二章十一話 その男、胡乱な者につき
「──アダム・クライネ……?」
男──アダムの言葉を、カオルは心の中でなぞるように反芻し、訝しげに眉をひそめた。言葉だけを切り取れば、尊大で、浅薄な人物だと受け取られても不思議ではない。むしろ、そう思われることを承知の上で口にしているようにも見える。
けれど、不思議とカオルの胸には違和感が残らなかった。彼は直感的に理解していたのだ。──アダムは、決してそのような人間ではない、と。
その確信の理由は、言葉ではなく所作にあった。立ち振る舞いの一つ一つに滲む落ち着き。相手を値踏みするでもなく、軽んじるでもない視線。そこには、長い時間をかけて培われた知性と、失われていない礼節が、確かに宿っていた。
「──姿勢に人の性格は出るって、俺はそう思うんだけど……あまりにも言葉と雰囲気が釣り合ってなくて、なんか落ち着かない……」
「君の疑問は当然だ。何故なら、私は天才的であるが、礼節を重んじている。そして、私は今過去最高に累卵の危うきにあるのだ。言動をちぐはぐだと君が受け取ったのも、私の焦りが原因だろう」
懇切丁寧に説明を終えると、アダムはボロボロの白衣の内側へ手を差し入れた。しばらくして取り出されたのは、小さな宝石だった。
それを指先でつまみ、彼は何の気負いもない仕草で、カオルの手のひらへとそっと渡す。
「──これは?」
「魔晶石だ。これを──」
「──少しいいかい?」
そんなアダムの言葉を遮るように、アウルが一歩前へ出た。宝石を握るカオルの手に、そっと自らの手のひらを重ねると、そのまま庇うように後ろへ引き寄せる。
その仕草には迷いがなく、静かながらも確かな警戒が込められていた。
「──君が、かの有名なアダム・クライネだということは理解したよ。言動と、そのバッジを付けているんだ。完全に把握した」
「それは何よりだ。して、そのような果断な行動に出たのはなぜだ? 私はこれでも、友好に話していたつもりなのだが」
「友好的なのは理解しているよ。けれど、君の目的が、僕にはあまりに不透明だ。まずは、そこの説明をしてもらいたいところだね」
「──ふむ、確かに、先を急ぎすぎていたな。職業柄、時間感覚が人とは異なるのだ。それに、君がこんなところにいるとは思いもよらなかったものでな。失態を演じたこと、詫びよう」
アダムは深く頭を下げると、白衣の下へ手を差し入れた。取り出したのは、折りたたまれた書類のようなものだ。
それを指先で弾くように、アウルへ向けて軽く放る。
「これはなんだい?」
「見ての通りだ。実質、私は科学者とも呼べない状態にある」
「──追放?」
アウルが書類を広げると、カオルはその横からそっと身を乗り出し、内容を覗き込んだ。そこには見覚えのない文字が整然と並んでいる。にもかかわらず、不思議なことに、その文章は自然と意味を結んで脳裏へと流れ込んできた。
「ご名答だ。明敏な私でも、コミュニティに属すことは必要事項でな。だが、ほんの数日前、私は、拭うことの出来ない失態により、追放されたというわけだ」
「──拭うことの出来ない、失態?」
アダムは愁傷の様子すら見せず、ただ淡々と事実のみを口にする。
カオルにはそれが不思議でならなかったが、アダムは懐から一枚の写真を取り出す。
「──アダムさんの、写真?」
「──不正解だ。よって、君には事実のみを伝えよう」
写真を懐へとしまい、アダムは、その青く美しい髪を風に揺らし、アウルに軽く視線を流す。
「私の犯した罪はふたつ。ひとつ、死者蘇生の企み。ふたつ、クローンの生成だ」
「──?」
カオルは、それに瞬発的に反応ができず、不思議そうな顔しかできなかった。だが、
「っ……何故、そんなことを!」
「──理由を言ったら、君は私の味方をしてくれたかい?」
気づけばアウルは、アダムの胸ぐらを強く掴み、怒りを露わにしていた。その剣幕に、カオルは息を呑む。
──そこでようやく、頭の中の点と点が繋がった。
死者を蘇生すること。それは禁忌だ。倫理や常識以前に、人として生きていれば、当然のように理解している一線。
──クローンについては、正直なところ、まだよく分からないが。
「──あ、アウルさん、やめてください! 暴力は……!」
そのとき、アウルの手に込められた力の強さに気づき、カオルははっとして慌てて仲裁に入った。アダムは顔色ひとつ変えぬまま。一方のアウルは、なおも眉を顰めながらも、ゆっくりとその手の力を緩めていく。
「──すまないね」
「い、いえ……アウルさんは、この……アダムさんとは」
「──古い知り合いだよ」
「友人だ!」
「また君は……少し黙っていてくれないか」
珍しく感情をあらわにするアウルの姿に、カオルは思わず目を瞬かせた。そして次の瞬間、「珍しいな」とでも言いたげに、ふっと頬を緩める。
そこにあったのは、ただ穏やかで優しいだけの賢者ではない。怒り、照れ、微妙な心の機微――そんな、人間らしさが、確かに顔を覗かせていた。
「──こほん、ごめんねカオルくん。これとは、付き合いが長いんだ」
「本当に失礼なやつだな君は! すぐに気づかなかったのを怒っているのか?」
「──お前だと気づいた瞬間に認識阻害の魔法を使ったんだ。気づかなくて当然だよ」
「えっ、そんな魔法を!?」
あまりにもさらりと突きつけられた衝撃の事実に、カオルは思考が追いつかず、がーんと口を開けたまま固まってしまう。その様子を見て、アダムは可笑しそうに、けらけらと楽しげな笑い声を立て、
「うんうん、アウルの友達がいい子そうで安心した。それで、話の続きなんだが」
「──構わないかい? カオルくん」
「は、はい! もちろん!」
「カオルくん、君にはアウルと一緒に、私の」
「──ご主人様ーっ!」
二度あることは三度ある、とは言うが――さすがに続きすぎだろう。相次ぐ横槍に、アダムは笑顔を貼りつけたまま、ぴたりと動きを止めた。
違和感にカオルが視線を向ける。そこに立っていたのは、血に濡れ、荒い息をつくココアの姿だった。
「──っ!? ココアちゃん!?」
──ココアの身体は、ひと目で無事ではないと分かった。
脚は途中で力を失ったように歪み、片足は地面に着くたび、あり得ない揺れ方をしている。骨が折れているのは明白だった。まともに体重をかけられるはずもなく、それでも彼女は足を引きずりながら前へ進んでいる。
さらに、呼吸がおかしい。息を吸うたびに胸が不自然に上下し、浅く、途切れ途切れだ。おそらく、折れた肋骨が肺を圧迫しているのだろう。深く息をしようとするたび、内側から鋭い痛みが走るはずなのに、ココアはそれを堪える素振りすら見せなかった。
走るたび、胸の奥で何かが軋む、その衝撃に耐えきれず、喉から掠れた息が漏れる。顔色は血の気を失い、冷や汗が額を伝っていた。
それでも彼女は止まらなかった。折れた脚で地面を蹴り、砕けた肋骨を抱え込むように上体を前へ倒し、それでもなお走る。身体が壊れる感覚よりも、「戻らなければならない」という意志の方が、はるかに強かったのだ。
金色の瞳は、痛みに滲みながらも、ただ一人――カオルだけを捉えていた。
「──ココア、ちゃ」
「──ご主人様、変な男が来ませんでしたか。青髪の男が」
ココアは荒い息を必死に整えながら、カオルのもとへと駆け寄った。折れた脚を引きずりつつも、その歩みには迷いがない。
そして、アウルへと視線を向け――その隣に立つ、もう一人へと目を──
「──アラン」
「────」
ココアが、静かに、声を置くように呟き、アダムが、その言葉に瞳を見開く。
そして、
「──ご主人様、離れてください。此奴は、危険な……」
ココアの身体から、はっきりとした殺意が迸るのを、カオルは否応なく感じ取った。それは錯覚ではない。視線を向けるだけで分かるほど、空気そのものが張り詰めていく。
可愛らしいはずの顔は、今や鋭く険しく歪み、眉間には深い皺が刻まれている。そして、彼女の指が――ぱき、と乾いた音を立てた。
その小さな仕草が、決定的だった。カオルの胸に、言いようのない焦燥感が一気に押し寄せる。
「──だ、だめだよココアちゃん! この人はたしかに怪しい見た目だしよくわかんない人なんだけど、殺したらダメだ!」
「──優しいご主人様は素敵です。ですが、それはすごく危険な存在なんです。私の足を折ったのもそいつです」
カオルは咄嗟にココアの肩を掴み、慌てた様子でその動きを止めた。呼吸も整わないまま必死に制止する彼に、ココアは一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、慈しむような眼差しを向ける。
だが、それはすぐに掻き消えた。次の瞬間、その表情は硬く引き締まり、警戒と、濃密な殺意が彼女の顔を覆い隠す。
「お前そんなことをしたのか」
「するわけないだろう!? アウル、分かっててからかうのはやめろ!」
「──アウルさん、その方とお知り合いで……」
アダムがアウルと親しげに言葉を交わしている、その光景を、ココアは鋭い眼差しで見据えていた。刃物のように研ぎ澄まされた視線が、二人の間に流れる空気を切り裂く。
やがて、彼女の視線はアダムの顔へと定まり――その瞬間、ココアは、彼の言葉を断ち切った。
「──────違う?」
つかつかと歩み寄り、ココアは躊躇なくアダムの顎を掴み上げた。指先に込められた力は決して強くはない。だが、逃がさないという明確な意思だけが、冷たく伝わってくる。
黄金色の瞳に射抜かれ、アダムは一瞬だけ息を詰める。次いで浮かべたのは、気まずさを誤魔化すような、薄い微笑だった。
しかしココアは、それに取り合わない。彼の顔を、輪郭から目元、口元に至るまで、隅々までなぞるように視線で検分していく。
やがて、わずかに眉がひそめられた。曖昧だった違和感が、形を持ち――疑問は、静かな確信へと変わっていった。
「──違う」
「え……っと、君はおそらく、私が探しているクローンに会っ……ぐっ!?」
「──ご、ごめんなさい!」
ココアが、アダムの肩を勢いよくつかみ、慌てたような顔で頭を下げる。
「ただ顔が似ているだけ……気配も少し似てますが、とにかくごめんなさい! あとちょっと気づくのが遅かったら首を捻ってるところでした……!」
「勢いがすごいし言葉が物騒だな君! 可愛い顔でとんでもない子だ!」
「──いえ、本当にごめんなさい! アランという、性格の悪い男に間違えてしまい……! よく見たら、目付きが少し違うような気がします! 本当にごめんなさい!」
謝罪の言葉を零しながら、ココアはアダムの肩をがくがくと揺さぶった。力加減など考える余裕はなく、ただ衝動のままに縋りついている。
ココアにとって、アダムとアランの顔は――本当に、見分けがつかないほど瓜二つだった。輪郭も、目の形も、記憶に焼きついたそのままの姿だ。
けれど、
アウルは警戒を解いている。そして、間近で見ると、微かな違和感がある。表情の癖、立ち姿、漂う空気――決定的ではないが、確かに“何か”が違う。
ならば、これは自分の思い違いなのだろう。
──そう、思いたい。
そう思うことができれば。
ココアは、この男を殺さずに済むのだから。
「──ココアちゃん、どうしてアダムが危ない奴だって思ったの?」
「──先ほど私の足を折った男と、顔が瓜二つだったんです。魔力の流れやいろいろなものがよく見たら違うので、別人だったようですが……」
「──顔?」
アウルが、アダムの方へと目線を向ける。
アダムもそれを感じ取り、静かに頷くと、
「──私が追放された原因の一つである、クローン生成。そのクローンだろうな、多分」
そう、自らが作り上げた災厄を、悔悟混じりに口にしたのだった。




