晴れた空からキノコの娘
『驚愕! 人里離れた秩父の山中に、空飛ぶ巨大キノコを見た!!』
そんな小見出しが、「ギャガーン!!」という効果音を伴って俺の脳裏に浮かんで消える。
「――なんだ、ありゃあ?」
雲一つない透き通った空から、巨大なキノコが降ってきている。
一般常識に照らしてみれば、普通キノコは空を飛ばない。
まさに珍現象と言って良いだろう。
俺は呆気にとられて、それを見上げる。
傘の中身は白一色。その付け根には見事なフリフリのついた白パンツが見えていた。
白、白、白、白、白尽くしだ。
……てか、これキノコじゃない。
巨大なキノコに見えたのは、キノコの傘を模したバルーンスカートと、その内側にある二本の足であった。
すらっとした両足は白のタイツに包まれており、ふよふよと柔らかそうな印象を見る者に与える。どうやら、これをキノコの柄と見間違えたらしい。
バルーンスカートをはいた女の子らしき物体は、ゆっくりと独楽のように回転しながら滑空を続けていた。
ほぼ真上に見えていた不思議物体が、八十度、七十度と、そのアングルを変えていく。
六十五度、六十度。
細身の体に露出度の高いチューブトップ、茶褐色に染め上げられたふわふわのネックウォーマーが見えてきた。
短く切られた茶色混じりの白髪にちょこんと乗っかった綿帽子もそうなんだが、全体的に暑いんだか寒いんだかよく分からない格好をしている。
空からやってきた不思議物体は、まだ少女と言って良い年齢の女の子であった。
あ、獣耳まで生やしてら。
ここで、風向きが変わった。
「痛っ!?」
女の子の小さな身体が予測不可能な軌道を描き、俺の上へと着地する。
いや、地に着いていないな。着人だ、これ……
風に浮き広がっていた白髪が、重力を受けてはさりと収まる。
女の子は、じゃじゃーんと体操競技のフィニッシュにも似たポーズをとっていた。憎らしいほどのドヤ顔まで完備して、だ。
口惜しいことに、これが可愛い。
十点満点の爛漫さだ。乗っている場所が場所なおかげで、みしみしと痛可愛いのが難点であった。
みしみし、みしみし、みしみしみし。
「……あっ、案外重い……ってか、ちょっと本気でシャレにならない。どいてくれ!」
着人しても、女の子の回転は止まらない。
俺はあまりの痛みに悲鳴を上げた。
みしみし、みしみし、みしみし、べき、べきべきっ。
「あだだだだだだっ!? 抉るような回転が胸にッ!!」
木々を縫うひんやりとした秋風に、俺の絶叫が運ばれていく。
何処か遠くで、トンビの声がこだました。
ピイヒョロロと気の抜けた鳴き声が、まるで俺をあざ笑っているかのように聞こえる。
日頃の疲れを取るためにやってきたキノコ狩り……だというのに、一体何ゆえこのような悲劇に見舞われているのだろうか。
走馬灯の如く脳裏に浮かびあがってくるのは、ここに至るまでの道程であった――
◇
まず、きっかけは週初めにまでさかのぼる。
「なあ、俺くん。君はまだ有給が残っていたな。二日だけ使っていいから、来週中に消化してくれ」
女上司の苛立った命令を契機にして俺の小旅行は始まった。
俺の勤めている会社では、年に十日の有給が与えられる。
有給の蓄積上限は二十四日。計算の上では二年ちょいと頑張って働けば、ちょっとしたバカンスが楽しめる計算になる。
だが、話はそう単純にいかない。
実はこの有給システム。計算にあらわれない箇所に狡猾な落とし穴が存在するのだ。
「取るのは良いですけど、リーダー。今は超忙しい時期でしょ。いつもなら、絶対休暇申請なんか通らないじゃないですか」
「当たり前だ馬鹿者」
女上司が憤慨したように鼻息を荒くする。
「人手の要る時期に人を休ませる管理者が何処にいる。そんなものはフィクションの世界にしか存在しない! シンデレラを拾い上げる王子様のようなものだ! いたら、私が目をつけている。だから、私は、君を絶対に、休ませない! 本来ならば!」
「あっ、はい……」
怒濤の勢いでシンデレラガール(三十)にまくし立てられる。 俺は彼女の剣幕から逃げるようにノートPCに目を落とした。
くそっ、ブルーライトが目にしみるぜ。
今の一件からわかるように、普段は安易に休暇を取ろうとすれば、
「何でこんな理由で休暇取ろうとするわけ? 馬鹿なの? 死ぬの?」
と、にべもない敵意が返ってくる。
そう――うちで有給休暇を取るには、まず休暇理由申請などといった訳のわからない手続きが必要になってくるのである。
ちなみに超忙しくないシーズンなど存在しない。
じゃあ、何で今回に限って俺は休暇を取る必要が生じたのだろうか?
「……世間体に響くから――だ」
女上司の声は憎々しげにくぐもっていた。
「上がな……五年以上無休は流石に管理不行き届きになるからとうるさいのだ……くそっ、普段は馬車馬を強要するくせに……なぜ、外野から少々つっこまれたくらいで日和るのだ。私なんて七年は無休だったのだぞ! 呪われてしまえッ、俺くんっ」
俺がこの会社に勤め始めてから五年と少し。この間に無駄にした有給は、通算で二十六日をマークしていた。
どうやら、このすさまじい勤務状況が外部に漏れてしまったらしい。
女上司に提示された二日間というのは、「社員に連休を与えた」と外向けに言い張れる最低単位の数字であった。
鬱屈したねたみそねみを、ひしひしと感じる。
てか、呪われるの俺かよ。
これは受けても受けなくても角が立ちそうだ……
俺は弔い合戦におもむくサムライのような面もちで「それじゃ、休ませていただきます。かたじけない」と女上司に返した。
「あの……リーダー」
「何だ? 新人の藻部くん」
恐らく、俺と女上司の話を聞いていて、これはチャンスだと思ったのだろう。
入社二年目の後輩が口を挟んできた。
愛想笑いの浮かべ方から、何をお願いしにきたかは明白だ。
目は笑っていない。必死の形相だった。
「実は、今度家族の法要が……」
おっ、これは応用パターンその1である。家族を理由に休暇を押し通そうという腹づもりのようだ。
だが、こんな簡単な手で休暇が取れるのならば、既に他の社畜ガチ勢も休暇不足に苦しんでいなかった。
女上司は盛大なため息をつくと、絶対零度のまなざしを後輩に向けた。
可哀想に、これでは蛇に睨まれた蛙である。
「皆、その理由で申請するのだがな? 良くも考えてみろ。今は皆が身を粉にして頑張っている。苦楽を共にした仲間は、既に家族も同然だ。つまり、会社は我々の家。家族のために休暇を取るなど通ると思うのか? んん?」
「ええぇぇ……」
小細工を粉砕された後輩は、哀れなほどに消沈していた。
それにしても、会社の仲間はみんな家族か。
驚愕の新事実を告げられたものである。
まるで、義家族の契りは血よりも濃いと言わんばかりだ。
「我ら社員、生まれし日時は違えども、死すべき時は一緒なのだよ。分かったのなら、仕事に戻りなさい」
俺たちは、いつのまにやら桃園の集団的誓約を契らされていたらしい。
全く身に覚えのない話だった。
「でも……」
後輩はまだ納得のいかない顔をしていた。
随分ガッツのある奴だな。入社二年目なら、未消化有給の蓄積はない。
諦めて、社畜ライフを過ごせばいいのに。
「デモも、ストもない。今の君がやるべきことはキーボードを叩き、企画書を仕上げることだ」
「いや、そっちじゃなく……」
「じゃあ、なんだ!」
いい加減にしろとばかりに、女上司が持っていた書類をデスクに叩きつけた。
そこ、俺のデスクなんですけど。
「年齢が違うのに、死すべき時が同じというのは、いかがなものかと――」
おいばか、やめろ!
それを言ったら、戦争になるだろうが!
「ふ、ふっふっふ……」
「あの、リーダー?」
肩を震わせる女上司(三十)を気遣うように、俺は声をかけた。このクソ忙しい時に大乱闘など真っ平ごめんだ。
「……何だ」
「あ、えーっと」
女上司は凄まじい目つきをしていた。
顔立ちはそう悪くないと言うのに、万年の寝不足も相まってか、その迫力だけで人を殺せそうだ。
ここは言葉選びを決して間違ってはいけない。
俺は必死に自らのボキャブラリーから最適な台詞を引っ張り出そうとする。
「ア……」
「あ?」
「アラサーはまだワンチャンありますって」
「だったら、早く来てくれよ王子様!」
大乱闘は防ぎようがなかった。
「にょわー!」
これは、悲しいすれ違いだったのだ。
◇
仕事帰りの終電内。
俺はスマホをいじりながら、週末の過ごし方について思考を巡らせた。
「でさー」
「マジでー」
喜べと言わんばかりに押しつけられた休日であったが、正直少しも嬉しくない。
なにせ、連休の後には再び地獄の五年無休がやってくるのだ。嬉しいどころか、無常感で胸がいっぱいになる。
涙はドライアイで出てこなかった。
「ちょっと、あのヒトなんで震えてんだろ? キモくね?」
「キモいキモい」
ちょっとうるさいよ、そこのJD。
チャラチャラとした格好しやがって。彼女らのせいで、俺の気力はさらに減退していった。
「あー、何か本当にやる気が出ねえ……」
張り詰めていた糸が切れてしまった状態とでもいうべきだろうか。
車輪に火のついた自転車をこぐようにして、激務を乗り切っている内は良かった。
だが、いざ降りてしまうと活力が全く湧いてこない。
燃え尽き症候群って、こういう症状を指すのかな?
「……色んなことから逃げてえなあ」
と、できもしないことが口をついて出てしまう。
そんな簡単に現実から逃げることができるのなら、俺は今頃ブラック企業なんかで働いていない。
真面目な人間ほど社畜根性が馴染みやすいという。
俺は自分で思っていたよりもずっと真面目な人間だったってことなんだろうな。
「余暇の過ごし方ねえ」
俺は目をしょぼしょぼとさせながら、スマホの画面をスライドさせていった。
まず、目に留まったのが「スポーツジム体験無料」という文字列だ。
なるほど、休日に身体を動かして過ごすなんて、いかにもデキる男らしい休日の過ごし方である。
だが、生憎と俺にスポーツの趣味はなかった。むしろ高校までは嫌いですらあった。却下である。
ならば、と次は「今月のおすすめ書籍特集」に目を滑らせる。
今は十月中旬ごろ。読書の秋の真っ盛りである。
これはかなり魅力的に思えたが、年々悪化していくドライアイを考えて、泣く泣く決断を見送った。却下。
次に大学時代にはまったネトゲの出戻りキャンペーンが目に留った。やはりドライアイが急加速してしまうため、却下である。
ここまで流していって、最後に見つけたのが紅葉狩りの写真であった。
「アウトドアかあ」
目に優しくて、そこそこ身体を動かせる。
今の俺には最適な選択肢であるように思えた。
「そうだな、アウトドアにしよう」
アウトドアなら大学時代に趣味にしていたため、そこそこ杵柄を取っている。
テントや寝袋といった道具も既に持っているため、初期投資は必要ない。安月給にこれは魅力的だ。
旅費も交通費と食費くらいのものだろう。
食費にしたって山の幸を取ることで浮かせればいい。それができるくらいには、昔は山に入り浸っていた。
「今の時期だと山栗はちょっと遅いか。キノコ狩りになるかな」
キノコの鑑定は難易度が高いが、できるものだけに絞ってしまえば、そこまで困難なわけでもない。
どうしても判断に悩むようなら、"山のきのこ"屋にでも持ちこんでしまえばいいのだ。
山道をドライブすると必ず見かけるあの立て看板の店である。
千円か二千円出せば、快く鑑定もしてくれるはず。
「人気のない静かな山で、心穏やかにキノコを採り続ける……」
俺はその光景を夢想して、独り気持ちの悪い笑みを浮かべた。
良いじゃないか。すごく心の栄養補給がはかどりそうだ。
考えれば考えるほど、"日常から隔絶された静かな空気"を楽しむことが、今の俺には必要に思えた。
「うん。今週末は、秩父にでも行こう」
人生と歯車には遊びが必要不可欠だ。
今は遠のいてしまった理想郷がまぶたに浮かびあがる。
干物になった魚のそれを思わせる俺の目に、一滴の潤いが差し込んだ瞬間であった。
◇
最初はすこぶる順調だった。
山を彩る紅葉も、秋の空気を優しく震わせる野鳥の声も、落ち葉の敷き詰められた広葉樹のトンネルも、日頃ブルーライトばかりを浴びている俺の目に十分な癒しをもたらしてくれた。
来て良かったと心から言える。
「ああ、空気が美味い。目にも優しい」
なんて月並みな言葉を、
「ああ、樹木の香り成分であるフィトンチッドが、ホメオスタシスの回復に寄与しているなあ」
なんて言い替えてしまうくらいだ。
フィトンチッドは目にも優しい。
俺の気持ちが上向きになっていたのは間違いあるまい。
まさに絶好のキノコ狩り日和――の、はずだった。
おかしくなったのは、本格的にキノコ狩りを始めてからだ。
そう時間をかけずに山の中腹にたどり着いた俺は、うきうきとした足取りで山道から外れた急勾配を登り始めた。
今にもがけ崩れを起こしそうな斜面であったが、こういうところにキノコは生えているものなのだ。
どうやら、大学時代のアウトドア趣味で培った体力も衰えていないようで、五十リットル入りの中型バックパックを背負いながらでも、急勾配をものともせずにぐんぐん上に登っていけた。
そうして、玉のように噴出してくる汗を拭いながら、藪をかきわけ進んでいると、
「ルンララー♪」
何故か茶髪の少女がくるくると踊っている姿が目に飛び込んできた。
「……うん?」
思わず、目を擦る。
幻覚ではない。
尾根伝いに生えたミズナラの木の下で、少女は確かに踊っている。
茶系統で統一されたヒラヒラのドレスをはためかせ、へそがチラリと見えるほど身体を反らしている姿が現実として、そこにあった。
プリーツスカートの間から覗く細い足には妙な艶めかしさを感じたが、そんなことは問題じゃない。
「何でこんなところに女の子が……?」
森ガールというやつだろうか。
確か、森にいそうな妖精じみた雰囲気を持つ女の子をそう呼ぶのだと雑誌で見たことがあった。
近頃、森の妖精とやらも巷に出没しているとNコ動で言っていたし、森ガールが実際に木々の生い茂った場所にいてもあながちおかしくないのかもしれない。
「……いや、いやいやいや」
あんな生足丸出しの服装でいたら、まず間違いなく生傷でヤバいことになる。
プリティで俺はキュアされたかもしれないが、本人は確実にMAX・HURTだ。Mガザルにも等しい所業といえよう。
おまけに、ヒルも足に集ってくる。
ヒルはやばい。藤岡T検隊の隊長も「ヒルだ。気をつけろ」と仰っていた。
ここは山の先輩として、一言注意しておかねばならないだろう。
そう思い、俺は彼女に声をかけようとしたが――
「あらっ?」
彼女と目が合った瞬間、俺は何も言えなくなってしまった。
端正な顔立ちに、満面の笑みが浮かびあがっている。
カラーコンタクトでも入れているのだろうか。キラキラと輝くその目は蒼かった。
「じーっ」
綺麗な目だ。綺麗な目で、ものっすごい勢いでガン見されている。
何だろう。
俺、何か悪いことしたのかな?
女の子にガン見されるなんて、電車内で痴漢に間違われた時以来なんだけど……
あの時は両手を吊り革に伸ばしていたのに、疑われた。
曰く、卑猥な匂いがしたかららしい。恐らくワキガのせいだろう。
「何やら卑猥な匂いが漂ってくるのだけれども……」
これだけ離れているのに、感じるというのか! どんだけだよ、俺のワキガ!
俺は何だか居たたまれなくなってしまい、脱兎のごとく横歩きで逃げ出した。
「あっ、ちょっとアナタ――」
何だか引き留められた気がしたが、俺はあまりのショックで自分の脇以外に注意を向ける余裕を完全に失っていた。
よくよく考えてみると、脇がぬるぬるしているような気がする。
こんな体たらくでは、JKたちに罵倒されたって当然というものだ。
森ガールがJKだったのかは定かでないが、こんな山奥でスカートをはいてるのだから、きっとJKだろう。
雨にも負けず、風にも負けず、生傷にも負けず、スカートを短くはくのがJKという生き物である。
恐らくMっ気があるに違いあるまい。
人の性癖に口出しするのは野暮というものだから、ここは逃げて正解であった。
森ガールの姿が見えなくなったところで、気を取り直してキノコ狩りに戻ることにした。
キノコ狩りには知識と経験が不可欠だ。
俺は大学時代に学んだ知識を一つ一つ丁寧に思い出していった。
確か……キノコ狩りにおいて、大事なのは"上キノコ"を狙わないことである。
"上キノコ"とは、流通に乗っているキノコのことを指す。
マツタケ、マイタケ、ホンシメジ――
食欲の秋と言えば? と問われて思い浮かぶ食材たちは、大抵がこの"上キノコ"に分類される。
うまいが、当然値段もお高い。
キノコハントを生業にしているプロのハンターたちが日夜狙っている代物でもあった。
全身レザー装備で身を固めたプロハンたちは自分の縄張りを持っているらしく、その中では何処にどんなキノコが生えるのかを熟知している。
彼らは夜明けとともに行動を開始して、朝が終わる前にめぼしいキノコをあらかた採集してしまう。
そのため、にわかな俺なんかがどんなに頑張ったところで、マイタケみたいな"上キノコ"には到底ありつけない……というわけだ。
"上キノコ"が無理ならば、何を狙うか。
それは"雑キノコ"である。
"雑キノコ"は流通に乗るほど万人に愛されてはいないものの、調理法によっては中々イケる。
おまけに競争率も低いから、俺のようなにわかきのこハンターが狙うには格好の獲物といえるのだ。
「ヒラタケとか生えてねーかなあ」
ヒラタケは、十月以降に収穫の見込める素晴らしく美味いキノコである。
醤油をたらした炭火焼を食べた時には、もうこんな美味いものがこの世に存在したのかと飛びあがるほどであった。
俺は湧き出る唾を飲み込みながら、今夜のおかずを探すことにする。
樹上を見るも、辺りにヒラタケの気配はない。
枯れ木があればワンチャンあったのだが、この近辺はまだ木々が元気だった。
ならば足元を、と急勾配を手と足で丹念に精査していく。
手で落ち葉を掻きわけては、トレッキングブーツで優しくかき回していった。
雨にぬれた地面からは、獲物の匂いがぷんぷん漂っている。
そう遅からぬ内に獲物が見つかる――俺の直感はそう告げていた。
「おっ」
やがて、靴の先に手ごたえ――いや、足ごたえがあった。
俺は体勢を入れ替えると、足ごたえのあった場所の落ち葉を両手で丁寧にどけていく。
……あった。
落ち葉に隠れるようにして、マッシュルーム状のキノコが群生していた。
「これは確か、ええっと……」
確か食える奴だったはずだ。
俺がすぐそこまででかかった記憶を引っ張り出そうとしていると――
ぼふん。
突如、キノコが煙状の何かを噴き出し始めた。
「な、なんだっ?」
胞子にしてはやけに多い。視界を遮られた俺は、ひどくせき込みながら煙を払いのけようと必死にもがく。
このキテレツな状況に変化が訪れたのは、時間にして十秒ほど経ったあたりだったろうか。
煙の中から白い細腕が飛び出してきた。
一体どんなマジックだ!
思わずのけぞり、尻もちをつく。ついた後で、ここが急勾配だということを思い出した。
「あっ――」
俺は体勢を崩して、ごろごろと斜面を転がり落ちてしまう。
「う、うわぁぁぁっ。いてっ、いでででっ!」
不幸中の幸いというべきか、無数に生えた低木のが障害物になって転落スピードは上がらなかった。
ぶつかっては転がって、ぶつかっては転がってを繰り返す。
まるでピンボールの玉にでもなったかのような気分だった。
フィニッシュとばかりに俺の身体が宙に投げ出される。めでたくなく着地。
ゴールは先ほどまで歩いていた林道であった。
ふりだしに戻ってしまった形になったが、何とか大きな怪我はせずに済んだようである。
「いってぇ……」
鈍痛を訴える身体をさすりながら、上体を起こす。
一体、何だったというのだろう。
事態を把握しようと、元いた場所を見上げた瞬間、
「――へ?」
こうして事態は現在の悲劇に繋がっていく。
◇
ふわり、と。
俺の身体から離陸した女の子は、まるで野鳥の羽根のような軽やかさですぐそばに舞い降りた。
……おかしい。
俺に乗っかっていた時には、この子すげえ重かったんだけど……
地面と俺で労わり方が違う気がする。
大地讃頌するにも程があるだろう……ガIア教徒かな?
不貞腐れた俺のまなざしなど無視するようにして、彼女は二本の足をピンと揃えて、両手でスカートのすそをつまんでいた。
まるで海外のお辞儀を思わせる優雅さである。
物理的な失礼の後でなければ、なんたる礼法ジツ! と感嘆していたところだった。
俺は日頃すりこまれた習慣により、
「あ、どうも」
と普通に挨拶をしようとして、はたと重要なことに気がついた。
この子、何処から湧いて出てきたの……?
空を滑空してきたのは百歩譲って良いとしよう。
この広い世界、宙をスカートで滑空できる女の子がいたって、おかしくは……うーん、キノコの国のお姫様は滑空できたな。
まあ、あれはピコピコの中だ。現実じゃない。
世界は四角くないんだから。
問題は、煙の中から突如現れたことであった。
付近に人が隠れている気配はなかったのだ。そもそもこんな人気のない山奥で隠れんぼをする理由がない。
ならば、彼女は何もなかったはずの場所から飛び出してきたことになる。
AIが止まらなくなるわけじゃあるまいし、女の子が湧いて出てくるはずないっちゃ。何か口調がおかしいな……
空を見る。天空の城は浮かんでいなかった。
地面ならどうだ? 転落場所を見上げてみても、地面を掘り返したような痕跡は見つけることができなかった。
「うーん、訳が分かんねえ……」
彼女は、一体どうやって現れたのだろう。
俺の困惑をよそにして、女の子は先ほどの踊り子同様こちらに興味深々といった様子であった。
先ほどのドヤ顔を見たときにも思ったが、目の前の女の子は美少女だった。
恐らく街中を歩けば、十人中十人が振り返るだろう。
少々奇抜な格好をしているが、これだってコスプレだと考えればそう悪いものでもない。頭に付けた獣耳も相まって、まるで人形みたいな愛らしさを発揮していた。
そんな美少女との対面は、何とはなしに居心地の悪いものがある。
俺はたまらず、彼女から目を逸らした。
「……?」
逸らした方向に彼女がずいっと顔を寄せてくる。
ちょ、顔が近いって。
パーソナルスペース侵しすぎだから。
あまり目が良くないのだろうか。彼女は両目をずっと閉じていた。そのせいで長いまつげが良く目立つ。
彼女の鼻がすんすんと盛んに動いていた。どうやら、俺の匂いを嗅いでいるらしい。
ワキガの匂いを嗅ぎあてたのか、真っ白い頬に赤みが差す。
やっぱり卑猥な匂いがするのだろうか……将来設計を考えて、これはワキガの手術も視野に入れなければならないかもしれない。
やるなら、五年後の連休になるだろうけど。
そんなことを考えていると、彼女が何か言おうと口を開いた。
「……何だって?」
照れているのだろうか。声が小さすぎて良く聞こえない。
もっと大きくはきはき喋ってくれと言いかけて、俺は慌てて口を閉ざした。
トラウマの門を開きかけたからだ。
何故かうちの会社、元気が一番だ! とかいって、日常会話まで叫ばせるんだよな……上司は決して叫ばないのに。
これ以上トラウマを呼び起こさないためにも、ここはおとなしく付き合うことにする。
「ええと……」
彼女の口元に耳を近づけた。
こしょこしょと吐息が感じられて、非常にくすぐったい。
照れ臭さを必死で我慢しながら解読できた台詞は以下のようなものであった。
ド。ウ。テ。イ。ク。ダ。サ。イ。
「――は?」
ちょっと、年頃の女の子が何言っちゃってんの!?
確かに俺は言われるまでもなく童貞であった。
齢二十七にして、ピュアピュアなチェリーガイであった。
だからといって、初対面の女の子にそう容易くあげられるものでも……あったりはするんだが、まだ心の準備ができていない。
俺のうろたえようにしばらく小首を傾げていた彼女であったが、やがて俺の考えていることを察したのか、納得したようにポンと手を叩いた。
「いや、童貞なんか要らないんだよー?」
……何だよ、普通に喋れるじゃねーかよ。
◇
彼女の名前は、埃原茶狐というらしい。
話を聞いたところによると、どうやら彼女はキノコの妖精であるようであった。
正直、にわかには信じがたい話だ。
しかし、現実として彼女は何もない場所から突然現れるという離れ業を見せてくれた。
彼女が忍者でないというならば、妖精だという主張も認めるべきなのかもしれない。いや、しかし……
俺が現実を受け入れられずに苦悶していると、
「あ、こんなこともできるんだよー」
ぽふんっと、ものの証拠に目の前で地面からキノコを生やす技を披露してくれた。
これ、餓死が防げる神スキルだな……
ぽっと出のキノコを凝視する俺に、チャコは一つの提案をしてきた。
「私はね。貴方に同定して欲しいんだよー」
同定ときたか。
同定とは菌類の正式な種類を、鑑定するための作業のことである。
よく大学の研究室やアマチュアのキノコ研究会なんかが同定会とやらを主催しており、俺にも若干の参加経験があった。
「でも、どうしてだ? 自分を同定してもらいたいって、意味が分かんないんだけど」
妖精にも、思春期特有の承認欲求みたいなものがあるのかしらん。
俺の問いを受けて、チャコは口元に指を当てた。
どうやら、答えを吟味しているようで、上を向いてはうんうん唸っている。
「え? なんだって?」
聞こえてなかったのかよ! 思わせぶりな態度取りやがって!
「だーから! 自分を同定してもらいたいって、どういうことなんだよっ!」
「ぴゃーっ」
俺は野々村にしている彼女の獣耳を引っ張って、大声でもう一度同じことを質問した。
難聴属性は二度手間がかかる。
「えへへー、キノコの娘はね。気にいった人に同定されて一人前になれるんだよー」
チャコが照れくさそうに頭を揺らす。
そのたびに、帽子から胞子が辺りに飛び散っていった。
……今気づいたけど、フケじゃないよな? これ。
「私たちは眷族の繁殖期にだけ、この世界にやってくるんだよー」
「この世界って、君……チャコちゃんたちは異世界の住人ってことなのかっ!」
俺は大声で言葉を返す。二度手間はごめんである。
「うん、普段は幻想キノコ界に住んでいるんだよー」
マジカルキノコ。
なんともまた、非合法な匂いのする異世界であった。
「それでね。こちらに来た目的というのが眷族の繁殖に合わせて菌活するためなんだよー」
「何それ、婚活の亜種か何かかっ!?」
もしくはアIカツか何かかな。
「そうそう」
そうなのかよ。
「幻想Zクシィでも前シーズンから準備特集号が組まれるくらいでー」
「マジかよ、Zクシィすげえなッッ!」
結婚雑誌の覇者は、いつの間にか異世界にその食指をのばしていたらしい。
しかし、このまま怒鳴り声でしゃべり続けてると喉が枯れそうだ。職場以外ではなるべく喉を休めたいんだけど……
俺がその旨を大声で訴えかけると、チャコはピョコンと人差し指を立てて代案を提示してきた。
「私は目や耳の代わりに鼻が良いから、匂いでなんとなく思ってることわかるよー」
「マジかよ」
「マジマジー」
俺は彼女の感知能力を試すべく、匂いに想いを乗せる努力をした。
……どうやってやればいいんだ? とりあえず、何か考えてみよう。
(Fミチキ、ください)
チャコの鼻がすんすんと動く。
嗅いでる。めっちゃ俺の匂い嗅いでる。果たして、俺の想いは届くのだろうか。
「あっ、ごめんねー。それ来月からなんだよー」
「通じた! いや、これ通じたの? 何か齟齬があったような気がするんだけど……」
正確にはコンビニと定食屋くらいの齟齬があった気がする。
しかし、彼女はけらけらと笑うばかりであった。
「んで菌活って具体的に何をやるんだ?」
「えっとねー。気にいった人間に同定してもらうとねー。ふわふわーってなって、ぴかぴかーってなって、ぽこりーんってなるんだよー」
「な、何を言ってるんだかわからねえ……」
やたらミスター・ジャIアンツ臭のする説明に、思わず頭を抱えてしまう。
特にぽこりーんが厄介である。何がぽこりーんとなるのか。お腹かな。踊るぽこりーんだと年がバレる。
まあ、結果はともかくとして。過程は妖精の正体を特定――この場合は、何の化身か当てればいいのか? ――をすればいいことが判明した。
それくらいなら、にわかの俺にも不可能ではなさそうだ。
だが、しかし。
「それで、同定してくれないかなー?」
俺は首を横に振った。
まだ解せないことがあったからである。
「いや待ってくれ。そもそも俺じゃなきゃだめなの? それ」
「だめだめーだよ」
「何でさ」
「他にも山を歩いてる人いたけどー、何だかみんな怖そうな匂いがしたんだよー」
なるほど、彼女が言っているのはプロハンたちのことらしい。
彼らにとって、キノコ狩りは遊びではない。日々の糧を得るための生業である。
そういったG級に本気の想いを感じ取ってしまったため、彼女もコンタクトを取りづらかったのであろう。
「てことは、俺は趣味で山をゆるーく登ってたから接触されたってこと?」
「んー、んー、そうじゃなくってー。匂いがねー……すごい卑猥な匂いしたからー」
「もうワキガネタ引っ張るのやめてくれよ! 俺のメンタルそろそろ満身創痍なんだけど!」
俺は思わず、抗議の声をあげてしまった。
何故、山奥に来てまで自分の体臭を指摘されなければならないのか。それが分からない。
「でも、キノコの娘にとっては良い香りだよー?」
「え、マジで?」
「マジマジー。えっとねー、マツタケってあるでしょー?」
「うん、あるね」
大好物の一つであった。
とりわけマツタケごはんがお気に入りで、炊飯器を開けた時に広がる、あのかぐわしい香りを思い出すと生唾が止まらない程である。
まさか、俺の体臭はマツタケのようなかぐわしい芳香成分を含んでいるというのだろうか。
これからの人生、マツタケ系男子としてワンチャンあるのかもしれない。
「あれ、ブーツ脱いだ時の足の匂いに似てるでしょー? そんな感じー」
「気が滅入ること言ってくれるなよ!」
これから炊飯器を開けるたびに、「あっ、これ足の匂いだ」とか考えてしまいそうだ。
食欲クラッシャーである。食欲の秋にとんだ邪魔者と出会ってしまったものであった。
何よりも、彼女の話をまとめれば、俺は足の匂い系男子ということになる。
これはワンチャンありそうにない。
「とにかく、良い匂いには違いないのー」
そこは嘘偽りのない本音であるらしい。
ワキガを良い匂いだなんて……女の子に言われることは、もうこれ以降なさそうだ。
これ。相手が妖精じゃなく、ごく普通の女の子だったら最高だったのになあ……
「菌が繁殖してる、とっても卑猥な匂いなのー」
雑菌まみれってことじゃねえか!
「それで、同定してくれるー?」
両手を後ろ手にして、見上げるようにこちらを窺ってくる。
「んー……」
何とも悩ましい話であった。
そもそも俺は、心の栄養補給を求めてキノコ狩りに来たのである。
断じて、キノコの娘と駄弁るためではない。
こうして無駄な時間を費やしている内に、今夜のおかずが一品。また一品と減っていくのだ。
ここは初志を貫徹すべきだろう。
俺は毅然とした態度でチャコと向き合った。
「残念だけど――」
「……同定してくれたら、お礼に"私"をあげるよー」
「あ、やります」
即答であった。
こちとら二十七のチェリーガイである。
仕方ないじゃないか!
◇
「それじゃあ」
と、俺はチャコに促されて林道の端へと座り込んだ。
俺の隣にチャコも座る。
シチュエーションだけで言うならば、今の俺たちは年頃の男女が人気のない山道で身を寄せあうような形になっている。
……何これ超エロい。
俺の心臓は早鐘のように脈打ち始める。チェリーガイにふさわしい小心者の心臓が恨めしかった。
俺は動揺を必死で押さえようとしながら、チャコを同定しようとして……
「同定って何すればいいの?」
はたと大事なことに気がついた。
キノコの同定ならば、多少は分かる。でも、キノコの娘の同定って何すりゃええのん?
第一、俺は彼女の格好や現れた時の状況から、彼女が何のキノコをモデルとしているか、おおよその見当がついていた。
「チャコちゃんって、あれでしょ? ハラタケ科の――」
「もうっ、ムードがないんだよー!」
「エッ。あっ、すいません……」
身も蓋もないことを言おうとした瞬間、烈火のごとく怒られた。
同定に、ムードは大事なものらしい。
「同定ってー、もっとこう……ロマンチックに、傘の形や表面のざらつき、柄やひだ、壷まで、ちゃんとチェックしなきゃいけないんだよー」
ロマンチックに、か、傘やひだまでチェックとな?
チャコの言葉は、すさまじく淫靡な響きを含んでいた。
彼女の場合、傘の形はバルーンスカートがそれに当たるだろう。その表面は……まあ、スカート生地を撫でれば容易に分かりそうだ。
だが、柄は? 考えるまでもなく、白いタイツに包まれた両足である。
さらにひだは、"壷"は何に当たるのか……
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「好! ……そ、それじゃあ、同定させていただきます」
思わず包拳礼に敬語まで使って返してしまった。
「うん、いいんだよー」
快い返事を受けて、俺はチャコのスカートへと手を伸ばす。
スカート生地は……つるっとした感触だった。マッシュルームを触り心地に近いものがある。
「ひだや柄もおねがいー」
い、いよいよでござるか。
俺は覚悟を決めて、スカートの裾をがっしと掴んだ。
そろそろとスカート生地が持ち上がり、白いタイツをはいた足があらわになっていく。
くるぶしから、ふくらはぎ。そして太もも――
合意の上でのスカートめくりってマジやばいな……!
スカートの内部は、先刻のパンチラを凝視していた際にも気づいていたことだったが、やはり滑らかに感じられた。
俺はここで深呼吸をする。
精神集中。
この後、肝心の柄が待っているのだ。
俺は息をするのも忘れるように、彼女の両足を観察した。
「す、すげーな。産毛一つねえ……」
チャコの足は、触れることをためらうくらいに芸術的なフォルムをしていた。
彼女がメディアに露出すれば、足モデルはみんな廃業を免れないだろう。
「触らないと分からないんだよー」
マ、マジですか。
促されるようにして、ふくらはぎをつつく。
「あっ……」
「その声マジでやめて!」
いきなりの艶めかしい声に、俺は思わず悲鳴をあげた。
「いきなりだから、びっくりしたんだよー」
「いきなりも何も、促されるままやったんですけど!」
クソっ、こうなったら……
俺は賭場の壷振り師のような面持ちで、これ以降の観察を続行した。
「参ります」
「やんっ……」
「……参ります」
「んんっ……」
「参ります!」
「あっ、はぅっ……」
「おい、宣言してるのに、一々その声やめてくださいよ!」
「だってー」
そろそろ、俺の精神も限界に近付いていた。
まだ最後の大トリに"壷"が待ちうけていらっしゃるのだ。
ここまでの道程を鑑みるに、このままでは同定を終える前に童貞を捨てさせてくださいと土下座してしまいかねなかった。
「後は"壷"だけだねー」
「お、おう」
ついにこの時がやってきたか、という感動が俺の胸の内に渦巻いていた。
絵や写真に写った女の子のそれしか見たことのない俺が、果たしてそれを直視して耐えられるだろうか……
さ、触り心地の感想を求められたら、どどどうしたら良いのだろう。
俺の鼻息が荒くなり、スカートを掴む力が強まっていく。
そんな俺の様子を感じ取ったのか、チャコは怪訝そうな顔になった。
「えっとー、"壷"なんだけど。どう思うー?」
「へっ?」
俺は目が点になった。
"壷"は、予想していた場所とは少々異なる場所にあったからだ。
「えーっと、この"壷"はすごく……ブーツです」
彼女がこれみよがしに指し示したのは、両足にはいたほっそりとしたブーツだったのである。
「うん、これでチェックは完了だねー!」
「あ、さいですか……」
俺は落胆を隠せなかった。
言われてみれば、本物のキノコでいう"壷"とは柄が収まった部位を指す。見ようによっては、靴のようにも見えるだろう。
そう理解はできるのだが、簡単に納得できることではなかった。
前俺未到の領域制覇がかかっていたというのに……!
がっくりと落ち込んだ俺の肩を、チャコがちょいちょいとつついてきた。
うきうきとした様子で、俺の答えを待ちうけている。
俺はため息をついて、用意していた答えを告げた。
元々、彼女が現れた時から分かっていたことだったのだ。
「えっと、チャコちゃんのモデルは……ホコリタケだと思う」
ハラタケ科のホコリタケ。
腐葉土の上に好んで生育するマッシュルーム状のキノコである。
ハンペンみたいな感触で、バターで炒めるとそれなりに美味い。
俺が急勾配の中で見つけたキノコでもあった。
「ぱんぱかぱーん! 正解なんだよー!」
俺の答えを聞いたチャコは、満足げに頷くと両手をあげて喜んだ。
彼女の笑顔にささくれ立った俺の心が癒されていく。
うん、壷は期待していたものと違ったけど、これはこれで……いや、待てよ?
俺は報酬のことを思い出す。
確か、彼女は"私"をあげる、と言っていた。
"私"がもらえれば、期待していたものも見放題じゃないか。そうだよ。まだワンチャンあったわ!
その結論に至った俺も、両手をあげて大喜びした。
「ハイターッチ!」
「ハイターッチ!」
両手と両手が重なった、その瞬間――
「うおっ」
チャコの身体がふわっと浮かび上がり、キラキラとした輝きを放ち始めた。
「えへへ、同定完了、だよー」
はにかみながら、彼女が言った。
妊婦のようにお腹をさすり、続く動作で俺を抱き寄せるように手を伸ばす。
「一人前にしてくれた、お礼に"私"をあげるねー?」
その両手から現れたのは、一抱えほどもあるホコリタケ(本物)であった。
……ん?
「はい。大事にしてほしいんだよー」
そう言うと、俺の両手にホコリタケ(本物)を手渡してくれる。
ずっしりと重い。
そりゃあ一抱えほどもあるのだから、重いのは当たり前だ。
いや、違う。そうじゃない。
今、つっこむべきは、そこじゃない。
「じゃあ、私行くねー? また、次の菌活シーズンに貴方と会えたらいいなあ」
クルリと身を翻して、チャコはふわふわと飛んでいってしまった。
一人、ぽつんと残された俺は――
「そっちかよ! てか、大事にしろって食えないじゃねーかよ!」
行き場のない怒りをどうすることもできず、ホコリタケ(本物)を抱きしめながら、その場にうずくまる。
ちなみにその後、残された俺は独り寂しくキノコ抜きの昼食をとった。