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鳥と虫のロンド

木々は連理の枝を啄む鳥を見よ

作者: あおい

 

 001


 十八歳の少女、剣木(つるぎぎ)みかりは、女の子が好きだった。恋愛感情で。

 いわゆる同性愛者である。

 生まれてこの方、男を好きになったことがない。

 みかりは男が嫌いだ。大嫌いだ。穢らわしいとさえ思っている。ゆえに、みかりにとって現状は耐えきれないの一言に尽きる。こんな〝男に告白されている〟なんて事実、溝川に捨ててしまいたい。いますぐに。

 どちらかというと派手めではあるものの、清楚の域に収まる丁寧な造りの顔立ち。県内でも有数の私立高校の凝ったセーラー服が、細長い手足と華奢な体躯を更に頼りないものに見せている。ピーコックグリーンの制服から覗く肌は透けるように白い。柔らかく胸元まで落ちる蜂蜜色の髪は天然もので、長い睫毛に縁取られた大きな瞳と相俟って、人形めいた美貌をかたち作っている。みかりは正真正銘、完全無欠に美少女であった。そのせいもあって、校内に非公式ながらもファンクラブなんてものがあるのだから、笑えない。しかしそれがみかりに近づくものを影ながら排除していることも知っていたので放置していたのだが、こんな奴が出てくるのなら廃棄してしまおうか。見るも無惨なくらいに。みかりが残忍に思考を巡らせていると、件の男――まだまだ少年の域を出ていない、みかりのクラスメイトが口火を切った。

「あの、剣木さん……返事は?」

 答えなんてわかっているだろうに。

 みかりは顔を歪めた。舌打ち。眼前のクラスメイトの制服のネクタイを思いっきり引く。首を絞められるかたちになり呻く彼を尻目に、ネクタイの赤を眺める。――これじゃない。

「ご好意どうもありがとう。けれどわたしはあなたのことが蛆虫のようで気持ち悪いの。はやく消えて、目障りだわ」

 みかりは男を突き放す。

 物理的にも、精神的にも。

 彼は数歩よろけた。その顔面は蒼白である。

「何でそんなことを言うんだよ剣木さん。僕、君とクラスで一番仲がいい――」

「くだらないことを言わないで。あなたとわたしが? 馬鹿じゃないのかしら。あなたが一方的にわたしに話しかけてくるだけじゃあないの。わたしがあなたに応えたことが一度でもあったかしら。ずっと辟易していたのよ、わたし。それを仲がいい? ああ、気持ち悪い。気持ちが悪くて不愉快だわ。いえ、不愉快だからこそ気持ちが悪いのかしら」

 みかりは学内で孤立している。妬みや僻み、羨望や欲望。そういったものが煩わしいあまりに。爪弾きにされたというより彼女自身が他人を寄せつけていないわけであるが、希にこうして、自分は特別だと妄言を吐く男たちがいる。こういう害虫を駆除できたらどれほど心が晴れるのだろうと思いはしたが、みかりのうちの恋する乙女が言う。「勝手なことをして幻滅されたらどうするの」と。

 答えは簡単、そんなの死ぬ。

 いや、死んでも死にきれないくらいに悔恨の念に苛まれるのか。誤解されたまま死ねもしないだろう。死にたいのに死にたくないという二律背反(アンチノミー)に悩まされるのは必至だ。

 彼女にとって、恋した相手は絶対なのである。みかりが完全無欠な美少女であるのと同じくらいに。あるいはそれ以上に。振り上げかけた過剰な暴力の拳を納め、みかりは張りぼての笑みを浮かべた。それでも男どもはこれに騙されるのだから、馬鹿としか言いようがあるまい。

「あなたが気持ちが悪かろうがなんだろうが、金輪際、わたしに近づかないでくれたらそれでいいわ。さようなら、クラスメイトさん」

 颯爽とその場を去るみかりは、もちろん、クラスメイトの名など覚えていなかった。

 こっぴどくクラスメイトを振ったその足で、正門へと向かう。放課後はみかりにとって至福のときだ。あんな背景の一部に邪魔をされたと思うと凶悪な感情がもたげるが、視界に捉えてしまったすらりと伸びた人影に、みかりのそれは拡散した。なんでいるのよ。作り笑いなどお手のものであるみかりだが、今回ばかりは顔が引き吊った。

「同じ学園の生徒だろう? そう邪険にしてくれるな、剣木」

 無駄に、あえてもう一度言うが、無駄に爽やかな笑みで彼はみかりの心を読んだように応じた。クラスこそ違えど学校も学年も同じ。正門で出会っても不思議ではないかもしれない。しかしそれは二人がただの知人であったならば、だ。

 待ち伏せ。それもここで。

 みかりは嫌な気配をひしひしと感じながら、それでも強気に眼前の長身を嘲笑った。

「あなたはわたしのストーカーだったのかしら、甲斐(かい)

「冗談言うな。剣木よりヒビキを追っかける方が数百倍愉しいに決まっているだろう」

「奇遇ね、わたしもよ」

 この腹黒野郎。

 声に出さないけれど、みかりは恋敵を胸中で罵った。


 002


 師首(もろくび)ヒビキ。それが無欠の美少女、剣木みかりが恋をする少女の名である。年齢は十五歳。年下とはいえ役職的には上司に当たる。顔立ちは中性的に整っており、短い髪や身体のラインが出難い服装から少年のように見える。猫のようなしなやかさを纏う彼女の、発展途上にある身体のパーツはどれも美しかった。甘い双眸はチェリーレッドに謎めいており、すらりとした首を強調するかの如く武骨なチョーカーが飾っている。

 そんな想像のなかのヒビキに、ほう、と感嘆するみかり。けれど気を取り直して甲斐を睨んだ。そうだ、本来ならば本物の彼女に会えていたはずなのに。

 大嫌いな男のひとりだけれどそうも言ってはいられない、ある意味特例――甲斐(きざはし)。さっぱりとした髪型にすっと鼻腔の通った顔立ちは、やはり爽やかと表記するしかあるまい。些か垂れ目がちなところも、成績は優秀だが鼻にかけた感じはなく、加えてスポーツ万能であることも、その印象を強めるアイテムに過ぎない。好青年。これほど彼に似合う言葉があろうか。腹のなかは真っ黒なくせに。

始祖鳥(アーキオプテリクス)内部で、あまりよくない動きがあってな」

 人払いは済ませてある。盗聴の心配もない。みかりを連行する予定で押さえておいたのであろうがらんどうの喫茶店で、甲斐は優雅に紅茶を飲みながらそんなことを言う。負けじとみかりも紅茶を飲み下しつつ、ふん、と鼻を鳴らしてやった。

「うちの内部で、ね」

 始祖鳥(アーキオプテリクス)とは。

 陣地取りゲームなんていう不毛でありながら熾烈な争いを続けるチームの一方、みかりや甲斐、そして師首ヒビキが所属する組織である。そこでは皆ゲームの際にはコードネームを名乗り、殺し合う。勝てば報酬として土地がチームのものになり、負ければ命と陣地を失う。無論負けが死に直結するわけではないが、見逃してやろうという感性を持ったものはそうそういない。どれだけの損害を負わされようと修復する不可思議な土地を、暴力や異能――個々人が所有するさまざまなちからによって奪い合うのがこのゲーム。どちらかがすべてを掌握し切るまで終わらない、不滅の遊戯である。

 みかりがその組織の歯車になった理由はただひとつ。そこにヒビキがいるから。

 この甲斐階もそうなのだから、みかりが甲斐を〝男という有象無象のひとり〟と定義してしまえないわけもわかるというもの。甲斐が本心でどう思っていようが、みかりの目には恋敵としか映らないのである。

「けれどそれをわたしに言っても仕方がないでしょう? ただの一構成員であるわたしが、そんな不届きものを炙り出せると思っているのかしら。だったらお門違いよ、甲斐。そういう専門は、それこそあなたじゃあなかったかしら」

「そいつはあろうことか、ヒビキの座る第七殺虫室の室長の席が欲しいらしい」

「殺すわ」

 みかりは低く声を絞り出した。

 即答である。ヒビキを脅かすものは内外問わずみかりの敵だ。死ねばいい。いや、殺してやる。

 始祖鳥(アーキオプテリクス)の半数は戦闘部隊であり、第一殺虫室から第十三殺虫室まで、十三の部屋――つまるとろこ敵対するチーム軍蟲(ぐんちゅう)を狩るための部門がある。そのうちのひとつがヒビキが室長に座る第七殺虫室である。年齢層が比較的若い傾向にある殺虫室では、十五歳の少女が頭というのもあり得なくない。けれど自分より下の、それも少女が上司であることに不満を覚える者も無論いる。殺虫室で室長が変わるのは珍しいことではないのだ。室長が死ねば席は空く――たとえ誰に殺されたのだとしても。

「死ねないくらいの絶妙さで痛めつけて、もう殺してくださいお願いしますと乞わせてから相手の心が壊れるまで痛めつけて、もう何もわからなくなったところで薬を打って覚醒させ命乞いさせた上で痛めつける。何度も何度も繰り返し叩き落として――そういうことをわたしが飽きるまでやってから、最後にはちゃんと殺すわよ。甲斐、いいわよね」

 みかりは笑う。

 恋する乙女は命を燃やせるのだ。

 甲斐は苦笑した。それは許可の笑いではない。みかりも聡くそれを拾った。美しい眉間にこれでもかと皺が刻まれる。

「まさか誰が無謀な馬鹿なのか、わかっていないわけじゃあないでしょうね」

「当たり前だろう」

 まあ、みかりとて本心で問うたわけではない。第七殺虫室の情報の要は、この甲斐なのだ。ヒビキが関わっているのに甲斐が己の手腕を出し惜しむわけがない。学生鞄から取り出された紙束をみかりは奪うように受け取った。

 捲る。

 カールソン泳譲(えいじょう)。その文字列に、みかりは嫌悪感を隠そうともせず盛大に舌を打った。最近第七殺虫室に配属となった男である。外国の血が混じっているためか日本人離れした強靭な身体つきを武器に、日夜問わず喧嘩に明け暮れていたらしい。その野蛮さが戦力となると踏んだのか、質の悪い強姦魔であるにも関わらず七室に送り込んで来た上層部の連中に呪詛を吐き捨てた覚えもある。みかりは何度も卑猥な言葉や誘いを受け、こいつさっさと死ねばいいのに、と思っていたところだ。その点においては丁度いい。

 わたしが殺してやろう。暗い微笑を浮かべ、みかりは資料を握り潰す。

 しかし甲斐という腹黒男が、みかりの興を削がんと言を紡ぐ。

「彼は上が七室に捩じ込んだ、監査官のようなものだ。あれに監査などできるとは思えないけれど、それを前提にしても、こちらが殺ったと告げるような明らかな片付け方はまずい。それはわかるな?」

「……そうね」

 甲斐の言い分は尤もだ。上に睨まれてはやり難い。そんな不自由をヒビキに味あわせるのは、みかりの精神に反する行為だ。甲斐がいけ好かない腹黒野郎だとしても、ことヒビキに関しては結束することもやぶさかではない。甲斐も同様であろう。

「で、どうするの。甲斐」

「剣木、カールソンと組めるか?」

「本来であれば何が何だろうと断るだろうけれど、今回ばかりはそうはいかないようね……。いいわ、組んであげる。軍蟲との紛争のなかで死んだということにすれば簡単だものね」

「そういうことだ。察しが良くて助かる。(しま)だとこうはいかないからな」

「仕方がないわよ。馬鹿だから」

 みかりはカールソンの資料に目を通すと、それを甲斐に突き返す。こんなものいつまでも持っていては立場が良くない。甲斐のポジションならば言い訳もきくが、みかりのような戦闘員には無理だろう。

 その流れで席を立つ。用件は済んだ、ならばもう甲斐と同席している意味もない。恋する乙女としては、一刻も早くヒビキに会いたいのである。

「わたしはマンションへ行くから……あなたも来るのなら、時間をずらして頂戴ね。万が一にも――まあそんなことはないでしょうけれど、億が一にも、ターゲットにこの企みが露見しないように」

「剣木、俺が先に戻るというパターンもあると思うんだが」

「ふざけないで。殺すわよ」

 肩を竦める甲斐。みかりはそれが冗談であることは重々承知していたが、余裕綽々のこの態度が気に入らないのだ。まるでヒビキには自分の方が近い、みたいな。たとえそういう意図がなかったとしても、気に入らないものは気に入らない。堪らず舌打ち。甲斐に貸しを作りたくないみかりは、紅茶代にと札を一枚テーブルに叩きつけ、荒々しく踵を返したのである。

 その背は、翌日、陣地取りゲームの最中にてカールソン泳譲を殺すという密務を感じさせることはない。恋ゆえにいくら企もうが、剣木みかりは美しかった。


 003


 みかりの得物は、日本刀だ。

 全長九〇センチメートルの打刀、銘は文獅子(あやじし)

 みかりの祖母から彼女へと死に際に手渡された、剣の道を継いできた剣木一門の女系に受け継がれる刀……らしい。というのも、みかりは刀に興味などない。これが最も馴染んでいるから使う、それだけ。誰のために振るうのか、その目的は行き過ぎるくらいに明らかであるけれど。

 みかりの格好は清廉なセーラー服ではなく、黒のライダースジャケットに同色のパンツルック。常に垂らしている髪はポニーテールに。腰に帯びた文獅子の、あまりに素っ気ない黒鞘が、漆黒を纏うなかで最も深く、暗い。色素の薄いみかり自身をも食い尽くさんとする勢いを孕んでいたが、みかりの美貌は闇に置いてこそ輝く。これはおそらく、陣地取りゲームに関わりのある者しか知らないことだろう。

「よお、お嬢ちゃん」

 みかりとの合流地点で煙草をふかしていたカールソンが、好色そうな口端を上げる。

 年は二十代半ばか。チャラチャラした印象しか抱けない相手である。みかりの肩に置かれようとしていた手のひらは、彼女の一睨みによって妨げられた。所在なさげに手の位置をさ迷わせるカールソンだが、美貌の少女の機嫌を損ねまいとしたのか、結局その手は身体の横へ落ちる。

 いまじゃなくてもいいか、と。

 透けて見える思惑に苛立つ。陣地取りゲームに勝利した暁には、みかりの身体が手に入るとでも思っているのだろうこの下衆は。みかりはむっつりと唇を引き結んだ不機嫌な表情のまま、カールソンに向き合った。

「不本意だけれど、今回はあなたと組んであげる。精々わたしの足を引っ張らないよう気をつけてくれるかしら」

「気の強いこった。ま、そういう女を鳴かすのがイイんだが」

「無駄口叩かないで。斬り殺したくなるわ」

 実際それを企んでいるのだけれど。男嫌いで知られた彼女の発言であるため、カールソンはいつものことだと肩を竦めるだけだった。

 ゲームの開催地は、駅前のゲームセンター。

 何ともごちゃごちゃした場所を設定してくれたものである。人払いもされていないそこは、年若い者たちで溢れていた。時計を見る。二十時十八分。まだまだ街は眠らない。クレーンゲームに熱中する派手な化粧の女子高生。格闘ゲームで対戦相手に悪態を吐く少年グループ。その合間を縫って、二人はゲームセンターの奥へと進んだ。

「それにしても、あのセーラー服で来てくれても良かったんだがなあ。いいとこのお嬢さまって感じで、いろいろとフインキ出んだろ」

 フインキでなく雰囲気だろうに。馬鹿は嫌いだ。みかりは振り返りもしない。事務的な会話しかするつもりもなかった。

「あなた、いつも使っている武器は?」

「あ? そりゃあるぜ、ここにな」

 ポケットを叩くカールソン。あるなら構えていろ。言いかけたそれを飲み込む。みかりの感覚を刺激したのは、自分と馬鹿男を注視する何者かの気配。みかりが美少女だからというわけではない視線に、身が引き締まる。ここは既に戦場。周囲へ目を巡らす。今回のゲーム開催場所はあちらの陣地。それゆえ、こちら側からは手を出せない、というルールがある。その上なかなかランクの高い、シークレットゲームだ。どんな相手と対戦するか、事前にわかっていないのである。しかも、『完全に』というのはこちら側だけ。みかりやカールソンの名前だけならばあちらは把握済みだ。このゲームにおいて有名であればあるほど、名前を知られることで戦闘スタイルすら筒抜けになってしまう。こうなればアドバンテージは完全に向こうのもの。初撃をきちんと受けきれなければ死ぬ。警戒を強めるみかりとは対照的に、カールソンは何処までも自信過剰だ。得物すら取り出さず、呑気に女の尻を追いかけている。

「なあ、このあとなんだけど」

「あなたにそんなものないわよ」

「は?」

 みかりにとって絶対普遍のそれを口にした、その瞬間、ゲームセンター内の電気が一気に落ちた。

 来た!

 みかりはいち速く反応した。危険を感じその場を飛び退けた彼女の横を、空気を裂いてしなる何かが強襲した。対戦ゲームをしていた少年の隣のゲーム機を砕き、火花を散らす。鞭、いや、鞭のようにしなる槍といったところか。武器を視認できたのは大きい。攻撃に転じる間際、カールソンを一瞥。

「はあ!?」

 貫かれた、巨躯。溢れる血液。こひゅ、と木枯らしのような呼吸音。それは呆気なく倒れた。

「使えない!」

 一撃とか何なのこいつ。殺す手間は省けたが、手駒は早々に減った。陣地取りゲームを終えたところを思う存分いたぶって殺そうと考えていただけに、ふざけるなと言いたい。一足飛びでゲーム機の影に飛ぶ。あちこちで悲鳴が上がっているが、そんなもの知るか。

 呼吸を整える。

 逃げ惑う人に紛れ、みかりは駆け出した。

 槍が向かってくるが、身を捻ってかわす。鞘に手を。文獅子を抜き払う。焦点を合わせる。一閃。みかりの刃が、伸びきったままの槍を断った。火花を散らして落ちた武器に、その持ち主が息を呑む気配がした。

「出てきなさいよ」

 凄むみかり。どれだけ表情を変えようが美貌は健在だ。その美しさに誘われたのか何なのか、相手はすんなりと姿を現した。

 その顔に、微笑を浮かべて。

「やっぱり凄いなあ、剣木さんは」

「は?」

 知ったような口を。みかりの眉間に皺が寄る。

「学校での君も素敵だけど、いまの君も魅力的だよ。剣木さんは何を着ても似合うね」

 既に人々は散っていた。彼の武器は斬った槍だけか。だらりと垂れた右手に残骸があった。若い、みかりと同年代の少年。店内の鉄柱に腕をついている。Tシャツにカーゴパンツ。何処にでもいそうな、完全無欠の美少女とは相容れない存在。だというのに、彼は続ける。

「あ、びっくりさせたかな? ごめんね。でもこうして敵同士だなんて、ちょっとロマンチックじゃない? ほら、ロミオとジュリエットみたいでさ」

 いい加減気持ち悪い。みかりは舌打ちした。

「べらべらとうるさい。誰よあなた」

「え?」

 きょとんと瞬く少年。みかりは問答のなかじりじりと距離を詰めてゆく。少年は、やだなあ、と笑った。口を閉じていろと詰りたいのを我慢する。「僕だよ、手塚太市(てづかたいち)。今日君に告白したじゃないか、忘れちゃった?」

 その名に覚えはないが、告白してきた奴ならばいた気がする。どうせこっぴどく振ったのだろうが。その腹いせか。しかしそれにしては、言動が伴わない。

「ああ、そっか。僕は別に怒ってないよ」

「は?」

 今度はみかりが瞬く番だった。

「僕のこと、照れ隠しで振っちゃったこと気にしてるんでしょ? 大丈夫わかってるから。そのことも話さなきゃと思って僕ひとりで来たんだ。邪魔な男も始末したし、さ、剣木さん、あ、名前で呼んでいいよね? ね?」

 うるさい。

 感情の高まりと同時に、文獅子を閃かせていた。斬り込んだ一撃を槍でなく、彼が触れていた鉄柱に阻まれる。それが独りでに曲がり、みかりの攻撃から少年を庇うように剣の軌道の上に滑り出てきたのだ。

 こいつのちからか。

 歯軋りするみかりに、やはり彼は笑ったまま。

「もう、びっくりするなあ。君の行動は大半が照れ隠しだから……いまのは呼んでもいいってことかな、みかりちゃん」

「許可していないわ」

「僕のことは太市でいいからね、みかりちゃん」

 ああもう嫌だこいつ。話にならない。怒りと嫌悪感で震えながら、ヒビキを想う。あの瞳を、声を、ヒビキに支配される幸福を。そこで浸っていたいなら、やることはひとつ。

「死んで」

「え?」

「わたしのことが好きだと言うなら、死ねと言っているのよ。できないの? あなた、その程度の覚悟でわたしと付き合うつもりなの? 不愉快だわ」

 陣地取りゲームに勝利する。

 それだけ。

「仕方ないから殺してあげる」

 みかりは婉然と、微笑んだ。


 004


 深呼吸。

 ここからが、殺し合いだ。

 まず、攻撃に邪魔な柱から切り離さねば。少年から鉄柱に標準を合わせる。再び斬り込む。下から上。先のようにみかりの斬撃を弾こうとした鉄柱は、すっぱりと二つに割られる。少年が次の命令を下すより早く、手首を返して刀を振るい、その鉄柱を細切れにしてやる。そして、踏み込む。

「う、わわ」

 少年はみかりの殺気を読み取ったのか、踵を返して駆け出した。武術を極めた者の動きではない。みかりが軽やかにその背に刃を突き立てようとしたところで、少年の手が階段の手すりに触れた。鉄が容易く曲がり、うねりながら刃を受け止める。柔らかいゴムのような動きをするくせに、硬度は鉄のまま。弾かれた。かなりの勢いで降り下ろしたせいか、手のひらが痺れている。みかりは刀を下段に構え、腹立たしい少年を睨みつけた。

 射殺さんばかりの視線を受け、落ち着いてよ、と彼。

「刀なんて捨てて。君と戦いたくなんてないんだよ。僕はね、鉄を自由自在に曲げ伸ばしして、操ることができるんだ。だからほら」

 みかりに断たれた槍の、持ち手の部分が伸びる。先端部を斬ったゆえ武器としての機能はほぼないと踏んでいたため、反応が遅れた。鉄でできたそれはワイヤーの如く、みかりの肢体に巻きついた。拘束具に変貌を遂げた鉄の棒に、みかりは何度目になるかわからない舌打ちを溢す。

「ね? こういうこともできるんだよ。僕だってしたくはないけど、さすがに斬られたくないから。あ、でも変な動きはしないでね。みかりちゃんを殺したりはしないけど、戦えない状況にしなきゃいけないから。ほら、刀ちょうだい?」

 胴体と腕を固定するように巻かれたため、刀を振るう動作はできない。刀は取り落とさなかったが、辛うじて手首が動かせる程度。みかりとの関係について頭はイカれているが、軍蟲としての役割も忘れていないようだ。馬鹿なのかそうでないのか、何とも苛々する男だ。

 みかりは拘束されたまま後退る。

「寄らないで。虫けら」

「そんな格好で言っても、何だか可愛いだけだよみかりちゃん」

「気持ち悪いのよあなた」

 詰ってもにっこりと笑うだけ。みかりが反撃に転じた際の盾や矛にするつもりなのか、ワイヤーにした鉄の棒とは別に、手には鉄製の丸い玉が握られていた。それこそポケットにでも隠していたのだろう。どう見ても詰みだ。少年は笑いながらみかりに近づく。

「みかりちゃん。僕は君が好きだよ、大好きだ。君はそうなら僕に死ねと言ったけど、それは僕の愛を信じられないから? 覚悟を見たいってことだよね?」

 この期に及んで検討違いのことを。怒りも嫌悪も通り越して、呆れ返る。

「だったらねえ、みかりちゃん。僕の愛が伝わるまで、いくらでも君を愛してあげる」

「ふっ」

 笑ってしまった。呆れを超越すると失笑しか残らないのか、と冷静に分析する。そして思う。お遊びもここで終わりにしてやろう、と。

「ひとつ教えてあげるわ。あなたがいくらわたしを愛しても、わたしがあなたを愛することはないのよ。なぜなら、わたしは既にこの魂を捧げているのだから――ヒビキちゃんに」

 ヒビキ。あの、師首ヒビキ。

 少年は唖然とし、唇を震わせた。思い込みだけで築いた妄言を紡ぐ余裕を根刮ぎ奪われるくらい、二人が身を置く陣地取りゲームという現実において、その名は格別だった。殺人鬼のサラブレッド。馬鹿げた『鶏』というコードネーム。しかしそれ以上に彼女を実直に表した通り名――

「あの『首斬り女王』……?」

「そう。その、師首ヒビキよ。あなた、啄木鳥(きつつき)の求愛方法は知っているかしら」

「それ、みかりちゃんのコードネームだよね?」

「ええ。わたしは『啄木鳥』。あれは木を嘴で叩いて求愛する。わたしもそう。剣を持って、敵を斬る。それがわたしなりの方法。わかるでしょう? わたしがそれを、誰に捧げているかくらい」

 笑う。

「わたしの頭の先から爪の先まで、すべてヒビキちゃんのものよ。彼女に夢中なの。残念ね。こうしてわたしを捕まえたのに、わたしはあなたのものには決してならない」

 それは人形じみた美貌による、明らかな嘲笑だった。

「だってあなた、ヒビキちゃんじゃないもの」

「――――ッ!」

 少年は、初めてその面に怒りを浮かべた。

 みかりが拍子抜けするくらいにあっさりと。対象はみかりか、恋敵かは判断できない。イカれた頭のなかなど見通せはしない。けれど明確なる怒りを持って彼はみかりに接近し、彼女の〝射程圏内〟に踏み入った。

 美しき刃が、突き立つ範囲に。

 膝を畳む。そして、手首のスナップだけで文獅子を放り上げた。くるくると回転させて。少年は突然の奇行に仰け反るようにして動きを止めた。その際に場を飛び退けなかったのは、少年の失策と言えよう。次の瞬間には、がちん、と力強い音を響かせて、みかりはその口に刀をくわえていたのだから。全長九〇センチメートルの日本刀が、あたかも矛のように、あるいは啄木鳥の嘴の如く、真っ直ぐに少年を狙っていた。みかりは顎に渾身のちからを込めたまま、踏み込むだけでよかった。獲物は自ら、テリトリーに侵入してくれている。

 しかし少年は、

「無駄だよ」

 瞳を嫉妬に焦がし、手のひらの鉄玉を掲げた。瞬きより速く、刃の軌道上に鉄の盾ができあがる。矛と盾。少年はみかりのそれが鉄の盾を貫けないと知っていた。刀は、引いて斬るもの。レイピアのように刺突に特化した武器ではない。一度みかりに武器を断たれたが、あれとて〝斬られた〟結果だ。突く動作、しかも口にくわえるという不安定な状況では、多少彼女が痛い思いをするだけだ。それこそあの突きで刃を通すのは、肉のように柔らかいものくらいだろう。

 愛しい少女が傷つくのは嫌だが、他の人を好きだと言う口なら、まあいいか。

 そう判断を下し唇に喜悦を乗せた少年の顔が、引き吊る。あ、と意味のない音が零れた。おかしい。そろりと腹を見る。


 文獅子が刺さっていた。


 混乱と激痛に呻き、驚愕に目を剥いた少年に、みかりは刀をくわえたまま目だけで微笑んでやる。少年の鉄の盾を貫いた文獅子は、皮膚を裂き筋肉を断ち肉を裂き――その生命を奪うだけの一撃を生んでいた。

 現状が理解できず、ぱくぱくと紫に変色した唇を震わせた少年は、ついには床へと崩れ落ちる。同時にみかりは文獅子から口を離した。倒れた身体を蹴る。腹から血液を垂れ流しながら、びくんと痙攣した。生きている、まだ。肉を突いた衝撃で切れてしまった口内から血を吐き捨てる。

「何故。そういう顔をしていたわね」

 みかりが鉄の盾を貫けるわけがないと、この少年は認識していたはずだ。それゆえの、何故。みかりは微笑む。

「あなたの推測は正しいわよ。わたしがただ刀を振るっただけでは、鉄は斬れない。ましてや貫くことなんて、不可能よ。わたしが〝ただ〟刀を扱ったのならば」

 少年の血の気が失せた顔が、虚ろになりかけた目が、真実をと急き立てた。冥土の土産だ、みかりは頷いてやる。

「あなたが鉄を操るように、わたしにも〝ちから〟がある。わたしのちからは、選択的な絶対の断絶。つまり、わたしはこれと決めたたったひとつを、何に邪魔されることなく斬ることができる。ここまで言えば、もうわかったでしょう?」

 選択的に、絶対に斬る、ということ。

 逆に言えば、選んだもの以外は、どうあがいても斬れない。みかりのそれは、多数を相手取るには不向きなちからである。

 少年の得物を断った際は、それを〝斬る〟と選んでいた。しかし次に鉄の防御に弾かれたのは、それを斬るものとして選択していなかったから。瞬きのように焦点を合わせ直せるわけではないのだ。きちんと斬るものを認識し、選び出す必要がある。そのちからを持って最後にみかりが斬ると定めていたのは、他でもない、手塚太市少年その人であった。そうであれば、盾など何の意味もなさない。貫いたというよりは、選ばれなかった。それだけ。

 みかりが『啄木鳥』と呼ばれる所以も、ここにある。「木」を「(ついば)む」鳥。つまり、的を射抜く、絶対の矛。それが剣木みかりという美少女であった。

 彼女が少年から文獅子を回収した頃には、彼は事切れていた。暫しの沈黙。美貌を煌めかせ、独りごちる。

「ヒビキちゃん、まだマンションにいるかしら」

 剣木みかりの心には、既にかの殺人鬼しかいなかった。


 005


 ヒビキの何処が好きかと訊かれても、はっきり言って「すべて」と答えるしかない。どうせ後づけなのだ、みかりは一目でその魂に魅入られた。そういうこと。

「みかりちゃん、お疲れ」

 きゅうん。胸がときめきで満ちる。

 始祖鳥(アーキオプリテクス)の拠点であるマンションにて。既に日を跨ぎかけていたが、わざわざここで待っていたであろうヒビキに迎えられた。あのクラスメイトに呼ばれたときは嫌悪でいっぱいだったが、恋する相手が紡ぐだけでこうも甘美に聞こえるのは何故だろう。みかりは男どもには向けることのないとびきりの笑顔で応じる。ソファーに座るヒビキに促され、その隣に腰を下ろす。

「どうだった?」

「勿論、楽勝よ」

「頼もしいな、みかりちゃんは。処理にやった縞の手伝いまでしてくれたんだって? ほんとに働き者だなあ。ゆっくりしてていいよ。いま甲斐が紅茶入れてる」

「ああ、剣木。おかえり」

 紅茶のポットとカップを携えた甲斐が、ヒビキの傍に腰かけたみかりに目を止める。アイコンタクト。頷いてやるみかり。それで今回の密務は終了だった。後処理の補佐としてその場に残り伝達もした。あとは甲斐と縞が上手くやる。みかりはただ求愛のために斬ったのである。

「こっちはカールソン泳譲が殺られたわけだが、まあ、大した損失ではないだろう。それよりも陣地を取れたことを喜ぶべきだ」

「ま、底辺の管理はしてないから。ぼく。上から貰ったモンが壊れたところで、別に感慨とかないよ」

 ヒビキは興味がないと手を振る。信頼に価しないものに対する彼女の態度は辛辣だ。歯牙にもかけない、とは正にこのこと。みかりは自分がこうしてヒビキに出迎えられるだけの実力を持つ戦闘員であることを誇らしく思った。だから、と言うべきか。ちょっとくらい見返りを求めたくなる。何度も言うように、彼女のそれは恋だった。愛では、ない。

 ただそれを口にできず逡巡していると、ヒビキはにっかりと笑った。

「でも、ま。さすがぼくのみかりちゃん。そういうのとは違うよ。誉めてあげる」

 ああ、もう。ほんとうに。

 きゅうん、でも、ドキッ、でもない。そのときのみかりの心の音を擬音で示すなら、ばちん、が正しい。全身を駆け巡ったのは、電気ショックにも似た歓喜であった。

 師首ヒビキは狡い。きっと彼女はわかっていて、みかりの純粋とは言えない欲を、たった一言で満たしてしまう。勝てない。けれど、この暴君のような支配が心地好いとすら感じるのだから、ヒビキの魅力は底知れない。魔のちからですらあるように思える。「ヒビキちゃん」恍惚の表情で、みかりは言う。「わたしが次に斬るのは、誰?」

 啄木鳥の愛は、木を啄むことでかたちとなる。

 時計の針が十二を指し、日付が変わった。

 剣木みかりは、今日も今日とて、恋に生きる。

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