母の思い・娘の気持ち
魔王様がセクハラをかまします。
どうしましょう?
ルレが嵐のように去り、オムレットがにこにこしながらティーセットを片付けるために席を外した。
自然と魔王と二人きりになったこのときに、やっと困ったことに気付く。
「ルレちゃんに、脱ぐの手伝ってもらうの忘れてた…」
着慣れない服でも、長時間かつ考えることがあれば呆気なく忘れてしまえるのかと、自分にじゃっかん呆れた。
でも、いまはそれどころじゃない。
立ち上がって魔王の前まで行き、無表情でこちらを見ている彼に背を向けて自分の背中を指差す。
「サン、脱がせてください」
ピシッ
ん?なんか、オーラが凍り付いたよ?
もしかして、子どもの着替えを手伝わせられると思って怒ってるとか?
「申し訳ないのですが、ボタンだけ外してください。背中のボタンさえ外してもらえれば、あとは自分で出来ますので、大丈夫です」
いや、こっちもこんなこと頼むのは恥ずかしいよ。
小さい子どもじゃないんだから、着替えくらい自分でやれる。
だけど、どうしても背中のボタンは自力じゃムリだ。
ファスナーなら、どうにか出来るけど、それはさすがにないし…。
ルレは興味津々で、どうにかこうにか作ってみるといってジャージの上着を借りて持っていったんだよね。
出来るかどうかはわからないけど、なんとか普及してほしいなぁ。
「サト、わかっているのか?」
「はい?」
肩越しに振り返れば、いつもよりずっと低いところにある魔王の顔。
坦々とした声はいつものものと同じなのに、なんで責められてるように聞こえるんだろう。
「自分が、誤解されることを口にしていることも、そう取られても仕方ない行動をしていることも、理解しているのか」
めずらしく、長文を話す魔王だけど、申し訳ないことにいってる意味が理解出来ない。
誤解もなにも、ボタンを外してほしいだけだよ?
…魔王、なんで苛立ち半分呆れ半分な顔してるのさ。
「十六は成人と見なされる。口にした言葉の責任は、自分で取らなくてはならない」
「はぁ」
んなこといったって、日本では二十歳が成人なんだけど…。
まあ、自分のいったことの責任は取れるよ!
「はい!外してもらえば、きちんと自分で着替えます!」
小さい子どもじゃないからね!
大事なことだから、もう一度宣言しとく。
「………」
なんで返事が、タメ息なのさ。
なんで『こいつ、わかってないな』って呆れが大半になった視線を寄越すの。
失礼だな、もう!
ムッとしつつ、肩越しに顔を向けていれば、魔王はもう一度失礼なことにタメ息を吐いて立ち上がった。
「…わかった」
うんうん、わかってくれてよかったよ。
立ち上がったせいで、威圧感が増した魔王に背中を向け直して見易いように背筋を伸ばす。
身長差があるから、魔王は大変だろうからちょっとした協力だ。
一つ一つ、丁寧にボタンが外される。
その都度、解放された部分に空気が入って窮屈な服から解放されているのだと見えないながらも認識出来た。
…なんだか、変な感じ。
家族以外の男の人に、服を脱ぐの手伝ってもらうのって。
「サト」
「はい?」
後ろを振り向かないと、魔王がどんな表情をしてるかわからない。
たぶん、いつも通り無表情だとは思う。
だけど、不意に生地越しじゃない背中に大きな手が置かれてびっくりした。
温かな手のひらは、ゆっくりゆっくりボタンが外されて露になった肌を撫でてる。
ビクッ
そう認識した途端、身体が独りでに震えた。
「お〜い、チビッ子。父さんの上着返し…うわああぁぁっ!?」
「うるさい」
「うっさい」
ブラウニーがノックもなしに、部屋に入ってきて叫んだ。
うるさいよ、本当に。
『真っ昼間から』だとか『客間なのに』だとか『まさか趣向を変えて!?』だとか、小声なのにさらにうるさい。
彼もそう思ったのか、『むしろ、嗜好がかわっ』ってところで、物理的に黙らすことにしたらしい。
ぐわしっ
「ぐぇっ」
「少し、出て来る」
「いっ、いってらっしゃい」
ブラウニーにアイアンクローを喰らわす魔王はそのまま、頭をわし掴んで出ていった。
「すすすすみません、せめて魔術ブッ放すだけにして」
「お前は弾くだろう」
「だからってそれは…ぎゃあぁぁぁっ!!」
…遠くの方で、絶叫が。
あー…うん。
だいぶ背中の部分が解放されたから、なんとか脱げるかな。
魔王が帰ってきたら困るから、さっさと着替えよっと。
いそいそと着替えながら、ルレがやって来る少し前のことを回想することにした。
『旦那様、以前話していたサトちゃんのお洋服の仕立てを娘に依頼しようと思うのですが、いかがです?』
『ああ、構わない』
いつの間に、本人抜きでそんな話をしてたの?
いや待て、本人の意思はムシか…あぁ、もしかしてそれって建前かな?
前に『会いたい』っていったから。
『旦那様はお洋服に興味がないから、楽しみだわ〜』
違った、オムレットの趣味だった。
『もちろん、娘に会わせたいというのもあるわ。でも、親がいうのもなんだけど、針子としての腕は確かよ』
ふ〜ん、オムレットの娘は服を作ることを仕事にしてるのか。
『そうよ〜ウアラさんが、住み込みで働かせてくれる仕立屋を見付けてきてくれてねぇ。そこでずっと、仕事を教えてもらいながら働いてたのよ』
『そうなんですか…住み込みってことは』
『執務室に戻っている』
『あっ、はい』
魔王はそういって、戻ってく。
長話になるのを、察したのかもしれない。
話題に上がったウアラネージュは、ここ最近いないから、男の人一人で肩身が狭いのかも。
ここ、魔王本人の屋敷なんだけどね。
まあいいか、ワーカーホリック気味の魔王は巣に戻ったんだからのんびりお話してよう。
『住み込みってことは、お母さんとしては寂しかったりしますか?』
『そうねぇ…子どもの夢を応援したい気持ちも、もちろんあったわ。でも、二人っきりの家族だもの、寂しい気持ちもあったわ』
『二人っきり?』
オムレットの苦笑に、彼女の話題に夫の話が出てこないことに気付く。
『あの子がずっと幼い頃に、病気で…ね』
ぐっと、言葉に詰まる。
彼女がぼかした部分に入る言葉に、気が付いて。
『大丈夫よ〜前に仕えてた方がここを薦めてくださって、不自由なくあの子を育てられたわ』
ポンポンと肩を叩くオムレットは、もう一度だけ『大丈夫』といって笑った。
『あの子が小さい頃は、旦那様のご厚意でこの屋敷で一緒に暮らしてたのよ。旦那様は幼いながらも当時の魔術師師団長様に次ぐ魔力をお持ちだったから、いつも忙しくしてたから、娘とはあまり関わらなかったけどね。それに娘は、今度結婚するから安心してね!』
オムレットの剣幕に、理由がわからないながらもとりあえず頷く。
なにに対して安心すればいいんだろう?
というより魔王、いくつのときからここに住んで仕事してたんだ?
『あぁそういえば、ウアラさんが前に娘さんが結婚するっていってましたね』
どのタイミングだったかは、忘れちゃったけど、そんなことを聞いた気がする。
でも、それだったら仕事を依頼していいのかなぁ。
寿退社とか、しないの?
『そうねぇ、結婚後しばらくは続けるみたいね。娘は針子だけではなくて、服の形や生地の配置とかも考案もするからなおさらよ』
つまり、デザイナーでもあるってことか!
『すごいですね、娘さん!』
『ふふっ、ありがとう。本当は、サトちゃんもすごいのよ?』
えーと、こんな居候のどこが?
お菓子が作れるって意味なら、まあわからなくないけど…実際は、あまり難しいものは作ってないからそんなにすごくないよ。
『本当に、一緒に過ごすことも出来なくて寂しい思いばかりさせた、ひどい母親には過ぎた娘よ』
『そんなこと……』
『ない』なんて、当事者でもない人間がいっちゃいけないんだと思う。
でも、オムレットの言葉を否定したくてしかたなかった。
だって、見ず知らずの子どもに優しくしてくれるオムレットが『ひどい母親』だとは、どうしても思えないよ。
だって、シングルマザーで毎日が忙しくて、一緒にいる時間が取れないってことは、貧相な頭なりに想像出来るから。
それに…
『娘さんがいい子なら、それはお母さんの頑張ってるとこを見てたからだと思います!』
本当に、寂しい思いばかりさせられてたら、グレると思うよ。
それもなくて、ずっといい子だったんならやっぱりお母さんを見てきたからだよ、きっと。
力を込めてそういえば、オムレットはいつもと違う表情でほんの少し笑った。
『ありがとう』
まあ、それも一瞬だった。
『さあっ、湿っぽい話はここまでにして!』
あっ、いつものオムレットだ。
両手を叩いたオムレットはまったくいつもと同じ笑顔で、叩いた手をそのまま合わせてこっちを見た。
『サトちゃんに、お願いしたいことがあるの』
「戻った」
「あっ、おかえりなさい」
タイミングを見計らったかのように、魔王が着替え終わった頃に戻ってきた。
「あの、ブラウニーさんは?」
「(斬って)捨てた」
あぁ、屋敷からポイッてしたんだね、納得。
うん、『捨てた』の前になにか聞こえた気がしたけど、気のせいだよね。
うん、きっと気のせいだ。
「あっ、そうだ。サン、しばらくお菓子が作れなくなりますがいいですか?」
いった直後、魔王が放つオーラが重くなった。
「理由はなんだ?」
聞きたい気持ちはよくわかる。
お菓子作りが、ここにいる条件みたいなものだからね。
「正確にいえば、お菓子は作ります。屋敷と、出来れば塔でも」
「…?」
魔王が首を傾げてる。
そりゃ、意味がわからないのもしかたないよなぁ。
う〜む、魔王に説明してもいいのだろうか?
いや、食材費を出してくれて、なおかつ上司…もしくは飼育対象なんだから説明してもいいよね。
「ルレちゃんの結婚式、もうすぐですよね?」
「そうらしいな」
怪訝そうな顔のまま、魔王は頷く。
お菓子作りとルレの関連性がわからないのも、しょーがないよ。
「実はですね、その結婚式でお菓子を出すことになりまして」
あっ、そういうことって、魔王に聞いてから返事するべきだった?
本来は、魔王のお菓子を優先するべきだろうし…。
「構わない。続けろ」
はぁ、とりあえずは続きを促されたからそのまま続ける。
「いわゆる、サプライズ…うーん、驚かせるために、内緒で準備するんです」
その説明で、さっきの言葉が理解出来たのか、魔王は頷いた。
「試作を作るということか」
「そうです!さすがに、そんなハレの舞台にぶっつけ本番というわけにはいきませんからね」
まあさすがに失敗作は、自分で消費する予定ではあるよ。
魔王に食べさせるには、失敗作はちょっと躊躇するけど。
疑問が解決した魔王はしかし、また気になることが出てきたのか、怪訝な空気を発したままで首を傾げる。
「ならば、屋敷で作ればいいのではないか」
あ〜…うん、そうだよね。
普通なら、屋敷で作ればいいと思う。
「サンは、どちらに渡すと思いますか?」
「どちら?」
結婚式にプレゼントを渡すとしたら、新郎新婦から両親に渡すイメージがある。
でも二次会でのサプライズなら、逆もありかも。
さっきの魔王のセリフだと、後者だと思われているみたいだから、そう聞いてみた。
だって、実際は違う…というより、ちょっと大変な事態になってるんだ。
「“どちら”じゃなくて、実は両方から相談を受けました」
魔王は目を軽く見開く。
そりゃ、驚くだろう。
まさかの母娘の両方から、相談を受けているのだから。
いや、もしかしたら母娘が同じことを考えてたことに驚いたのかもしれない。
前にそれぞれと二人っきりになった後に、オムレットとルレに別々に頼まれたんだ。
べっ、別に『あなたにしか頼めない』っていわれたから、調子に乗って引き受けたんじゃないんだからねっ!
そこんとこ、勘違いしないように!
オムレットにはいつもお世話になってるし、ルレの気持ちは同じ娘の立場でわかるから協力したい。
ただ、それだけ。
「もちろん、レットさんには手伝ってもらいますよ?ですが、娘さんの方は式の準備で忙しいので、最後の仕上げだけやってもらおうと考えてます」
だから、塔でもお菓子が作りたいんだ。
屋敷じゃ、オムレットにバレるからね。
「サト」
「はい?」
あれ、魔王の表情が微妙だぞ?
「レットは、出席しないといっていたぞ」
「…えっ」
この話の流れからいって、“どこ”になんてわかる。
だけど、魔王の言葉が信じられずに思わず聞いてしまう。
「どこに、ですか?」
「式に、だ」
なっ、なんだってーーーっ!?
ほっとけばいいでしょう。