山にひしめくキノコの娘
「貴方がチャコちゃんの同定にお付き合いしたお方かしら?」
キノコ狩りを再開しようとした矢先、とてもお上品な声で呼びかけられた。
振り返ってみると、ど派手な日傘がまず目に写る。
お嬢様だ。
純白のドレスを桃色のコルセットで引き締めたお嬢様が、俺の後ろにはんなりと立っている。
「なるほど……話に伺いました通り素敵なお方でいらっしゃるのね」
なんで、鼻をすんすんと動かしているんでしょうかねえ……
お嬢様は真っ白な髪を耳にかきあげながら、満足げに微笑んでいらっしゃった。
俺は自分の顔が苦み走っていくのを自覚する。
「えっと、御用向きは何でござりましょうか」
もう、これで何人目になるだろう。
どうやら、向こう側の世界でチャコの一件が広まったらしく、俺はあれよあれよという間にキノコの娘から追われる身になってしまった。
彼女たち曰く、俺は「キノコ(本物)を与えれば同定してくれる、とても素敵な人」らしい。
どんだけ適当な説明を幻想キノコ界でしたんだよと恨みたい気分である。
正直、キノコの化身とはいえ、美女や美少女に声をかけられること自体は悪い気がしない。
だが、ひっきりなしに声をかけられるおかげで、俺は未だに今日の本懐たるキノコ狩りを楽しめていなかった。
時を経るたびにバックパックが重みを増していく。
その中身は、すべてお礼にと渡されたキノコ(本物)であった。
食べたり捨てたりしようにも、「私だと思って」なんて言われちゃなあ……
手遅れになる前に、この悪い流れを変えるべきだ。
俺が意を決して断りを入れようとすると、
「お待ちになって? 仰りたいことは存じておりますわ」
ふわりと妖精を思わせる足取りで近づいてきたお嬢様が、俺の口元を指で押さえた。
すごくひんやりとした指先を唇に感じ、俺の身体は金縛りにあったように動かなくなってしまう。
俺を見上げる濡れたまなざし。
毒気を抜かれる穏やかな微笑。
彼女は俺の言いたいことなどお見通しだと言った様子だった。
こ、これは……
「ほら、これがお望みなのでしょう?」
彼女が手渡してきたのは、毒々しくも猛々しい、赤斑点が目立つ傘を持ったキノコ(本物)であった。
生憎と全くお望みでない。
見るからに、毒キノコだ。
ちょっと通な一般人でも容易に判別できる、ベニテングタケというやつであった。
「く、口に入れて、もごもごしてもよろしいのですよ?」
「絶対に嫌だ! 腹壊すだろ、そんなんッ!」
「そんなっ!? 長野では定番の食材ですのにっ」
「この場合、長野県民の食い意地は、毒の有無と関係ない!」
ベニテングタケの化身らしいお嬢様は、「不本意です」とばかりに頬をぷくーっと膨らませた。
可愛い。だが、俺は譲らない。
「とにかく、駄目なもんは駄目です」
「もうっ、いけず! チャコちゃんは同定してくださったというのに。私も同定していただきたいのですわ!」
もごもごも同定作業の内に入るのか。お嬢様も譲らなかった。
最初にチャコを受け入れてしまったのが、ここで地味に響いている。
一人の例外を受け入れてしまったばかりに、ずるずると数が増えていくという連鎖反応が起きてしまっていた。
負の連鎖は断ち切らねばならない。
「君の気持ちは理解した。けれど、俺にもやらなきゃいけないことがあるんだよ」
「この、いくじなしっ」
ええっ、罵倒されることなのかよ……しかも、それ両想いの時のセリフだよ……
このままでは埒が明かない。
そう考えた俺は、さっさとこの不毛な流れを打ち切るべく、流れ作業として同定を終わらせようとした。
「分かった。同定すればいいんだよね。君、あれだろ。ハラタケ科のベニテン――」
「らめぇぇぇっ!」
びっくりするほど大きな声で、お嬢様が幼子のようにいやいやしながら、俺の声をかき消した。
「同定は、もっとロマンチックじゃないとだめなのっ! お互いが交感し合うような同定じゃないと、だめなのぉっ!」
「お、おう」
大人びた容姿をしているかと思えば、心の方はすごくピュアピュアであった。
ここまで悲痛な声で否定されると、なんだかこちらが悪者のように思えてくる。
罪悪感が頭をもたげた。
そうまでして真剣に同定してもらいたいってんなら、少しくらいは付き合ってあげても良いかなあ……
「……ロマンチックって、君の場合はどんな風にすりゃ良いんだ?」
俺は頬を掻きながら、ばつが悪そうに問いかけた。
気分は某大作アニメ映画に出てくる、いがぐり頭のツンデレ坊主だ。
「本当ですの!?」
お嬢様の表情が、ぱっと明るいものに変わった。
「あの、ですね。私、殿方との日常会話に憧れておりましたのっ」
「日常会話……?」
とろけるような顔で言われたが、俺には全く理解ができなかった。
深夜アニメで言う日常系みたいなものなのかしらん。
いや、日常系に殿方は出てこないか。
「砂糖菓子のような甘い関係は、日常の所作にもあらわれるものですのよ? 幻想Zクシィで特集が組まれておりました!」
「また、Zクシィかよ! 何度、俺の行く手に立ちはだかれば気が済むんだ……ッ!」
思わず、頭を抱えてしまう。
「……駄目ですの?」
俺は力なく首を横に振り、彼女の要求を受け入れた。
早く済ませて、キノコ狩りに戻ろう。
まだ日暮れまでには時間がある。ただの日常会話なら、切り株の年輪を数えるよりは早く終わるはずだ。
望みが叶うと分かった彼女は、大喜びだった。
子供のようにハシャいで、俺に「あるべき殿方」としての回答を求めてくる。
「まずは……おはよう、ムスカリアちゃん。今日も可愛いねって仰ってくださいまし?」
「おはよう、ムスカリアちゃん。今日も可愛いね」
きゃーと、ムスカリアのお嬢様は頬に手を当て、赤面していた。ピュアピュアだ。
「次は……私が話の種を出しますので、殿方らしい返答をくださいまし」
「殿方らしい返答ってどんなんだ?」
「具体的には、それなーとか、わかるわーとか、あるあるーとか、うぇーい、ですわ」
「ただのチャラ男じゃねえか!」
そう考えると、先ほどの台詞も下半身直結厨の挨拶に思えてきた。
大学時代、数合わせにと一時入部させられたテニスサークル。新入生歓迎合宿……ウッ、頭が……
フラッシュバックしたトラウマに、俺は一人身悶えする。
ムスカリアのお嬢様は、理想の日常会話を再現するのに夢中で、俺の煩悶には気がつかなかった。
「あのですね。昨日、シラフィーちゃんとお買い物に行ったんですのよ」
「あー、それなー」
シラフィーちゃんて誰だろう。
「それでですね。シラフィーちゃんたら、また下着のサイズが大きくなったって仰いますのよ。細身かと思っておりましたのに、着やせするタイプですのね」
「わかるわー、それ」
返事のせいで、共通の知り合いみたいな設定になってしまった。
もし、シラフィーちゃんと出会うことがあったら、着やせしてるかどうか確かめてみよう。
「それでそれで。私も月曜日向けの新しいドレスを買おうとしましたら、火曜日向けの素敵なドレスが売っていましたの」
「あー、あるあるー。あるわ、それ」
月曜日と火曜日向けのファッションなんてものがあったのか。
正直、曜日の違いがどのようなファッション的差異を生み出すのか興味が尽きなかったが、ここは言われたとおりに相槌を打っておくことにする。
「お小遣いには余裕がありましたし、あまりにも素敵なものでしたから、木曜日向けのコルセットを買ってしまいましたわっ」
「結局ドレスは買わなかったのかよ!」
思わず、つっこんでしまった。
そうしたら、お嬢様がすごく悲しい顔をなさったので、俺は取ってつけたように「うぇ、うぇーい」と付け足した。
お嬢様の機嫌は回復した。
しかし、ドレスやコルセットが小遣いで買えるって……一体誰からいくらくらい貰っているんだろう。
色々と疑問は尽きなかったが、俺はその後も機械的に相槌を打ち続ける。
チャラ男って女の子に相槌打つ時、一体何考えているんだろうな。
終わってみれば、すさまじく中身のない日常会話であったが、彼女は至極満足そうであった。
「ああっ、これが殿方との甘い日常会話……っ」
恍惚とした表情で、ぽけーっとしていらっしゃる。
これは条件をクリアできたかな?
俺はこの機を逃さずに、同定を終えることにした。
「えーと、自分そろそろ同定、いいすか」
「しょうがないですねぇー……」
俺がベニテングタケの名を口にすると、彼女は例のごとくふわっと浮かび上がり、まばゆい光に包まれた。
「また、お会いしましょうねえー」
「……機会があったらね」
一抱えほどもあるベニテングタケ(本物)を置き土産に、彼女は幻想キノコ界へと帰っていく。
「この流れ、一体あと何回続くんだ……?」
その後ろ姿を見上げながら、俺は得もしれぬ徒労感を覚えていた。
◇
ムスカリアのお嬢様を見送った後も、キノコの娘たちの来襲は止むことがなかった。
「やあやあ、君がムスカリアくんを同定した殿方だねっ! ここは一つ、ボクも同定してもらおうじゃないか!」
一歩進めば、ボーイッシュな女の子にウインクされて、
「あらぁ、貴方がファルちゃんを同定したお兄さんねぇ。私、分かるわよぉ」
さらに進めば、赤いドレスを身に纏ったやたら色っぽいお姉さんに誘惑されて、
「バラネさんが薦めるからと来てみれば……なるほど、これは中々の男前。属性は、受けか……攻めか……それが問題です」
見るからに顔色の悪そうな黒髪パッツン娘から、じとっとしたまなざしを向けられた。
どうやら、向こう側の世界とこちら側の世界は時間の進み方が異なるようで、彼女たちは入れ替わり立ち替わりやってくる。
タマゴテングタケに、バライロウラベニイロガワリ、ヒメロクショウグサレキン――まだ二十人は越えていないと思うのだが、この流れが山を下りるまで続くのかと 思うと、とてもじゃないがやっていられない。
まるで池袋のロマンス通りか、新宿歌舞伎町のような客引き力であった。
第一、毒キノコ率が高すぎる。毒キノコはたとえ新聞紙にくるんでも胞子が飛んで危ないんだぞ! 捨てるのも気が咎めるし、一体どう扱えば良いっていうんだ!
俺は次々と降りかかる理不尽に身を震わせながらも、彼女たちの提示する"ロマンチックな同定"とやらを着実にこなしていった。
時には宝塚のような掛け合いを返し、時にはひたすら褒め殺しを続け、また時にはBL談義に辛抱強く付き合っていく。
キノコの娘も女の子である。
にべもない返事で、危うく色っぽいお姉さんを泣かせそうになってから、俺は彼女たちをおざなりに扱うことを諦めた。
こうして、キノコの娘の殺到は激化の一途を辿っていく。
途中から順番待ちしている姿まで目に入るようになった程であった。
「はーい、最後尾はこちらでーす」
不審な声に最後尾へと目を向けると、そこでは先に同定を済ませてしまったキノコの娘の一人が整理券を後続に配っていた。
整理券を渡す際に何か、チャリンとしたものを後続から受け取った気がしたんだけど、まさか俺を出汁にして商売とかしてないよな……?
俺は疑問を解決する暇すら与えられずに、賽の河原にも似た作業プレイを余儀なくされた。
まるで四十八人いるアイドルの握手会……というよりは、流行りの占い師みたいなノリである。
ようやっと客足が落ち着き始めたのは、豹柄のノースリーブを着たキノコの娘があらわれた頃であった。
「アタシこそが、とあるファッションの元祖なんだけど、何の元祖だか分かるかしらっ?」
出会い頭の開口一番、豹柄のお姉さんは胸に手を当て、こちらにちらちらと視線を送ってきた。
勝気そうな顔をしている。すごくプライドが高そうだ。
恐らく、間違った返答をしてしまうと後が面倒くさいことになるだろう。
俺は彼女の全身を上から下まで観察して、特にユニークだと思ったところを褒めることにした。
髪はショートの栗色髪。ショートの栗色髪に元祖とかあるのかな。なんかすごく大正モダニズムを感じる。
白い髪飾りは奇抜なんだけど、他にもしていた子がいた気がするので、違うだろう。
豹柄の日傘は……うーん。日傘自体は他にもいた。
となると――俺は彼女の足元へ目を向けた。
「一本歯下駄が、ハイカラですね」
「あはっ、話が分かるじゃないっ」
どうやら正解だったらしく、背中をばんばん叩かれた。
彼女はブーツの底に一本歯下駄をつけていたのだ。
良くバランスが取れるなあと感心していると、興味深々といったまなざしを向けられた。
パーフェクトコミュニケーションをとれたということなのかな。
「君の名前」
「ん?」
「君の名前、教えてくれる?」
何だろう……貴様の名前、覚えておこう的な展開だろうか。
「あ、僕の名は俺氏です。地球は別に狙われていませんけど」
「地球?」
「あ、いえ。伝わらなかったら別に良いです……」
「走りたくなるフレーズね」
彼女は俺の名前を何度か反芻するように呟いた後、目を輝かせてこう続けた。
「俺くんね。うんうん、それっぽい! ねえ、毒キノコの鍋物と炭火焼とどっちが好き?」
「毒のない奴が好きかな」
食中毒にまっしぐらというのはご勘弁願いたい。
彼女は俺の答えに満足げに頷くと、さらに続けた。
「うんうん、なるほどね! じゃあ、毒のないキノコの毒キノコ和えとかは?」
「ただの毒物混入じゃねえか、それ!」
何だか毒キノコに限って、やたら食べさせようとしてくるお姉さんだ。
俺は何だか嫌な予感がして後ずさった。
「だって、君。すっごく毒キノコとか食べたそうな顔してるものっ! そうなんでしょっ」
「そうなんでしょと申されましても……」
俺が後ずさった分だけ、ずいっとこちらに近づいてきた。嫌な予感マシマシである。
一本歯下駄をはいているというのに、なんて機敏な動きだろう。まるで天狗のようだった。
しかし、毒キノコを食べたそうな顔なんてあったのか。
生まれてこの方、毒キノコを食べたことはなかったから気がつかなかったが、五年後には整形手術も視野に入れるべきなのかもしれない。
「うんうん、分かってるって。ねえ、口あけて?」
「は?」
彼女の言わんとする意図をはかりかねて口をあけた瞬間、
「もがっ!」
茶色い斑点模様の立派なキノコ(本体)を口に突っ込まれた。
お姉さんはまるでいたずらが成功した悪ガキの顔をしていた。いたずらってレベルじゃねーぞ!
――しかし、これはまずい。
このキノコ(本体)、どうやら調理済みのものらしく、口の中に今までに感じたことがないほどの強烈な旨みが広がっていく。
俺は湧き上がる欲求に逆らうことができずに、口に突っ込んだキノコを噛みちぎって、胃袋に収めた。
「ね、アタシの同定。もうできるでしょ?」
挑戦的なまなざしを向けてくるお姉さん。
その口で味わったんだから、当然分かるだろうと言いたげな顔をしていた。
口惜しいことに、確かに分かった。
口の中にまだ残っているこの旨みは、いわゆるイボテン酸という成分によるものである。
イボテン酸は、一般的な旨み成分として知られるグルタミン酸の数十倍の旨みを持つといわれている。
「お姉さんのモデルは、へ、へん、へんう……」
テングタケ。と答えたいのに、上手く舌が回らなかった。
全身が焼けるように熱い。腹の中から生み出しされた熱が、ぐわっと身体の隅々まで広がっていく感じだ。
訳もないのに叫びたくなる。いや、走りたくなる。
何処へ? 青春のエルドラドへ!
どうやら、俺はイボテン酸に備わっているもう一つの効能、幻覚作用にすっかり惑わされてしまったようだ。
「あ、やっぱり同定は要らないわ。その様子が見られただけで、アタシ大満足だからっ」
豹柄のお姉さんが何か言っているようだが、最早俺には関係がなかった。
「わっしょおおおい!」
奇声を上げつつ、山を走った。
藪を飛び越え、吊り橋を駆け抜けた。
息切れなんて全然しない。今の俺なら、何でもできそうだという万能感に全身が包まれている。
ガッ。
「ぬるぽっ!?」
そんなものは幻覚でしかなく、俺は道に飛び出た枝で顔を殴打してしまい、そのまま意識を失ってしまうのであった。