破
ともあれ、何をするにしても様子を見なければなるまい。そう考えて、ガナフは剣を背負ったまま外に出た。盗賊団は既に、町の中に入り込んでいるようだ。
片目のガナフは、盗賊団が好き放題に町を蹂躙しているのを見た。
逃げ出すことは簡単だった。全てに背を向けて、走り出せばいい。町は踏みにじられるが、自分は助かるだろう。
しかしそれではいけないと感じた。イネアの言葉を信じなければならないと思った。
内心は、怖かった。膝がふるえそうだった。
だが、片目のガナフは前に進んだ。いつものとおり、どっしりと構えていく。力強く歩み、道を踏んだ。
威風堂々とした歩み。この出来事にも動じない鉄の精神。余裕のあらわれだ、と民衆はそれを見た。
「何だおまえは」
盗賊団のひとりが、逃げずに向かってくるガナフに気づいた。
彼は逃げ遅れた娘の服を剥ぎ取ろうとしているところだったが、それを邪魔しようとしているガナフが気に入らない。さっさと魔法を打ち込んで吹き飛ばそうとしたが、その瞬間に彼は見てしまった。
その男はすさまじい長剣を背負っているのだ。そして、全くこの事態におびえてもおらず、ただこちらを無表情にねめつけている。しかも、片方の眼球を潰すような、これもまたすさまじい傷跡がある。どうみてもよほどの強敵と戦い続け、研鑽を続けた凄腕の剣士である。
うっ、と彼はひるんだ。気合負けした。
こいつはやばいぞ、と彼の中の本能が警告を発している。逃げるべきか、とまで考えた。
彼の周囲にいる盗賊も、同じことを考えていた。盗賊団の数は多い。数十名は下らない。しかも、その全てが中級魔法の使い手であった。魔法学校を卒業した程度では下級魔法をやっと使える程度でしかないが、彼らは襲撃のたびに魔法をつかい、自然と実戦で訓練をつんだのだ。
結果、扱いの難しい中級魔法を使えるようになった。まれにみる、戦力の充実した盗賊団だった。ガナフは知らなかったが、国内でも名の知られたワルであった。
その有名なワル、盗賊団が片目のガナフにひるんでいる。圧倒されていた。
これをみていた民衆は盛り上がった。盗賊団を一人で圧倒するガナフに期待をかけているからである。
しかしガナフの片目におびえずに立ち向かう盗賊があった。首魁に違いなかった。
「貴様、ただものじゃねえな」
その盗賊団の首魁は痩せた小男だった。背丈は低いが眉目秀麗で、杖を持っている。どうやら、凄腕の魔法使いであるらしい。
美しい容姿も魔法で整えられているのかもしれないが、ガナフにはわからない。敵は、杖をガナフにむけた。
「俺様がじきじきに討ち果たしてくれるわっ!」
瞬間、杖の先から業火が飛び出し、片目のガナフに突き進んだ。片目のガナフはとっさに剣を抜き、その火を振り払う。
だが、ほとんどまともな鍛錬もしていないガナフの剣は鋭くもなければ強くもない。火はガナフに燃え移ろうとする。
熱い、と叫びだしそうになる。
実際に事態はまずい。むしろこれまでやってこれたのが不思議なくらいだが、ともあれ危機だった。ガナフの前には強敵が立ちはだかっている。
しかしここで取り乱せば他の盗賊までいっせいに襲い掛かってくるに違いなかった。余裕をつくる必要がある。ガナフは舌を噛み、表情を殺し、首魁を強くにらみつけた。服がわずかに燃えるが、気にしないふりをするしかない。
「そのまま焼け死ぬがいい」
火が有効だと思ったのか、首魁は次々と業火を打ち出す。
もはや剣で振り払えるような段階ではない。どうする、とガナフは自問自答する。
魔法には魔法で対抗するしかない。それしかない。だが、無理だ。自分はただの一つも魔法を使えないのだから。
死にたくない、と。
片目のガナフの心に生理的な死への嫌悪感が湧き上がった。同時に、イネアが思い出された。優しく抱いてくれた長姉の笑みも、自分を怖がらずに懐いてくれた末弟のことを。
彼らを救うべきであった。そうしなければならなかった。特に、イネアを。彼女を守るのは、一生をかけたガナフの誓いだ。その力を捜し求めて、彼は旅をしているはずなのだ。
死んでいる場合ではない。
負けている場合ではない。諦めていい局面ではなかった。
やるしかない、と片目のガナフは決めた。
燃え上がる業火が彼に迫ってくる。これまでよりひときわ大きいものだ。トドメを刺そうとしたのかも知れない。
火に対抗するには、水だ。水を作り出すのだ。そう考え、念じながらガナフは指先を向ける。
瞬間。
首魁の作り出した炎が跡形もなく消し去られた。霧散して立ち消えてしまったのである。
「なっ」
当然ながら、首魁は驚いた。このような魔法を、彼は見たことがなかったからだ。そしてその一瞬を、片目のガナフは見逃さなかった。
彼の放った短剣が、首魁の喉を刺し貫く。
驚きのうちにあった彼は、突き刺さってからそれに気づき、激しい後悔をしたが何もかも遅かった。美しい顔がひどく醜く歪んだ。
彼は倒れて、二度と戻らない。首魁を倒された盗賊団は散逸して逃げ出していった。
片目のガナフは、表情を変えない。どういうことを考えればいいのかもわからなかった。ただ彼は心中でナイフ投げに憧れた幼少時代の自分に深く感謝をささげていた。
民衆には、それが余裕と受け取られた。
この日、片目のガナフは英雄となったのである。
やっと自分にも魔法がつかえるようになった、とガナフは考えた。だがその考えは間違っていたことがすぐにわかる。
何度試しても、その後魔力が集まるようなことはなかったのである。
どういうことなのか、ガナフは理屈を考える。
あのとき、首魁は炎で攻撃をしようとした。ガナフはそれを阻止しようとし、成功したのである。
火に水をぶつければ消せると考えたが、実際には水が出現していない。火が突然消えたのである。その魔法を構成する魔力ごと、だ。これは普通ありえないことで、だからこそ首魁の動きが止まったのだ。彼は優れた魔法使いであるゆえに、理不尽なこの現象を前に思考停止してしまったのだ。
水は出なかったが、火は消された。そして、ガナフ自身は魔法が使えない。
考え抜いた結果、ガナフはとっぴな結論にたどり着かざるを得なかった。それは、世界で自分ひとりだけが使える魔法が存在していたというものだ。しかも、自分はそれ以外の魔法を何一つ使えない、と。
あまりにもむごい結論だが、ガナフはこれ以外の考えにたどりつけない。
いつでも堂々として、どっしりと構えていろといイネアの言葉がなければ彼は泣き出していたかもしれない。だが、彼は耐えた。
彼だけが使える魔法。それは、カウンター・スペル。
どのような魔法も、わずかな代償で打ち消してしまう魔法使い殺しの魔法。
実在してはならない魔法だった。
片目のガナフは、自らの運命を呪った。そうせざるを得なかった。
カウンター・スペルを使えるということは、彼が魔法による恩恵をうけられないということを意味する。
イネアの支援魔法などを受けたことはあるので、全ての魔法を無条件に無効化できるわけではない。だが、片目のガナフ自身がこのカウンター・スペル以外の魔法を使うことは全く不可能なのだ。そのための努力をするなどということは笑い事にしかならない。
彼は、魔力に見放されているのだ。彼に集まるのは、「反魔力」ともいうべき力であり、これをぶつけることで対象にしめした魔法を打ち消すことができる。
しかし「反魔力」に好かれた彼の腕には、魔力を集中することができない。そうしたとしても、すぐさま散逸してしまうため、魔法に練り上げることなどできるはずがなかった。そうともしらずに、片目のガナフは無駄な努力を続けていたのだ。
これはつまり、ガナフはどれほど努力をしても一人前と認められないことを意味する。イネアにすまないと感じた。
彼は自分が守った村の中で、歓声を浴びながら無表情を保ち、誰にも悟られないように歯を食いしばり、心の中で泣いた。
どっしりと構えて、いつでも堂々としていよというイネアの教えだけは忘れなかった。
彼は帰郷した。自分が永久に魔法を使うことができないということが発覚した以上、旅を続ける意味がなくなったからだ。
わずかな金銭を入手して彼は故郷に戻り、イネアや兄弟と再会を果たした。
このカウンター・スペルはひょっとしたら何かの役に立つのかもしれないが、少なくとも魔法文化全盛のこの世界にはアナクロすぎた。さまざまな魔法文化の恩恵をほとんど享受できないのはガナフに負担をかけている。
また、彼の進退は完全に詰まっていた。盗賊団の首魁を倒したことはほぼ偶然でしかなく、同じことが二度三度とできるとは思われなかった。
したがって彼は、英雄扱いされたことを自慢げに吹聴したりはしない。その結果、彼が多くのいのちを救ったということをほとんど誰も知らずにいる。家族の中でも、ガナフはイネアにだけそれを伝えた。自分の秘密もすべてぶちまけて泣いた。
この歳の近い、面倒見の良い姉にだけは全てをさらけだしたかったのだ。片目のガナフはその醜悪な顔をますますゆがめて、泣きじゃくった。
イネアはこのぶざまな弟を、胸に抱きいれて慰める。親身になって彼に同情し、彼女も泣きはらした。
彼女はとっぴもないガナフのカウンター・スペルに関する話をまずは信じて、それから検証を行った。イネアの放つ魔法は確かに、片目のガナフの力で打ち消されてしまったのである。
『魔力』はある種の不安定さを内包したエネルギーであるから、干渉によって散らされることがある。そうした場合、空中に霧散してしまい、自然には二度と集中することがない。そのため、敵の魔法使いが『魔力』を溜めた状態にあったのであれば、これを散らすことは可能だ。そうした魔法も開発されている。
だが、その魔力を精神力によって練り上げ、『魔法』という存在に変えたのなら話は別だ。指向性を持った力に変化して、不安定さは失われているのだから、これを散らすことは不可能だ。つまり、一度つくりあげてしまった『魔法』を防ぐことはできても、散らすことはできない。これが常識なのだ。
にもかかわらず、ガナフは敵の魔法を簡単に打ち消している。イネアの放つ魔法も、問題なく打ち消してしまえた。
これは、悲しいことだ。ガナフの仮説が証明されていくことになったからだ。つまり、彼はこのカウンター・スペル以外の魔法をまったく扱うことができないという結論に向かって、突き進んでいることになる。
慟哭を禁じえなかった。さすがに堂々としていられはしなかった。だが、イネアは彼への同情をみせた。
そして片目のガナフは、全てを受け入れてくれる姉の存在にまた、感謝の涙をこぼす。
姉弟は静かな夜を、ともにした。どこまでも、イネアは姉だった。
弟のナズが少し成長していたが、まだ魔法学校に入るほどの年齢ではない。まだ兄弟たちは長兄の稼ぎに頼っている。イネアの稼ぎはまだまだわずかなもので、ナズの養育費に消えている。同時に、ついに両親からの援助の全てが途絶えたため、生活はあまりよくなってはいない。
片目のガナフは両親との絶縁を決意した。もはや彼らとのつながりは、邪魔にしかならない。
しかし、長兄とも絶縁できるほどの経済的余裕がない。ガナフはできるならイネアと末弟だけを連れて逃げ出したかったが、それはまだ無理だ。長姉を見捨てることもためらわれた。ここは仕方がない、仕方がなかった。
粗暴な長兄もさすがにこの提案には反対しなかった。どうせ元から両親とのつながりなどほとんど感じていなかったし、無用の長物と化していた。また、一家の長になることが嬉しく思えたのだろう。
両親のほうも出て行くなら勝手にしろとばかりの態度をとった。
息子たちに離縁されることは地位ある人物としては痛手のように思えたが、片目のガナフの汚名は彼らにとっては邪魔なものだったらしい。彼をかばう兄弟たちをも同時に絶縁し、断腸の思いで名誉ある家を守ったという具合に話は変換され、彼らの地位はそれほど損傷をうけなかった。
こうして兄弟五人は両親と絶縁したが、居所が変わったくらいで以前と変わらない生活を続ける。
片目のガナフは魔法文化全盛の中で低俗とされる肉体労働をしてどうにか自分の食い扶持程度は稼ぐようになったが、まだ不足していた。長姉は今だ長兄の虐待を一身に受けていたし、イネアを守ることも難しかった。もっと力が必要だと、彼は感じていたのだ。
だが魔法の力はガナフには永久に宿らない。たった一つの力を除いては。
長兄は彼を役立たずと断じて、常に嘲笑の対象とした。それでもやはり肉親であるゆえか、時折親しみを感じさせる笑みを浮かべていた。
長姉は旅立つ前よりも口数が減っていたが、ガナフを慈愛の目で見つめてくれる。彼女の前でもまた、素直になれる気がした。
末弟はようやく魔法というものに触れている。はやくも片目のガナフにできなかったことをしてみせている。少々ねたましいが、怒りはなかった。
だが、やはり最も心を許せるのは次女のイネアだ。片目のガナフは彼女の言葉を常に信じている。
常に堂々としていよ、という彼女の言葉を。
だが、唐突に事件は起きた。片目のガナフが、高い地位にある人物に呼び出されたのである。
低俗な職につき、どうにか口に糊する生活をする彼の、一体何に目をつけたのかと思った。しかし断るわけにもいかない。イネアが強引に同行することになり、片目のガナフはその人物と面会した。
「貴殿が英雄、盗賊団を滅ぼした男か」
その男は、ある騎士団を率いる軍団長の地位にあった。
そのときも片目のガナフは姉の言葉を忠実に守ってはいたが、内心は衝撃を受けていた。あの出来事を嗅ぎつけられたと思ったからである。
軽く振り返って、後ろにいるイネアを見た。彼女は堂々と立ち、全く表情を変えずにいる。そしてまた、何も話さない。
「魔法を用いずに首魁を殺したと聞いている。その力を、借りられぬか。
我が領土を脅かす敵がいるのだ、貴殿ならそれを撃退できよう」
無茶を言うものだ、とガナフは思う。
話を聞けば、その敵というのは周辺の盗賊団を吸収して成長した野盗である。その規模は桁違いに大きく、数千人規模となっているらしい。
そんなものを、個人でどうにかできるわけがない。
片目のガナフはそれを説明した。軍団長はいくらか食い下がったが、やはり無理だと思ったのか素直に引き下がった。
「わかった、被害地域の住民には避難を呼びかけよう。我らが騎士団も精一杯の抵抗をするつもりだが、数に劣る。かなりの被害を覚悟せねばなるまい。援軍も要請しているが間に合わぬだろう。
とはいえ、貴殿が気に病むことはない。仕方がないことだ」
軍団長はそう言い残して、ガナフを退室させる。
どうやら、野盗たちの襲撃はすでに始まろうとしているらしい。こうなってしまっては、やはり一部地域の被害をあきらめるしかないのだろう。
それは、やはり仕方のないことだ。片目のガナフもそこは軍団長と同じ意見にならざるを得ない。
だが、家に戻る途中で片目のガナフは呼び止められた。一人の少年だった。ナズとそう歳も変わらないだろうというくらいの幼さだ。
彼は、ガナフのことを知っているらしい。英雄たる彼のことを知っていて、頼っているのだ。
「英雄ならあいつらを止めてくれよ、父さんが働きにいってる町が、襲われてるかもしれない」
話を聞いてみると、騎士団には彼の父親がいるのだという。父親はきっと盗賊たちに抵抗して戦うだろう。そして、命を落とすだろうと予想される。
だから、どうあっても片目のガナフに動いてもらいたいのだ。少年は必死にそれを訴えた。
片目のガナフはやむなく。説明した。
敵は圧倒的な軍勢であり、個の力で対抗できるようなものではないということを伝える。父親もさすがにそれは承知しており、騎士団としての役目を果たすだろうが、劣勢となれば退却を試みるであろう、また避難をするだろうと告げた。
だが少年は全く納得しなかった。
「父さんはそんなことわからねえんだ。絶対、戦って死ぬに決まってるんだ。だから助けてくれって言ってるのに。
大人はいつも聞いたふりばかりして、結局まともにとりあってくれないんだ。英雄っていうのも一緒で、結局はそうなんだ」
片目のガナフは、その言葉をどこかで聞いたような気がした。
大人は汚い、子供の意見をまともに聞いてくれない、と。
少し考えて、すぐに思い当たった。思わず彼は、イネアの顔を見た。彼女は表情も変えずにいる。堂々と腕組みをして脚を開いて立っている。偉そうだった。自信たっぷりだった。
かつて、ガナフは大人が嫌いだった。
だが英雄と呼ばれて、こうして呼び出しを受け、自分も大人と見られていると知ったのだ。
自分が嫌っていた大人になってしまった、と感じると同時に。彼は、それを否定したかった。
賢い選択をすることが、逃避に思えてしまう。
何を考えているのか。
片目のガナフは賢い。ここは、どう考えても余計なことをしないほうが良い。カウンター・スペルのことをおおっぴらにすると余計な騒動が起こるのは目に見えている。自分の命も危うい。
また、確実に救えるとなどとはいえない。むしろ、失敗をして自分だけ無駄死にをするという確率のほうが明らかに高かった。
心の中に悶々としたものを抱えながらも、ガナフはどうするべきかわからない。
恐らく、盗賊団の襲撃はすぐにも民衆に知らされるだろう。避難すべき場所があるものはそうせよとお達しがあるだろう。
だが、ガナフたち兄弟は帰るべき場所などなかった。長兄の稼ぎは即座の転居を決められるほど大きくはない。それでもいのちが大事なのでやはり最終的にはここを去らねばならないが、失うものは大きい。
それに、長姉は過酷な旅に耐えられないだろう。ここを離れたくないのは、ガナフとて同じなのである。




