貴族令嬢のたしなみ
短編です。が。続きを書くかもしれません。
ここ、リファースハウスには、そこそこの力をもった、そこそこの階級の、そこそこの貴族の、そこそこの顔の、この平凡な男ジャン=チャペルと・・・まったく平凡でない女たちが住んでいた。
イギリスのド田舎出身の男の妻と、その娘たちだ。1か月前にロンドンに来たばかりの一家だったが、平凡などとは対極にある女性陣のおかげか、すぐに周りに慣れ、受け入れられたのだ。一風変わった女たちは、好かれこそすれ、浮いたりなどしなかったのだから不思議なものである。
リファースハウスの庭園を歩いていたジャンだったが、
「お父様~ぁ!ジャンお父様~!!!」
前方から可愛らしい声をした少女がたたたっと駆けてきたことで歩みをとめた。
「アリス。」
この少女はアリス=チャペル。中流階級貴族であるチャペル家の三女・・・すなわち、ジャンの娘だ。3日ほど仕事で家を空けていたので、この熱烈な歓迎はありがたい。
「お父様、アリス、寂しかったですわ・・・。アリスのこと、忘れてません?大丈夫です?」
若草色の瞳が揺れ、上目づかいで見上げられる。
「忘れたりなんかしていないに決まっているだろう。私も寂しかったぞ、かわいいアリス。」
「お父様、大好きっ!」
アリスはぴょこんとはね、不安げな顔が嘘のように晴れるような笑顔が広がった。しばらく雑談していたが、会話の合間に、アリスが2つに結んだ蜂蜜色のふわふわの髪を指でいじりながら、「あの・・・」と照れたような恥じらう表情で、
「アリス、お父様にプレゼントがあるんですの・・・。」
と籠を差し出した。このとき、ジャンは忘れていた。この少女が、普通の少女でないことを。
嬉々として箱を開けると・・・。
「ア、アリス、これは・・・」
「アリスの、とっておきですわ。お庭を探検しているときに、見つけましたの!・・気に入って、いただけました・・・?」
プレゼントの中身は、虫だった。
内心、虫が大の苦手だったジャンは、即座に投げ出そうとしたが、娘の純粋な想いとうつむく仕草に、
「あ、あぁ。大事にしよう。ありがとう。」
とひきつった笑みを浮かべて礼を述べ、さらに力をふりしぼり、言った。
「だが、生きているものは自然にあるべきだと思う。だから、この子を放してあげてもいいだろうか。」
しばらく思案していたアリスだったが、ぱっと顔を上げ、
「そうですわね!さっすがお父様!すてきですわ!」
とにこにこ。ほっとばれないようにため息をついたジャンは虫を放した。
「あ、お父様。奥の花壇に、アンお姉様がいらしていたわ。挨拶したほうがよろしいのではありません?」
「そうだな、アンナには留守の間、苦労をかけたし・・・。あぁ、そうだ。アリス。プレゼントだ。」
こういうときプレゼントで機嫌を取っておくことは忘れない。
「わぁ、かわいい!そしてきれいで、すてきで、実用的だわ!ありがとう、お父様っ!」
ジャンがアリスに送ったものは、ルーペだった。綺麗な装飾が施されている。
「さっそく探検に行ってきますわ!」
すぐにアリスはジャンの視界から消えた。
アリスは、ふわふわして可愛らしいお人形のような容姿と、子供っぽいほほえましい言葉使いを持つが、その実態は好奇心の塊で探検が大好きな野生児であった。1週間森で過ごしたという壮絶な過去もある。本人は楽しんだらしいが、家族ははらはらした出来事だ。足が風のように早く、隠れるのもうますぎる、そして体力が無尽蔵という驚くべき少女なのだ。ありえないほどの速さで駆け出して行ったアリスを見てジャンは、いったいなぜこんな子に育ったのだろうと不思議に思いながら、虫を素手でさわれることに対して尊敬の念を覚えるのだった。