慎ちゃんが言った。余計なことを考えていた私はちょっとびくっとしてしまったけど、前を向いていた慎ちゃんは気付かなかったみたいだ。

「一時間ステージもらったんだっけ? 先輩もいるのに五曲もやっちゃっていいの?」

「あぁ、渡瀬は昔から鍵盤やってたわけじゃないから三曲でいいんだって」

 渡瀬先輩は慎ちゃんと同じゼミの先輩だ。すごく美人で、慎ちゃんと並んでいると絵になるなって思う。渡瀬先輩はさばさばしているから、慎ちゃんのことを好きかどうかは分からないけれど。

「学祭、がんばろうな」

 信号待ちで、慎ちゃんはちらりとこっちを見て言う。

「うん!」

 フロントガラスの向こうには、夏の空が広がっていた。


   *


 学祭は大成功だった。ギターボーカルの慎ちゃんは盛り上げるのがうまくて、私が緊張する必要なんて全然なかった。

 後夜祭の始まろうとしている学校で、私と慎ちゃんは二人、駐車場にいた。

「忘れ物ないよね?」

「おー、全部積んだ」

 ドラムとアンプはレンタルだ。今日中に返しに行かないといけない。積み込みは部員全員でやったけど、みんなには後夜祭に戻ってもらった。

 慎ちゃんは私も戻っていいって言ったけど、なんだかんだと理由をつけて残ってしまった。慎ちゃんがいないならつまらないし……。

「……楽しかったなぁ」

 学祭特有のざわめきが、遠くで聞こえる。慎ちゃんはぽつりと言った。祭りが終わってしまうのは、いくつになっても淋しい。

 子どもの頃、慎ちゃんと一緒に近所の公園であった夏祭りに行ったことを、ふと思い出した。二人して浴衣を着せてもらって、ヨーヨーすくいや輪投げをしたことを覚えている。祭りが終わった帰り道。手を繋いで歩く道が、今日のように淋しかった。

 ふと視線を上げると、慎ちゃんと目が合った。その目はどこか、緊張している。私はその目から目を離すことができなかった。

「亜弥ちゃん」

 グラウンドの方で歓声が上がった。キャンプファイヤーの火が点けられたのだろう。その歓声を遮るように、慎ちゃんは言葉を続ける。

「好きだ」

 十八歳の秋。私はこれほど幸せなことはないと思った。


   *


「ここ空いてる?」

 顔を上げると、そこにいたのは渡瀬先輩だった。ガラス張りの学食。窓の外に見える桜並木は、冬風に吹かれて寒そうに枝を震わせている。

 私はノートとペンを引き寄せて、場所を開けた。

「寒いねぇ」

 渡瀬先輩は隣に座って、缶コーヒーで手を温めている。来たばかりなのか、マフラーを外してかばんと一緒に横の椅子に置いた。

「本当ですねぇ。地元はここまで冷えることなんてなかったから、暖房代が怖いです」

「九州だっけ? 今村君と一緒なんだよね?」

 その言葉にちょっと引っかかりながらも、私は頷いた。

 二人の間に沈黙が流れる。窓の外に吹く風の音は、ガラス一枚隔てているから聞こえなくて、学食のざわめきだけが耳に届いていた。

「今村君と、付き合いだしたんだって?」

 ポキンと折れたシャーペンの芯が飛んでいった。このタイミングで聞かれるとは思わなくて、心に動揺が走る。

 何と答えたらいいか迷っている私に、渡瀬先輩はぷっと吹き出した。

「そんなに焦んなくてもいいよ? いつかこうなるんだろうなぁとは思ってたし」

 その言葉で分かってしまった。渡瀬先輩は慎ちゃんのことが好きなんだ。声の温度と瞳の色で分かってしまう。

 今度こそ何も言えなくなってしまった私を、渡瀬先輩は頬杖をついて見上げた。

「そんな顔しないでよ。私がいじめてるみたいじゃん。……今村君と付き合うのは、私だと思ってたんだけどね……」

 そう言って渡瀬先輩は窓の外を見やる。相変わらず冷たそうな風が吹いている窓の向こうは、裸になった桜の枝が揺れている。渡瀬先輩の目には、この風景がどう映っているんだろう。

「入学式の前にね、今村君があの桜を見上げてたの。あんまり熱心に見てるから、『桜、好きなの?』って聞いたんだけど、あいつ何て答えたと思う?」

 私が入学してくる数日前のできごと。私の知らない慎ちゃんに、少し胸がちくりと痛んだ。だけど黙って続きを待った。

「『地元の桜に似てるんだ。一緒に遊んだ子のことを思い出す』って」

 それを聞いて浮かんでしまった気持ちを、私は慌てて仕舞い込んだ。渡瀬先輩の前で、こんなこと思っちゃいけない。嬉しい、だなんて……。

 だけどそんな私を渡瀬先輩はお見通しだったようで、私をちらりと見て軽く息を吐いた。

「まったく、嫌になっちゃうよね。その子が入学してくるなんて」

 そう言う渡瀬先輩の横顔は、どこかさっぱりとしたものだった。

「うまくやりなよ? 泣かされたりしたら、私が今村君を殴りに行ってやるから」

 渡瀬先輩は拳を握った。繰り出されるパンチに、思わず笑みが零れてしまう。

「はい」

 そう言った私に渡瀬先輩はにっこりと笑いかけると、満足したように去っていった。


   *


 二年の夏は、会えなかった月日を埋めるようにたくさんの思い出を作っていった。

 四苦八苦しながら浴衣を着て、花火大会。地元の小さな夏祭りにはなかったリンゴ飴に、はしゃぎ合った。

 軽音部のみんなでの合宿。夕日の沈む海辺で、こっそりキスをした。

 会えなかった十年間を思うと、胸が苦しくなる。中学生の慎ちゃんはどんな感じだったんだろう。高校生の慎ちゃんは? 付き合ってた子とかいたのかな。

 考えても仕方のないことに、ため息が出てしまう。どうせ考えるなら、未来のことを考えた方が絶対にいいのに。

 こんなこと考えてしまうのは、秋のにおいが混じり始めた空気のせいだろうか。

 涼しい風が、夏を終わらせてしまう。胸が狭くなる夜に、気軽に慎ちゃんには会いに行けない。慎ちゃんの家族の目がある。

 ずっと一緒にいるためには、どうしたらいいんだろう。そんなことを思いながら、二十歳の夏は暮れていった。


   *


 慎ちゃんが四年生になって、なかなか会えない日々が続いた。就職難のこのご時勢、慎ちゃんの就活も難航しているようだった。

 一日の終わりにメールをするのが日課になっていた。

 実家に帰っていたその日、珍しく慎ちゃんから電話が掛かってきた。

「どうしたの? 電話なんて珍しいね」

『こうもお祈りメールが続くとね……。亜弥ちゃんに会えないのも堪えてるのかも』

 私は目を瞬かせた。慎ちゃんが弱音を吐くのは珍しい。

 割りと器用になんでもこなしてしまう慎ちゃんは、へこんだり怒ったりする姿をあまり見せない。料理だって上手で、女の私の立場にへこんだくらいだ。

 唯一だめなのが虫で、夜中にゴキブリが出たときは、財布とケータイだけ持って私の家に避難してきたこともあった。

 その慎ちゃんが、弱音を、しかもわざわざ電話で吐き出してきている。

「慎ちゃん」

 私はベランダの手すりにもたれかかった。

「がんばれ」

 電話口で、慎ちゃんが小さくほほえんだのが分かった。「ありがと」と言われて、私も小さくほほえむ。

「だから私にも『がんばれ』って言って?」

『どうしたの? なんかあった?』

「たまにはいいじゃん」

 私は口を尖らせた。へこんでいる相手に逆に言わせるのは悪いかなって思いもする。だけど私も、会えない日々には堪えていた。

『亜弥ちゃん、がんばれ』

 私は満月の浮かぶ空を見上げた。

 大丈夫だ。この空は繋がっている。


   *


 無事に慎ちゃんの就職も決まって、一年後には私もなんとか就職できた。

 そのお祝いで慎ちゃんがごちそうしてくれるという。慎ちゃんの手料理がいいなと言う私に、「いいレストランもあるけど」と言う慎ちゃんは、それでも嬉しそうだった。

 私の好きな店のケーキまで用意しれくれていて、満腹になった私は椅子に身を委ねる。入社式で着るスーツが入らなくなったらどうしようと思うけど、幸せだからまぁいいかと考えてしまう。

 片づけを終えた慎ちゃんが、テーブルに着いた。至れり尽くせりだ。ありがとうと言うと、慎ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。

「亜弥ちゃん、話があるんだけど」

 慎ちゃんは改まって椅子に座った。そしてどこかそわそわしながら、小さな箱をテーブルの上に置いた。ゆっくりとその箱を開ける。

「僕と……結婚してください」

 私は息を呑んだ。箱の中では、小さなダイヤのついた指輪が光っていた。慎ちゃんは緊張した面持ちで、返事を待っている。

 返事なんて決まっている。

「はい……」

 慎ちゃんの手が伸びてきた。親指で目の下を拭われて、私は泣いていたんだと気がついた。

「これは嬉し泣きですか?」

「……感動泣きです……」

 嬉しそうに笑っている慎ちゃんの方を、まともに見れない。これ以上好きになっちゃいそうで。これ以上の幸せなんてない気がして。

 慎ちゃんにはめてもらった指輪を、私は涙目で見つめた。左手の薬指が、祝福するかのようにキラキラ光っている。

「ご両親にも挨拶に行かなきゃなぁ」

 その言葉に私はぴくっとした。慎ちゃんが私をじっと見つめてくる。

「なにその反応」

 注がれる視線に、私は目を反らすことしかできない。でも分かっている。こんなとき、慎ちゃんに勝てたためしなんてないんだ。

 私はおずおずと口を開いた。

「実は……うちのお父さん、もう死んじゃってるんだよね」

 ぴったり十秒、沈黙が続いた。

「え、だって前電話してたことあったよね? いつ?」

「……一昨年の夏」

 今度の沈黙は、慎ちゃんの表情の七変化を見れた。たっぷり一分、表情を変えたあと、ようやく慎ちゃんは口を開いた。

「なんで言わなかったの」

「就活の邪魔になると思って」

 慎ちゃんは優しいから、私になにかあったらすっ飛んで来てくれると思う。だけどがんばって、落ち込んで、それでもまた立ち上がろうとする慎ちゃんに、その時は頼っちゃ駄目だと思ったんだ。結局は耐え切れずにがんばれって言ってもらったんだけど。

 その時を逃したら、言うタイミングまで逃してしまった。人の死など、どう切り出したらいいのか分からない。分からないまま、一年以上経ってしまった。

 慎ちゃんが勢いよく立ち上がる。そしてそのまま去っていこうとするのを見て、私は慌てた。

「慎ちゃん……! ごめ……」

「謝らないで」

 ぴしゃりと遮られた。出て行くかと思われた慎ちゃんは、パソコンの方へと向かう。

「慎ちゃん……?」

「明日、帰省するよ」

 パソコンの画面には、航空会社のサイトが映し出されていた。慎ちゃんはカチカチとチケットの手配をしていく。

「僕だって、じいさんが死んだとき悲しかったけど、周りになんて言ったらいいか分からなかった。去年の夏って言ったら僕が就活で忙しかったときだし余計にそうだよね。突然帰省したからあの時気づくべきだったんだけど」

 慎ちゃんは私の方を見ないまま、話し続ける。そんなの、気づく方が無理だと思う。私だって同じ状況だったらきっと気づかない。

「だから、謝るなら僕の方だ」

 予約完了の画面に切り替わった。くるりと慎ちゃんが振り返る。

「違うの……。私がちゃんと話さなきゃいけなかった……」

「うん。だから、それじゃ亜弥ちゃんの気が済まないでしょ?」

 ようやく慎ちゃんがなにをしたいのかが分かった。

「だから明日、墓参りに行こう」


   *


 電車に揺られ、飛行機に乗り、バスにまた揺られて四時間。私たちはふるさとの地に降り立った。もう正午を過ぎている。

「あらあらまぁまぁ慎一くん! 大きくなったわねぇ」

 実家で出迎えてくれたお母さんは、久しぶりに会う慎ちゃんに嬉しそうだ。慎ちゃんは恐縮しきった様子で挨拶している。

 お母さんには慎ちゃんと付き合っていることは話していた。結婚も「慎一くんならいいんじゃない?」と言っていてくれていた。

 だけど慎ちゃんにとっては、会うのが久しぶりな相手だ。十年以上経っているだろう。緊張するのも無理はない。

 終始笑顔のお母さんに安心した頃、私たちは荷物を置いて家を出た。

「しっかしすげぇなぁ……。元・僕の家」

 慎ちゃんは隣の家を見上げて呟いた。

「本当はもう少し薄い水色にするつもりだったらしいよ」

 慎ちゃん一家が出て行ったあとにこの家に引っ越してきた人たちは、壁を明るい青に塗り替えていた。「青の家」と近所でも評判の家だ。

「この辺もいろいろ変わったなぁ」

 隣の家は青くなったし、角に新しい家も建った。空き地は公園になって、クリーニング屋は潰れた。

 だけど変わらないものも、ちゃんとある。

 実家の裏の畑を通り抜けて、私たちは坂道を上った。薄紅色がちらりと視界に映って、すぐにその色に包まれる。

「この桜は変わってないな」

 霊園に続く坂道に立ち並ぶ桜の木。家のすぐ傍にお墓があるなんて小さい頃は嫌だったけど、この桜だけは好きだった。霊園ではあるけれど、隠れた花見スポットとなっているらしい。

「この桜がいいねってお父さんが言ったから、ここにお墓建てたんだって」

 慎ちゃんは改めて桜の木を見上げた。風が吹いて、花びらが舞った。

「うん、確かにいいね」

 私は笑って慎ちゃんの手を取った。慎ちゃんも当たり前のように握り返してくる。

「ねぇ、覚えてる?」

「ん?」

「私ね、小さいときこの道が嫌いだったの。家の近くにお墓があるなんてなんか怖かったし。でも、慎ちゃんが言ってくれた」

 私の瞼の裏に、幼い日の慎ちゃんの顔が映る。

『祝福だよ』

 二人の声が重なった。お互いに顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出す。

「ガキが難しい言葉使ってたよな。どこで覚えてきたんだろう……。薄ピンクの花びらが亜弥ちゃんの入学と僕の進級を祝ってくれてると思ったんだよ」

 あの言葉で、怖いという気持ちが消えた。思えばあれが慎ちゃんを好きになったきっかけだったかもしれない。あの瞬間、世界の色が違って見えたのは、桜のせいだけじゃないだろう。

 お墓が見えてきた。

「そういえば慎ちゃん、お父さんに怒鳴られたことあったよね」

 慎ちゃんは苦虫を噛み潰したような顔になった。

「うちの前でサッカーしてて、花壇の手入れをしてたお父さんのすぐ横に慎ちゃんが蹴ったボールが飛んでっちゃって……。お父さん、すごい剣幕だったね」

 私は堪え切れずに吹き出した。あの時は私もびっくりして固まっちゃったけど、慎ちゃんは泣き出すのを必死に堪えていた。危ないからサッカーは公園でしなさい、と言うお父さんの言葉に慎ちゃんはこくこくと頷いて、自分の家に入っていった。直後に聞こえてきた泣き声を、いまだに覚えている。

「笑うなよ。普段怒らない親父さんがあんなに怒鳴ってびびったんだから。……今から怒鳴られそうな報告をしに行くわけだけど」

 私ははっとした。慎ちゃんの帰省の理由はこれだったのだ。

「律儀だなぁ」

 嬉しくて笑ってしまう私に、慎ちゃんはばつが悪そうだ。

「本当は生きているうちに挨拶したかったんだからな」

「だからそれはごめんって……」

「いや、責めてるわけじゃなくて……。忙しさにかこつけてた僕も悪いんだよ。今さらで許してもらえるかは分からないけど」

 大崎家のお墓の前に辿り着いた。私たちは墓石を綺麗にして、桜餅を供えた。

 二人並んで墓石の前に立ち、手を合わせる。

「お久しぶりです、今村慎一です」

 慎ちゃんが話し出すのを、私は目を閉じたまま聞いていた。

「ご挨拶するのが遅くなってしまってすみません。この度、亜弥ちゃんと結婚させていただくことになりました」

 私は思わず目を開けた。初っ端からその報告をするとは思わなかった。

 慎ちゃんはまだ目を閉じて手を合わせている。

「本当はもっといろいろちゃんと言うべきことがあると思うんですけど……。絶対幸せにします。だから、お許しいただけませんか?」

 慎ちゃんが目を瞑ってて良かった。私は滲んでしまった涙をそっと拭った。

「私も、絶対慎ちゃんを幸せにします」

 驚いたように慎ちゃんが振り返った。私はお墓に視線を向けたまま、続ける。

「だから、安心してね」

 一人娘で、いっぱい心配も掛けただろう。上京してからは、毎日不安そうだとお母さんが話していた。なかなか帰れなくて、お父さんを看取ったときはなんでもっと顔を出さなかったんだろうと後悔もした。

 だけど、これからはきっと大丈夫だ。隣には慎ちゃんがいる。どんな困難があっても、二人なら乗り越えていける。

 その時、強い風が吹いた。

 慎ちゃんが後ろを振り返って、指差した。

「見て。祝福だよ」

 坂道の方で、二人の未来を祝うかのように桜が舞っていた。

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