本当に見てて嫌になるね
デザインの善し悪しなんて、本当はほとんどの人間には分からない。
線がどうだとか、余白がどうだとか、素材の意味だとか、歴史的文脈だとか、そういう話を本気でできる人はごく一部だ。
それなのに、世の中には「分かっている側の顔」をした一般人がやけに多い。
滑稽だと思う。
彼らは鏡を見る前にタグを見る。
自分の感性より、ロゴの方を信じる。
高ければ良い、名前があれば正しい、知らないものはダサい。
その判断基準のあまりの素直さに、時々こちらが不安になる。
4℃がやっていた匿名宝飾店の企画は、あまりにも分かりやすい実験だった。
名前を伏せただけで、それまで「高校生まで」「恥ずかしい」「もらったら困る」と言われていたデザインが、
「洗練されている」「シンプルで良い」「大人向け」と持ち上げられる。
何も変わっていない。
素材も、形も、輝きも。
変わったのは、ラベルだけだ。
それでも人は評価を変える。
自分の目ではなく、空気で見るから。
自分の感想ではなく、想定される“正解”をなぞるから。
恥ずかしいのは、ブランドじゃない。
昨日まで笑っていたものを、今日は真顔で褒めているその態度だ。
それを「価値観のアップデート」なんて言葉で誤魔化すのも、なお悪い。
評論家ぶるのは簡単だ。
誰かが敷いた線路の上を歩きながら、景色について語るだけでいい。
でも、それは思考じゃない。
追従だ。
別に4℃が悪いわけじゃない。
むしろ、あの企画は親切ですらある。
「あなたたちは、名前でしか物を見ていませんよ」と、わざわざ鏡を差し出してくれたのだから。
それでも多くの人は、その鏡を見ない。
見たとしても、すぐに忘れる。
また次のブランド、次のトレンド、次の“正解”に踊りに行く。
自分に合った生活をすればいい。
身の丈に合った感性で、身の丈に合ったものを選べばいい。
それ以上の顔をするから、苦しくなる。
分からないなら、分からないでいい。
好きじゃないなら、好きじゃないでいい。
ただ、分かったふりをして、空気の後追いをしながら、
「見る目がある側」に立とうとするのはやめた方がいい。
踊るなら、せめて自分のリズムで踊れ。
他人の拍子に合わせて得意げな顔をしているのは、
見ていて少し、痛々しい。




